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11話


 思い出の中の母は、ずっと病弱だった。


 弟を産んでからずっと体調を崩していたらしい。


 私に物心がついてから、元気だった日など数えるほどしか無かったと思う。


 父は、貴族にしては珍しく愛妻家だった。


 母を思い出すとそこにはいつも、母を心配する父があった。


 そして父に抱っこされている姉の姿もあった。


 その姉の髪は、鼻梁は、目は、指先は、どれも母そっくりでいつも羨ましいと思っていた。


 母が他界したあとは父はますます姉を可愛がった。


 私と弟は放っておかれた。


 それを不憫に思ったのか祖父母が面倒を見てくれることが多かった。


 しかしまあ何というか、祖父母は子供の扱いがヘタクソだった。


 二人の若いころは隣国との戦争が最も激化した時期で、税も重く食料にも乏しく、ずいぶん苦労したのだそうだ。祖母は若いころに父母を亡くしており、王城付きの女中という激務をこなすことで自分の弟や妹を食わせていたらしい。料理も上手で掃除洗濯に一切の隙はなかったが、礼儀作法についてはとんでもなくうるさかった。


 祖父の方は、幾度もの戦場やダンジョンを練り歩いた生粋の武人だ。その祖父母に面倒を見てもらうということは家事の手伝いか礼儀作法の指導か、はたまた剣の修行をさせられるかのどれかだった。お祖父様など「貴族たるもの、領民を守れるほど強くあらねばならぬ」と言って十歳になったばかりの私や弟を連れてダンジョンに行くのだから本気で死ぬかと思った。勉強を教えに来る家庭教師の授業のほうが遥かに楽なくらいで、私も弟も祖父母の教育の厳しさによく音を上げたものだ。


 だから弟と一緒に逃げてサボったことは何度となくあった。そのせいか女の子らしい遊びなど全然縁がなかった。弟とチャンバラごっこをしたり近くの村人の子供と鬼ごっこをしたり、なんとも男勝りな子供だった。当時は育ちの良さそうなところを見せれば村の子供らに素性がバレると思って敢えて粗末な服を着て乱暴な言葉遣いをしていたが、今思い返してみればバレバレだっただろう。彼らは私たちに合わせてくれたのだと思う。おかげで王都の学校に入ってから女の子らしさを意識せねばならず苦労したし友人にも迷惑をかけたものだ。


 しかし、祖父母がいつもいつも私達に厳しかったわけではない。たまに遊びを教えてくれることもあったし、近隣の村の祭りに連れていってくれたこともあった。いつかの収穫の秋の祭りの日、村人が火を囲んで笛を吹いて歌を歌い、酒を飲みながら楽しそうに踊っていた。祭りの熱に浮かされたのか、アイザックがアーニャに求婚してアーニャが応え、皆がそれを祝福したのを覚えている。


 あ、思い出した、そういえばマークとジムとも初対面じゃない。あのころのマークの頭にはまだ髪の毛があった。ジムは俺も俺もとばかりに村娘を口説こうとして肘打ちを食らい、更に父親の神父からも怒られてしょぼくれていた。


 そんな苦しくも楽しい日々が永遠に続いたわけではなかった。


 突然、祖父母の体調が悪くなった日があった。鬼の霍乱というものもあるんだなと長閑に構えていた。弟も私も、何の心配もしていなかった。


 あっという間に亡くなった。流行り病だった。


 母の闘病生活をなんとなく覚えていたので、そのあまりのあっけなさに悲しみよりも驚愕と虚脱感を覚えた。


 そして、じわりじわりと悲しみが足を忍ばせてきた。


 とても大事な人だったと、葬式や諸々のことが終わってから気付いた。


 私も、弟も、寄る辺がなくなったということに気付いた。


 愛する祖父母の居ない家で安らぐということができなくなった。


 父や姉と触れ合うことにも私達は嫌気が差した。


 私は家を出て魔術学校へ入り、そして弟も同じように家を出て騎士団へと入った。





 ……とりとめのない思い出が脳裏に蘇っては流れていく。





 なぜ今、私はそんなことを思い出しているのだろう。





「おお、気付いたか」


 ……あ、そうか。


 ここはアイザックやアーニャの住む村の集会場だ。この村には宿屋なんて小洒落たものは無いので、客人が来たときは基本的にここで寝泊まりする。収穫の祭りの日、祖父母と弟と一緒にここに泊ったのを覚えている。この部屋のたたずまいは、笛や太鼓の音を聞きながら眠りについた子供の頃とまるで変わらない。


「ああ、うん、大丈夫……」


 今ひとつ眠気から覚めないが、少しずつわかってきた。


 虎牙義戦窟の最下層、ブラッドタイガーを斬った後に魔力の枯渇で倒れたんだ。


「良かった……失礼する」


 額に、ぴとっと手が触れる。


 あれ、そういえば誰だっけ。

 この村にこんな金髪の若者なんていたかな。

 深い緑色の目、心配そうな表情、王都の医者のように几帳面そうな手つき。

 気は良いがガサツな者ばかりの村人にしては紳士だ。


 って、そういえば村人にしては服装もずいぶんと小奇麗な……あれ……?


「あ、あ……」

「熱もない、魔力も十分に回復してる……良かった。大丈夫だな。腹は減っていないか?」

「アドラス様!? な、な、何を!?」

「覚えていないのか? あのとき、アイラ殿は虎牙義戦窟の最下層で……」


 アドラス様が不思議そうな顔をする。


「……いや、大丈夫です、そこまではわかります。アドラス様の剣をお借りしてブラッドタイガーを仕留めました」

「見事なお手前であった」

「ありがとうございま……ではなくて!」

「む?」

「な、なんでアドラス様がここに!」

「共に探索し魔物を倒した仲間を放っていけるわけがあるまい。約束も果たしていない」

「あ、ああ……」


 そういえば、どちらが青魔結晶を見つけられるか勝負をしていたのだった。


 あれ、ということは……。


「青魔結晶は手に入ったのですか?」


 と言うと、アドラス様はにやっと不敵に微笑む。


「予想外な結果だった」

「予想外……?」

「あのブラッドタイガーだが、変種ではない普通の6体からは青が3粒取れた。残り3粒は緑だったが、十分以上の成果だな」

「おお!」


 青魔結晶が三粒となると黒字も黒字だ。魔術学校の同期に話せばそれはそれは羨ましがられるだろう。飯代酒代をたかられることは間違いない。


 だが、それだけではないとアドラス様の目が語っている。


「……となると、変異種からは」

「これを見ると良い」


 と、アドラス様は小さな袋を出した。

 袋を逆さにして、アドラス様の手の平の上に中のものが転がる。


 夜明けの空のように透き通った輝きがこぼれた。


「こっ、これは……!」

「そう、紫の魔結晶だ」


 アドラス様の手のひらの上で、緑色の石が3つ、青色の石が3つ、そして紫の石がひとつ、輝いている。

 私も見るのは初めてだ。これが、紫魔結晶。

 私達が現実的に手に入れることができるであろう最高級品の一つだ。


「最初の約束通り、青魔結晶のひとつは頂こう。これをもって、グラッサが魔結晶を壊した件について今後一切不問とする」

「はい」

「それと……」

「なんでしょう?」

「……本当にありがとう。君には私も部下も助けられた。命の恩人だ」

「いえ、冒険者同士助け合うものですし……」

「冒険者としてはそうだろう。だが僕は、貴族として部下を危険に晒した」

「それは……」


 否定できない。

 まさかこんなところで変異種の魔物に会うとは思わなかった、というのは言い訳にはならない。


「……はい、そうだと思います」

「正直、焦っていた。あのときは自分が冷静だと思っていたが……そうじゃない、自分を奮い立たせて、冷静だと思い込もうとしていた」


 アドラス様は、憑き物が落ちたようにしみじみと語った。

 やはりそうだったのか、という納得が染み渡る。


「だから君に見合いの場で怒鳴り、自分の都合を押し付けた。貴族として恥ずべきことだ。君はそれを気付かせてくれた。ありがとう」


 その言葉を聞いて、ようやく肩の荷がひとつ降りたような気がした。アドラス様の心のわだかまりや疼きが全て解けたかはわからないが、彼のさっぱりとした表情を見ることができたのは喜びだった。彼がどう思っているにしてもその苦痛を与えたのは私の家族なのだから。


「アドラス様、私からも一つよろしいでしょうか」

「うむ」

「お見合いのとき、ありがとうございました」

「……うむ?」


 アドラス様は、不思議そうな顔をしていた。あ、何のことかわかっていないな。


「あのお見合いのとき、アドラス様はこう仰ってくださいました。人のやりたいことを曲げさせて人質のように結婚させるなど間違っていると」

「う、うむ」


 アドラス様はすこし照れたようで、目線を外しあさっての方向を見ていた。


「とはいえ、私自身学校でやりたいこと、成し遂げたいことがあるというわけではないんです。ただ、花嫁修業をしたり行儀見習をするよりは学校で学んだり体を動かしたりする方が好きだっただけで」

「なるほど、まあ向上心があるのは美徳だとも」


 アドラス様が目線を戻し、生真面目に頷く。

 面白いなこの人。


「ありがとうございます。ただ、貴族としていずれは結婚しなければいけないと思っていますしお見合いを勧められることが嫌というわけではないんです。それでも……私の将来を心配して怒ってくれて、ありがとうございました」

「謝ってお礼を言われるのはこそばゆいものだが……そう思ってくれるのは幸いだ。ただ君は君で、苦労したり振り回されていることに怒ってよいと思う」

「確かにまあ、こんな経緯でお見合いすることになったのは振り回されすぎてるなとは思いましたが」

「正直、僕が君の立場だったら軽く人生に絶望する」

「もし私がアドラス様の立場だったら深く世の中に絶望します」


 あ、しまった、調子に乗ってつい口がすべった。


 怒るかな。


 おっかなびっくりにアドラス様の顔を見つめると、きょとんとした顔をしていた。


 私も、そんな顔をしていたかもしれない。


 どちらともなく、笑いがこぼれた。


 本当に、面白いな。


 ひそやかなくすくすという笑いが、次第に爆笑になった。


「ぶわっはっっは!!!」

「ぶっ………ぐっ……っはは!!!」

「あっはっは……お互い、人生には難題が降りかかるものだな!」

「まったくです……っく……! だめ、もう面白くて面白くて……」


 胃が痛くなるくらい笑えた。

 笑いが落ち着くまでしばらくかかった。

 こんな風に素直に笑い合えることが楽しかった。


 この人、いい人だ。


 自分が苦しいときに他人を慮ってくれた。


「ふう……でも、アドラス様」


 笑いすぎてちょっと涙が零れそうになった。あわてて拭いながら話題を変えた。


「うむ」

「見合いの相手であるあなたが自分が辛いときに人生の行く末を案じてくれる人であったこと……とても、喜ばしいと思ってます。日取りを改めてお見合いをするということでしたが、楽しみにしています」

「うむ、軽く片付けてくるとも。見合いが待ち遠しいと思ったのは初めてだ。……しかし」

「しかし?」

「一緒に冒険ができたのは、格式張った場で食事を取るよりもわかりあえるような気がするな」

「……そうですね!」


 私とアドラス様は微笑み、頷きあった。

 この人のことはまだまだ知らないことの方が多い。

 それでも、ただ会食をするだけの関係などよりは余程わかりあっているという気がした。


「さて、細かい話は改めて詰めるとして、まず体を休まれるが良い。お腹も空いたことだろう」

「そうですね。……って、その、ところでアドラス様」

「ん? なにかな?」

「そういえば私の鎧は……ていうか服は……」


 話が片付いたあたりでようやく自分のことを気にする余裕ができてきた。

 今、私が着ている服、村人がよく着る普段着だ。

 私は確かに革鎧を着て剣を装備していたのだが……。


「それは村の女衆が着替えさせたのだ……と、あ」


 アドラス様は何かに気づいたような顔をした。


「ここに無断で入ったわけではないぞ、ほら、そなたの後ろに」

「え?」


 アドラス様が指を差した方を振り向く。

 すると部屋のすみっこの方で、アーニャがにやにやしながら恥ずかしそうに眺めていた。


 ……って、え? さっきからいたの?


「ちょ、ちょっとアーニャ! 何聞いてるのよ!」

「さ、さっきから居ましたとも! 全然お気付きになられないので……」

「なら言いなさいよ!」

「いえ、その、邪魔をしては悪いかと思いまして……」


 それでは失礼します、と言ってアーニャはそそくさと逃げていく。


「あー、いや、すまぬな、女中ゆえ気にしないかと」

「い、いえ、お気になさらず……」


 こんな恥ずかしいところを思い切り見られてしまった。

 もう布団をかぶって二度寝してしまいたい……。


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