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53話

 てっきり館のテラスの方へ出るのかと思ったが、違っていた。

 アドラスは広間へ戻り、「少し待っていてくれ」と言ってラーズ公爵の方へと近寄った。

 そしてに耳打ちするように何かを話すと、ラーズ公爵は了承するように頷いた。


「よし、行こう」


 アドラスは珍しく、何も具体的なことは話さない。

 普段から明朗な話をする人なのだが、どうも普段と勝手が違う。

 これも晩餐会の空気のせいだろうか。


「その、何処へ……?」


 自分でもびっくりするほど弱気な声だった。

 蚊の鳴くような声を出してしまった自分が恥ずかしくなる。


「面白いところさ」


 アドラスは私の様子など気にせず私の手を引き、勝手知ったる我が家のごとく屋敷の中を歩く。来客のための部屋を出て、使用人のためとおぼしき狭い通路へと入り、そのまま進んでいく。すれ違う使用人達も、何も不思議に思ってなどいないようだ。こちらに一礼するのみで、そのまま自分の仕事に取りかかっている。


「ええと……良いの?」

「良い。実を言うと、ここに来た理由の半分は仕事なんだ」

「仕事……と言うと」

「魔道具職人としての仕事だ。お孫さんへの祝いの品を仰せつかったのも、ここでの本来やるべき仕事をしていた縁のようなものでな」


 通路の突き当たりに行き着く。そこには扉があった。

 そこからは館の庭園に通じているらしく、「この先中庭。整備中につき注意」と立て札が書かれている。


「ここから先は、通称『空中庭園』だ。知っているかい?」

「名前は聞いたことはあるけれど……」


 風光明媚な庭園として有名な場所だが、その来歴も面白いものがあり王都に住む人間ならばよく知っている話だ。


 なんでもここは元々、ラーズ公爵の邸宅というよりも砦だったのだそうだ。数十年前、戦争がもっとも激化していた頃の話だ。敵国の軍があわや王都に攻めてくるという事態に陥り、急遽王都の防備を固める必要があった。そのときもっとも砦として適した場所がこのラーズ公爵の邸宅であったそうだ。血の気の多い公爵家は砦への改築を拒むどころか自分から主導してやってのけ、敵国の攻撃を防ぎきった。


 その後、ゲラニア覇王国は勝利に終わる。そして戦後に王族が、「王都の中にそんな物騒な場所を持ち続けるのはどうなのだ」と文句を言ってくるようになった。まあ当然だろう。戦後もそのままにしていたら反乱を疑われても無理はない。


 ラーズ公爵はその命令に最初は不本意だったそうだが、園芸が趣味のラーズ公爵夫人が「庭を造りたい」とねだった。平時ならば現実味の無い我が儘で終わる話ではある。だが戦争の勝利の報償の一つとしてラーズ公爵には「他国の王族の捕虜を下賜される」という傍迷惑なものがあり、このとき家庭内不和に陥っていたらしい。そこへ来ての正妻からのおねだりに、ラーズ公爵は一も二も無く飛びついた。


 で、結果としてラーズ公爵は今まで余っていた財産を投じ、砦の上層部分を庭園へと作り替えてしまった。城壁のごとき堅牢な壁に覆われていた広々とした場所に、他国から輸入した草花や木々が所狭しと植えられた。そこでラーズ公爵夫人は、今まで趣味の範囲だった園芸を庭園芸術と呼ばれるまでに昇華させた。高名な庭師を呼び寄せて指導を受けながら植木を手入れし、草花を研究する魔術師に華を美しく咲かせる方法を学び、気付けばラーズ公爵夫人は一流の文化人とさえ謳われるようになった。金に物を言わせた面があるにしてもその美しさは多くの貴族を虜にし、もはや王都が誇る名物とさえ呼ばれている。


 だが既にもう日は沈んでおり、小さなランプが灯っているだけだ。

 まったく見えないわけでは無いが、その艶やかな佇まいを窺い知ることは出来ない。


「今日、ラーズ公爵の奥方が居ないことに気付いたかな?」


 全然気付きませんでした。


「あれ? そういえば正妻の人って、ご存命だったっけ……?」

「流行病で亡くなっているのだ」

「ああ……」


 自分の祖父母が死ぬ原因にもなった流行病は、そういえば王都にも飛び火していたはずだ。


「子供や側室は存命ではあるが。……それでラーズ公爵は、この館での催しには側室はあまり招かないんだ」


 なるほど、ここは今は亡き正妻がねだった豪華な庭だ。

 確かに側室の人が喜び勇んで訪れたいところとは言いがたい。


「元々側室とは別居していて、側室の女性もあまりこちらには来たがらない。正妻とは折り合いが悪かったようでね」

「……ちょっと想像できない苦労だわ」


 そういえば父は愛妻家だ。再婚をするよう親戚や周囲の貴族から勧められては居たが首を縦に振ることはなかった。側室の苦労というのは見たことが無い。もっとも学校には側室から生まれた子女もいたのでそちらの苦労は見聞きしているのだが。


「ともあれ、ラーズ公爵にとっては特別な場所だと言うことだ」


 アドラスは懐から、掌に収まる程度のガラス玉を取り出した。

 彼が掌に魔力を込めると、中に白い光が灯る。

 永久ランプだ。僅かな魔力だけで周囲を明るく照らす。

 アドラスは、その光を頼りに暗い庭園の中を歩いて行く。


「特別な場所……」

「ああ。こういう場所は煌びやかに見えるものだが、えてしてそれを作り維持するというのは地味なものでね」


 庭には敷石による順路や通路のようなものがある。

 アドラスはその上を歩いており、自分もそれにならった。


「あ、そうだ、ここは……」


 と、アドラスが言いかけたとき、つい踵が滑りそうになった。


「あっ!?」


 しまった、晩餐会用のドレスに合わせて靴も踵が高い物を選んでいた。

 普段の外歩き用の靴のつもりで歩みをしてしまい、


「……っと、危ない」

「ご、ごめんなさい!」


 転びそうになったところを、アドラスに支えられた。


「すまない、昼に少し雨が降ったみたいだな。足下が滑りやすい」

「ふ、普段ならこんなことはないんだけど……」


 つい、そっぽを向いてしまった。

 正直こんなところを学友に見られたら何と言われるかわからない。

 剣士が「転ぶ」というのは相当恥ずかしいもので、とはいえここにいる私は別に剣士として居るわけでは無い。過剰に恥じ入ることはない。はずだ。なのにどうしてこんなにも動揺しているのだろう。


「もう少しだ」


 アドラスは私の手を取ったまま、歩いた。

 今日の夜は、星々は見えない。

 空には曖昧な朧月おぼろづきが横たわっている。


「ええと、ここ?」


 木造の小屋……というよりも物置だ。

 まったく目立たない地味なもので、むしろ周囲に見えないように隠されているようにすら感じる。

 アドラスは鍵を取り出して物置の扉を開くと、そこには魔結晶が埋め込まれたのっぺりとした石があった。魔結晶は幾何学的に配置され、まるでパズルのようだ。


「これは……魔道具の、操作盤?」

「ああ」


 アドラスが手をかざして、操作盤を起動させた。

 魔結晶が小さく光っている。

 そして、小さく光った魔結晶をさらにアドラスは指で押す。

 すると……


「……ん?」


 遠くで、光が灯った。

 ああ、なるほど、庭園を照らすためのものだったのか……と納得した。

 だがそれが徐々に近付いてくる。

 まるで種火が油や縄を伝うように、徐々に徐々に広がっていく。

 光は淡く優しげな暖色をしていた。だがほんの少しずつ色が変わっていく。

 光の放つ魔道具も少しずつ動きを変え、まるでサーカスのように賑やかさを映し出した。

 目まぐるしく表情を変える庭園の姿につい、見とれてしまう。


「わあ……!」


 と、つい子供のように声に出してしまった。

 だが、遠くの方からも私以上に子供じみた歓声が聞こえてくる。


「館の方からも見えているな。よし、成功だ」

「……これ、あなたが?」

「私だ、と言いたいところだが、私の仕事の範囲はさほど大きくは無い。庭師が魔道具の配置を考慮して樹木を整理したし、何より設計した人間……ラーズ公爵夫人がいてこそだ」

「あれ、でも公爵夫人って今は……」

「彼女は他界する前に構想を練って残していたんだ。それを実現するためにラーズ公爵は職人を招聘していて、僕も色々と働かせてもらっていた。それが今日、ようやくお披露目になったというわけさ」


 不思議な話だ、と思った。父や父の同輩の騎士達はあれだけラーズ公爵を恐れている。武力を考慮に入れずとも王族すら迂闊な発言はできない、押しも押されぬ大貴族だ。だがその彼でさえ、こんなロマンチズムを持っている。あるいはロマンチズムを実現させるだけの度量や力があると言えるのかもしれない。とはいえ貴族にとって家族というのは、必ずしも心安らげる間柄であるとは限らない。


「意外かな?」

「ん、まあ……今日が初対面だから何ともいえないけれど……」


 ちょっと、羨ましいなとは思った。

 そんな言葉を出しそうになるのを、喉元で押しとどめた。


「まあ、僕もラーズ公爵の腹の内や思いを全部知っているわけではない。ただわかるのは、彼がこの庭園を大事にしていたこと、そして……」

「そして?」

「それに恥じない物を僕ら職人は作り上げたということだ」


 アドラスは光の方へと手を伸ばした。

 さあだどうだと言わんばかりの、自信に溢れた指先。

 彼は自分の自信作について語るときはいつもこんな風だ。

 貴族らしからぬ職人気質で、我を忘れて夢中になってしまう。

 やれやれ仕方が無いな、と普段なら思うところだが、今は彼を手放しに賞賛したいところだった。


「……テラスから見るのも良いんだろうけど、ここも特等席ね」

「ああ、良い光景だろう?」

「なんで連れてきてくれたの?」

「覚えてないかな? 空中庭園を見せると言っただろう」


 ……そういえば、そんなことを言っていたような。

 えーと、いつだっけ。


「……あ、駅舎でアドラスが馬車酔いしてたとき」

「そこは格好悪いのであまり思い出さないで欲しい」


 きりりと真面目な顔つきでアドラスがそんなことを言う。

 ちょっと吹き出しそうになってしまった。


「ところで、今日は無理に連れ出してすまない」

「あ、いや、晩餐会が苦手ってわけじゃないの。ただ……」

「ただ?」

「ええと、その……お姉様を思い出して」


 その言葉に、アドラスは眉を顰めた。

 しまった、思い出させてしまった。


「ご、ごめんなさい。こういう場所だと凄く目立つ人だったからどうしても頭にちらついて……」

「アイラ」

「な、何かしら?」

「僕はグラッサと付き合いはしたが、晩餐会に来たことは無い。ラーズ公爵に紹介するまでには至らなかった」

「あれ、そうなの?」

「身分の高い人の前に出たときに彼女が失言を言わないか心配だったというのもあるのだが」


 ……その心配、とてもよくわかる。


「この庭園は僕が関わった仕事の中では一番大きなもので、今この場所の光景を知る者は限られている。正直、既得権益と言っても良いかな」

「なんだか後ろ暗い言葉ね」

「一種のずるのようなものだからな。そしてずるというのは共有できる相手を注意深く見極めねばならない」


 だから秘密だぞ? と、アドラスは人差し指を自分の口元にあてた。

 

「……凄いわ」

「そうかな?」

「魔道具、というかあなたの仕事のこと、まだよくわかってないと思う。ただ……こうやって、いろんな人の目を奪うような凄い仕事をして、もっと賞賛を浴びても良いのに裏方に徹して」

「ふむ」

「私は、自分の好きなことばっかりやってて……なんだか子供っぽい」

「それを言えば、僕は君に負けている」

「負け?」

「君には助けられてばかりだ。青魔結晶の件にしろ、コネルの件にしろ、僕一人では解決できなかった。君のことを凄いと思うと同時に、自分がふがいないと思っていたよ。少しくらい君に誇れるものがあればと」

「そんなの、たくさんあるじゃない! こんな光景を作れるなんてほんの一握りよ!」

「そうだろうな、自慢じゃ無いが……いや、これは紛れもなく自慢だな。凄いだろう?」

「うん」

「だから君に見せたかったんだ」


 私は自分自身のことを、とても面倒くさい人間だと思っている。

 こんなにお手軽で現金なことで喜ぶ人間ではないと思っていた。今までは。

 凄く嬉しいと思う反面、エスコートされて気遣われて、アドラスに見せてきた私の姿において一番格好悪いかもしれない。召し物には気を遣っても自分自身の心構えがいけなかった。


「アドラス」

「なんだい、アイラ?」

「時間のあるときでいいから、あなたの仕事のこともっと教えて頂戴。お店での仕事は軽く眺めてたから何をやってるかは何となくわかるけど、今までどんな人に、どんなものを作ってきたかは全然わからないわ。今日この場所に来てようやくちょっとわかってきたけれど」

「それは良いんだが……なんだか照れくさくてな」


 アドラスはやや苦笑している。

 でも私は大真面目なのだ。彼の目をまっすぐに見つめ、言葉を続ける。


「私は学校で何をやってるか話しているし、直接友達を紹介したりもしたし、私だけあんまり知らないのは不公平よ。こういう催しは、ちょっと苦手だけど……でも逃げたりはしないわ」

「別に無理をしてほしいわけじゃないが……」

「それにあなたがどんな仕事をしてるかわからないのにお嫁さんの顔をしてるなんて、格好悪いじゃない。私は格好悪い自分を格好悪いままにしておく方が嫌よ」


 私の言葉にアドラスは目を丸くした。

 だが次第に納得したように口元に笑みが浮かんだ。


「……そうだな。今日は君が珍しく引っ込み思案だったから、君が強情だってことを忘れていた」

「アドラスがうっかりするのは珍しいわ」


 そよ風が心地よい。

 先ほどまでは寒々しさすら感じていたはずだった。こんな場所、私には似つかわしくないと。

 だが今ではドレスや靴の頼りなさなんて全く気にならず、むしろこんなに軽いじゃないかとさえ思ってしまう。外気にさらしていた肩に感じる冷気も、どこか爽やかですらあった。


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