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52話

 晩餐会と言うのは、基本的には貴族同士の社交の場だ。


 既知の人間同士で情報を交換したり親睦を深め合ったり、あるいは見知らぬ人間を紹介してもらったりとコミュニケーションのための場であることがほとんどだ。もちろん美酒美食を楽しんだり、あるいは音楽や踊りに興じたり、見目麗しい令嬢や二枚目の殿方を探したりする者も少なくは無いが、それらを主目的として晩餐会を開くのは私の実家を含む田舎貴族くらいのもので、王都に住むような貴族にとっては遊興というよりも仕事の一環と言える。


 つまり、参加する以上は誰かと会うことは避けられない。


「此度はお招き頂き、誠にありがとうございます、ラーズ公爵」

「うむ、よく来てくれた。貴公のおかげで孫も喜んでいる。あの時計、寝るときも手放さぬようだ」


 年老いた声ながらも、声は涼やかな響きだった。

 受け答えするアドラスは慣れた様子だ。公爵の孫の成人祝いのため魔道具を作っていたのだ、既に何度か面識はあるのだろう。

 だが私の方はまったく慣れていない。晩餐会に出席するなど数年ぶりのことだ。それも実家近く、田舎貴族どうしの晩餐会という名の朴訥な収穫祭か、あるいは学校に居た頃に誘われて参加した、若い貴族同士の晩餐会とは名ばかりの乱痴気騒ぎだ。公爵様が開くようなこんなご立派な晩餐会など生まれて初めてだと思う。艶やかな大理石の床の大広間を瀟洒なシャンデリアが照らし、色とりどりの服でめかしこんだ貴族達を映し出している。私もクローゼットの奥に眠っていたドレスを引っ張り出して精一杯の準備はしたが、果たしてこの場に釣り合っているのか今ひとつ自信が無い。青のドレスでは地味だっただろうかとか、アドラスの隣に居て大丈夫だろうかとか、悩みは尽きない。だが、一番問題なのは、目の前の老人だった。


 ラーズ公爵。若かりし日から様々な戦場を駆け抜け、位、実力、共に申し分ない天下の大将軍だ。てっきりお父様のような偉丈夫を想像していたが、そんなこともない。立ち振る舞いはしっかりしているが剛剣を振るうような豪腕ではない。顔つきも穏やかで、白い頭髪も髭も丁寧に整えている。本当に大将軍なのだろうか。文官上がりにすら見える。


「いえ、微力ながらお役に立てたならば光栄です。ところで公爵にご紹介したい方がおりまして……」

「そこなご令嬢のことかな?」

「ええ、私の許嫁です。アイラ」


 私はアドラスに促されて一歩前に出た。


「カーライル家当主グレンが息女、アイラ=カーライルです。今宵はお招き頂き、ありがとうございます」

「ほう、カーライル家……」

「父グレンも祖父のバルモアも、公爵様には大変お世話になったと聞き及んでおります」

「世話になったのはこちらだとも。バルモア殿には戦場のイロハを教えてもらったのだからな」


 と言って、ラーズ公爵はどこか遠い目をした。戦場を思い出しているのだろうか。

 そのとき、不意に彼の体から闘気や戦意とでも言うべきものが漏れた。

 公爵の指がすうと放物線を描いて伸び、袈裟懸けに斬られた。


 と、錯覚した。

 ただの好々爺めいた老人だったが、違う。

 ここは晩餐会だ。晩餐会にふさわしい気配を纏っていただけなのだ。


 この人が大軍を率いた? そんなまさか。将軍というのは時には戦場を馬で駆け時には堅く籠城し、あるいは兵站を築き間諜を放ち、あらゆる手練手管を知り尽くさねばならない。もちろん戦場働きする以上は並の腕前では無かろうが、剣一筋に生きる剣客ではない。だがこの人の気配はどんな剣客よりも鋭い。軍勢を率いる武官としての腕前はわからないが、ただ一人の武人として、今まで見た誰よりも凄まじい。


「アイラ?」


 と、気付いたときには徒手で構えてしまっていた。


「あっ、すっ、すみません、はしたない真似を!」


 粗相をしてしまった。

 いや、でも、こんな気配を放つ方が悪いじゃないかと思う。もっとも、私がもう少し技量が低かったら殺気自体に気付かなかっただろうし、逆にラーズ公爵と戦えるほどの技量があればただの悪戯と気付いただろう。つまりは試されたようなものだ。剣で結び合うのが好きな冒険者や流浪の剣客ならばよくやっていることだ。だがこんな晩餐会でやって良いことではないだろうに。


 とはいえそんな抗議を晩餐会の主催者に言うわけにはいかない。目に恨めしさが混ざらないように深呼吸して落ち着く。そしてラーズ公爵を見れば、これまた悪戯が成功した子供のような嬉しそうな顔をしていた。


「気付いたか」

「……戦場なら斬られていました」

「すまぬな、だがバルモア殿には何度となくやられてな。ちょっとした意趣返しだ」


 アドラスが気付いた様子は無い。おそらく私だけにわかるように殺気を飛ばしたのだ。せっかく髪も整えてクローゼットに眠っていたドレスを引っ張り出してきたというのに、恥ずかしい姿をさらしてしまった。


「その、ラーズ公爵?」


 アドラスが私の様子に思うところがあったのか、困惑気味に問いかけた。


「無礼を詫びさせてくれ。軽く殺気を飛ばしてしまった。バルモア殿の面影を思い出してな」

「その……あまりからかわないでやってください」

「ああ。それと始めに言っておくべきだったが、婚約おめでとう」


 公爵は、じわりと温かい微笑みを浮かべた。

 先ほど放った殺気など微塵も感じさせない柔らかい表情だ。


「孫の嫁に欲しいと思うくらいだが今回は諦めよう。バルモア殿を困らせたくないのでな」

「ご、ご冗談を」


 私はアドラスの嫁になるのだし、そうでないとしてもラーズ公爵の一族になる覚悟なんて更々無い。確かこの人の跡継ぎは王国の騎士団の団長として辣腕を振るっているし、他の家族も高級武官ばかりだ。今でさえ、私たちの次に挨拶をしようと待ち構えている人がたくさんいる。田舎貴族の私には荷が重すぎるというものだ。


「ともあれ今日は楽しんでいってくれ、後で祝いの物を見繕っておこう」


 私の気持ちを知ってか知らずか、ラーズ公爵はそう言って微笑んだ。



「あー、びっくりした……」


 広間の脇にある控え室を借りて椅子に座り、ぶはぁと溜息をついた。

 ラーズ公爵に挨拶した後もアドラスの挨拶回りに付き合い、今ようやく大事なお得意様の面通しが終わったというところだ。他にも何人か挨拶したい人間は居るようだが、いったん仕切り直そうとアドラスの提案にありがたく頷いた。私達の他にも椅子に座ったり喧噪の無いところでゆっくり酒を飲もうとしている人達はいるが、控え室では格式張った挨拶をしないのが不文律だ。アドラスも知っている顔がいたようだが、目礼する程度に済ませていた。


「アイラ、義父殿や義祖父殿とお知り合いだったようだが……懇意だったという理解で良いのかな?」

「間違いじゃ無いと思うんだけど……いろんな意味で『可愛がった』んだと思う」

「……あー、うむ」


 騎士団や軍隊で言うところの『可愛がった』というのはつまるところ、艱難辛苦を与えて鍛えに鍛え上げたという事だ。祖父の居た騎士団は相当なスパルタだったらしく、しかも祖父の現役時代は隣国と度々戦争があった。ラーズ公爵は様々な戦場を駆けて出世したのだから相当な無茶をしただろうし、上官からは相当な無茶も要求されていたに違いない。恩も感謝もあるのだろうが、ほんの一匙くらいは「あの野郎」という恨みは残っていたのかも知れない。


 ま、茶目っ気や悪戯で済む程度の意趣返しだから気にすることもないのだろうが、それでも己の身分の高さや名声の高さくらいは自覚してほしい。こちらは社会的に、あるいは物理的に死ぬかと思った。護身用の刃物を持ってこなくて良かった。あったら手に握っていたかもしれない。


「公爵への挨拶も済んだし、あとは私の顔なじみや商売仲間に面通しするくらいだ。公爵ほど悪戯好きじゃないからそこは安心して欲しい」

「う、うん、頑張る」

「緊張しているか?」

「ま、まあ……少し」

「すまないな、付き合わせて。……ただどうしても、一度は得意先に面通ししておきたかったのだ」

「ん? まあ妻が夫の晩餐会に行くのは普通だと思うのだけど……」

「いや、ラーズ公爵は顔も広くてな、独身や伴侶を亡くした者も来ることは多いんだ。ただ商談するにしても一人やもめだとからかわれてな……。うちの娘はどうだと売り込んでくる者も居るし動きにくい」

「あー……」


 ラーズ公爵から直々に注文を預かってお褒めの言葉を頂いたほどの魔道具職人だ。店も繁盛している。ウェリング家と縁故を結びたいと思う人間は多いだろう。自領の防備が薄いという問題が無かったとしたら、私など鼻も引っかけてもらえなかった可能性もある。


「だが妻と来ても困ることもあるのだな、まさか主催者からやっかみを受けるとは」

「あ、あれはただの公爵様の悪戯よ」

「そうかな? 孫の嫁に欲しいというのは本気だったと思うが」

「まさか」


 あれは私を通して、祖父との思い出を眺めていたのだ。

 私自身ではないと思う。


 思えば、こういうことの方が多かった。このような華やかな社交の場面においては、私は誰かの橋渡しであったり、もっと言えば添え物であった。祖父母は生きた年月の分だけ顔が広く、さきほどラーズ公爵のように昔の話題になることが多い。私自身のことを話したことなど何度あっただろう。


 だが一番多かったのは、お姉様の引き立て役になることだった。お姉様は物心ついたときから、こうした場面において主役になる方法を身につけていた。天性のものだったと思う。笛を吹かせれば自然と人は踊り始め、歌を歌わせれば大人も聞き惚れる。踊りを踊れば誰もが我も我もと誘いの手を差し伸べた。私や弟は姉の美貌の下の苛烈で我が儘な面を知っていたから見とれるということはなかったが、だがその才能は認めざるをえなかった。


 ふと思うことがある。私が夜会や晩餐会に及び腰なのはもしかして姉を恐れているからなのではないだろうか。貴族の誇りだ何だと言いながら、煌びやかな世界など似合わないと思い込んでいるのは、それは私の


「アイラ」

「ひゃっ!? あ、なに?」


 肩にアドラスの手が触れ、つい動転した声を出してしまった。

 ドレスのせいだ。

 王都の夜は冷えるというのにわざわざ肩や背中を出して出歩かねばならないのが悪い。

 だから彼の手の温かさに驚いたのだ。そう思うことにした。


 すぐ近くには彼の顔があった。こんな風に顔を覗かれたのは以前介抱されたとき以来だ。

 そのときのように、至極生真面目な顔をしていた。


「……大丈夫か?」

「だ、大丈夫よ。うん、問題ない」


 いけない、つい弱気になってしまった。

 そもそも姉はもう居ないのだ。居ない人と比べたってしょうがない。

 目先のことに集中しよう。剣を振るときのように雑念を振り払おう。


「まだ挨拶してない人も居るんでしょ? そろそろ広間の方に……」

「……少し、二人きりにならないか?」


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