39話
改めてまたアドラスと二人きりで話し合うことになった。
しかしエリーは妙に私と話したがっていたようで、名残惜しそうな素振りをしていた。
どうやらコネルを倒した私に対して尊敬と感謝の念を抱いているらしい。なんでよ。
彼女を救ったのはアドラスやブルック様達であって私ではない。コネルをぶっ飛ばしたことがエリーに利する形にはなったかもしれないが、エリーに対して何かしたわけではないと言ったのだが、耳を傾ける様子もない。タダ働きでも良いから身の回りのお世話をさせてくれとせがまれる始末だ。病み上がりの娘を顎で使うのは流石に気が引ける。ゆっくり休んでから改めて考えると言ってこの場はごまかして、部屋から退出させた。
「慌ただしくてすまないな。それに、騙したような形になってしまった」
「それは構わないのだけど……」
これはエリーの……領民の命を優先した結果だ。
どうこう言うつもりは無い。
「エリーには聞かせられないが、このような形になってよかったのかと迷うこともある」
「……どうして?」
「結局、エリーは長らく生まれ故郷には帰れなくなってしまった。帰れるとしてもヴィジラン村の連中にバレないよう人目を避けねばならないだろう。また、元結婚相手に対して訴える、というのも難しくなってしまった。有耶無耶の内に済ませてしまったようなものだからな」
「それは……」
「法にしたがって考えるならば、エリーが矢面に立って三行半を突きつけるなり訴えるなりしなければならない。だが、エリーにはそれに耐えるだけの強さはあるまいし、何より死ぬような目にあった平民の娘子に『戦え』と言うのも……何か違う気がしてな」
この国において、嫁が離婚を突きつける権利はある。
またそれを教会が庇うということも少なくはない。
だが現実的にそれが誰にでもできるか、というと難しい話である。
教会に喜捨が必要なときもあるし、世間体というところで身動きが取れないものもいる。
そしてエリーのように、追い詰められ痛めつけられ、逃げることすらやっとという者も居る。
「コネルの領地の村は、どうなってるの? コネルもいなくなったし……」
「エリーの元夫はひどく形見が狭いようだ。嫁を酷い扱いしていたことは露見したし、更にそれが切欠でコネル達は没落してしまったのだから、周囲からは白眼視されている。エリーの死の真偽を確かめようとする余裕などは無かろう」
「エリーや、エリーの家族は?」
「彼らは納得している。……とはいえ、生きるか死ぬかの問題だから否も応もないところではあるが」
「……なら、良いんじゃないかしら」
と、私はアドラスの目を見つめながら言った。
不安に揺れている瞳。
優しい人の証拠だ。
「何が正しかったかなんて誰にも分からない。でも私の目から見たエリーは、不幸そうには見えなかったわ」
少なくともエリーは、婚家にいたぶられた悲壮な空気はなかった。
もちろんそれが表に出ないようにしているのだろう。
だがそれを隠そうとして元気に振る舞うための余裕は、アドラスに与えられたのだ。
「領主ってそういう決断の連続だと思う。私のお父様もお祖父様も、酔ったときや辛いときはくよくよしてた。あのときああすれば良かったとか、ああしなければ良かったとか。でも私にはよくわからない。私はピンピン元気にしてるし、村人や領民だって、苦労はあるけど何とかやっていけてる。だから全部自分のせいだ、みたいなことを考えないで。それに……」
私はアドラスに近付いて、難しい顔をする彼の唇に人差し指を添えた。
「私も秘密を知ったのだから、私も共犯ということよ。秘密とか苦労とか、そういうのって分け合えば良いじゃない?」
そして彼の目が、驚きで見開いた。
眉の皺がほどけて、目尻が下がった。
「……ありがとう」
アドラスはそう言って、私の手をそっと握った。
手仕事で荒れ、少しだけざらついた感触。
ただ優しいだけではない、だが荒くれ者とも違う不思議な強さを感じる。
「おっと、自分の話ばかりしてしまったな。アイラは私に何か話でもあったのか?」
「あ、そうだった」
しまった、バタバタして本題を忘れていた。
◆◇◆
私は、ダリアから聞かされた話をそのままアドラスに伝えた。
「ふむ、事情を打ち明けるならば冒険者の逃げ込みそうな場所を教える、と」
「……どうかしら?」
「いや構わんよ。そもそも耳ざとい者にはバレているし。アイラが信頼する友人なら問題ない」
アドラスは予想外に、あっけらかんとして言った。
私が驚いた顔をしているのを見て、アドラスが苦笑いを浮かべる。
「まあ恥と言えば恥だしあまり言いふらしたくないことではあるが、グラッサとフィデルの動向を放置して恥の上塗りになってしまう方が怖い」
「確かに……」
本当にこの話をする度に頭が痛くなる。
さっさとこの案件に蹴りをつけたくてたまらない。
「ともかく、込み入った話になるのであれば私も同席しよう。真剣な話であるとわかれば聞かされた方も多少は口が重くなるだろうし」
「ごめんなさいアドラス。あんまり手を煩わせたくはなかったんだけど」
「なに、ギルドの方もあまり頼りにならなそうだし手がかりができるのはありがたいさ。今日明日というのは難しいが、それ以降なら時間は取れる。アイラの友人にも話しておいてくれ」
「わかったわ」
私は頷く。
後でまたダリアと話をせねば。
「……でも、もしかしてアドラスは忙しいの?」
「ん? まあ暇を持て余すということは無いな。繁盛してるから痛し痒しといったところか」
アドラスは苦笑いを浮かべる。
この様子だとやはり仕事の邪魔をするべきではなかっただろうか。
「アドラスは……私に、どうして欲しい?」
「どうして欲しい、とは?」
「その、たとえば結婚した後……こういう仕事を手伝ってほしいとか、逆に手を出されたくないとか、私に望むことってあるのかしら」
「ということは、互いの家を守るという約束とは別に、ということか?」
「うん。あれはその、人生の目標とかそういうレベルの話で……もっと、毎日の生活をする上で望むことってあるのかなと思って」
私がそう言うと、アドラスは顎に手を当てて考え込み、
「逆に聞こうか。アイラは僕に、どうして欲しい?」
と、尋ね返してきた。
「どうして欲しい、って……」
考えたことも無かった。
というか、お見合いをすると決まった時点で、「余程の不逞の輩でない限りは我慢して、それでも耐えきれなければ殴って逃げよう」くらいのことは考えていたが、自分の想像以上に善良でしっかりした人と巡り会えるとは思っても見なかった。
「……よくわかりません」
「僕もだ」
あまりの肩透かし感に転びそうになる。
「ええと……無いんですか?」
「正直言うと、何をして欲しいと言われる前に、私にこうして欲しい、というところを言われるかと思っていた」
「ああ、なるほど……」
うちの姉がすみません……。
「話は変わるが、魔道具の職人というのは、他人の望みを叶えて作れて二流と言われる」
「……叶えたのに、二流?」
私は不思議に思って尋ね返した。
「ああ。言われた仕事、望まれた物を作るだけでは足りない」
「じゃあ一流はどんな人なの?」
「それは、まだ当人でもわからない望みを見いだせる者だ」
「……ううん」
私の頭ではよくイメージが沸かず、要領の良い答えが出せないでいた。
だがアドラスはそれに気を悪くすることもなく話を続けた。
「例えば……剣や槍でしか狩りをしない狩人が居たとしよう。彼らに罠や弓矢を教えたらどうなるだろう? あるいは靴を履かずによく脚を怪我する村に、靴を……あるいは草履や下駄などの履物を教えたら、どうなるだろう?」
「あっ、なるほど」
「当たり前だと思っている中にも意外と望みというものはある」
と、そこまで言ってアドラスは自嘲気味に微笑む。
「もっともそういうものを上手く見つけられるか、見つけても叶えられるかというと別の話ではあるがね」
「上手く見つけるにはどうすれば良いでしょう?」
「アイラはどうすれば良いと思う?」
また、アドラスは微笑みながら問い返してきた。
学校の講義のようでありながら、とても穏やかな気分だった。
「まずは、相手のことをよく知らなければいけないのかな、と。わからないままあれこれ言っても仕方ないって気がしてきたわ」
「そうだな。まあ君は学校を卒業して大きく生活が変わるだろうから、まずは君に僕がどんな風に生活しているかを知ってもらうのが早道になるのかな。だが僕に合わせてあれをしろこれをしろと頭ごなしに命令するつもりはないし、君の望むことが見つかるなら、共に模索しよう」
アドラスはそう言って、私の頭を優しくなでた。
「秘密とか苦労とか、あるいは未来への不安なんかも、分け合えば良いだろう? 焦ることは無いさ」




