35話
今、三人の女が仕合場に立っている。
一人はセラだ。
ゆったりとした黒いローブを着込んでおり、どういう動きをするのか読み取りにくい。
長い赤髪もフードの中に隠れている。
魔術を補助するための長い杖を手に持っていることが、彼女の戦い方の唯一の手がかりだ。
ひるがえってダリアは、丈の短い道着を着ている。
青い髪も短く切りそろえていかにも動きやすそうだ。
手には剣や杖のような長物は持っていない。
その代わり、分厚く大きい革の篭手を付けている。
篭手というより、ナックルガードに近い。二の腕から拳の先端までをすっぽりと覆っている。
この防具兼武器こそがダリアの武器であり、「金剛拳」の名の由来だ。
真剣勝負や仕合の際は金属製のものを使うが、練習ではこの革の物を使っていた。
そこから少し離れたところで、私が審判として立って二人を見ていた。
私の目から見える二人共、戦意は十分だ。ぎらついた視線がぶつかりあっている。
「二人共、用意は良い?」
「ああ、大丈夫だ。……ダリア、申し入れを受けてくれて感謝する。他の人には中々使いにくいものも使える」
「あン? どういうことよ?」
なにか二人が話し合っているが、私は気にせずに合図を出した。
「始めっ!」
『灯火は人の叡智なり、叡智なきものは人か否か!』
合図を出した瞬間、セラが手を突き出して詠唱を唱えた。
火弾の魔術だ。発動も弾速も疾い。
ダリアの身体に直撃し、だぁん! と音が響き渡る。
煙と焦げた臭いが広がっていく。
「っしゃぁ!」
「……なるほど」
これは確かに、他の人間には使えない。
私でもぎりぎり避けられるかどうか。
発動前に懐に潜り込めば勝機はあるが、先程やりあったモデーロよりは遥かに遠距離戦が上手い。
速攻のかけ方を知っている。
そしてセラは次なる魔術を詠唱し、煙幕漂う中に追い打ちをかける。
手の平から小さな火弾が放たれた。
先程の疾さは無い。だがこれもダリアに当たる。
そして煙と土埃が舞い上がり、仕合場の視界が一気に悪くなっていく。
『……ッ!』
「くっ!」
セラは何かの気配を察して距離を取った。
速攻に賭け過ぎた。
魔力をこめた強力な火弾を撃ったは良いが、明らかに撃ち過ぎだ。
気息を整えて魔力の回復に務めなければ次は撃てまい。
迂闊、とは言えない。むしろ褒めるべき覚悟だ。
長期戦の対処を潔く切り捨てて一瞬に賭けた潔さは悪くない。
それに火弾の魔術を食らって傷を負わない者など居ない。
衝撃と熱に痛めつけられ、普通はここで決着だ。
だが。
「やるね! 今のは痛かったよ!」
煙と土埃の中からダリアが飛び出してきた。
血と煤に塗れながらもまったく怯んでいる様子が無い。
それどころか、傷が無い。
血や煤はあるが、火傷は無い。
たとえ傷ついてもそれを瞬時に直したのだ。
「くっ……!」
「さあさあ! 弾切れかいっ!」
一気に距離を詰めたダリアが拳を振るう。
鋼鉄の篭手による殴り飛ばしは、ただそれだけで剣戟と同様の脅威だ。
特にダリアの篭手には攻撃用のウェイトや打突部が付いている。
それが当たりそうになった瞬間、
「食らええッ!」
最後の魔力を振り絞り、火弾を飛ばす。
ダリアの顔面にぶちあたり、皮膚を焦がす。
だがその焦げた皮膚が、みるみるうちに治っていく。
「まだまだ、燃やすには足りないねぇ!」
ダリアは火弾のダメージにも狼狽えず、拳が振るった。
篭手の打突部が、セラの顎を殴り飛ばす前にぴたりと止まる。
「はい、そこまで」
私はそこで声をかけた。
セラの方も敗北を悟り、観念している。
「あーあ、まーた道着がまた汚れたちゃったわ」
「自業自得でしょ」
ダリアの得意とする魔術は、少々特殊だ。
再生の魔術。
傷を負った瞬間に傷を癒やす、回復魔術の上位魔術である。通常の回復とは違って前もって怪我や傷を負う前に自分に付与できるので、ある意味では支援魔術に近い。ダリアはこれにより絶対的な耐久力を身につけている。
力技で倒すのが非常に困難な相手だが、それ以上に恐ろしいのは耐久力を頼りに捨て身の攻撃を繰り出すところにある。なりふり構わず血に塗れようと燃やされようと攻撃を諦めないその姿勢が「鬼」と揶揄される所以でもあった。このせいで一部の物好き以外からは練習試合すら敬遠される有様だ。それでも本人は至って平気のようで、経歴や顔に似合わず豪胆な女だ。
「勉強になった、ありがとう」
「どーいたしまして」
セラが丁寧に頭を下げ、ダリアが鷹揚に応じた。
しかしこの子も肝が太いな。
練習試合で相手が回復魔術の妙手とは言え、出会い頭に火弾を叩き込める人間などそうは居まい。
「これから先輩方が仕合うのか?」
「ええ、そうね」
セラの問いかけに私が答えた。
「礼と言っては何だが、私とモデーロが立会人になろう。武器はどうする?」
武器はどうする、という問いはつまり、真剣や本物の武具を使うのか、という問いである。
当然だが相手に重篤な負傷を負わせたり死なせてしまっては仕合の意味がない。
だがそれでも、本気の力を引き出すためには練習用ではなく本番で使う武具でやらなければ訓練にならない、ということも往々にしてある。よって五回生や六回生には真剣を使うことが許されている。治癒や回復魔術を使う人間がいることが条件となるが、珍しいケースではない。
「……アイラ。その腰に付けた物。今までと何か違うんじゃない?」
「そうね」
「教えてよ」
「教えてあげる」
私は、鞘から剣を抜き払った。
いつもの愛用の片手剣ではない。
ナックルガードの付いたサーベルだ。
また、鍔は大きく作られており装飾過剰にも見える。
だがこれは魔結晶を隠すためのカモフラージュだった。
「武器は、真剣を使うわ」
私の言葉を聞いたダリアは、釣り上がるような笑みを浮かべた。
◆◇◆
セラとモデーロが私からやや離れて控えている。
モデーロは回復魔術も使えるらしく、どちらかが怪我をしたらすぐに飛び出せる用意をしている。
セラは審判として仕合の勝敗を見極めるつもりらしい。
他にも、私達が真剣の仕合をする気配を察して練武場で練習していた人間が集まり始めていた。
「あんまり見られるのも困るし、さっさと始めましょうか」
と、私が言うとダリアがにやりと笑った。
「見られたくないモノを持ってるなら大歓迎ね」
「そっちもでしょう」
「わかる?」
どうもこういう場面となると自分を抑えきれない。
ダリアに、冒険者フィデルのことを知らないか尋ねると言う大事な本題を忘れそうになる。
ともあれそれは、仕合が終わった後のことだ。
ここのところダリアは、卒業の試練を攻略するためにダンジョンへ潜っていた。
ダリアが師事する師匠は甘い試練など出さないし、ダリアも血気盛んではあるが計算のできない女ではない。
試練を乗り越え、そして勝機を掴んだ上で私に挑みかかってきている。
そう見るべきだった。
ならば、今までのような駆け引き頼りの長期戦に持ち込むのはまずい。
さきほど練習試合をしたモデーロと同じように、嘘や謳いを織り交ぜて翻弄してダリアの体力を消耗させることが決まり手となることがほとんどだ。だが、ダリアの目を見る限り、克服してきたはずだ。どういう手段かはわからないが。
もう、卒業まであと僅かだ。
ダリアと仕合できるのはそう何度もあるまい。
出し惜しみはよそう。
「準備はよろしいか」
セラが、私達に声をかけた。
頷きもせず私とダリアは睨み合っている。
言葉を返さないことで、私達の戦意がセラにも伝わった。
セラが手をあげ、そして振り下ろした。
「はじめっ!」
「『神速』ッ!」
「てりゃあああっっっ!!!!!!!」
奇しくも、考えてきたことは同じだった。
私も、そして向こうも、初撃の必殺に賭けてきた。
瞬きほどの僅かな時間で、私とダリアは額がくっつきそうなほど肉薄していた。