28話
エルンスト魔術学校の朝は大して早くない。
妙に宵っ張りが多く他の学校からはだらしないと思われている。
一回生から四回生あたりまでは群ごとに決まったカリキュラムを消化することになっているので規則正しい生活を送っているが、それより上の五回生と六回生は好きな講義を選択することができるようになる。極端な話、授業を一切選択せずとも良い。
だがその代わりに、自分の師となる人間を選んでその門下に入らなければいけないのだ。そして師から与えられる試練に成功することができなければ卒業ができない。
試練は門下によってまちまちだ。ごく簡単な試練しか出さない師もいれば大変な試練を課す師もいる。どの門下も修行期間というべきものを設けているのでいきなり卒業の試練を与えられることが稀ではあるが。
そんなわけで、卒業をさっさと決めてぶらぶらしている学生も居れば、師匠にしごかれて毎夜毎夜学校に泊まり込む学生もおり、傍目から見たら「どうもだらしない」というレッテルを貼られてしまうのだ。
ただし、私と同じ闘争の群はそれなりに生活時間帯が安定していることが多い。体を動かす人間にとって規則正しい生活は大事だ。特に私の魔術の師匠、テンドー師は朝が早い。熟練の支援魔術使いであると同時に、拳法や健康法といった物事に造詣の深い珍しいタイプの魔術師だ。日の出と共に起き出して学内の中庭へと赴き、朝餉を取る前に独自の呼吸法を組み入れた体操をするのが日課であり、不健康不摂生を絵に描いたような魔術師が多いこの学校における良心である。だから今日もいつもと同じく、門下生とともに朝早くから行動していた。
「おはようございます、テンドー師匠」
「おかえりなさい、アイラくん」
学校の中庭、道着を着た壮年の男性に声をかけた。この人がテンドー師である。
髭はなく顔にも皺はすくないが、オールバックにした髪には白髪が混ざり始めている。背筋はピンと伸びていて立ち振舞いにはメリハリがあるが、言葉遣いは丁寧で昔のしきたりにも詳しい。どこか年齢不詳な気配のある人だった。
「慌ただしい帰郷だったようだが、壮健のようだね」
「はい、突然のことですみません」
「構わない。アイラくんは卒業の課題もこなしているし……ふむ」
「ん? なんでしょう?」
「……憂いの無い顔をしている。何か吉報でも?」
「あ、いえ……その……」
……一目見て見破られてしまった。やりにくいなぁもう。
「実は……結婚が決まりまして……」
「ほう! それはめでたいな!」
テンドー師は珍しく驚いた顔をしていた。
これを話すと皆ビックリするな……まあ驚く気持ちもわかるのだが。
「では婚家にはすぐ行くのかね?」
「いえ、卒業してからになります」
「そうか……。ならば残り少ない学生生活、充実に過ごしたまえ。どういう進路を進むにせよ、学んだ物は失われないのだからね」
「はい!}
テンドー師は私の返事を聞いて、嬉しそうに頷いた。
「ところで、きみに果たし状を預かっている」
「うっ……果たし状ですか」
「ダリアくんからだ」
しまった……これがあったか。
果たし状と言うのは試合の申し入れだ。このエルンスト魔術学校において、特に闘争の群に属する者は、自身の強さで魔術の技量を示さねばならない。早い話が、この学校で一番強い人間が主席だ。そのトップは隣人にして友人のディエーレである。彼女は闘争の群に属しておらず試合をする義務は無いのに、興味本位で参加して首席に上り詰めた。
第二席は男性の剣士であり、その次に私と来る。主席と第二席の強さは盤石で不動の地位を誇っているが、第三席から第五席の実力は拮抗しており、ここ一年程は目まぐるしく代わっていた。
「試合の日時を決めて連絡してあげなさい」
「うう……わかりました」
ダリアか……。彼女にはこの席次は譲りたくない。
彼女は先月まで第三位の席次だったが、私が勝ったことにより第四席へと落ちた。
おそらくまたその席次を取り戻すべく鍛錬を重ねていることだろう。
忌憚ない意見を言えば勝ち逃げしたくもあるのだが、流石にそれは不義理というものだろう。
また、直下の席次からの挑戦を受けるのはこの学校における義務の一つだ。
……それに私はこの帰郷の紆余曲折によって新たな強さを得た。
向こうが鍛錬を積んでいるとしても、私だって過去のままではないのだ。
となれば、善は急げだ。
私は彼女がよく出没するであろう、練武場へと向かうことにした。
◆◇◆
学内の練武場は、ここの学生全員が使用できるトレーニング場だ。
魔術を使っても建物が壊れたり火事や落盤が起きたりしないよう特殊な仕掛けが施されており、加減をせずに攻撃のための魔術や魔道具を実験できる。その他にも鍛錬のための器具や剣道場などが備えられており、学校というより軍隊みたいだと揶揄されることも多い。
さーて、目当ての人はいるかしら……と思って見回すと、居ない。
まだ来ていないか。
適当にあたりを見回す。居なければ自分も軽く鍛錬をしておこう。
そう思って適当な木剣を探そうとしたところ、二人組の知り合いと出会った。
「おや? アイラさん、お戻りになっていたんですね」
「よう、おひさ」
丁寧な物腰の金髪の男性はギリアム。がっしりした体格の割に目元の涼やかな男だ。物腰と同じく性格も実直だ。様々な生徒からの信頼が厚く、だがその強さ故に恐れられている男である。
そしてざっくばらんな態度の、茶髪に無精髭の男はロック=マグナフィ。ちゃらついた態度が板に付いた男で妙に交友関係の広い男だ。二人共気性は正反対だが妙に仲が良く、二人で行動している姿をよく見かける。
「おはよう、ギリアム、ロック。二人共、朝から鍛錬?」
「ええ、ロックにお願いしましてね。アイラは?」
「ダリアを探しに来たんだけど……居ないみたいね」
私の言葉を聞いたロックがぼやくように答えた。
「あいつなー、卒業の試練をこなすの忘れてて、今頃必死になってダンジョン潜ってるぜ。ったく、先生の言うこと素直に聞いてりゃ良いのに」
「あ、なんだ」
肩透かしも良いところだった。
「なんかあったか?」
「果たし状貰ったのよ。でも本人が居ないんじゃ仕方ないわ」
「お前一ヶ月休むって言ってたし、まだ戻ってこないと思ってるんだろ」
「あー、そっか」
「早くダリアに負けて四席に落ちてきてくれ。俺が果たし状を出せねえ」
「嫌よ。というかあなたがダリアに申し込めば良いじゃない」
ロックは第五席であり、私が探していたダリアは第四席だ。
ヒトケタの席次の人間は、一つ上の人間に対してしか挑戦権が無い。
ロックはダリアにしか挑戦できる、ダリアは私にしか挑戦できないのだ。
「あいつなー、嫌なんだよなぁ……血まみれになるし。あいつが」
「あの子、剣でも魔術でも全部食らうって前提で来るからね……勝つとか負けるとか以前に、怖い」
ロックがうんうんと頷く。
「そういえばアイラさん。急に休みだったようですが何かあったんですか?」
「あー、うん、まあ……」
ディエーレの昨日の話を思い出す。
二人とも信用出来ないわけではないが、あまり迂闊には話せないな……。
話し方を少し間違えるだけで、私の家とウェリング家の醜聞を広めることになりかねない。
ロックは子爵家であり貴族だし、ギリアムは爵位こそ無いが一代貴族が授与されてもおかしくない功績の持ち主だ。
ディエーレのような完全な平民とは違う。
二人には悪いがここは全部打ち明けるのは避けよう。
「えっと、その……お見合いを勧められて」
「ほう」「へえ」
二人が驚いた顔を見る。
「貴族は大変ですね」
「まあ俺も婚約者は居るしな……しかしアイラが結婚か」
「珍しいものを見るような目で見ないで欲しいんだが」
「いや、そんなことはありませんよ。しかし」
「ん?」
ギリアムが興味深そうに私を眺める。
「……見合いの話はともかくとして、強くなりましたね?」
「へ?」
あ、まずいな。
やる気になっている。
顔つきが嬉しそうだ。
木剣を掴む手が、木剣を握る手になった。
「やめろ」
ロックが木剣の柄でギリアムの頭を軽くたたいた。
「なんですかロック、いきなり無礼な」
「お前の方が無礼だろうが」
「私の席次から言えばアイラさんと仕合うのはごく自然な流れでしょう」
「アイラの方から挑戦するならな。お前が挑戦できるのはディエーレじゃねえか」
「彼女も気が乗らないと全然相手してくれないんですよ」
ギリアムと言う男、いかにも誠実そうな顔をしているくせに剣呑であった。
闘争の群において、闘争というものを最も渇望している。
剣術の研鑽を誰よりも高く積み上げ、体力も筋力も生徒の中では随一。
さりとて魔術を学び使うことも厭わない。
そして強いとあれば男だろうが女だろうが手加減抜きで挑んでくる、まさしく狂戦士だ。
「ま、ともあれそのうち挑んでください。私はいつでも受けますので」
「お前、嫁入り前の女を傷物にするなよ……」
ロックが顔に手を当てて呆れる。
「誤解を招く言い方はやめてくださいよ、ロック」
……しかし、しかしだ。
魔道具を使っての勝負であれば勝算はあるかもしれない。
だがその一方でロックの言うことももっともだ。
今斬ったはったをするのもちょっと考えものという気もする。
「ま、ともかくダリアが居ないなら行くわ。それじゃあまたね」
「ええ、それではまた」「じゃあな」
◆◇◆
こんな風に、友人知人達に帰還の挨拶と結婚報告を済ませていった。
ディエーレ以外の友人に対して実家での騒動についてはぼかして説明し、隣の領地の貴族と結婚すること、結婚に不満が無いことを説明した。口さがない友人などからは「アイラに先を越されるだなんて思っていなかった」などと毒かれつつも、祝いの言葉を贈ってくれた。相手の顔を見せろだのなんだの言われているが、見世物扱いする気もないので有耶無耶にして話を切り上げた。
その後はディエーレの部屋の片付けに丸一日を費やしたり、魔道具の教本を借りて読んでみたり、師匠の元で魔術の鍛錬をしたりと、あれこれつまみ食いするように物事に取り組んでいるうちに時間は過ぎ去っていく。
そうしている内に、アドラスが王都に来る日がやってきた。




