4話
見合いの席はひとまず延期となった。
貴族同士の会席で居眠りなど言語道断のはずではあったが、そもそも駆け落ちなどという言語道断な真似をしたのは我らカーライル家の方であった上に、この見合いのスケジュールを無理やりねじ込んだのは我が父グレンだ。こちらの方が平身低頭して謝り倒した。
そして私達は徒労感を滲ませながら自領の屋敷へと戻り、到着した頃にはすっかり日も暮れかけていた。本来なら自分が使った馬の世話くらい手伝いたいところであったが、そんな気力もなく馬丁にすべて任せた。屋敷の玄関をくぐったところで私は大きな溜息をついた。ようやく我が家に帰ってきた。
「旦那様、お嬢様、おかえりなさいませ」
屋敷の女中達から声をかけられ、ただいまと言葉を返した。父も鷹揚に頷く。学園での一人暮らしの生活に慣れきっていたため細々とした身の回りの事を女中に任せるのは少し気恥ずかしいが、それもまた自分の家に帰ってきた実感でもあった。自分もずいぶん市民的な感覚が見についてしまったものだ。
「お嬢様、お召し物をお預かりします。お疲れになったでしょう」
長い黒髪をした長身の女中が私の元へ駆け寄ってきた。
この家に長らく仕えてくれている、アーニャという女中であった。
「ただいまアーニャ。……体よりも気苦労の方が大きかった」
「ま、まあ……それは……」
アーニャは苦笑いを浮かべた。彼女は私より十歳ほど上の女中で、私が物心ついた頃からこの屋敷で働いている。領内の農家の生まれだが、文字や計算に明るく気が利くため祖父母がメイドとして雇った。私と彼女の間に身分の差ははあれど、実姉よりもよほど親しみを感じる存在だった。母を早くに亡くした私にとって、ある意味では母代わりでもあったかもしれない。
「……申し訳ございません、私達がグラッサ様を止められていたら」
アーニャはそう言いながら私の外套を丁寧に預かった。当然ながら女中達も姉が出奔したこと、私が姉の代役としてお見合いにいったことは承知している。この家の先々にも関わることだ、さぞやきもきしていることだろう。
「誰が悪いかと言えばお姉様とどっかの阿呆な冒険者だから気に病まないで」
「まったく、不届きな冒険者もいたものです……!」
「こういうのは当事者ではなくて観劇で楽しむに限るわね」
「お嬢様……」
アーニャは、心配そうに私の肩を抱いた。
「……お辛いことがあれば、いつでも言ってくださいまし」
「大丈夫よ、いい人だったから」
「そうなのですか?」
「まあウチとしては嫌われちゃったかもしれないけど」
アドラス様のことを思い出しつつ、私はそう言った。
そしてあのお見合いで、やらなければいけない宿題ができたことを思い出した。
「あ、それとアーニャ、後でお願いすることになると思うのだけど……」
「はい、なんでございましょうお嬢様」
「アイザックの力を借りることになると思う。今週中、屋敷に来て貰えるよう頼める?」
「夫ですか……今は野良仕事も忙しくありませんし、お仕事は願ったり叶ったりですが」
「じゃあ、お願いね」
「承知致しました。それとお嬢様、湯浴みの用意をしております。ゆっくりお休みになってくださいまし」
「あー……その前に」
ちらりとお父様の方を見る。
お父様は気まずそうに頷き、口を開いた。
「書斎で良いな」
「はい」
お父様の書斎にて、二人だけで話し合うこととなった。
帰りの移動中の馬車では御者に聞かれるため無難な雑談に終止していた。もっとも、疲れていて頭を働かせたくないという理由も大きかったが。書斎に入って人払いを済ませ、私はお父様と向き合う。そうしてようやく、アドラス氏とどのような会話をしたかを打ち明けることができた。
そして案の定、ラーズ公爵に頼まれた魔道具の核を壊したことを話すと、お父様は胃を抑えるようにして呻いた。
「……本当か?」
「少なくとも嘘偽りを話しているようには見えませんでした。恐らく望めば証拠も出すでしょうし、それに……」
お姉様ならばやりかねないだろう。とまでは言わなかった。
「なんてことだ……」
「それで、どうしますか」
私が尋ねると、お父様は不思議そうに見つめ返してきた。
「どうしますか、とはなんだ」
「青魔結晶の弁償です」
「……すぐには調達できん。税の計算も終わっていないし商人も忙しい頃合いだろう。出回ってなどおらんよ」
……この人も老いたな。
十年前ならば、現役で剣を振るっていた頃ならば、そんな言葉は出てこなかった。
子供の頃は怖い人だと思っていたが、こう感じてしまう日が来ることが切なくもある。
「良いのですか」
「今すぐは無理だという話だ。二月くらいの内には何とかなる」
「そうではありません」
「……何が言いたい」
お父様は訝しげに私の顔を見つめた。
「アドラス様は、自分の管理が甘かったと言いました。仕事にかまけて構ってやれなかった自分が悪いとも言いました。更には、水に流しても良いと言いました」
「……うむ」
「それを見合いの席で私に言ったということは、つまり我がカーライル家はウェリング家から、まともに取り合ってもらえていない状態だと言うことです。アドラス様やブルック様には悪意は無くとも、無関係な人間から見ればこれは舐められているのと同じです」
「……」
彼がカーライル家に対して考えていることは「許すから邪魔をしないでくれ」、そういうことだ。
私達の立場からすれば、あまりにも寛大過ぎる温情措置と言えるだろう。
だが。
「それに甘えるのをよしとするのであれば、もはや貴族ではありません」
それを口にした瞬間、ぎりと音を立てるが如くお父様が私を睨みつけた。
だが、恐ろしくはない。こんなことを言われて気付くようでは、とてもとても、恐ろしい貴族だとは言えない。
「というか、アドラス様はラーズ公爵と懇意なのもお忘れなく」
「……恐ろしい人だからな、ラーズ公爵は」
お父様は頭痛を紛らわすかのように額を揉む。
私は伝聞でしか知らないが、父に限らず実戦を経験した人はことごとくラーズ公爵の凄まじさを語る。私の通う学校でも噂は轟いたものだ。あ、アドラス様と結婚できたらこの脅し文句使えるかも。
「……それでアイラ、何とするつもりだ」
「まずは責任というものを取り、筋を通さねばなりません。兎にも角にも姉、そして駆け落ちした冒険者の……ええと、何と言いましたっけ」
「フィデルという男だ」
「その者を捕らえましょう」
「……難しいぞ」
「足取りが掴めませんか」
「それもあるが、そもそも腕利きの冒険者ということでウェリング家の食客となったのだ。冒険者としての等級は銀。オーガやワイバーンを単独で狩れる程度には腕が立つ」
「銀級ならばそれより腕の立つ者も探せますし、腕で敵わないならば数で補うなり他の手は幾らでもあります。……とはいえ一朝一夕で出来るものでもなし。おいおい考えましょう」
「……そうか」
「姉の廃嫡も考えてください」
お父様は小さく頷いた。肯定の色も否定の色も無い。姉に懇願されればどう転ぶかはわからないところではあるが、今は念押しするのは避けよう。それよりもウェリング家やカーライル家の分家への根回しの方が大事だ。と言うかこれくらいの処置を講じなければ周囲から侮られてしまう。お父様が困るのは自業自得だが、お父様の後を継ぐであろう弟が困ってしまうのは避けたい。
「それと砕けた青魔結晶の代品を用意します」
「だからすぐに用意できんと言っただろう」
「ええ、ですので、採ってきます」
「採る、って、おぬしまさか……」
「ダンジョンに潜ります」
「自分で行くつもりか」
お父様は驚いたような顔で私を見た。
「アイザック達の力は借りますが、できるだけ自分の手で」
「ならば儂が行くぞ」
「これは私の見合いです」
しばし、睨み合った。
お父様も、実戦から遠ざかりつつはあるが騎士としてはまだまだ現役の部類だ。
当然、私などより遥かに腕が経つ。
だがそれでもここは引くつもりは一切ない。
誰より強いからやるとか、危険だからやらないとか、そういう話ではないのだ。
その険悪な時間がいつまでも過ぎるかと思いきや、お父様は大きなため息を付いた。
「……わかった。武具や馬は優先して使うが良い」
「お気遣いありがとうございます」
そう告げると、お父様は頷いた。
私はこのとき、敢えてアドラス様の怒りの理由の一つを語らなかった。これを語ることはアドラス様がお父様を侮辱したことになる。というか「グレン殿は何を考えている!」と率直に怒っていた。今回の件においてお父様は侮辱されても仕方のない立場であるしはっきりと告げて反省を促すのが娘の務めとも思ったが、それでも私の心に秘めておきたかった。
あのように私の将来を案じて怒ってくれる人に対しては、家として貴族としてではなく、ただ私として恩義に報いたい。他人の言葉や他人の用意した物ではなく、私自身の手で。




