51話
「この馬鹿!」
「す、すみません……」
開口一番、ディエーレに叱られてしまった。
ギリアムとの勝負の後、私は気付いたら自分の部屋のベッドで寝かされていた。どうやら治癒魔術で怪我を治して貰った後に自室に運ばれていたようだ。水で濡らした手拭いや買い込んだとおぼしき食料を見る限り、ディエーレが面倒を見ててくれたと思われる。それを思えば彼女が私を叱るのも道理というものだろう。普段は私が彼女を叱ることの方が多いが、私が無茶したときは彼女も私を遠慮無く叱る。
「聞・い・て・る?」
「う、うん」
「返事はハイ」
「はい……」
はぁ、と肩肘をついてディエーレは私の顔を見る。
「別に仕合するなとは言わないよ、私もアドラスさんもそこはわかってたし。でもさぁ、ダリアも他の治療術士もけっこう良い腕してるから良かったようなものの、嫁入り前の顔に傷が残ったらどうするつもりだったのさ」
「う、うっ、それは……」
一度剣を握ったら手傷を恐れるなと教わってきたので、全然考えてませんでした。
傷は完治していないが、後に残るような深傷はない。しかし一歩間違えればどうなっていたかは私にもわからない。
「全然考えてませんでしたって顔してる」
「そ、その通り」
「あと学校の倉庫がダメになっちゃってたから、反省文と弁償金は覚悟しときなよ。ギリアムがやったにしても仕掛けたのはアイラなんだからね」
「重々承知してます……」
「まったくわかってるんだかわかってないんだか……これからは旦那さんが悲しむような真似しちゃ駄目だよ?」
「うん……」
悲しむようなこと、と言われて、あっと思い出したことがある。
「そ、そうだ! 私の剣!」
「剣は、ほら、そこ」
ディエーレが顎で机の方を指し示した。
「ああ……やっぱり……」
ものの見事に壊れていた。
刀身の真ん中からぽっきりと折れて、見るも無惨な姿をさらしていた。
「ま、だいじょーぶでしょ。柄の部分の核は壊れてないから、魔道具としては十分直せる範囲だと思うよ」
「あ、そっか」
「とはいえ、『剣として』はどうなのかわかんないけど。わたし鍛冶屋じゃないし、魔剣なんていじったことはないし、保証はできないけどね」
「うっ……」
アドラスは気前よく渡してくれたが、貰い受けたものではなく性能を確かめるために借り受けたものに過ぎない。しかも暴漢悪漢を倒すためではなく、身勝手な理由での私闘なのだ。
「ど、ど、どうしよう……?」
「いや素直に話して謝るしかないでしょ」
ディエーレの言葉はいつになく常識的だ。
いつもいつもこの子の非常識な言動に悩まされているというのに。
だが反論の余地が無いことは確かだ。
誤魔化せるようなものでもないし言い繕えるものでもない。
ここで開き直るような真似だけはしたくない。少なくとも彼に対しては。
「……よし」
「ん?」
「詫びてくる……こうなったら土下座でも何でもして……」
「いや婚約者に土下座してもらっても嬉しくないだろうし……怒るとしてもそこじゃないと思うけどなぁ」
「ん?」
「はぁ……素直に怒られてくると良いよ」
「もちろん、覚悟の上よ!」
◆◇◆
ディエーレと共にアドラスの工房へと向かった。
一人で良いとは言ったが、それでもディエーレは着いてきてくれた。
顔を出すと、もはや店の使用人達は手慣れた様子でアドラスの居る執務室へと通してくれた。そのスムーズさが今は恨めしい。
「……」
アドラスは真っ二つになった魔剣「落涙」を見て、なんとも名状しがたい顔をしていた。
「そ、その……ごめんなさい!」
と、頭を下げた。
ここに来る道中、アドラスにどう切り出すべきか散々迷ったが、私にできるのはただありのままを見せるだけだった。折れた剣と、傷を負った自分の体。
「痛むところはないか?」
「え、ええ……治癒魔術を使って貰ったから傷はほとんど塞がってるし」
「なら良かった」
「そ、その……」
「剣はまた作れば良い。というよりもこれは試作品。消耗や破損は前提の一つだ」
「それでも……大事なものでしょう?」
「ああ、大事な物だ。物以上ではない」
と言って、アドラスは椅子を手で示した。
私とディエーレはおずおずと座る。
「大事なのは常に物よりも人だ。君自身が無事でなければ剣が無事だったとしても意味はない」
「……はい」
優しい言葉だった。
だからこそ、それに自分が報いることができるかどうかわからない。
「それで」
「はい」
「どうだった?」
「どう、とは?」
よくよく考えて見れば当然の問いかけた。
私はアドラスに、「決着を付けたい」と告げてギリアムとの勝負に挑んだのだ。
それでも、虚を突かれたような気がした。
「勝ちました」
「うむ」
アドラスが生真面目な顔で頷き、ほんの少しだけ、口元が緩んだ。
その瞬間、ああ、どう例えれば良いだろう。
辛い鍛錬の記憶、慣れぬ敗北の味、未だ痛む傷、酷使され軋む体。
それらがすべて、羽毛に包まれたようにふわりと軽くなった。
「無事で帰ってきたこと、勝って帰ってきたこと、ともに喜ばしい。よくやった」
何か義務を果たしたわけではない。
自分の思うがままに振る舞っただけで、褒められるようなものは一つもない。
「そ、その……嬉しいです、けど、褒められるようなものじゃ……。私闘も私闘だし……」
「褒められないにしても、けなされるようなことをしたわけじゃないだろう?」
「あ、いや……けなされはするかも……学校から」
修練場の倉庫が水浸しになったり穴が空いたり、色々と迷惑を掛けてしまっている。
「……修理代、請求来ると思うよ?」
「うっ……それは今考えたくなかった……」
「……魔術勝負は被害のないところでやるのが魔術師のマナーではある」
「ご、ごめんなさい」
「だが、やるべきと信じてやり遂げたなら、胸を張りなさい。それが負けた人間や、君を信じて送り出した者達への礼儀と言う物だ」
その言葉に、はっとした。
私には、こうして背中を守ってくれた人が居るのだ。
当たり前のことなのに、大事なことなのに、今頃そんなことに気付いた。
「あっ……ありが……ありがとう……」
どうしよう。
なんでもないことなのに、妙に泣けてきた。
アドラスがそっと涙をぬぐってくれた。恥ずかしい。
ディエーレが見てるというのに。
そのディエーレは私とアドラスを面白そうに眺めて、
「ただ、今後は怪我が無いようにな。どういう理由であれ君が傷つく姿は見たくない」
「うん……ごめんなさい……」
「アドラスさん、苦労するよぉ?」
ディエーレがそんな茶々を入れてくる。
泣き顔を見られたくなくて、顔を覆った。
でも今は、大人しくこいつに笑われてやることにした。
◆
「しかし……これはどうしたものかな」
アドラスが折れた魔剣「涙雫」をしげしげと眺めている。
私の不出来を調べられているようで妙にばつが悪い。
「そ、その……治る、かな?」
「魔結晶そのものは無事だな。直すだけならば問題ないが」
「あっ、良かった……」
「ただ、折れたならば同じように作り直しても意味が無い。どんな風に壊れたのだ?」
「ええと……」
私は、ギリアムとの戦いの流れをかいつまんで話した。
特にギリアムの切り札が強力だったこと、それを破るためにあえて刀身で受け、折れた剣を利用して虚を突いたことは話さねばならなかった。壊れた、というのも確かに事実だが、壊した、と言うのもまた事実だ。
「……なるほど」
アドラスはそれをどう捉えただろうか。
責める風でもないし、かといって慰める風でもない。
わざとではない、とも言えない。実際、故意にやってしまったのだから。
せめて何か言って欲しいのだが……。
「ええと、アドラス。その……やっぱり、弁償でもなんでもさせて……」
「ん? いや、壊れるまで使ったならばそれはそれで良いのだ」
「え、あ、良いの?」
「むしろどれくらいで壊れるかというのも大事な情報だからな。ただ……難しいな。これ以上の機能の向上は難しい」
「えっと、アドラス?」
「魔道具としての側面を強めようとすれば武器としての耐久性はどうしても下がる。機構が複雑になるからな。かといって機構をシンプルにしては肝心要の魔道具としての機能が上手く働かない」
あ、怒ってるとか怒ってないとかじゃない。
仕事をしているときの顔だ。
「……はっ、あ、すまない、考え事をしていた」
「いえ、それは良いのだけれど……」
ちょっと脱力した私を尻目に、ディエーレがなにやら興味深そうな顔をしていた。
「何か良いアイディアが思い浮かんだんですか?」
「うむ。聞くかね?」
「はい!」
「ちょ、ちょっと待って! アドラス様!」
これ以上話が長くなってはたまったものではない。それが本題では無いのだ。
「私は、お詫びに来たんです! 許してくれるにしても何かしら形にしなければ帰るに帰れません!」
「と言っても、特に怒っているわけではないんだが……あ」
アドラスが、妙に間の抜けた声を出した。
「詫びというわけでは無いが、一つ頼みがあったのを思い出した」
「はい、なんなりと!」
「週末の夜、一緒に晩餐会に来て欲しい。ああ、もちろんドレスを着て」
「はい!」
なーんだ、それくらいならお安いごよ……
「……はい?」




