32話
迷宮都市。
王都から一週間ほどの距離にある、曰く付きの街だ。
その名の通り、その街には迷宮がある。それもただの迷宮ではない、この国で最も難所とされるダンジョン『占王刻命宮』だ。二百年以上に渡って誰も最深部へと到達したことのないという難攻不落のダンジョンである。
歴史のあるダンジョンではあるが建てられた由来ははっきりと記録に残っている。この国が成立する前の戦乱時代のことだ。とある小国の占星術師が自国の王に箴言をしたが、それが王の逆鱗に触れて妻子を殺され、そして当然本人もまた投獄され処刑を待つ身となったそうだ。だが占星術師は獄中に邪神召喚の儀式を執り行って邪神と契約を交わし、脱獄を果たす。そして永遠の命と強大な闇の力を授かり、その力を振るって迷宮を建立した……ということだそうだ。
ちなみに戦国時代の動乱の最中で占星術師は元いた国の王を殺し、復讐は既に終わっている。今はただ迷宮で闇の力を振るうだけの厄介な存在にすぎない。もっとも迷宮の外に出ることは滅多に無いので国の民に危害が及ぶということも無いのだが、闇の眷属が大きな顔をして国に居座っているのはこの国の王にとって頭の痛い問題であった。
そのため国や教会、冒険者ギルドは迷宮探索を奨励しているが、今までそれが叶えられたことはない。むしろこの二百年の間、迷宮に現れる魔物を狩ることによって魔結晶や魔物の素材などを売り買いする独自の経済圏が成立してしまい、それが今や都市と呼べるほどの規模となってしまった。こうして成立したのが今日の迷宮都市レイノールである。ちなみにレイノールとは、迷宮を支配する占星術師、レイノール=バランタインの名前に由来を発する。
「迷宮都市に行ってどうするの?」
「そりゃもちろん、迷宮を攻略するのさ」
「冒険者として立志したいってわけじゃないでしょ。あなた本業は研究者だし、論文書いたり魔術の研究したりするついでに迷宮の攻略ってのは荷が重いでしょう。学校に在籍したまま冒険者雇ったほうが良いでしょうに」
「……迷宮都市に行く冒険者ってのは、大体3つくらいに別れる。知ってるかい?」
私は首を横に振る。冒険者の事情にはそこまで詳しくない。
「一つは、占星術師レイノールを捕らえようとしている人」
「できるの?」
「限りなく不可能に思えるけれど、できないとは限らない。もしそれができたとしたら王から報奨は思いのままだしね。ギルドの依頼掲示板やお尋ね者の賞金首なんか見たことはないかい?」
「あることはあるけど……」
冒険者ギルドには、最難関の依頼が張り出されていることがある。
それは、黄金竜の卵の献上であるとか、魔王の討伐であるとか、占星術師レイノールの捕縛であるとか、「どこの誰がこんな依頼を受けるんだ」と問い詰めたくなるような代物だ。そしてその報酬としてあげられるものも、公国の樹立権や大金貨百万枚、大逆罪未満の犯罪に対する恩赦など、これまた無茶苦茶だ。
つまりところ、これらはただの看板だ。学園の通りの定食屋で茹で卵100ヶ食べたら無料といったものと同じ類で、誰かに達成されることを想定していない客寄せとしてのオーダーにすぎない。
「……本気でやる人なんているってのが驚きなんだけど」
「夢に生きる人はいるものでね。ま、実際は少数派だけど」
そりゃそうだ。そんな夢想家がたくさんいてはたまらない。
「2つ目は、魔物狩りが主目的の人。これが一番多いだろうね」
「まあ確かに」
レイノールの占王刻命宮では、レイノールの闇の力によって常に強力な魔物が生まれ、迷宮の中をさまよっている。その魔物の強さは自然発生したダンジョンの比ではない。どのダンジョンも危険であると同時に素材や魔結晶の鉱山という側面を持つが、占王刻命宮こそが国内において最もその恵みが豊かであると言える。
「そして最後……。レイノールに弟子入り志願する魔術師さ」
「……それ、闇の眷属になるってことじゃないの?」
それはもはや人間やめますかの領域ではないだろうか。
だが私の胡乱げな目を気にせずにディエーレは話を続けた。
「違うよ。というかレイノール自体、魔術師協会の名誉会員だし」
「え、なんで?」
「数十年に一回くらい論文出してくるんだよ。ここ四、五十年くらいは出してないから知らない人多いけど」
「……意外と気さくなのね」
「まあ身分や気位の高い人は嫌いで偏屈者ってところもあるらしいけどね。でも迷宮で功績を認められた人はレイノールに教えを受けることもできる」
「なるほど」
「ただまあ闇の眷属であることには違いないから、怪しげな目で見られることも多いけどね。特に教会の連中は嫌ってるし。でも魔術師としてはまた別の話さ」
「……それ、あなたにとっても?」
そう問いかけると、ディエーレは蠱惑的に笑った。
そして、イエスともノーとも言わずに、
「一緒に行かない?」
と、私に尋ね返した。
「だから私は結婚するって……」
「別に結婚を取りやめて行こうってわけじゃないよ。結婚する前でも後でも、一年くらい一緒にやってみない?」
「そんな我儘通らないってば!」
「じゃあアイラはさぁ、結婚してどういう生活を送るの?」
「それは……」
逆に聞かれて言葉に詰まった。
私はアドラスと結婚する。
その意思は堅い。
だが結婚してからどうする? というビジョンを問われると、思いつくことは……
「……領内の防衛強化?」
「そんなスパルタな回答来るとは思わなかったんだけど」
「だ、だって、私ができることってそれくらいだし……」
領地の境界線の防備や、賊、魔物への備えなど、ウェリング領の弱いところをなんとかせねばならないと思っている。
だが、それはあくまで約束の履行であり、つまりは仕事だ。
二人でどんな関係を築くか、どういう夫婦になっていくのか、ということを考えると……
「ディエーレ」
「なに?」
「ごめん、ちょっと具体的に考えられない」
彼が私に伴侶として何を求め、そして私が彼に何を求めるのか、さっぱりわからない。
「一緒にいたらうまくやっていけそうだなあ」というなんとなくでしか考えていなかったことを自覚させられた。これは、アドラスと話し合わなければならない。
……ただ、デート一つで顔色を変える状態でうまく話し合えるのかよくわからないが。
そしてディエーレは私の答えを聞いて、ははぁと溜息を付く。
「まあ私はパーティメンバーを募って迷宮都市に行くから、気が向いたら来てよ」
「ん? パーティを募るってことは、もう誰か居るの?」
「ギリアムとダリアは口説いたよ」
「へぇ……」
うっ、今ちょっと「面白そう」と思ってしまった。
自分自身が敬意を払える相手と冒険できるのは楽しいに違いない。
あ、でもアドラスと組んで冒険もしてみたい。
おそらく鎧や魔剣だけではなく他にも隠し玉を持っているだろう。
学校には居ない珍しいタイプだ。
おそらく私達と組めばかなりいいところまで……
……って、違う違う。そうじゃない。誘惑に乗ってはいけない。
「ま、頭の隅に置いといてよ」
「返事は期待しないでほしいけど、誘ってくれたことはありがとね。……さーてと」
私は立ち上がり、軽く屈伸する。
「ん? どこか行くの?」
「ダリアをしばきにいく」




