57話
「駄目だった」
日が暮れる前にウェリング邸最上階ダンジョンの攻略を諦め、学生寮へ帰った。
自分の部屋に戻ればディエーレが肉料理と共に蜂蜜酒を楽しんでいたところだった。実験や論文を書き終えて暇を持て余したのか鳥の腿肉を香草で香り付けして焼くという、彼女にしては珍しく料理らしい料理をしていたようだ。食欲を刺激する香りが部屋中に漂っている。優雅な食事を楽しんでいるようで羨ましい限りだ。遠慮無くこちらの相談に乗って貰うことにしよう。
「また無茶したんじゃないのー?」
ディエーレは食事の手を止めて呆れ気味に呟いた。
「ご、合意の上よ」
少なくとも向こうが「来い」と挑発したのだ。私悪くない……と、思う。
「それよりディエーレこそ私の部屋で何してるのよ……匂い付くから控えてよね。ローブも香辛料の匂い付いてるから洗わないと」
「いやあ魔術の実験をしてたら近くを飛んでた旅鳩をうっかり巻き込んじゃってね、こうして供養を……」
「供養って、食べたかっただけでしょ」
「まあまあ、そう言わずに」
ディエーレはグラスに酒を注いで私に差し出した。
普段ならばこんな懐柔など相手にしないのだが、流石に頭脳と体を働かせていたためかお腹が空いていた。できあがってしまった料理と注がれた飲み物に罪は無いことだし、ありがたくご相伴に預かることにする。というか私の部屋で私抜きで勝手に晩餐を楽しんでいるのがおかしいのだ。
「ともかく、20回くらいチャレンジして全部失敗した」
「へえー……アイラが手も足も出ないとはね」
「死ぬ危険は無いけど、そこらのダンジョンより遥かに難しいかも」
私の言葉にディエーレの目に輝きが灯った。
困難なチャレンジを聞いて好奇心が沸いてくる困った子だ。私もだが。
「具体的に、どういうトラップや仕掛けがあったんだい? 昨日の話よりも詳しいことを教えてほしいんだけど」
「……なんていうのかな……罠の仕掛けられた床を踏むと地面に立ってられないのよね。吹っ飛ばされるっていうより、真横に落っこちるって感じで」
「ほほーう……となると念動力や風の魔術じゃないね。重力トラップか、そりゃあ凄い」
ディエーレが目を丸くして褒めた。
ご機嫌取りではない本気の賛嘆だ。
「知ってるの、ディエーレ?」
「一度だけ受けたことがあるよ。確か、水魔落命坑の隠し領域だったかな。水没トラップとか重力トラップとか罠ばかりのこれまた酷いダンジョンでね……」
聞けば、ダンジョンの最奥部などでしか現れない珍しいトラップなのだそうだ。
発動させることによって重力の方向が曲がり、壁や天井へと「落下」するのだ。これに引っかかって入り口に戻されたり、あるいは天井や壁に設置された落とし穴へと投げ込まれて立ち往生してしまう。重力という魔術の分野自体が珍しく、抗うことのできる冒険者は中々いないらしい。
「占星術師レイノールみたいな闇の眷属とか、王にはべる筆頭魔術師みたいな突き抜けた人ならわかるけど、このへんにいる魔術師や職人じゃあちょっと真似できない芸当だね」
「凄い……けど」
「けど?」
「そこまでする必要ある? 部屋から閉め出すとか身動きを取れないようにするとか、防犯対策するならもっとわかりやすい方法があると思うのだけれど」
流石に目的に対して手段が大仰過ぎる。
ある意味天才らしくもあるのだが。
「まー燃費が悪すぎるねぇ」
「やっぱり」
「でも利点は幾つかあるよ。これはトラップを発動した人間を直接攻撃する魔術じゃなくて、トラップの周囲の空間に作用する魔術。素人が解除するのはまず難しいね」
「なるほど……」
「他にもあるよ。部屋の中、妙に綺麗だったりしなかったかい?」
「うん、本もちゃんと扉付きの本棚にあったし、工具なんかも壁に固定されてて……あれ?」
そういえば、手の届かないほど高いところに工具が置いてあったりしていた。
他の家具の背も高いし、よくよく考えて見ればおかしい。
整理整頓されているのに、手が届かないような位置に物が置かれている。
「罠としての利点とはまた違うけど部屋や空間としては素晴らしいメリットがあるよ。天井や壁を、床のようにして使えるのさ」
「なるほど……」
「面積の狭い場所を有効に活用できるから、屋敷の上階と言えど有効な面積はかなり広いはずだね。頭を柔らかくして部屋の中をよく見てごらん」
「……ディエーレ」
「なんだい、アイラ?」
「自分の部屋に使ったら?」
「あっははは、きっちり整理整頓された場所だから有効なんだよ。どこにどんな風に物が落ちるかわかんないから私の部屋には不向きだねぇ」
「笑い事じゃ無くて掃除してよね……そろそろ卒業なんだから」
◆
そして次の日。
ディエーレの助言を元に再度攻略しようと思い、アドラスの屋敷に訪れた。アドラスは外に出ずに書斎で書き物をしていたようで、開口一番にミスティさんの部屋を攻略すると伝えた。
が、私の話を聞いたアドラスはアドラスは腕を組み、悩ましげな顔を作った。
「……駄目かしら?」
「いや、駄目ではないのだが……無礼を働いたのは妹の方だし、むしろアイラは謝罪を受ける方だぞ?」
「それはそうなんだけど……」
ふんぞり返って「謝罪しに来い」と待つのはどうも性に合わない。
相手が正しかろうが悪かろうが、乗り込む方が好きだ。それに、
「ミスティさんは「ここまで来てみろ」って言ったからには受けて立ちたいし、個人的にミスティさんと話してみたいことがあるの。礼儀とか無礼とかは気にしてないわ」
「そこまで言うなら止めはしないが……」
だがそう言う割には、アドラスの顔から心配な表情が抜けない。
「大丈夫、手加減するわ」
「いや、そういう心配じゃない……というか疑っているわけじゃない」
「あ、そ、そう?」
良かった、自分の乱暴を心配されているのかと思った。
「アイラ、きみはミスティのことをどう思う?」
「うーん……」
最初はディエーレのような自由奔放な才能人かと思った。だが昨日の彼女との会話を思い出すと、どうもそういうわけでもなさそうだ。奇矯な行動をしつつも根っこからは頑なさと誠実さがあるように思える。むしろ自分で定めたルールに忠実とさえ言えるのではないだろうか。
「……意外と真面目?」
アドラスが私の言葉を聞いて頷いた。
「あいつがやろうとしてることは無茶だし、作ってるものも偏っている。だが肝心なところでどこか杓子定規というか、頭が硬いと言うか……あれじゃあ腕が良くても何処かで誰かに騙されかねない」
そうか、家族として心配なのか。
なんとなく微笑ましさを覚えてしまう。それに、
「……似てるのね」
「うん?」
「あなたとミスティさん」
私がそう言うと、アドラスはきょとんとした顔で私を見た。
「……そうか?」
「自覚は無いの?」
「いや、僕自身あまり似ていないと思っていたからな……。ミスティのような奇矯な発想や行動は無いし」
……ごめんなさいアドラス。
あなたも十分奇矯というか、奇人変人の仲間です。
「む、何か変なことを言ったか?」
「ううん」
おっといけない、内心が顔に出そうになった。
「ともかく、ミスティさんと話をしたいっていうのは私の我が儘よ。あなたのためとも言わないし、ミスティさんに謝罪させようとか難癖を付けようとかでもないわ。ただちょっと、遊びに行ってみたいだけ」
そこまで言うと、アドラスの口が妙に引き締まった。
あ、これは笑いを堪えてる顔だ。
「おかしいかしら?」
「うん、まあ、おかしいな。だが君らしくて良いよ」
わかるようなわからないような曖昧な言葉で濁された。
だがお墨付きは得たし、アドラスが抱いている不安もわかった。
ならば後は、単刀直入に行こう。




