3話
何故か給仕の男と協力して、椅子を並べて即席のベッドを作り彼の体を横たえた。
その間に私は食事を済ませることにした。宴席や饗応において主賓ほど食事にありつく時間が無いというのは貴族の悪しき伝統と思うので、気にせず平らげることにした。特に白身魚のムニエルが絶品でありシェフを褒めると、どうやら給仕役の男がシェフを兼ねていたらしく、嬉しそうに私の賛辞を受け取ってくれた。ムニエルはバターをけちらずに使うのがコツなのだそうだ。また、香り付けに柑橘の果物と山葡萄を混ぜた自作の香料を使ったらしい。こってりとした味わいの中に清々しさがあるのはこのためだったのか。私も今度真似してみよう。そしてデザートはプディングだ。この料理のべた付かない甘みは王都でも口にできない上品な味わいだった。ただ砂糖を使うだけではなく、とある酒を隠し味にしてるのだと給仕は自慢げに語るが、どんな酒を使うかまでは語らなかった。先程のムニエルの香り付けとは違って、こればかりは秘密にしたいようだ。私も無理強いして聞き出すことはせず、素直に味わいを楽しむに留めた。
そして、アドラス殿は半刻もしない内に目を覚ました。
「……む、寝てしまったか」
給仕は気まずい顔をしつつ、グラスに水を注いでアドラス氏に渡した。アドラス氏は一息に飲みほす。
「……ブルック=ウェリング男爵の長男、アドラス=ウェリングだ。よしなにお願い申し上げる」
「自己紹介は聞きましたが……」
ここからか、と脱力しそうになる。
「……私は姉の不行状の詫びと、あなたとの縁談について話に参りました」
「ああ」
「ですがあなた様の方からもお詫びを聞きとうございます」
怒気を抑えたいところではあるが、流石に私もちょっと怒っている。
というか、こんな有様を見せられて際限なくどうぞどうぞと許し譲っていたらウチの家の立つ瀬が無い。
「それもそうだな。ではまず詫びの前に僕の言い訳を聞いてもらえるだろうか」
「ええ」
「一週間だ」
「……一週間?」
「一週間、僕はまともに寝ていない。それもこれも、グラッサが居なくなったことの尻拭いだ」
「うっ……」
そしてアドラス氏の口から流れ出てきたのは、やはりというべきか、姉への愚痴だった。
驚いたことに、最初に私の家とアドラス様……ウェリング家との縁談の話が持ち上がったとき、私も候補に上がっていたらしい。ウェリング家の当主のブルック氏は私の方が良いのではないかと思ったそうだが、父の強い後押しで私ではなく姉となった。当初、ウェリング家としては別に気にしていなかった。見合いの席を設ける前の釣り書を読む段階であれが良いこれが良いなどと我が儘を言っても仕方ないだろうと。
「最初は、グラッサも穏やかだったんだ」
「……猫を被っていたんですね」
「猫……ああ、そうだろう。癇癪を起こした彼女は中々凄かったな」
お見合いの後、アドラス氏は姉を夜会や晩餐会をエスコートしたり、王都出張の仕事に合わせての王都見物に誘ったりなど、甲斐甲斐しく付き合っていたようだ。手ずからの魔道具を贈ったり、あるいは逆に召し物を送られたりと、ごく普通の貴族らしい逢瀬を重ねていた。だがそれも長くは続かなかった。姉のグラッサの本性が、アドラス氏に現れ始めた……というよりも、アドラス氏に牙を向いたのだ。
「まあ、婚約者の望みを叶えられなかったのは僕の責も大きい」
いや、どうだろう……。
姉は不機嫌になると物に当たる人だった。割られた壺や花瓶など両手では利かないほどだ。
という思考が顔に出ないように、平静を装って食後の茶を飲む。
「だがそれでも、癇癪を起こされて青の魔結晶を砕かれたのは正直痛かったよ」
「ぶはっ」
「だ、大丈夫ですか?」
給仕役が慌ててハンカチを渡してくる。
「ま、魔結晶を砕いたぁ!?」
「ラーズ公爵から直々に注文頂いた永久時計の核が壊れたのは正直厳しかった。かの公爵の三男の成人祝いとして、直々に注文されたものだったからな」
魔結晶とは、魔道具の核となる部品である。
魔道具を動かす燃料であると同時に、魔術や仕掛けを刻み付けることに使用される。これが無くては魔道具は一切機能しない。赤、黄、緑、青、紫、そして白の六色があり、白に近づくほど高級品だ。もっとも白魔結晶は王族や上級の司祭しか使うことが許されていないため、実質的には紫が最高級品となる。そこから一段下がる青魔結晶も十分に高級品であり、永久ランプに組み込めば十年以上手入れせずに煌々と明かりを灯し続ける。そうした魔道具を商人から買うとしたら、馬車とそれを引く馬を丸ごと一式買うのと同程度には高価な代物である。
「そ、それは……まっ、まことに、もうしわけ……」
「いや、いいんだ。忙しいことを言い訳に婚約者に構ってやれなかったことは僕の咎だ。賠償を求める気もない。代わりの魔結晶もちょうどよく冒険者から安く譲ってもらえた」
「で、ですがその時計は……」
「公爵から指定された納期は火月の10日。つまり一昨日だ。そして彼女……グラッサが青魔結晶を壊してここを出奔したのは今月の頭。そして、魔結晶に魔術を刻みつけるにはまず二週間は掛かる」
ひっ、と息が漏れそうになるのを気合で堪えた。
ラーズ公爵は我がカーライル家と同じく武門の家である。謹厳実直にして質実剛健。今の当主は格にも才にも恵まれ、一軍を率いる大将軍である。王家からの覚えもめでたく、少なくとも男爵家程度では彼に人睨みされただけで吹き飛んでしまう。父や父の同僚の騎士すらも、彼の名を聞いただけで震え上がる傑物だ。そんな人物から直々に仕事を貰ったということも驚きではあるが、彼の子の祝いの品に「間に合いませんでした」などと言えばどうなるか、火を見るよりも明らかである。
「僕も仕事の失敗で家を危機に陥れる暗愚になりたくはない。ラーズ公爵の怒りを買わないよう死ぬ気で間に合わせたさ。5日間寝ずに働いて魔道具を完成させて、馬に鞭を打って公爵に直接届けた。公爵様からもお褒めの言葉を頂いたよ。自分で言うのも何だが最高傑作だった……時間をかければ良いものができるというわけではないね。ここまで集中して命がけの仕事をしたことは今までなかった。その点では君の姉に感謝せねばなるまい。だが、だがね。それでも僕自身、怒りを抑えきれないことがある。君にわかるかい」
「は、はい……姉の不義理と浅慮で……」
そう言いかけたところ、アドラス様は「違う」と言葉をかぶせてきた。
「別に結婚が嫌なら嫌で良いとも。まさか駆け落ちなんて馬鹿な真似をするとは思わなかったが、僕は別に納得の行かない結婚を強要するつもりなどないし、仕事にかまけてグラッサのことをあまり構ってやれなかったのも事実さ。青魔結晶が壊された件も、僕の管理の甘さがあった。ラーズ公爵に陳情するとか、カーライル家に対し何かを償ってもらうとか、そういうことは一切考えていない。無かったことにしたいならそれで良い、水に流そう。君の父……グレン殿にそう伝えてほしい」
「そ、それでは、何を……?」
私が尋ねると、アドラス様は人差し指と中指を立てた。
そして中指を降りながら、
「一つは、きみがここに居ることだ」
「……私に、ご不満が」
お見合い相手として不適格と言われることを、想像していなかったわけではない。姉に比べて器量が劣るのは最初からわかっていた。しかしこうして面と向かって怒りを露わにされるのは流石にショックだった。
「違う」
あれ?
「きみが通っているエルンスト魔術学校だが、職員や講師に知り合いが何人か居る。あそこは貴族の社交場などではなく、実学を重んじる数少ない学校の一つだと僕自身よく知っているとも」
「そうなのですか……」
もっともそうした清廉潔白な気風が強いために貧乏学生が多かったり、あるいは就職先を探すにも同窓の縁故が使えなかったりする。まあ研究一筋に生きるのであればアドラス様の言う通り素晴らしい環境だとは思うのだが。
「そこに通う真面目な学生を、家の尻拭いのために結婚させるなど間違っている! 貴族として意に沿わない結婚もやむを得ないかもしれない、だが学校に通うからにはきみには夢や大望があるのだろう! それを曲げさせて人質のように結婚させようなど、僕は同じ学究の徒として納得が行かない! グレン殿は何を考えている!」
……えっ。
いや、あの。私は姉から離れたくて学校に通っていたので、そんな大きな夢や目標とか無いです。
などとはとても言えない雰囲気だ。
どうしよう。本気で怒っている。
怒ってくれている。
「そして、もう一つ」
アドラス様は人差し指を折り、拳を握る。
良かった、今の話を掘り下げられたら困るところだ。
しかしもう一つの怒りとはなんだろうか。
戦々恐々としながらアドラス様の言葉を待ったが、彼の口から出たのは全く予想外の言葉だった。
「……次の仕事も急ぎなんだ」
「へ?」
「僕は、この見合いはせめて来月に回してくれと頼んだんだよ。だがグレン殿がとにかく急いで面会してお詫び申し上げたいと言うものだから、父も折れて招いてしまった。でも僕には余裕など無いんだ」
「ええ……」
何をしてやがるお父様。いや、ブルック様もブルック様だ。
もう少し胸襟を開いて私に事情を教えてほしい。
「今寝て身体を休めなければ次の仕事に間に合わないんだよ! すまないがもう寝かせてくれ!」
と、アドラス氏は断末魔のごとく叫んだ。
そして力尽きたのか、また椅子へと倒れ込み、寝息が聞こえてきた。
給仕役とともに彼を寝室へと運び、彼が安らかな休息を得られるように祈った。