56話
54話をちょっと修正しました、すみません。
(屋敷の3階の構造についての補足説明を記述しました)
次の日、再び職人街の屋敷に訪れたがアドラスは不在だった。
どうやら打ち合わせを兼ねて客先に納品に行っているようで、遅くなるまで帰らないと店番の男から説明を受けた。
「うん、丁度良いわ」
「丁度良い?」
店番の男が不思議そうに聞き返した。
「今日、用があるのはミスティさんだから」
「……ええと、気難しいお方ですよ?」
それはもちろん知ってますとも。
私は店番の男の逡巡など気にせずに屋敷に入り、ミスティさんの部屋を目指した。顔なじみとなったメイドや職人と挨拶を交わしつつ階段を目指す。私の姿を見たメイドや職人達が、やめておいた方が……という顔をするが、それらを振り切ってずかずかと上階へ上がっていった。
そして彼女が根城としてる三階に入った瞬間、ぴりっとした何かが体に走った。
二階三階を結ぶ階段のある部屋と、屋根裏部屋に通じる中央の部屋は隣り合っている。どちらも整理整頓されて綺麗な雰囲気だ。だが、そこらに魔力が漂っている。昨日は感じなかった刺々しさを帯びた気配。カーテンも閉じられ、魔力ランプが暗くも淡い光を放って部屋に奇妙な陰影を作っている。アドラスが言うには、彼女はこの部屋一帯をダンジョンのような扱いにしているらしい。確かにその通りだと思う。魔物の一匹や二匹、潜んでいてもおかしくはない空気だった。
「これは……」
「おや、誰かと思えば」
女性にしてはややハスキーで硬質な声が響いた。
だが、声はすれども当の本人の姿は見えない。
声の出所もおかしい。
そこかしこから反響し、どこにいるかを悟らせてくれない。
「今日は一人かな?」
「ええ、良いかしら?」
そう返事をしたが、しばしの沈黙があった。
「もしかして、兄さんに言われて来たのかい? 強要されているのなら……」
「いいえ」
私は首を横に振る。
向こうからは私の姿は見えているのだろうか。
「私はアイラ=カーライル。グレン=カーライル子爵の次女よ」
「名前は聞いたはずだが……」
「昨日はうやむやになっちゃったから、初めから話そうと思って」
「なるほど……でも、昨日よりもフランクだね?」
どこか揶揄するような響きだ。仕方あるまい、むしろ挑発的なのは私の方だ。彼女がどこにいるのかはよくわからない。昨日と同じように天井裏から幽鬼のごとく現れそうな気もするし、気付けば背後に立っているような気もする。だからどこに目線をおけば良いかわからない。戦うのであれば何を捉えるでもなく全体を観るのが良いのだろうが、別に喧嘩を売りに来たわけでは無い。だから、向こうが私のことを観ているものだと思い、ただまっすぐに前を見よう。
「ええ、アドラスの嫁としてじゃなくて、私とあなたで話をしたいの」
そう言って、私は一歩踏み出した。
「危ない!」
ミスティさんの制止の声。
恐らく、何らかのトラップがあるのだろう。
私が床板に踵を付けた瞬間、まるで天と地が直角に傾いたような奇妙な感覚が襲った。
階段がある背後の方に「落下」していく。
「くっ……!」
私は身をひねり、部屋の壁に垂直に立った。
なんだこれ。こんな状況になったのは初めてだ。
「……おお、凄い。順応している」
「これは何?」
「泥棒を撃退するためのトラップだね。とはいえトラップというよりも趣味的な物の方が大きいけれど」
「あの、これって昼間に使う意味って……」
真夜中や人が出払ってる時間ならともかく、真っ昼間にこんなものを使ってどうしようと言うのか。正直、人嫌いの偏屈であるとしか……いや、不埒な想像はよそう。
「……まあ、トラップが起動していることを知らせなかったのは謝ろう。だがそれだけ身のこなしが良いんだ。気付かないはずがないだろう?」
「むっ」
その通りだ。
死に至るような罠は仕掛けまいと確信してあえて引っかかった面がある。
「そうまでして話したいのかな?」
「ええ」
「私はいずれこの家を出る身だ。義理の家族と言えど無理に親しくなろうとする必要は無いよ?」
「そうかもしれない」
「では何故、そんな無茶を?」
何故、と尋ねられると少々困る。
同じ一族となるのだから不和のままではいたくない。とはいえ、私たちのためにわだかまりを捨てて笑顔を作れなどと、意志を無視した要求をするつもりも無い。私自身、弟以外の家族とはあまり折り合いがよくないのだ。相性の悪い人間は家族と言えど居るものだとわかっている。
だがアドラスと彼女は、仲が悪いとは思わない。昨日の会話を聞いただけで、別に隔意や憎悪があるわけではないだろうと私でも察することができた。むしろ大事なものを共有しているからこそ、怒りやわだかまりがあるのだ。
「……ミスティさんは、アドラスが嫌いなの?」
「別に、どうとも思っていない」
苛立ち混じりの、誰がどう聞いたって嘘だとわかる声だった。
「むしろ君に聞きたいんだが、君は兄をどう思っているんだい? 隣の領地どうしで縁を結ぶための結婚だろう。唐変木なあの男に惚れたとも考えにくいのだが」
「私、アドラスのことが好きよ」
私がそう言った瞬間、部屋全体が驚きにつつまれたような気配があった。
「だから、アドラスの妹であるあなたのことも知りたい。駄目かしら?」
「……見合いの上での政略結婚だろう?」
「切っ掛けとしてはそうでも、どうしても好きになれない人や酷い狼藉者が相手だったら逃げてたと思う。私の父もあなたの父も、思惑はあるわ。でもアドラスと結婚するかどうかは、私の意志で決めたことよ」
言い出して、なんとなくすっきりした。
ああ、そうだ、この誤解を解きたかったのだ。
私に哀れみを覚えたミスティさんはきっと良い人なのだ。だが良い人に哀れまれたままではどうも居心地が良くない。誤解を解いておきたい。
「だから、あなたとも少し話がしたいの」
「……やだ」
「え?」
だがミスティさんは予想以上に頑なだった。
というか、アドラスと話しているときのような堂々とした様子がない。
……多分この人、家族以外との他人とはあまり打ち解けない気質なのだろう。
「君がその、兄に……懸想していることはわかった」
「懸想って」
その言い方は無いだろう、と語気を強めた。
「いや、すまない、上手い言葉が見つからなくて……ともかくだ」
おほん、と咳払いする音が聞こえた。
「そこまで意志を貫きたいのならばわかった。だが私は一歩も動くつもりはない」
「……そもそもどこにいるの?」
「昨日と同じ場所だよ。天井裏さ」
「じゃあ……」
「トラップは解除しない。地力でここまで辿り着いてみたまえ」
どこか面白がるような気配があった。
ふむふむ。なるほど。
実にわかりやすい。
「この階と屋上は私が作り上げた一種のダンジョンであり結界だ。研究に没頭するためには人を寄せ付けない環境を作る必要があってね」
いや、家族や同居人まで執拗に追い出すのは弊害の方が大きいのでは。
という言葉をぐっと飲み込んだ。
「また、秘匿にしておきたい研究も多い……だが、あくまでダンジョンのようなものだ。しかるべき手順を踏むことで踏破できるようになっている」
「それを乗り越えろって?」
「屋敷を破壊するような真似をしなければ何をしても構わんよ。まあ破壊したところで困るのは兄さんだからね」
「まっとうな手段で罠をくぐり抜けてこい、と」
「それができたらなんだって答えてあげるさ。結婚を祝福もしよう。だから……」
そしてミスティさんは、面白がるような声で言った。
「ここまでおいで」




