16話
窓から外を見ると、屋敷の前に人だかりができていた。
その中心に、それなりに高そうなおべべを着た蛮族が居座っているのが見えた。
どんなに良い服を着ようが、中身が蛮族ならば宝の持ち腐れだろう。
というか聞き覚えのある声だと思ったのだが、やはりこいつだったか。
屋敷のホールには女中や使用人達が怯えている。
アドラス様も部下の男衆も居ないようだ。
ブルック様もいないとなると、おそらく隣の工房の方に行っているのだろう。
何かしら対策を練っているのかもしれないし、魔結晶に魔術の書き込みをするといった途中で取りやめのできない仕事にかかっているところなのかもしれない。それを思えば、私がここに居てよかった。
「出てこい臆病者!」
またも声が聞こえてきた。これはもはや侮辱だ。
このまま放っておくわけにはいかない。
あー良かった、借りた剣を持ってきておいて。
「あ、あの、アイラ様……外は危のうございますが」
「あー、大丈夫よ。慣れてるから」
私は使用人達の制止を流しながら扉を開けた。
むしろこのまま放っておいては連中が暴徒になりかねない。
そうなれば私が剣にならねば。
「おお、表に出る度胸があったか、アド……ラ……あれ?」
「コネル! 他家の前で公然と侮辱するとはどういう了見か!」
数日前に会った、会いたくもない幼馴染のコネルだ。
そのでかい図体のコネルの後ろには、子分だか弟分だかは知らないが何人もの男達が控えている。
しかもコネルは帯剣している。
「な、なんでお前がそこにいる!」
「お前には関係ない! 質問に答えろ!」
「はン、俺は苦難にあえぐ領民を代表して、来てやってるのだ! お前にどうこう言われる筋合いはない、家に帰れ!」
「領民を代表して……?」
何を言ってるんだこいつは、と思ってコネル達を見ると、一人の中年の農夫が前に進み出てきた。
「う、うちの嫁を返せ! こっちの領地に来たこたぁわかってんだ!」
男がそう叫ぶと、仲間らしき男たちが
「そうだそうだ!」
と合いの手を上げるように騒ぎ立てた。
「この男の名はヴィジラン村のバルカ。こいつの嫁はここの領内の村の出身なのだが……先週、さらわれたのだ」
「さらわれたぁ?」
「ここの屋敷に入っていくのを見たという者がいるんだぞ! ここに居るのはわかってる! 引き渡せ卑怯者!」
「そうだ! 嫁を返せ!」「返せ返せ!」
……なるほど。
真偽はともかくとして、村人だけではウェリング家に門前払いされるからコネルを引っ張り出してきた、というところだろう。
だがアドラス様が他人の嫁を誘拐?
そんな馬鹿な。流石に信じられない。
そう私が逡巡していた、丁度そのときだった。
「騒々しい」
私の背後の方から、ぬうっと剣呑な目つきの男が幽鬼のように現れた。
アドラス様だ。
一目見てぎょっとしてしまった。
私が見合いをしたときとはまた違った憤怒に満ち満ちている。
「……っと、すまない、アイラ殿」
しかし私の顔を見て、表情を緩めた。
ほっとすると同時に、これはまた大変な時に来てしまったと後悔した。
邪魔してしまっただろうか。
「あ、その、すみませんお忙しい時に」
「こちらこそ申し訳ない。……少々、揉めておりまして。ただ私は天地神明に誓って、恥ずべきことはしておりません」
と、アドラス様はそれだけ言って前へと進み出た。
コネルがアドラス様の姿を捉え、野卑な笑みを浮かべて声を張り上げた。
「はっ、ようやく出てきたな! 貴様……」
「ヴィジラン村のバルカ!」
だが、コネルの言葉を遮るように、アドラス様は男の名を叫んだ。
「な、なんだ!」
「お前の嫁は、確かにここに来たとも」
その言葉を聞いて、コネルがしたり顔で笑った。
「アイラ、見たか! こいつはこんな男だぞ! 嫁に逃げられた腹いせに自分より弱い人間の嫁をかどわかすような男だ!」
「話は終わっていない!」
アドラス様が騒ぎ立てる群衆を一括する。
それを聞いて、アドラス様の怒りが誰に向けてわかった。
嫁を返せと騒ぐバルカと言う男だ。
「私がかどわかしたと抜かしたな。ならば聞くが、ヴィジラン村のバルカよ。なぜお前の嫁のエリーは痣だらけだったのだ」
「へ?」
「女中が確かめたが、傷だらけだったそうだぞ。打ち身の痕、ミミズ腫れや火傷の痕、酷い有様だったそうだ」
「そ、そんなこたぁ知らん! 日々生きておれば誰だって怪我くらいする……! お前がやっておいて、その罪を俺に押し付ける気じゃあるまいな!」
「医者に見せればどれくらい前に、どうやってできた傷跡なのかくらいはすぐにわかる。転んだか殴られたかの違いも簡単にわかる」
「うっ……」
「もうひとつ聞こう。エリーは妙な咳をしていた。なぜだかわかるか?」
「関係ねえだろう!」
「肺炎だ。放っておけば死ぬ」
「……」
そのアドラス様の言葉を聞いて、バルカとやらは押し黙った。
そして私にもようやく事態が飲み込めた。
アドラス様は、このバルカという男の嫁を匿ったのだ。
虐げられた嫁が逃げて、それを夫が追いかけてきた……どこにでもある、いたましい話だ。
このあたりの領地の村々は交流が多い。同じ村に同じ年頃の良い異性が居なければ、別の領地の者を紹介されるというのはよくある話だ。アドラス様のウェリング家と、コネルのターナー家は領地が隣接している。おそらくあのバルカという男はその境界線の近くに住んでいて、ウェリング領の村から嫁を貰ったのだ。
そして嫁に狼藉を働き、逃げられた。
「私はエリーをかどわかしたのではない。彼女が自分の故郷に逃げてきたのだ」
「で、デタラメだ!」
アドラス様はがなりたてるバルカを相手にせず、自分の話を続けた。
「バルカよ、何のために逃げてきたと思う」
「……」
「彼女は、自分が楽になりたいがために逃げてきたのではない。当然不貞や不倫でもない」
「じゃ、じゃあ、なんだってんだ!」
「死ぬためだ」
アドラス様の言葉に怒りを拭き上げていた農夫たちが、バルカに目を向けた。猜疑の目だ。
「病にかかり、どうせ死ぬならば故郷で死にたいと願ったのだ。子が生まれないからと殴られ蹴られ、物のように扱われて死ぬくらいなら、せめて自分の産まれた村で死にたいと言う。だから遺言通りにしてやったとも」
「し、死んだのか!?」
アドラス様は何も答えず、ただ冷徹にうろたえる農夫を見ていた。
「な、なんの証拠もないだろう! どうせこの男が嘘をついて匿ってるに違いないのだ!」
コネルは、気勢を削がれた男衆を奮い立たせるように声を張り上げた。
反応は半々に別れた。
話が違うと戸惑いを感じている者、騙されるものか、コネルの言う通りだと言う者。
だがアドラス様は、小さな木箱を懐から取り出した。
そしてバルカに投げ渡した。
「うおっと……な、なんだこりゃあ」
「開けてみるがよい」
バルカが、不安そうにコネルの方を振り返った。
「怪しげな魔道具じゃあるまいな」
「そんな貴重なものを譲るわけがなかろう」
コネルは舌打ちし、バルカを目で促した。
バルカが恐る恐る箱を開けると、そこには……
「……髪?」
「長い……それに、この色は確かに……」
「エリーの髪だ」
農夫たちがどよめき出した。
あれは、そのエリーという女の遺髪なのだろう。
「それでも疑うか。疑うならば死体を眺めるか」
「いっ、いや……」
どもるバルカを見て、アドラス様は溜息だけを付いた。
そして、コネルの方に向き直った。
「コネル、今去るならば今回の件は不問にしてやる。これ以上騒ぎ立てるというならばバルカという男を教会の審問に掛ける。王都でそれなりに身分のある審問官を呼んでな。自分の領内のように好き勝手できると思うなよ」
「ぐっ……!」
コネルは、苦虫を噛み潰したような顔でアドラス様を睨みつける。
そしてコネルの取り巻き達は不安そうに見守っている。
さっさと帰ってくれないかなぁ……と眺めていると、コネルがアドラス様を指差して叫んだ。
「ならば! 決闘だ!」
「…………はぁ?」
あ、しまった、声が出てしまった。
しかしアドラス様も同じ思いだったようで、心底呆れた顔をしていた。
「お前はバルカが悪いと言い、己の領民を守ろうとする! だが俺は俺の領民の利益を守るために来たのだ! ならば正々堂々と決闘で決着をつけるしかあるまい!」
「断る」
と、アドラス様は斬って捨てた。
「逃げるか卑怯者!」
「自分が正しいと思うならば尚更、教会の審議官の前で言えば良かろう。大体、取り巻きを大勢連れて決闘だなんだと騒ぐお前こそ卑怯者ではないのか」
「立会人を用意するのは当然だ!」
「長物を持って取り囲んで決闘を強要するのは決闘ではない。ただの襲撃だ」
「襲撃だろうが決闘だろうが、挑まれた勝負から逃げないのが貴族だ!」
……おかしいな。
なんでこんな安い挑発を繰り返すのだろう。そんなに決闘がしたいのか?
こいつ自身、非がどちらにあるかくらいはわかるはずだろうに。
「コネル! 潔く引きなさい!」
「お前には関係なかろう!」
コネルが獣のような目で私を睨みつけた。
「だいたい、お前は俺が娶るのだぞ! ならばこっちの味方に付け!」
あっ、この男、今ここで言ったらな……!
アドラス様が驚いた顔で私を見た。知られたくなかったというのに……!
「絶対イヤに決まってるでしょうが!」
「なんだと!」
「『私とのご縁はありませんでしたが、貴殿のご活躍と幸福なご縁談をお祈り申し上げます』ってちゃーんと手紙に書いて出してあげたわよ! 今日には届くだろうから配達人を待つことね!」
「姉の代わりにそんな青瓢箪と結婚させられて可哀想だと思ったから親父が申し出てやったのだ! 温情を踏みにじりおって、この恩知らずが!」
「恥知らずに言われたくはないわ! さっさと帰りなさい!」
ますます憤怒の顔を強めるコネルだが、怒っているのはこいつ一人だ。周囲の手下達の意気は消沈していく。話がそれていることに気付いたのだろう。
「ちっ……くそが!」
コネルは自分の不利を悟ったのか、背を向けて大股で帰っていく。
その後を手下達が慌てて追いかけた。
「ふう……」
よかった、追い払えた。
私が安堵のため息を漏らすと、声をかけられた。
「すまない、アイラ殿」
「いえ、こちらこそこんなときに申し訳ございません」
「助けられたのはこちらだ。色々と話すこともあるので、屋敷の中へ来てもらえるだろうか」
「はい」




