59話
今日は休みだ。
既に卒業要件を満たして遊民のような生活をしてる私が言うのも変な話だが、ミスティさんが不在でアドラスも忙しそうなので、屋敷に行くのは遠慮しておいた。ディエーレも何やら仕事を請け負ったらしく出ずっぱりで、珍しく今日一日は完全な自由時間だった。朝からディエーレから借りた魔道具の教本を読んでいたもののあまり身が入らず、結局訓練場へと来てしまった。
「マリッジブルーにでもなったわけ?」
「うるさいわね」
軽く体をほぐしていたときに声を掛けてきたのはダリアだった。
相変わらず重たそうな修道服を隙無く着こんでいる。
「また辻回復でもしてたの?」
「そんなところ」
「意外とマメよね……」
ふー、よっこいせ、と若々しさの全く感じられない声を出しながらダリアが私の隣に腰掛けた。背も高く素手ならば男の戦士でも殴り倒せるほどの豪腕な女性だが、隣に座られても威圧感はなく、むしろ妙な気安さ、話しやすさがある。そういえば喧嘩はなんどもしたが、一つの喧嘩が長引いたことはなかった。
「ダリアは兄弟とか多かったっけ?」
「んー? まあけっこう居るけど。腹違いとか含めたら20人くらい?」
「うわっ」
「うわってなによ失礼ね」
ダリアが露骨に顔をしかめた。
「いや、ごめん、面倒くさそうというか大変そうだなって……」
「ま、アイラが想像するほど面倒くさくはないわよ。どうせそれなりの年齢になったら親元離れて教会に放り込まれるから、母親が違うから喧嘩するとか跡目争いするとかあんまり無いし」
「あ、そうなんだ」
「ま、貴族サマとは違った苦労はあるけどね。教会の生活にいつまで経ってもなじめないならやってらんないだろうし、実際にそういう子はいるし。ただ私は位の高い貴族の家に生まれるよりはラクかな」
「ふぅん……」
……そういえば、ウェリング家も今の家格に上がったのはそう遠い昔ではない。
貴族としての生活に慣れている、とは言いがたいのかもしれない。
アドラスは生真面目だ。自覚的に貴族であろうとしている、そんな気配がある。
ミスティさんの方は、どうなのだろう。堅苦しさを嫌がっているような感じもある。
「ありがたいお説教を前にして他のことを考えるとは不遜ねぇ?」
「あっ、いや、聞いてなかったわけじゃないんだけど」
「嘘よ嘘。説教なんてそんなものよ。でも結婚式とか大事なときにぼーっとするんじゃないわよ」
「わかってるわよ!」
どうだか、などと笑いながらダリアは肩をすくめた。
「で、何を悩んでたわけ?」
「ええとね……」
「うんうん、このダリア様に聞かせなさいな」
「引きこもりダンジョンを攻略できない」
「はぁ?」
私はダリアに、今挑戦しているミスティさんのダンジョンのことをかいつまんで説明する。ダリアの表情にわかりやすい呆れが浮かんだ。
「はー、あんたも難儀な人と家族になるもんねぇ……」
「そんなに悪い人では無いのよ。野心家だけど」
「人を例えるにあたってものすごく不適切に聞こえるんだけど」
うっ、私もアドラスの口調が移ってしまった。
「と、ともかく、色々と頑張ってるのよ! あれこれ説法するくらいなら何か良い助言ないわけ!?」
「流石に状況が特殊すぎてよくわかんないわ」
「ま、そうよね……」
「というかそんな特殊なダンジョンを攻略したり人間関係について相談したりするなら、私じゃなくて先生を頼りなさいよ」
「あ」
全くその通りだ。
人生経験が豊富で、魔法にも熟達した人が居るじゃないか。
「ほとんど卒業した気になってたから、その考えが頭から抜けてた」
私の間抜けな言葉を聞いたダリアがからからと笑った。
まったく、人の気も知らないで……と思うが、こんな風に悩みを笑い飛ばされるのもそれはそれで気分が軽くなった。
◆
そういえば婚約が成立した話をして以来、テンドー師の元には行ってなかった。元々忙しい身の上だし、在校生の面倒を見る方が優先だろうと思って何となく行くのを遠慮していたが、かといって卒業まで一度も顔を出さない方が不義理だろう。それを思えば丁度良かったかも知れない。街で師匠の好物の焼き菓子を買って先生のところに出向く。今の時間は外では無く学校内の研究室にいるはずだ。
テンドー師の研究室はけっこう謎だ。書物にまみれた他の研究室とは違って、竹簡や巻物、このあたりの国にはない謎の魔道具や武具が保管されている。若い頃は様々な国を渡り歩き見聞を広めてきたのだそうだ。その知識や経験を買われて我が校の校長にスカウトされたことが切っ掛けでここでの講師を務めることになったらしいが、詳しい経歴は謎が多い。そもそも実年齢を知らない。だが私にとって大事なのは彼が魔術の師匠であることだ。
「師匠、お邪魔します」
「おや、アイラさん。その後はいかがですか?」
テンドー師は快く迎えてくれた。
書き物の手を止めたことが申し訳ないが、「丁度飽きてきたところだ」などと涼やかに言いながら茶を用意してくれる。私が土産を持ってきたことに目敏く気付いたようだった。
「師匠、私が淹れます」
「なに、卒業する学生に振る舞うくらい良いだろう。その後はどうかね?」
「ええと、まあ……おかげさまで順調です」
なんとなく逆らえずに師匠に淹れて貰った茶で一服することとなった。
鮮やかな琥珀色の茶が、取っ手のないシンプルな器に注がれる。
爽やかな香りが漂ったあたりで焼き菓子を師匠に渡す。
テンドー師匠は嬉しそうに手に取って頬張る。
酒はあまり嗜まない代わりに甘党の人だった。
「ところで師匠、聞きたいことがありまして……」
「ふむ、何かな?」
私はミスティさんのこと、彼女の作ったダンジョンで行き詰まっていることをかいつまんで師匠に話した。
師匠は顎に手を当てて考え込み、
「アイラくん」
と、私を呼んだ。
「はい」
「とりあえず、あまり引きこもりとか何とか言うのは止しておきたまえ。身内ゆえの気安い言葉を外に向かって広めるのは誤解を招く」
「あっ、そ、そうですね」
しまった、師匠の言う通りだ。感覚が麻痺していた。
「ともあれ、別に気に病まずとも良いのではないかね? 嫌われてるわけでもなく、君も嫌っているわけでもない。ならば焦らずとも良かろう」
「それはそうなんですが……結婚式までにはもう少し距離を詰めたいと言いますか……」
「ならばなおさら根を詰めたり焦るのは良くない。突破すること、倒すことが目的ではなくて距離を詰めることが目的なのだろう?」
……そうだった。
挑戦状を叩き付けられた気になっていて、立ち向かうことしか考えてなかった。
自分の猪突猛進ぶりを言い当てられたような気がして、今更ながら顔から火が出そうだ。
「すみません師匠」
「なんだね?」
「たいへん恥ずかしい気持ちです」
「そういうこともあるだろう」
かっかと師匠が笑った。
芝居臭い笑いだが、不思議と嫌味さは無い。これが人徳というものなのだろう。
「だがひたむきさもまた距離を詰めるものだ。あまり恥ずかしがらずとも良いだろう」
「そんなものでしょうか?」
「挑戦を笑う者には笑わせておけば良いのだ。その義妹は君を笑ったかね?」
「どちらかというと呆れていました」
「ならば良し」
なにが良いのだ、と思ったが口には出さなかった。
私も焼き菓子を口に放り込む。
生地にあまり甘みは無いが、ドライスイーツが練り込んであってそこがとびきり甘い。これがまた茶によく合う。そういえばアドラスも甘味は嫌いではなかったはずだ。次に屋敷に行くときはこれと茶を持って行ってみよう。
「水のように自由で平静で居なさい」
「はい」
「君の心が静かであれば、水面も平らかだ」
「はい」
「そして……」
と、師匠が言いかけて、あっと気付いた。
そうだ、水は何も無ければ静謐な水平を保つ。
「師匠、水は……いつも地面と同じように平らですよね?」
「うん? まあそれは、水ですからね」
そうだ。水は地面と平らだ。
だが地面が地面で無ければどうなる?
「……はは、私の言わんとしてることとは違う物を掴んだようですね」
「すっ、すみません」
心が平静であることの大事さを説かれたはずなのに。
だが、答えは得た。




