2話
我がカーライル家の領地の西隣が、ウェリング家の領地である。
屋敷から馬車を出して街道沿いに西へ三刻も進めば、すぐに領地の境へとたどり着く。更にそこから一刻ほど進めばウェリング男爵家の領主館だ。貴族の距離感で言えば目と鼻の先と言っても良い。近所との揉め事というのは得てして禍根を残しやすく、それを避けたいと思う父、そしてウェリング家の人々の気持ちもわからないではなかった。わかるからと言って私の人生を差し出すことになるのはどうかと思うが、私は結婚もせずに裸一貫で自分のやりたいことを突き通せるほどの才能に恵まれているわけでもなく、それ以前にそこまでしてやりたいこと自体がない。いずれは誰かと夫婦にならねばならない。それを思えば、相手方が穏便に済ませたいという思いがある内に結婚相手を決めた方が自分の利得になるのではないか、そう前向きに捉えることにした。
まずはしおらしく頭を下げ、話のわかる人間であることを示せば、後は向こうもそれなりに気を使うだろう。私が和睦のための人身御供であり私自身がそれを自覚している限り、向こうも礼節をわきまえ丁重に扱ってくれるはずだ。それに、もし万が一、相手方のアドラス様がどうしようもない無礼者で不逞の輩だったとき、自分の生家に遁走することも容易な距離である。そういった諸々の考えを父に話した上で縁談に同意し、ウェリング家での見合いの席へと向かうこととなった。姉はこういう打算的なことは考えなかっただろう。あの人はいつも自分に素直だった。父にとってはそれが我が子らしい可愛しさだったのだろう。
「風景もあんまり代わり映えしませんね」
街道から見えるウェリング領の田畑も、自分の家の周辺と全く同じような佇まいをしていた。気候も全く同じであり、恐らく領民の暮らし向きも大して変わるまい。幼い頃から見てきた当たり前の風景が広がっている。新鮮味を求めてここに来たわけではないが、これといった感慨も思い浮かばずについそんなつぶやきが漏れた。
「だが向こうの家は魔道具の職人で成り上がった家で、先々代までは庶民だった。家風はカーライル家と相当違うぞ」
と、馬車で同行する父が私の呟きに言葉を返した。
両家ともに似たような領地を治めつつも、貴族としてどのように国に奉公してきたかは全く異なっていた。我が父グレンは王国の騎士団に所属し、賊や魔物の討伐といった荒事に率先して取り組んできた益荒男だ。だがウェリング家はそうした武張った事からは縁遠い、魔術師の家系であった。特に魔結晶を使用した永久ランプや、旅人に愛用される魔物避けの香などは安価な割に出来が良く、貴賎問わず様々な人間に愛用されている。ウェリング家は我が子爵家よりも家格の下がる男爵家でありながら、どちらが富裕かといえば間違いなくウェリング家の方であろう。
「お姉様は面食いでしたから、騎士や軍人じゃないと嫌だったとか……あるいは家格が下がるのが嫌だったとか」
「いや、いかつい騎士は苦手と言っておった。家格なども気にしておらんよ。だからこの縁談もうまくいくと思っておったんだが……」
「そこで平民の冒険者と駆け落ちなんて、予想外も良いところなんですが」
二人共に、はぁと溜息をつく。目指す先の家がどんな家風なのかも大事ではあるが、何より問題なのは、あちらのお見合い相手がどれだけの怒りを覚えているかだった。
◆◇◆
そのまま馬車はウェリング家の領内の街道を進み、目新しい白い建物へとたどり着いた。
そこがウェリング家の領主館だ。富裕な家の割にはさほど大きくはない。もちろん平民の家よりは遥かに大きいが、あまり建物の外見で威圧しようという気配は漂ってこない。それよりも目立つのは、白い領主館の隣にそびえる煉瓦造りの武骨な建物だった。王都の職人街で見かけた工房にも似ているなと感じたが、何故領主館の隣にこんな建物があるのだろうか。
二つの建物のどちらが領主館かは一目見てわかった。白い建物の方が明らかに壮麗で、そして人の住む気配がしていた。門番らしき者がこちらの馬車の御者に誰何し、御者が私達を連れてきた旨を伝える。門番には話が伝わっていたらしく、すぐに家の中から出迎えが現れた。恰幅の良い壮年の男性と、その男性と似たような体格と年頃のご婦人だ。間違いなく、ここの領主夫妻であった。
「これはこれは、ブルック殿自ら出迎え下さるとはありがたく」
「いやいや、こちらこそグレン殿に直接お出で頂いて申し訳なく」
私は父達の挨拶する後ろに控え、お決まりの挨拶が済むのを待つ。
「ところでグレン殿、後ろにいらっしゃるのは……」
「ええ、我が次女のアイラにございます。アイラ、ご挨拶を」
と、発言を促されてようやく私がご挨拶という流れだ。
「アイラ=カーライルにございます」 と名乗り、一礼をする。
「この子は王都のエルンスト魔術学校に通っておりましてな、今年の秋には卒業する予定でございます」
「おお、それは優秀ですな! では昼餉でも取りながらゆっくりお話を聞かせて頂けますでしょうか。さあさ、中へどうぞ」
と、無理に明るい顔と声を作るご主人の案内のもと、玄関をくぐった。
◆◇◆
私と父は屋敷の中へ案内されて廊下を歩いた。途中に目にした調度品は機能的な物が多く、恐らくは燭台などは油の要らぬ魔道具であろう。お姉さまの目から見たら、それなりに評価しつつも「風情がない」などと不平を漏らしたかもしれない。私としてはこうした品々は純粋に羨ましいと思うのだが。
そしてダイニングに通され、ようやく腰を落ち着けた。この家の執事から食前酒を注がれる。だが私は食事や酒よりも、真向かいに座る男性の方に注意が行っていた。恐らくはこの男性が次期当主であり、姉のグラッサと結婚するはずだった……アドラス様であろう。
正直に言おう。
これは相当まずい。
滅茶苦茶しかめっ面をしている。
あちらのご当主様が「おい、アドラス」などと肘で小突いてようやく眉間の皺を緩ませた。
「……アドラス=ウェリングです。お見知りおきを」
どことなく強張った、低い声だった。
見たところ私よりも年上だ。親譲りの金髪を伸ばし、後ろで束ねている。だが彼の父母と違って彼は痩せ気味で、そして父母のような柔和な表情を一切浮かべていない。秀麗な顔つきだが目にくまが出来ていて、どうしようもないほどの倦怠感が滲み出ている。酒や煙草、麻の葉の臭いがしないのは私としては好印象だが、それを言ったところであちらにとってはどうでも良いことだろう。というか、何を言えば良いかすらよくわからない。大人達の会話に追従して無難な返事をする程度の社交術はあっても、初対面で年上で、それも極めて不機嫌な男性の機嫌を損ねない会話ができるほど私は世慣れしていない。
アドラス氏は名乗っただけでそれ以降の言葉を口にせず、代わりに彼の父が彼の紹介を始めた。御年25歳、魔術学校でそこそこ良い成績で卒業し、魔道具の職人……というか、彼の母方の祖父に弟子入りして働いていた。だが祖父が他界して否応なく独り立ちせざるを得ず、領主館の側に工房を建てて魔道具を作ることを生業としているのだそうだ。なるほど、やはり外に見えた木造の建物は工房だったのか。
「二人共、王都の魔術学校に通っていたことですし、話題も困らんでしょうなぁ」
いいえお義父様(予定)、とても困ります。
どうすれば良いんですか。
「いやあ儂のような粗忽者から生まれた子にしては頭の回転も早く、きっとアドラス様のお役に立てるかと存じます」
まってお実父様、魔道具は専門外なんですが。
私が取り組んだのは主にダンジョン探索に役立つ魔術や攻撃魔術ばかりなんですけど。
そんな「あとはふたりにまかせて」オーラを出さないで。
「それでは年寄りは邪魔でしょうし、おほほ、あとはふたりにまかせて……」
まってお義母様(予定)!
激しくアイコンタクトを三人にするが、全員とも「後は頼む」という無言の圧力を返してくる。多少覚悟していたとは言え、この場に味方がいないのは辛い。……ええい。
「……ふう」
三人が去ったのを見てから、食前酒を一息に飲み干す。
この場に残っているのは給仕役の男、私、そしてアドラス様だけだ。
いちいち迷っていても仕方がない。言うべきことをさっさと言ってしまおう。
私はきっと正面を見据える。
「……アドラス様、まずはこの度の姉の不行状、お詫びの申し上げようもございません」
と、切り出した。
「姉が何を考えてこのような真似をしでかしたのかはわかりません。ですが当家としては、アドラス様、ひいてはウェリング家に対し弓引くつもりなど全く無いのです。恐らく父も似たようなことを言ったかと思います」
「…………ああ」
「姉はただ愚かなだけなのです。しばらく姉とは会っておりませんでしたが、肝心なところでどうも浮世離れしていて……てっきり成人して治ったものだとばかり思っていました。いつかそのつけは姉に払わせるつもりではあります。ですが、今はまず目先のことを何とかせねばなりません」
アドラス氏は、じっとこちらを見ている。それを睨み返すように、勇気を奮い起こした。
「もちろん姉がいなくなったからといって代わりに妹を寄越されても、あなたの不信は払拭できないでしょう。ですが、我が家とウェリング家、ともに乗り越えなければならない事柄のはずです。ですから……」
「……」
「ですから、その……」
と、言いかけて、気付いた。
さっきからアドラス氏は、痛いくらいに拳を握っている。
食事も、食前酒を軽く口につけただけで他は何も食べていない。
そして目だ。
私を見つめていると思ったが、違う。
虚空を眺めている。
「その……声、小さいですか? 聞こえておりますか?」
「……すまないが、耳に入らない」
「えっ?」
「もう……ダメだ」
と、そこまで言ってアドラス氏は、拳を緩めた。ぶらりと手が揺れ、そして
「……アドラス様?」
彼は椅子の背もたれに体重を預け、体の強張りが弛緩していく。
ゆっくりとした呼吸音がかすかに聞こえてくる。
それとともにずずり、ずずりと体が斜めになっていき、ゆっくりと椅子から崩れ落ちた。
「あっ、アドラス様!? そ、そこの方! 誰か人を……!」
給仕の男に声をかけると、男は慌てた様子でアドラス氏のところまで近づき、「あれ?」と妙な声を出した。
「……持病か何かですか?」 と私は尋ねるが、給仕の男は首を振った。
「いえ、その……アドラス様は……」
なんとも渋い顔をした給仕だが、その理由はすぐにわかった。
「……すぅ……すぅ……」
寝息だ。
この男。
見合いの席であり、謝罪の場であるというのに。
思い切り、寝ている。
私は脱力感に囚われ、勇気を奮い起こして謝罪に挑んださっきまでの自分を殴りたくなった。




