55話
この度、第八回一迅社文庫アイリス恋愛ファンタジー大賞において
金賞を受賞する運びとなりました。
読者の皆様あっての受賞です、本当にありがとうございます!
「その……」
私が声を掛けるとアドラスの妹――ミスティは、はっとして恥じ入るように顔に手を当てた。
「すまない。……カーライル、ということは隣の子爵家の」
「領主グレン=カーライルの娘、アイラです」
「そうか……お義姉様と呼んだ方が良いかな?」
「いっ、いえ、名前で結構です」
正直、年上の義妹というのもしっくりこない。
アドラスに似た顔つきの凜々しい女性に義姉様と言われると妙にくすぐったい。
「誤解しないでほしいんだが、あなたに対して他意は無い。それよりも兄さん……婚約者というのはいつ決まったのですか」
「お前が気ままにほっつき歩いたり部屋の中にこもっている間に、だ。何度も話そうと思ったんだがな……お前こそ何をしていたんだ」
アドラスが呆れ混じりに言葉を返した。
どうにも親しく仲睦まじい兄妹……といった雰囲気では無さそうだ。
「研究だよ。魔道具工房を立ち上げるためにね」
「……やはり、諦めて無かったのか」
「当然さ」
と言って、ミスティは不敵に微笑んだ。
「兄さんこそ、お祖母様の志を忘れてやしないのか。高級貴族の御用聞きのような仕事ばかりじゃないか」
「貴族相手の仕事も大事なことだ。お前とは考え方が違うだろうが」
「ああ、違うだろうね。私は家のために誰かを拐かすような結婚など想像も付かない」
「拐かすだと?」
「どうせお父様が領地のために都合の良い嫁を見繕おうとしたのでしょう。それに振り回される身にもなってほしいものだよ」
一触即発の剣呑な気配が漂った。
どうしよう、全然状況が掴めない。
だが、
「……事情はよくはわかりませんが、アドラス様の仕事ぶりは幾つか拝見しました。真摯に仕事をなされています」
私の言葉に、ミスティは虚を衝かれたような顔をした。
しまった、家族になる予定の人にいきなり喧嘩を売ってしまった。
……まあ良いか。意見のぶつかり合いを畏れていても仕方が無い。
だがそこで、アドラスが諭すような声を出した。
「……お前が何を思い、何を目指そうと構わんが、ここに住んでいる以上は店の者や女中に顔を出しなさい。皆心配している」
「ここに住む家賃は払っている。お説教をしたいならお引き取り願おうか」
アドラスの言葉を意に介せず、ミスティは指をぱちりと鳴らす。
すると不思議なことが起こった。
「……あれ?」
ふわりと、足下の感覚がなくなった。
「あっ、こら、ミスティ!」
「ではごきげんよう、兄さん、お義姉さま」
そして鳴らした指を曲げて、出口を指さした。
「わわわっ!!!???」
まるで空から地面に落下するように、抗えない不可思議な力で私とアドラスは部屋の外へと押し出された。
◆
「なんですかあれ」
ミスティによって部屋から追い出された後、扉は硬く閉ざされた。
ただ施錠をしたというだけではない。何か魔術的な仕掛けをした気配があった。ぶち壊せば入れなくも無い気はするが、この分だと第二第三の対策はあるだろうし強硬手段に出れば向こうはもっと頑なになるだろう。というわけでアドラスの書斎へと戻ることになった。
アドラスが深く椅子にこしかけて頬杖を突き、はぁと溜息をつく。
「魔術式のトラップだ……この屋敷の最上階と屋根裏部屋を一種のダンジョンのような扱いにしている」
「そんなことできるの?」
「それなりに値の張る魔結晶とそれを扱う技術、加えて儀式魔術を十二分に習得しているならばな。もっともアレばかりは私にも真似できないさ」
「……かなり凄いのでは」
「おかげで鼻っ柱も強くてな。魔術や魔道具を覚えるまでは普通だったんだが。祖母も手を焼いたよ」
苦笑いを浮かべながらアドラスは肩をすくめた。だがそこには、直接妹と相対したときの険しさはあまりない。むしろどこか、誇らしげな気配も感じる。
しかし、それよりも聞きいておきたい疑問があった。
「そういえばアドラス、魔道具作りを習ったのって……」
「ああ、そういえばあまり話してなかったな。祖母だ」
……だったかな?
お見合いのときの話と少し食い違うような。
「対外的には『祖父に習った』という話で通している。ただ実際のところ、祖父は客を接待したりアピールする方が得意でね。実際には祖母の方が技術や魔術に精通していた」
「へえ……」
「家族自慢になるが、すごい職人だったんだ。ただ……」
陽の当たる場所で評価されることは無かった。
アドラスは、静かに呟いた。
「祖父母が若い頃は戦も多くてね、男は戦場働きをして、その抜けた穴を埋めるように職人として働いたり力仕事をする女性も多かったそうだ」
「ああ、それは……なんとなく知ってます」
自分の祖父も戦ばかりだったらしいし。
「祖母の頃はまだ平民でね。工房を営んではいたが、家族だけの小さなものだったそうだ。男の兄弟が戦死して、祖母自身が職人として働いていた」
「お祖父さまは?」
「他の工房で番頭をしていたそうだが、祖母に一目惚れして口説き落としたのだそうだ」
「……恋愛結婚?」
ああ、とアドラスは頷いた。
そうか、彼の祖父母の時代はまだ爵位が無かったのだ。
「祖父は、何かを売り込むことにかけて右に出る者はいなかったよ。おかげで祖母の作った魔道具は飛ぶように売れて、工房も大きくできた。ただ……」
「なにかあったの?」
「祖母が作ったはずなのに、祖父の作った物と勘違いされてしまうことが増えた。……女の職人の腕が良いなんてことを信じない人間が、不思議と多いんだ」
「……」
「戦をしていた頃は男手の足りない仕事を女がやるなど当たり前だったはずだが、戦が終わって平和になると祖母のような人間には風当たりが強くなってな」
確かに、居る。
世の習いなど飛び越えて才を見せる人間は稀にいる。そして一方で、「かくあるべし」という価値観が強すぎて、そこから外れる物を決して受け入れない人間は才能人よりも遥かに多く存在する。男がする仕事を女がしていたり、貴族がする仕事を平民がしていたり、何かしらの非難を受けるものだ。私も、女だてらに同級生との剣の勝負に勝って罵られたことくらいはある。もっとも学校では勝負の結果や強さの序列というものがはっきりしていたために、ひどすぎる難癖を付けられることはそうそう無かったが。
「納得してたの?」
「……さてな。本人達は納得しているとは言っていたが、もっと良いやり方があっただろうと思っていた。それに、周りもあまり納得していたかどうか」
アドラスは目を瞑り、呟いた。
「元々の祖母の得意先や親しい人は、祖父が名誉を掠め取ったと思っていた。逆に祖父とコネを持っていた人間は、祖父のおかげで物が売れるようになったんじゃないかと思っていたようだ」
「……それって、その」
お家騒動に繋がりかねないんじゃ。
という言葉が出そうになって、飲み干した。
「とはいえ昔の話だし、今更気にして蒸し返そうとする人間は……」
「……ミスティさんだけ?」
「不和になること自体、祖父母の本意では無いんだがな。すまない、みっともないところを見せた」
「まあ、みっともないのはウチも同じだから」
姉と確執のある私がどうこう言えた話では無いし、ミスティさんに邪険にされつつもその行動を見守る空気がある。先ほど話した職人達からも不安げな空気は漂ってこない。
「とはいえこのままでは問題がある」
「問題?」
まあ確かに問題行動の多そうな妹さんではあるが、だからといって……。
「あいつがへそを曲げたままでは僕らの結婚式に出席しないかもしれないしな」
「……あー」
確かにそれはちょっと外聞が悪いかも知れない。
ただ、それはあくまで一時のことだ。それよりも今後も長い付き合いになるのにしこりを残したままで良いのか、という不安の方が大きい。できるならば仲良くやっていきたい。
「何が不満なのかしら……というか、何に怒ってるのかしら?」
「ま、僕に対してのことだ」
やれやれとアドラスは肩をすくめる。
「ま、もう少し話しあってみるよ。心配を掛けてすまない」
◆
「年上の義理の妹と仲良くなる方法を知りたいの」
「私の専門外だよ」
「そこをなんとか」
学生寮に戻ったらまたディエーレが寛いでいたので、これ幸いにと相談を持ちかけた。
が、ディエーレはまったく興味を示さない。
椅子の背もたれに体重を預けてのけぞったままだ。
「ちょっと、椅子が傷むからやめてよ」
「倉庫を水浸しにして台無しにしたアイラに言われたくないなぁ」
「ぐっ……それをやったのはギリアムよ!」
「言い訳は聞きませーん。で、何があったの? 嫁いびりでもされた?」
「いや、嫁いびりってわけじゃないけど……」
私は職人街のアドラスの屋敷で起きたことを話した。
アドラスの妹と初めて出会ったこと、そして彼女の奇矯な行動や部屋から追い出されたことなど。
私の話を聞いたディエーレの瞳に興味関心が灯った。
「ははーん、ミスティ=ウェリングって、そうか。あのミスティか」
「知ってるの?」
ディエーレがようやく椅子から体を起こした。
「魔道具の界隈では有名だね。質の良い道具を作るしセンスもある。魔術も色々と面白くてね、多方面で活躍する新進気鋭の職人さ」
「へえ……」
どうやら奇怪な行動に負けない名声を持っているようだ。
「だがそれよりも、もっと注目を集めてる活動があってね」
「活動?」
「彼女一人で工房の看板を取ろうとしてるのさ。成功すれば、この国で初めての女性の工房経営者になるよ」
ミスティを評する言葉と、自分の目で見たミスティの行動が一致した。
そしてアドラスが彼女に対し、どこか優しげな目で見ている理由も、すとんと腑に落ちた。
「今はフリーの職人みたいな感じだね。得意なのは結界や罠などの魔道具。商人の倉庫や貴族の屋敷なんかに使われてるってさ」
「……それはよく味わったわ」
「へえ? どんなのだった?」
「自分の体が突然宙に浮いて……まるで引っ張られるみたいに扉の外に押し出された。どんな魔術かわかる?」
「風?」
「いや、そういうのじゃなかった。空気は流れてなかったし、息苦しさとか耳が痛くなるとかも無かったし……」
「ふーむ、念動力かな……?」
「もう一回食らってみるかな……」
混乱が勝っていたが、冷静に考えて見ると手も足も出なかったのは正直悔しい。
あの罠の正体を暴いてみたい。
と、思ったあたりでディエーレが私の方をじっとりとした目線で見据える。
「な、なに?」
「……アイラ。なんで攻略する意識になってるんだい?」
「え? そりゃまた話を聞きたいからよ。あのときはアドラスとミスティさんの話し合いであって私はおまけだったから。次は私が私として挨拶に行かなきゃ」
「はぁ……怒らせちゃ駄目だよ」
「大丈夫」
と、思う。
具体的な根拠は何も無い。
ディエーレは私の内心を察してか溜息をついた。
でも私はあまり心配していないのだ。
一度会っただけだが、なんとなくあの人は、アドラスに似ている気がした。




