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43話

 帰り道の歩みはあっと言う間に終わった。

 気付けばもう彼の店の前だ。すでに通りの表側の門は施錠されており職人や店頭で働く者達は帰宅しているようで、残っているのは住み込みで働く少数の使用人達だけのようだ。アドラスは店の裏に回って勝手口へと私を案内した。


「旦那様! 奥様! おかえりなさいませ! お茶でもお飲みになりますか?」

「あ、いえ、お構いなく! ていうか休んでなさい!」

「は、はいぃ……すみません……どうも働いてないと胸がざわざわして……」


 勝手口から入るとエリーが子犬のように嬉しそうに駆け寄ってくるが、ついつい私が叱ってしまうとこれまた子犬のようにしょんぼりする。アドラスも、「アイラの言うとおりだ」と言ってエリーは大人しく下がっていった。


 あの調子でちゃんと治るんだろうか、不安だ。

 しかし奥様扱いされるとやっぱりどこか恥ずかしい。

 そもそも奥様らしいことなどまだ何もしていないのだけれど……。


 そして私達は再びアドラスの書斎へと赴いた。

 向かい合って椅子に腰掛ける。


「ご苦労様だった、疲れてはいないか?」

「ありがとう、大丈夫」

「それで……さっきはすまない、大人気なかった」

「いやいや! あれはギリアム達がいけなかったのよ!」


 実際、ギリアムは無礼だったと思う。

 ディエーレも止めてくれなかったし、後で問いただしておこうとさえ思った。


「もちろん冒険者稼業なんてするつもりも無いし、あれだけ手がかりがあればなんとかなるわ」


 そう、あとは家の金で冒険者なり何なり腕利きを雇えば良いのだ。

 お父様の伝があれば、騎士団あがりの屈強な男を雇うこともできよう。

 フィデルの腕前が銀級の上の方ともなれば互角に戦える人間は限られてくるし居ないかもしれない。


 だが、銀級の下流中流程度ならば居るはずだ。

 たとえどれだけ実力が離れているとしても、腕の差は数で補える。

 品の良いやり方とは言えないが、冒険者ギルドの仕事を放り投げて貴族の娘と駆け落ちしたのだ。

 大義名分はこちらにある。


「……君はそれで良いのか?」

「え?」

「僕が怒ったのは君が迷宮都市に行くことではなく、君の意思を無視して人生の一部を拘束されそうになったからだ」

「ああ、それはもちろん……」


 わかっている、と言おうとしたらアドラスが遮った。


「アイラ、ひとつ聞きたい」

「ん? なに?」

「きみはダンジョンを探索したり、冒険をしたり……そういうことが楽しいんじゃないのか?」

「それは……」


 問いかけるアトラスの目は、静かに私の顔を映している。


「うん……嫌いじゃないわ」

「それは、君の友達も知っている?」

「ええ」

「……その意味で言えば、期限を切って冒険に出ないかという提案自体は悪くないと思う。交渉としての選択であるから仕方ないという口実や逃げ道も用意した。君は良い友達を持った」

「う、うーん……」


 そんなこともないと思うけど……ギリアムはそういう機微に疎い人間だし。

 もっとも、ああいう奥歯に物が挟まったような物言いをすることが珍しくあるのだが。


「アイラ。君は、僕と結婚して自分が何をすべきか考えている。それはとても嬉しい。だが自分の望むことを置き去りにしてしまってはいないか、そこが心配なんだ」

「そ、そんなことはないけど……」


 私はアドラスの言葉にどきりとした。


「いつぞや、なにかやりたいことがあって学校に通っているわけではないと聞いた。それは本当にそうなのか?」


 答えたい。が、嘘を言いたくはない。


 彼に悪いというだけではない。


 口に出したらそれが自分の真実、自分の決断になってしまいそうで背中に冷たいものが走った。


「わからないか?」

「わからないわけじゃなくて……あんまりそういうこと、考えすぎてはいけないわ」

「だって……自分の我儘を通して生きるってことがまず無理よ。私は貴族だもの」


 そう、私は家のため、弟のため、結婚を決意した。

 その相手がアドラスであることは嬉しい。

 敬意を持てる。支えたいと思う。

 触れ合いたいと思う。

 帰り道に繋いだ手にはまだ温もりが残っている。


「そうだ、君も僕も貴族だ。守るべき家があり、立場があり、自由は少ない」

「でしょう、それを投げ出して誰かみたいに蒸発したらみんなにとって不幸よ」

「おっと、一本取られたな」


 くっくとアドラスは笑い、流してくれた。

 だが、あてこすりのような言葉を口にした自分を恥じた。

 こういう口ぶりは、するべきじゃなかった。


「……ごめんなさい」

「良いさ」


 向かい合って座っていたアドラスはそう言って、立ち上がった。

 そして私の隣へと座る。

 頬を優しく撫でられる。

 まるで猫になった気分だ。


「だがこうも考えられないか? 後戻りできなくなってから自分のやりたいことや人生の望みに気付いてしまっては、とても不幸なことだと」

「私は姉みたいに逃げたりしないわ。あなたの側に居る」

「疑っているわけじゃない」

「じゃあ、どうしてこんな話を?」

「お互いのことを知ろうと言ったばかりだろう?」

「あ」


 そういえば、ついこないだ話したばかりだ。

 むしろ私から相談を持ちかけたことだ。


「……アドラス、そんな真剣な顔で聞かれたら何事かと思うわ」

「む、そうか?」

「てっきり、やりたいことと結婚のどちらを選ぶんだ、みたいな詰問されるのかと……」

「いや、そんな意図は無いぞ!」


 アドラスは慌てて否定した。

 彼がこんな風な顔をしているのは久しぶりだな。

 つい私もほくそ笑む。


「自分の意の向くままに生きていくことはできない。いや、あらゆる者を敵に回して野垂れ死ぬ覚悟があるならば話は別だが普通はそうではない。僕も自分の立場が煩わしいと思うことはあるが、そこまでするつもりはない」


 聞いてみれば真面目な説明なのに、まるで言い訳をしてるような焦った顔をしていた。

 彼はときどき小心なところを見せる。

 さきほどの会食の場では大人の余裕を見せていたのに。

 だが、彼のそんなところも嫌いではなかった。


「それが普通だわ」

「だがそれでも、自分の足元を見た上で未来をどうすべきか、そしてどうしたいのか、考えることはできる。どうすべきかだけを考えるのではなく、どうしていきたいか、一緒に考えたい。その、なんというか……」

「アドラス」

「ん?」

「心配しなくても、私けっこうわがままよ」


 アドラスが、ぽかんとした顔を浮かべる。

 そしてくすくすと笑った。自嘲ではなく面白おかしそうに。


「そんなに面白かった?」

「ああ、面白かった。そうか、アイラはわがままだったか」

「正直言うと不安はあるわ。結婚前にやり残したことが無いかとか、自分が相応しいんだろうかって。実際、卒業までにやり遂げたいこともある。でもあなたとそれを天秤に掛けるのは嫌よ。どちらも捨てたいと思わない」


 多分、これが今の私のわがままだ。


 職人の長として働き家と店を盛り立てている彼から見れば、きっとひどく子供っぽい話だろう。

 だがそれでも、彼は馬鹿にしたりせず、私の目を見つめて話を聞いてくれた。


「むしろあなたの方が心配ね、仕事ばかりで倒れられたら困るわ」

「そう言えば一度倒れたようなものだったな」


 そしてますますアドラスは笑い、私もつられて笑った。


 何をやりたいかを明確に言葉にするのは難しい。身の振り方や将来に悩むことはたくさんあったが、「何かをしなければいけない」ということばかりに気を向けて生きてきたので、「何をしたいか」という観点での将来に対してはとことん無自覚だった。


 だがこうして婚約者と笑い合うのは、私が望んでいることすら自覚していなかった望みだと思った。


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