29話
今私は、王都の中央駅舎に居る。
実家から戻ってきたときも利用した乗合馬車の駅舎だ。
出発待ちの人や待ち合わせの人のための外のベンチに腰掛け、そこから見える景色を眺めていた。
スリや押し売りが邪魔くさそうにこちらをちらちらと見てくるが、完全無視の構えだ。相手をする余裕などない。
さて、そろそろ着く頃だろうか……。
もっとも、乗合馬車の到着時刻などあてにならない。
別にこんなところで待つ必要なども無いのだが、屋内でお茶を飲みながらゆっくり待つというのも性に合わない。
ここのところ天候も悪かったし遅れるだろうか……。
そう思っていたときだった。
がたがたと木の軋む音と馬の蹄が地面を蹴る音が響いてくる。
音の鳴る方へ目を向ければ、何台もの馬車が寄り集まって駅舎へと向かってきている。
来た。
「押さないでくださーい! 待ち合わせの方々は離れて!」
駅舎の職員達が交通整理を始める。
馬車の荷台に乗っていた人間が飛び降りて荷降ろしの準備を始める。
馬をつなぐ下人や荷役達が慌ただしく動く。
どこだろう。様々な人が行き交うのを眺める。この中に居るはずだ。
近くに座っていた人が、私と同じように首を伸ばして待ち人を探していた。不思議な共感を感じる。
降りていく方に目を向ければ、いかにも物味遊山のために着ましたという好奇心を隠しきれない人もいれば、慣れた様子で駅舎から去り大通りへすたすたと歩いて行く人もいる。冒険者らしく立ち振舞いに隙の無い者も居る。乗り換えて迷宮都市でも目指すのだろうか、駅舎のベンチにどかりと座った。そんな人間とは逆に、いかにも足元の覚束ない人間もちらほら居る。慣れない旅路で体調でも崩したのだろう。
馬車はけっこう当たり外れが激しい。車体がぎしぎしと揺れて乗り心地の不安定なものもあるし、あるいは御者の馬の扱いが下手だったりすると、押し込められている乗客の体調は当然悪くなる。一時間二時間ならともかく何日という単位なのだ。徒歩や馬の旅よりは楽かもしれないが、それでも消耗は免れない。最初から自分の家の馬車で来れれば良いのだろうが、余程の重大事でもなければ難しい。
そして今駅に遅れてたどり着いた馬車を見ると、これはまた見るからにハズレだった。おそらく馬車の車体が歪んでいるのだろう、がたがたぎしぎしとうるさいくらい音を立てて、辛うじてやってきたという有様だ。御者も馬も見るからに疲弊している。
なんともあの馬車の乗客は可哀想だな、と思って降りてくる人の顔を見てみる。
降りてきたのは若い金髪の、優しげな顔の男だ。
服装からして貴族だろう。身分も低くないだろうにご苦労なことだ……って、
「……アドラス?」
「やあ、アイラ」
彼は、力ない様子で手をあげてこちらに返事をする。
「ちょ、ちょっと! 大丈夫!」
◆◇◆
よろよろと動くアドラスを椅子に座らせ、駅舎の職員から水を貰ってきた。
駅員も馬車の不手際だったことはわかっているらしく、申し訳なさそうに頭を下げる。
「はい、どうぞ」
「すまない……いやひどい目にあった」
「……どうしたの?」
「まず、旅の途中で馬車が壊れた。車輪と車輪をつなぐ軸が曲がって……まあ詳しいことはともかく、修理だなんだと慌ただしくなって。いや僕も馬車の手入れをするなど中々機会が無いものだからつい手伝ったりしてね」
あ、この人ちょっとバカだ。
「もう、乗り換えれば良かったのに……」
「そうしようと思ったんだが……」
と、言いかけたあたりで、杖をついた高齢のご婦人が近づいてきた。
「アドラス様、ありがとうございました」
「お互い無事についたほうで何よりです、ミルトバレー夫人」
「本当にごめんなさいね……」
「旅にトラブルは付き物ですとも、気になさらず」
アドラスは見るからにやせ我慢ですと言った様子だ。
本人はさらりと流したいのだろうが、顔色まではごまかせない。
「奥様! 出発の準備ができました!」
「あら……ごめんなさい、そろそろいかなくては」
「ええ、それではお達者で」
話しかけてきたご婦人は、使用人か何かに呼ばれて申し訳なさそうにさっていく。
「今のご婦人は……?」
「同じ馬車で相席した人だ。馬車が壊れた後に乗り換えられる馬車を探したんだがどこも混み合っていてね……。流石に脚を悪くしたご婦人を押しのけて私が乗るわけにもいかないし」
「な、なるほど……」
「御者と一緒になって馬車を直して、動けるようになったは良いが所詮は応急処置でね……いやこんな酷い乗り心地の馬車は生まれて初めてだったとも……」
人の良い御方だ。
王都で会ったらどうしよう、何を話そうなどと考えあぐねていた自分が馬鹿らしい。
この人は、この人なのだから、当たり前に接すれば良いのだ。
気取っていない私を見て笑うような、偉ぶった人じゃない。
「すまないが、ギルドに行くのは後日でも良いかな」
「当たり前です! ちゃーんと休んでからにしてください!」
「うむ、ありがとう……。ギルドに行った後は少し案内しよう。空中庭園に備え付けた魔道具は僕が納めたものでね。話を通せば関係者と一部の人間にしか見れない場所が……」
「アドラス」
「うむ」
「息も絶え絶えな顔でそんなことを言われると、遺言みたいで不吉です」
「僕は死ぬつもりなど毛頭ないが、うむ、善処する」
真面目くさった顔でそんなことを言うものだから、つい私も笑いがこぼれてしまう。
「……楽しみにしてますから」
「楽しみにしててくれ」
◆◇◆
……さて、このあたりに回復術師は居ないだろうか。
冒険者ギルドの前や駅舎の近くなど人が多く怪我人も出やすそうなところでは、回復魔術を使える人間が小銭稼ぎ目的でうろついていたりする。大体は学校の生徒や教会の下っ端などでありさほど技量も高く無いが、ころんだ擦り傷や車酔いを覚ます程度ならばそれでも十分だろう。
教会の人間らしい白衣の人間を探すと、ちょうど良く見つけた。
「すみませんそこの術師様。回復をお願いしたいのですが」
「あ、はーい、大銅貨で5枚……って、アイラ?」
「うっ、ダリア……」
運悪く、このあたりに居た術師は知り合いだった。
しかも、果たし状を貰ったばかりの相手。
学園で最も回復魔術を得手としながらも勇猛果敢な女、「金剛拳」のダリアだ。
白い修道服を着て同じく白い帽子を被りながらも、女らしからぬ長身と、負けん気の強さがそのまま現れたような強い緑の瞳は、回復術師らしからぬ強靭さを醸し出している。そんな雰囲気の女だった。
「……『うっ』って何よ。呼び止めたんだから回復魔術かけてほしいんでしょ。どっか怪我でもしたわけ?」
「私だ」
「おっとそちらさんね、どこの調子が悪いんだい」
「壊れた馬車にずっと揺られていて酔いが酷い。それと背中も」
「あーあー、よくあるねぇ。それじゃあ……」
ダリアは歌うように祝詞をつぶやいていく。
『陽の光よ癒やせ癒やせ、身体の影を塗りつぶせ』
学生であると同時に太陽神の教会に務める彼女は、こうした怪我や疲労の回復、病気の治療などで頼りになる。口は悪いが、頼りになる良い奴だ。
「うむ、助かる」
アドラスは財布を開き、大銅貨を渡す。
ダリアはそれを満足そうに受取った。
「太陽神のご加護がありますように。辻説法は省略して良いわね?」
「ありがとう、ダリア」
「普段からそうやって殊勝ならこっちも助かるんだけどねぇ」
ダリアがにやにやしながら揶揄する。
素直に礼を言ったらこの調子だ。
「果たし状は受けてあげるんだからお礼くらい素直に受け取りなさい」
「おっ、じゃあ練武場の予約しとくよ? ……ところで」
「なに?」
「聞いて良いのかわかんないけど……どういう関係?」
ダリアは興味深そうに私とアドラスの顔を見る。
流石に誤魔化すわけにもいかず、恥ずかしさをこらえて正直に答えた。
「……こ、婚約者」
「婚約者」
きょとんとした顔でダリアは呟いた。
が、すぐにはっとして、驚愕に顔を歪めた。
「婚約者って、あ、あんたが結婚!?」
「け、結婚くらいするわよ」
「そ、そんな……狼と恐れられたアイラに先を越されるなんて……!」
「あ、あんただって鬼とか言われてるじゃないの!」
などとやいのやいの騒ぐ私達のやり取りを見ていたアドラスが咳払いをした。
「あー、おほん、自己紹介をさせてくれても良いかな?」
「ご、ごめんなさいアドラス」「す、すみません」
ダリアに目で「お前がはしゃぐからだぞ」と抗議をしつつアドラスに謝る。
ダリアはすっとぼけた顔をして私の目を無視する。くそう。
「ブルック=ウェリング男爵が長男、アドラス=ウェリングです。領地を経営する傍ら、魔道具作りを生業としている」
「は、はい……ダリア=メルガードナです。エルンスト魔術学校の学生、です」
丁寧な挨拶に面食らったのか、ダリアが珍しく敬語になった。
「アイラとは友達のようだが、これからも仲良くしてくれると僕も嬉しい。それと回復魔術も良い腕だ。助かった」
「いっ、いえ、とんでもない! そ、それじゃ私はこれで!」
ろくに話もせずにダリアはばたばたと去っていく。
なんだあいつ。
「あー、もしかして気分を害してしまったかな?」
「いや、そんなことはないと思うけど……。まああの子も忙しいし」
そういえば彼女、卒業の試練は上手く行ったのだろうか。聞きそびれてしまった。
……ま、良いか。学校でまた会えばすぐにわかることだ。
「さて、体調も戻ったし……荷物や旅装も解かねばな。すまないが一旦、宿に戻ろうと思う」
「宿? 宿屋でも予約したの?」
「いや、こちらに魔道具工房の支店があるんだ。王都に来るときは基本的にそこで寝泊まりしている」
「へぇ……」
ちょっと……というかすごく羨ましい。
王都の宿代や部屋の賃料は高いのだ。
学生の場合は寮に住めるし官職についている人間は官舎が用意されるが、どちらでも無い人間にとっては宿代が中々馬鹿にならないほど出ていく。王都でちゃんと住める場所を確保しているのは一種のステータスとも言える。
「ではアドラス、ギルドに行くのはまた明日にでも」
「うむ」




