23話
むくつけき男のいびきが、静かになった。
そして鬼のような太い眉が、ぴくりと動く。
「む……うう……」
「あ、目を覚ました? 丁度良かった」
「……はっ、け、決闘は……?」
呆としたコネルの目に光が宿った。
完全に目を覚ましたようだ。
「お前の負けよ、コネル」
「なんだと……ぐっ! なんだこの縄は!」
「暴れられたら厄介だからね」
「くそっ、ほどけ!」
縛るための縄をほどけと言われてほどくわけがあるまい。
大体私だって好きでやってるわけではないのだ、倒錯趣味じゃあるまいし。
しかしコネルは現状を受け入れず、じたばたともがいていた。
「大体ここはどこだ!」
「ウェリング家の屋敷の中に決まってるでしょう。外に転がしておかないだけまだ優しいものよ」
「……手下どもは!」
「帰らせたわよ。もう朝なんだからいつまでも領地の外にたむろしてて良いわけないでしょ」
「ちっ……!」
コネルはようやく状況を把握したようで、もがくのをやめて大人しくなった。
私はウェリング家の使用人達と共に、屋敷の空き部屋で気を失ったコネルを見張っているところだった。ある人が来るまで、ここでコネルに逃げられるわけにはいかなかった。
しかし、まだだろうか……。
軽く仮眠は取ったが、やはり仮眠は仮眠にすぎない。
と、そう思っていた頃に部屋の扉が開いた。
「すまないな、待たせた」
アドラス様だ。
そして彼の後ろから、三人の壮年の男が入ってくる。
「アドラス様!」
「疲れただろう、アイラ殿。そろそろ休まれるが良い」
「いえ、私は大丈夫です。アドラス様もほぼ徹夜でしょうし……」
アドラス様の気遣いはありがたいが、まだここで休むわけにはいかない。
そしてアドラス様と共に入ってきた三人のうち二人――我が父グレン、そしてアドラス様の父のブルック様に声をかける。
「父上、ご足労ありがとうございます。ブルック様も助かりました」
「うむ、よくやった」
「礼を言うのはこちらだ、ありがとうアイラ殿」
もう一人の男性には、どう声をかけて良いかわからず目礼するだけにとどまった。
「コネル……お前、なんということをしてくれたんじゃ……!」
「ぐっ……!」
最後の一人はコネルの父、ジェイムソン男爵であった。
つい先日あったときは老いつつもなお意気軒昂といった様子だが、今は血相を変えて慌てふためいている。
「すまぬ! 俺等はウェリング家とも、もちろんカーライル家とも敵対するつもりはないのじゃ!」
両膝を付いて、ブルック様にジェイムソンは詫びた。
だがそれを見て、コネルが血相を変えた。
「やめろ親父! 情けない真似をするんじゃあない!」
「情けないじゃと! 貴様がこんな阿呆な真似をするからじゃろうが!」
「あー……親子として話すことも多かろうが……それは後にして頂こう」
コネルとジェイムソンが口論する気配を感じ取ったのか、ブルック様が口を挟んだ。
「む……すまぬ。まずは交渉が先だったな」
他領にケンカを売って逆に捉えられたということであれば、これはもう誰もが認める人質だ。
そして人質を解放するために必要なものはいつの時代も同じだ。金である。
だが、ブルック様は首を横に振った。
「それもあるが……いったいなぜこんなことを……?」
「魔道具なり金なりを自分の懐に入れようとしたんじゃろう。違うか」
ジェイムソンは溜息を付きながら問いかける。
コネルはおとなしく頷く……かと思いきや、ぎろりと自分の父親を睨めつけた。
「金が目当てってのはそうだけどな親父、俺はなにも自分の懐に入れるためだけにやったんじゃねえぞ」
「なんじゃと、今更言い訳なんぞ……」
「親父が借金したツケを俺が尻拭いしてるんじゃねえか! 親父のどんぶり勘定が祟って火の車だ! 都合よく俺だけを悪者にするんじゃねえ!」
……そのコネルの言葉で、全員の視線がジェイムソンに集まった。
「な、何を言うか! 騎士は食わねど高楊枝と言うじゃろう! 大体借金なんぞしらばっくれれば……!」
「いや待て、ウチの借金は返して貰わねば」「来年には返すアテがあると言っておったよな……」
……我が父と、ブルック様が同時にジェイムソンに声をかけた。
「おぬしも金を貸しておったのか!?」「グレン殿、もしかしてこいつに金を!?」
そんなハモるように言わなくても……。
父とブルックが気まずそうに目を合わせる。
重苦しい沈黙が場を覆う。
そんな沈黙の中心で、ジェイムソンが冷や汗をかきながら立ち尽くしている。
……どうしよう、大丈夫ですとか言ったけど今すごく、ここから去りたい。
そんなことを思っていたところ、またコネルが罵声を浴びせかける。
「大体、税が重いくせになんで赤字になるんだよ! こうでもして領民の食い扶持をぶん取らねえと早晩逃げ出しちまう! 畜生が!」
「ばっ、バカモン! だからといってやっていいことと悪いことがあるじゃろう!」
「うるせえ! だったら金を用意しやがれ!」
コネルは言いたいことを言ったのか、大きくため息を付いてそっぽを向いた。
「……アイラ、アドラス殿」
「はい、お父様」「なんでしょう」
「人質交渉はちょっと長くなりそうじゃ。俺らだけにしてくれんか」
「はい」
話をつけてくれるなら全然構いません。
こっちに降りかかる火の粉は払ったわけだし、もうお役御免ということで休みたいです。
おそらくお父様とブルック様は、ターナー家の懐事情やら何やら、他の人には聞かせられないところまで聞き出すつもりなのだろう。どういう結果になるかはわからないが、変に深入りすると余計な仕事や感じなくとも良い心労を感じそうだ。三十六計逃げるに如かず。さっさと退散しよう。
◆◇◆
廊下を歩いている最中、「貴様そんなに借金があったのか!」「人質の身代金どころじゃなかろう!」「おい待てコネル、北の領地にもカツアゲに行ったのか!」「これじゃ領地を継ぐ方が貧乏クジじゃの……」「さりとてコネルの所業もひどい、こりゃ国には隠し通せんぞ」などという悲壮な言葉が聞こえてきたが……聞かなかったことにしよう。わ、私知らない。
ま、あいつにはあいつなりの苦労があったのだろうが、だからといってむざむざ奴の獲物になるつもりもないし、決闘は公正なものだった。結果はこの上なくはっきりとついたのだ。今更私があれこれ言うつもりもない。
「上のテラスの方に行かないか……声も届かないだろう」
「そうですね……静かなところでゆっくり休みたいです」
「それと、朝餉も用意しよう」
「はい」
アドラス様の提案に、一も二もなく飛び乗った。
そしてアドラス様に案内されて屋敷の階段を登っていく。
そこには、周囲を一望できる見晴らしの良い綺麗なテラスがあった。
……どうしよう、ウチと全然違う。
ウチの屋敷のテラスの場合は使う人が誰もいなくて、魚の干物を干したり亀肉を燻製したりと使用人達が好き勝手に使っていて生活感が漂いすぎている。一方でウェリング家のテラスは手入れが行き届いていて、外気に直接さらされているのに痛みも全く無い。タイルの床の上に、木製の椅子と小さなテーブルが並んでいる。その椅子もテーブルも、木工職人による飾り彫りが彫り込まれた素敵な一品だった。アドラス様に促され、そこに腰掛けた。
「お二人とも、お疲れ様でした」
「うむ、ありがとう。……ではいただこうか」
ゴードンがパンを焼き、スープを器に盛ってやってきてくれた。
ふっくらとした柔らかい白パンだ。香ばしい香りが食欲を誘う。
スープからは火を通した玉ねぎの甘い香りが漂う。
うーん、お調子者の癖に腕が立つのだから憎らしい。
「それでアイラ殿、食べながらで良いから聞いてほしいのだが」
「あ、はい」
パンに添えられたバターも臭みが無く、疲労した体に溶け込むようだ。
牛はどこで飼っているのだろう。それとも別の領地から取り寄せたのだろうか。
それにしても、何かと忙しく動き回った後の食事なのでお腹が満たされていく感覚が心地よい。
……っと、いけない、このまま眠ってしまいそうだ。しっかり話を聞かなければ。
「……どうも色々と考えてみたのだが」
「はい」
「結婚しよう」
「はい」
「そうか! 受けてくれるか!」
「……ん?」
しまった、今、生返事をしてしまった。
ええと、結婚だっけ、ああ、それはもちろん、そのために見合いをしに来たわけで……。
え?
「……ぐっ、ごほっ、げほっ!」
「だ、大丈夫か!」
食べていたパンが喉に詰まった。
アドラス様が水差しから水をコップに入れて渡してくれる。
一息に飲み干して深く息をつく。
「ふ、ふぅ……死ぬかと思った……」
「さあ、落ち着いて」
「だ、だいじょうぶです……」
ちょ、ちょっと待って。頭の中を整理します。
「……あ、アドラス様!」
「うむ」
「うむ、じゃなくてですね……! その……! その、心の準備というか……!」
「む、そうだな……指輪も何も用意せずいきなり求婚というのは無礼だったな、申し訳ない。つい口に出てしまって」
「そうじゃなくて! なんで今なんですか! なにもパン食べてるときに!」
「今しかないと思ったのでな」
「……その、ええと……」
「嫌か」
「嫌なんて言ってません! 不満なんてありません……約束もしましたし。私はちゃんと、この家を守るために力を尽くします」
「いや、アイラ殿、それは十分にわかっている……というより、それを証明してくれたばかりだ。コネルを退けてくれたこと、本当にありがとう。お陰で誰も害されることが無かった」
アドラス様は、生真面目な顔のままそう私に言った。
だから、生真面目な顔のまま、こんな言葉を続けるとは思っても見なかった。
「だが約束は約束として……僕はアイラ殿と結婚したいと思ったのだ。結婚すべきだから結婚するという約束事の問題ではなく、自由に結婚相手を選べる身分であったとしても、君と結婚したいと思う」
「……っ!」
不意打ちで、そんなことを言われても。
顔が赤くなるのを感じる。眠気なんて吹っ飛んでしまった。
だらしない顔を見られるのが恥ずかしくて、つい顔を手で覆ってしまう。
「そ、そんなこと……アドラス様だって、今まで好いた女くらい居たでしょう……」
「いや、そなた以外には特に。学校では勉強ばかりだったし、夜会の誘いも大体は魔道具を見せびらかしに行くか顧客のご機嫌取りかの二択だったからな」
「じゃ、じゃあなんでそんな……慣れているんですか。私とアドラス様、会ってそんなに間もないじゃないですか。そんな風に思ってくれるなんて、突然言われても」
「慣れてなどいない」
憮然とした顔でアドラス様は言う。
だが、その言葉の後に、アドラス様は恥ずかしそうに口を手で塞いだ。
「……いや、まあ、考えてみれば本当に初めてだ。確かに思い返してみると、アイラ殿と顔を合わせたのは数えるほどだったな。ただ、なんというか……」
アドラス様はそう言って、私の目を見た。
優しくて吸い込まれそうに感じてしまい、自分がそこへ迎えられるほど相応しいかと自問自答が頭の中でぐるぐると駆け巡る。
「こうして他人の、それも異性と手を携えて行動を伴にするというのは初めてで……自分自身、舞い上がってるという気がする。すまない、気安かったな」
「あ、謝らないでください!」
私は前のめりになるようにして言った。
「私だって……舞い上がっています。帰郷したときはどうなることかと思いましたけど……相手がアドラス様で良かったと思っています」
自分でも何を口走っているのだろうと思いながらも、言葉が頭の中でまとまらずに口に出てしまう。
「そ、その……私も、魔術学校では勉強してるかダンジョンで探索してるかで、女らしいことなんて全然知りません。口説かれたことも、口説いたこともありません」
「似たもの同士だな」
「だ、だから……その、よくわからないんです。世の中の女性みたいに可愛らしいこともできないし……」
「僕も世の中の男性らしいことがよくわからない」
「アドラス様は立派な人です、その……私が馬鹿にされても、庇ってくれましたし……だ、だから」
こんな、蚊の鳴くような声で何かを言うのは、何年振りのことだろうか。
「私も……誰かと結婚するなら、アドラス様が、良いです」
「良かった。アイラ殿……」
アドラス様が何かを言おうとしたところで、私が、「待ってください」と遮った。
「む? どうした?」
「……私、堅苦しいのは嫌です」
「ふむ」
「アイラ殿って、やめてください。アイラで良いです」
「ああ……なるほど」
アドラス様はしばし考える仕草をして、そして
「アイラ。私もアドラスで良い」
と言った。
「アドラス」
「うむ」
「不束者ですが、よろしくおねがいします」
なんかもうクライマックスみたいな雰囲気ですがまだまだ続くんじゃよ




