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61話

 奇怪なまでにまっすぐな動きで私の眼前へと進み出てくる。

 ぐるりと手を回し、鉄鞭で私を打ち払おうと大上段に振りかぶる。速い。

 人間のような逡巡や筋肉の溜めが無い。昆虫などよりもよほど無機質で正直言って気持ち悪い。


「うわっ!? ちょっと待ってって言ったでしょ!」

『ハイジョシマス!』


 剣を抜くのが間に合い、鉄鞭での一撃を防ぐ。

 これもまた奇妙な手応えだ。

 まるで駆け引きみたいな物が無い。

 一定の圧力でぎちぎちとこちらを押し返そうとする。


「いやあ、アイラなら問題なく防ぐだろうし」

「そうだけど! そういう問題じゃ無い!」


 剣だってタダではないのだから、こんな遊び半分で刃こぼれさせたくはない。

 携えているのが魔剣じゃなくて護身用の安物で良かった。


「だいたい、こんな玩具で私を止められると思った?」

「うん、これだけじゃあ無理だね。……それじゃあミスティ女史」


 ディエーレに名を呼ばれたミスティさんが、ぱちりと指を鳴らした。

 その瞬間、


「ああっ!?」


 また部屋の重力が曲がった。

 私はなんとか体勢を立て直そうとする。

 しかしこんなことをしても、向こうも転ぶだけの話じゃ……


「あれ?」

『ハイジョ!』


 転んでない。

 重力の変化にまったく影響されず、両足で床を踏みしめている。


「え、それずるくない?」


 真横から唐竹割りが襲ってくるという光景に混乱しつつも、私は体勢を整えながらすんでのところで回避した。


「ここは私の城だよ。何がずるくて何がずるくないか、それは私が決めることさ」


 声のする方に目を向けると、ミスティさんもディエーレも天井裏の方へと戻っていた。

 無様をさらしているのは私だけだ。


「くっ……!」

「アイラならこんな人形が一匹二匹居たところで問題無いのはよーくわかってるよ。でも……この状況で上手く立ち回れるかな?」


 その通りだ、平地ならばこんな人形に苦戦することなどない。

 向こうは素早さも力もある。だが動きは至って単調だ。私より二枚か三枚落ちる腕前でも問題あるまい。だがこの異常な環境に置いては非常に動きが読みにくい。考え得る限り、ディエーレの技術とミスティさんの技術の組み合わせはこの上なく厄介だ。壁を走ってくる相手にまともにやりあうなど、流石に私も未知の経験だった。


「……ったく、なんでそんな技術があるのにこんな遊びするわけ……!?」

「あっはっは、逆だよ逆、遊びがあるから技術が高まるのさ」


 ええい、ディエーレの浮世離れした考えなんて耳に入れる暇は無い。

 ゴーレムが跳躍してきた。真横の放物線という奇妙な移動に脳が追いつかない。

 剣の腹でもろに受けた。刃こぼれがする。そもそも鈍器を刃で受けることが間違っている。

 避けきれなかった私のミスだ。


「だったら余計なことは考えないで遊んでいれば良いでしょ! 独立するとか何とか、自分で面倒事を増やすなら好きに魔道具を作っていれば良いじゃない! アドラスだってそう望んでるのに!」


 ゴーレムの手にしたもう一本の鉄鞭の横薙ぎが、垂直に襲いかかってくる。

 飛び退きつつ剣を振るう。手応えが硬い。綺麗な斬撃には程遠い。これでは駄目だ。


「アドラスが言ってたわ。職人として大成したいのか名誉が欲しいのかはっきりしないと応援するつもりは無いって。でも、あなたがやりたいことを決めたならきっと応援するつもりよ」


 ゴーレムは決して怯まない。当たり前だろう、意志など無いのだから。そして魔力が尽きない限りその動きを止めることは無い。つまり疲労が表に現れない。暖簾に腕押ししているかのような徒労感。そして徒労感を感じているということは、まさしく私自身が罠に掛かっているということだ。


「アドラスが心配してるくらいわかるでしょ!」

「余計なお世話だ!」


 ちょっと言い過ぎたかも、と思った瞬間に大喝が返ってきた。


「……大体、兄さんこそ好き勝手にするべきなんだ!」

「えっ?」

「父が身の丈に合わない爵位を貰って、厄介事ばかりだ! あんな僻地の領地の経営に手一杯で……」


 僻地って。いや確かに田舎ではあるし、御用商人が来る頻度も少ないし、何かと隣り合った領地同士で喧嘩したりはしてるけど……。確かに王都在住の目から見れば僻地どころか蛮地だけど……。


「兄さんだって領地の経営なんて本当はやりたくは無い、ただやるべきだって思ってるからやってるだけだ!」


 またゴーレムが突進してきた。だが今度は奇跡が読みやすい。

 一歩踏み込んで剣の柄をゴーレムの胴体の中心にあてる。

 そして当たった瞬間に全身の力をこめてぐいと押した。

 不思議な力の流れを感じる。奇妙な手応え。

 鉄鞭が一寸先を流れていく。一呼吸遅ければ私が殴られていた。


「本当は、お祖父さまもお祖母さまも、兄さんに期待してたんだ!」



 本当に必要な道具というものは、技巧を極めたものでもなければ華美な装飾を施したものでもない。ただ単純に、使い手を満足させる物だ。


 お祖母様は常々そう言っていた。お祖父様も同じだ。その意味をよく考えろと言われながら学んだ。正直言って、わかっていなかった。作ることや使うことが楽しくて、良い出来映えの物を作って、それで良いじゃないかと思っていた。


 だが、違うのだ。どんなに素晴らしい物ができたとしても、それを使う人が居なければ宝の持ち腐れだ。使う人が居て初めて道具は完成する。お祖母様は、自分の作った物がお祖父様の作った物と誤解されても決して怒らなかった。お祖母様はわかっていたのだ。自分がただ作るだけでは、本当にそれを必要とする人の元には届かないのだと。自分にできないことを信頼できる人に任せて、自分は自分のできることに集中していた。だから賞賛を受けないことなどなんでもなかった。お祖母様の一番得意な魔道具は、魔物除けの香だ。これを必要とする人は多い。貧しい旅人も豪商もこぞって欲しがった。売り方を一つ間違えればどこかで独占されて、本当に必要としている人……魔物に苦しめられる貧しい人の手には届かない。だからそれを叶えてくれたお祖父様を強く尊敬していた。


 そしてなにより、お祖母様の技術をお祖父様が認めてくれていたから。


 今でも覚えている。私を膝の上に乗せながら懐かしむように語ってくれたことだ。そんな敬愛すべき祖父母も、やがては老いが進み、引退を考えるようになった。第一線で働くよりも後進を育てる事が使命となった。父は、商人としての才覚は多いにあったが職人としての芽は出なかった。祖父は父に仕事のいろはを仕込んだ。そして祖母は私達に魔道具を作る技術を伝えた。私も兄も、祖母と一緒に物を作ることが好きだった。ただ無邪気に祖母の仕事を手伝っていればそれで幸せだった。


 私は兄より才能があると思っていた。


 事実、私の方が精緻に魔結晶に魔術を刻み込める。絵心や装飾のセンスも、私の方が恐らくあるだろう。だがそんな小手先のことはお祖母様は重視していなかった。本当に必要なことは、誰のために作り、どんな願いを叶えるかだった。


 ウェリング家の売る魔物除けの香は昔からよく売れる商品で、だがそれ故にもはや改良の余地は無いと思われていた。私もそう思っている。だが兄さんはごく簡単な方法で改良を施した。台座と風防を一緒に売り出したのだ。セットにして売るなんて誰だって思いつく単純なことだ。というかお香を焚きしめるための台座なんて誰だって自分で用意できるし意味が無いと、お祖父様以外は皆が思った。


 だが、これが売れた。売れただけではなく多くの人から感謝された。馬車や馬、あるいは地竜で旅をする人はどう持つべきか意外と困っていたのだ。お香を鞍に引っかけることができて、なおかつ風で消えないようにする仕組みは大ヒットし、今やそこにあって当たり前の物になった。また徒歩の旅をする者にも受け入れられた。徒歩の旅はどれだけ荷物を小さく軽く纏められるかが肝心なのだそうだ。台座と風防は薄い鉄板を組み付けただけで簡単に折りたたむことのできる物で、そこがまた好評だった。瞬く間に他の工房もそれに倣うようになった。


 他にも兄さんは様々な発想をお祖父様とお祖母様に示した。大ヒットとなったのは魔物除けの香くらいではあるが、魔術の腕、装飾のセンスに限らず、売り出し方を変えたり今までに無い使い方を見い出したり、既存の枠組みに囚われない考え方はどうしても私にはできなかった。本人こそ、「自分はミスティほどの才は無いから」などと謙遜するが、そうではない。私のように考えが凝り固まっていないから腕を伸ばしていないだけだ。技術は努力で伸ばせる。だが物を捉える目線は真似できない。使い手に対する慈愛の目線。それを持っているからこそ私は兄さんを尊敬している。職人として、工房の経営者として、ふさわしい人間だと思う。だから……



「だからお祖父様やお祖母様の意志を継いで欲しいのに!」


 感覚が掴めてきた。

 ゴーレムの動きは単調だ。だがそれを重力トラップで補い不規則な動きにしていた。

 ……というより、不規則に見せかけていた。


「つまり……アドラスにそうなって欲しいから、アドラスを挑発したり、発破をかけたりしてるの?」

「ああ、そうさ! 兄さんは職人としての本分を忘れてるからね!」


 剣とは、人とは、常に上から力が降り注ぎ大地を踏みしめているからその存在が確かなのだ。このトラップに嵌まることでそれがただの言葉では無く実感として理解できた。重く鋭い一閃は、それがあって初めて成り立つ。


「……無駄だと思う」

「なんだと!?」

「だって、アドラスはあなたのこと大事にしてるもの」


 だから、大地を踏みしめられなかったり、あるいは大地が不確かだったりする世界で、私は、人は、剣はどうすれば良いのか。この迷宮でずっと考えていた。剣とは宇宙であり真理だ。何を狂ったことを言ってるのかと思うかも知れないが、少なくとも極めようとしている人――お祖父様や師匠には哲学があった。今相対しているゴーレムは人ではない。生物ですらない。だが、自然の一つではある。自然には在り方がある。火が物を燃やすように。水が高所から低所に流れるように。それが理解できるのならば、重く鋭い一閃などは要らなかった。


「……だ、大事にしていようが、関係ない!」

「関係なくなんて無い!」


 ゴーレムの体の中の何処に核となる魔結晶があるかは大体予測が付いた。ディエーレが分解したときの記憶を探り出す。

 ゴーレムが躍りかかってくる。細くしなやかで、密度の高い鋼鉄の体から繰り出される一閃は悪運のように狼藉者を打ち払うのだろう。そこには慈悲も憎しみもない、ただひたすら機能的な美しさがある。なるほど、目の色を変えて作ることに熱中するディエーレや、仕組みを理解しようと頭をひねるアドラスの気持ちも少しだけわかる。ごめんなさい、そんな美しい物をぶっ壊します。


「……きぬた


 鉄鞭の一撃が頬をかすめる。

 そして、ほんの少し、撫でるような優しい手つきで、ゴーレムの額を撫でた。

 動きを司る核はここにある。

 ギリアムと戦ったときのような速力や重さは要らない。

 掌よりも小さな魔結晶を傷つけるだけの、爪でひっかくような僅かな力さえあれば良い。


「なに……?」


 音さえも無く、ゴーレムはその動きを止めた。

 まるで突然心臓が止まったかのような、あるいは道化師がパントマイムをするような、そんな唐突さと共に。


「私は!」


 驚いているミスティさんを尻目に、私は叫んだ。


「私は……あなたが羨ましい」

「羨ましい……?」


 ディエーレさんは、きょとんとした顔で聞き返した。


「アドラスがお兄さんで、たくさん心配してもらえて……大事にしてもらって。その上、アドラスが認めるくらい才能があって……私には持ってないものばかり」

「贅沢だとでも言うのかい?」

「ううん、それはあなたが頑張って努力して手に入れた生き様だもの。だからあなたのこと羨ましいっては思っても嫌いとか憎いとか、そういうのは無いわ。でも」


 私は、姉が嫌いだ。過去形では無い。今もなお嫌いだ。


 そりが合わなかった。弟をいじめるところも、年上を上手く味方につけて嫌いな奴を悪者にするのが得意なところも、美貌と才能に恵まれながらそこにあぐらをかいているところも、アドラスを振り回すだけ振り回して両家に大きな禍根を残したところも、大嫌いだ。


 だがそれでも、正面から喧嘩をするときの姉はそんなに嫌いではなかった。姉の歪んだ審美眼に基づく男への愚痴や、世の中への見当違いな怒りをわめきちらすのは耳が割れそうだったが、それでも姉は本気だったのだ。誰よりもむきだしの本音をさらけ出していたのだ。もはやあの割れ鐘のような声を聞くことは二度とあるまい。それは一抹の寂しさの伴う安堵だった。


 だから、私と姉なんかよりもよほど通じ合い、尊敬し合っている人間が遠ざかろうとしていることが……ひどく悲しく思った。


「……アドラスとあなたが喧嘩したままだと……なんか、やだ」


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