65話
私達が何故こんな旅をすることになったのか、順を追って話そう。
まず、ミスティとの一件が終わったあたりまで遡る。あの後は平穏ながらも慌ただしい日々が続いた。ミスティとディエーレはまるで十年前から知り合っていましたと言わんばかりに交流を深めてアイディアを刺激し合い、小さいながらも職人街でも有名になるほどの工房を建てた。
工房長は当然ミスティで、ディエーレはそのサポートだ。奇天烈な女性二人のみの工房ということで人目を引き、それ以上に怪しげな魔道具を作っているということで話題を呼んでいる。トラブルも耐えないらしいが本人達は至って楽しそうだった。楽しそうで良いわねとやっかみを言いたくもなるが、それでもぎゃあぎゃあと騒ぎながらも工房を切り盛りする二人を見るのは楽しかった。
だが、他人のことより自分のことを考えねばならなかった。そろそろ結婚式について色々と話を詰めねばならなくなってきたのだ。父達もそのあたりを気にしているようで、王城へご機嫌伺いを兼ねて王都へ来ると便りがあった。父などは私の卒業式を見に来るなどと言っているが、親同伴で出るなど恥ずかしいので辞めて欲しい。
「卒業式に来るというならめでたい事と思うが……嫌なのか?」
私はウェリング家の屋敷の食堂でアドラスと昼食を一緒に摂りつつ、今後の打ち合わせをしていた。父達が来る旨をアドラスに伝えていたら、どうやら気付かぬうちにしかめっ面をしてしまったようだ。いけない、どうも油断してしまう。
「嫌というわけではないけど……」
都合良く親の顔をしているようで虫の良さを感じて釈然としない。
……と、ありのまま伝えるのも子供っぽい気がして、頭の中で上手い言葉を探す。
「あー、どうせなら弟の方を心配して欲しい」
「確か、鶏鳴騎士団に居るという話だったな?」
「うん。たまに手紙のやりとりもするわ」
鶏鳴騎士団とは、この国の国境を守るために辺境に駐留する実戦部隊だ。任務が苛烈なことで知られているが、それだけではない。身分分け隔て無く人を集めて教育して騎士へと育て上げる、一種の学校のような存在でもある。身分や金に物を言わせて、皿に盛られた料理を楽しむように箔や経歴が得られる名ばかり騎士団ではない。
貧民であろうと誰であろうと、勉学と訓練に励み厳しい職務にあたる限り、職と身分が与えられるのだ。もっとも入隊するための受験料がいるため本当の文無しにとっては厳しいが、それでも立身出世を夢見て騎士団の門を叩く人間は絶えず現れるらしい。規定の年期を経ずして除隊しても、あそこで過ごしたということは冒険者の間ではマイナスにならず、むしろ尊敬の目で見られる。それくらい厳しい。
「あそこで何年も居るのだ、一角の騎士になっていることだろう」
「だと良いんだけど……」
手紙の文面こそ上手くなったものの、どうも同じ騎士団の仲間と馬鹿をやっているような内容ばかりだ。姉としては心配極まる。
「会わなければわからないものもあるだろう、僕は会うのが楽しみだよ」
「ありがと」
まあ、あまり心配しすぎるのはよそう。
今あれこれ考えても仕方の無いことだ。
「それより……その、婚前パーティのことなんだけど」
「ああ、そうだな」
婚前パーティと言うのはアドラスの父上、ブルック様からの提案だ。
アドラスは次期領主であり、私はその隣の領地の貴族だ。端から見れば紛うこと無き政略結婚であり、ここの領地は盤石であるというアピールをせねばならない。大きな戦争などは無いが小競り合いは多い。結婚を利用されるというのはとても癪な話ではあるが、領民の事を思えばやむを得ない。特にウェリング家、アドラスの治める領地は最近も小競り合いがあったばかりだ。隙があると見られれば、侮った賊をおびき寄せることだってある。
だが私達の領地は王都からはやや遠い。招くことのできる要人が少ないのだ。アドラスの主立った取引相手は王都に在住の人が多いし、私も知己の人間は王都の学生ばかりだ。そこでブルック様から「どうせなら王都でお披露目のパーティをしないか」という提案があった。王都と地元を行き来する貴族ならばよくあることらしい。
「会場の当ては幾つかあるのだが、アイラはどうだ?」
「うーん……ダリアの実家の教会は貴人をたくさん招けるんだけど……」
「教会で結婚式ではなくパーティだけさせてくれ、というのは難しいだろうな。むしろ結婚式をこっちでやれと言うところがほとんどだろう」
「そうなのよね……申し訳ないのだけど」
ウェリング家の工房のお得意様を招いて失礼の無いような大店など、私は利用したことなんてありません。何の提案もできない。
「このお屋敷ではまずいの?」
「広さを考えると適切ではないな。
店舗の部分もあるから決して狭いわけじゃないんだが、客を呼ぶには手狭だ。そこで……」
と言って、アドラスは机の上の書類を片付け始めた。
書類を纏めて、机にとんとんと叩いて紙の端を揃える。
最近わかってきたのだが、これは彼が「仕事終わり」の合図だ。
やった、という喜びで口元が緩まないよう、顎をきゅっと引き締めた。
「食事がてら、下見に行かないか?」
◆
舌鼓を打つ、と言うにふさわしい料理の数々だった。
前菜は根菜をすりつぶした滑らかなスープ。口当たりが鋭くならない程度に優しい加減でビネガーや魚醤を使っており、具材が野菜のみでありながら滋養豊かな味わいだった。主菜の蒸魚は大皿に盛られて出てきた。頭から尻尾までまるごと出てくる豪快な見た目だったが、それに反して味付けはとても繊細だった。川魚を子供の頃から口にしていたから魚の味わいにはうるさい方だと思ったが、魚の持つ本来のふくよかな味わいや口当たりの柔らかさを十二分に引き出していた。香り付けの香草や香辛料も一級品だったが、それを使いこなす技量こそが一級であった。
デザートもまるで美術品のような美しさだ。小さな更に盛られた氷の菓子で、そこにはテーマと風景があった。春に麓の雪が解け、だが頂きには白く覆い被さる雪が残っている山嶺。それを一匙すくって口にいれれば、まろやかな口当たりと甘みが解けていく。
王都では手に入りにくい食材。技量の粋を尽くしているであろう美しい飾り付け。酒類も舌を刺すような刺々しさはなく、料理との相性を考え尽くしている。これはまずい、舌が肥えてしまう。アドラスにこういう店にはよく来るのかと聞くと、流石に重要な客との接待くらいらしい。プライベートで来るのは初めてで、「一度くらいは気兼ねなく食事してみたかったんだ」と、悪事を打ち明けるような悪い笑顔で言われた。ホッと安心してしまう自分の貧乏性が憎らしい。
だが、そんなことよりも更にまずいことがあった。
「いや、こんなところで会うとは奇遇ですなぁ」
アドラスが背後から声をかけられた瞬間、楽しそうに食事をしていた彼の顔が固まった。
声を掛けたのは、身なりの良い中年の男性だ。カツラじゃないかと思うほど黒々としたボリュームのある長髪。整えられた髭。そして今風のパリッとしたジャケットを羽織っている。貴族というより時流に明るい商人といった雰囲気だ。顔も明るい。ただ、目はどこか鋭く油断ならないものがある。
「……これはこれは、コンラッド殿」
固まった顔が、また一瞬で和やかになる。
あー……多分、苦手な人に会ったけど、嫌な顔が出るのを理性で止めたんだ。
おとなってたいへんね。
「これはまた、可愛らしい女性と一緒とは伊達男ですなぁ」
「ええ、こちらは婚約者のアイラです。グレン=カーライル子爵の次女でして……。
アイラ。こちらはコンラッド=ウェルド殿。
ウェルド子爵家の嫡男で、僕と同じく魔道具工房を営んでいる」
と、アドラスがさらりと紹介を済ませる。
なるほど、なんとなく関係がわかった。
商売敵。
それもカラっとしたライバルではなく、もっと粘ついた敵対関係を匂わせる。
「お初にお目に掛かります。アイラ=カーライルと申します」
「カーライルと言うと……確か、ウェリング家のお近くの?」
「ええ、隣り合った領地でして」
名字だけでパッと居所まで当てるとは、相当耳ざとい人らしい。
コンラッドと呼ばれた彼は、じろじろと値踏みするように私を見る。
……ちょっとぶしつけだな。
「ずいぶんと余裕がおありのようだ。これは来期からも繁盛間違いなしですな」
「いえいえ、こちらの工房など新参ですから皆様ほどには。
コンラッド様の方こそ景気の方はいかがでしょう?」
「……ふ、ふん! 我が工房は何の問題も無い!」
そしてコンラッドと名乗った男は、自分の商売がどれだけ素晴らしく、輝かしい未来を待っているのかを演説のように説明し始めた。その話の端々に、「どこどこの家とは格が違う」とか、「没落したどこどこの家のようなことにはならない」とか、妙に他をけなして自分を持ち上げる表現を度々使う。
なんなのかしらこの人……。
アドラスや他の職人から感じるような職人気質を感じない。
景気の良し悪しを持ち出すあたり、商売っ気の方が強そうだ。
「しかしアドラス殿も女泣かせですなぁ……いや、逆か、女泣かされ、かな?」
ちらりと覗かせるつもりの丸出しの敵意を食らった。
こいつケンカ売ったな? と、一瞬怒りそうになる自分を抑える。
ここはアドラスの立場を考えなければ。
「お褒めにお預かり光栄ですね」
「いやはや、新参貴族ともなると苦労が絶えないようで同情しますよ。
妹はあのじゃじゃ馬だ、独立するなどさぞ手を焼いておいででしょう。
それに色恋も知らずにあてがわれた相手と縁を結ばねばならぬとは」
なるほど。
こいつ敵だ。
私がこの男の髭を抜くか指を折るか考えたあたりで、アドラスが口を開いた。
「コンラッド殿、お酒を召したのですかな。何を仰っているかわかりかねますが」
「なんだと?」
アドラスはそこで、私の手を取った。
いや、え? このタイミングで!?
「僕は自分が望んで結婚するのですよ。家同士の関係も無いとは申しません。ですが僕は、義務感と妥協で人生を決めようとは思わない。大事なのは愛と納得だ。僕は自分の結婚に答えを得ている」
な、何を言ってるかよくわからないが、なんだか凄いことを言われた気がする。
「コンラッド殿は、いかがですか? 結婚について、あるいは人生について。
私のような未熟者に訓示してくれることがあれば、ぜひ」
「……この魔道具狂いの癖に」
コンラッドはぎりりとアドラスを睨んだ。
「……そちらのご令嬢も、苦労することでしょう。こんな変人が相手では」
だがその口から出たのは、さほど上手とも言えないありきたりな皮肉だ。
「いいえ」
私はありたっけの気持ちをこめて、笑顔を作った。
いや、作る必要も無かったかも知れない。
彼の指先の温かさを感じれば、言いがかりを付ける変な男を前にしても自然と笑顔でいられる。
「あなたがご存じのような紆余曲折はあったかもしれませんが、私もアドラスと同じです。自分で納得しているから……一緒に居ようと思ったからここに居るんです。それはまあ、ちょっと奇矯で希有なところもありますけれど」
と、私が言うと、アドラスが「ええっ」という顔をした。
あれ、もしかしてアドラスは、自分が変人の自覚が無いのかもしれない。
「でも、この人のこだわりも、信念も、素晴らしいって思っていますから。魔道具狂いって言いましたけど、剣の達人は剣に狂ってますし、芸を極めた人は芸に狂ってます。商売、工芸、法や政治、どんな真面目な事だって同じです。私には褒め言葉にしか聞こえません」
一気に言いたいことをまくし立てた。
しまった、周囲の客の注意を引いてしまった。
だがそれが功を奏した。
分が悪いと悟ったのか、コンラッドは「急用を思い出した」などと下手くそな言い訳をして、店からそそくさと去って行った。
「ふふっ」
アドラスが忍び笑いをもらした。
まったく、見た目からは裏腹に意地の悪い人だ。




