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10話

『隠れ潜むは童の戯れ、戯れこそは人の業なり』


 最下層に足を踏み入れてすぐ、私は隠蔽の術を唱えた。匂いや音と言った気配を隠して魔物から察知されないための魔術だ。もっとも向こうが感知の術やそれに類するものを使う場合は効果がないが、今回警戒すべき敵はブラッドタイガーだ。通用するはずである。


 アドラス様達がどこで戦っているかはすぐにわかった。重苦しい剣戟の音が響き渡ってくるところへ近づいていけば良いだけだ。


 剣撃の音に混ざって、咆哮が轟く。暗い洞窟に響き渡る獣の声は、人間の原初の恐怖を呼び起こす強者の気配だ。ここから立ち去れと本能が警告する。だからといって引き返すわけにはいかない。私はここの領地を支配する領主の娘であり、仲間達もまたこの領地を守るために戦う戦士だからだ。隣の領地の人間がここの魔物に屠られるのをみすみす見逃すなど認められるわけがなかった。


「いくぞっっ!!!」


 アドラス様の掛け声が響き渡り、私達の耳に届いた。


 最下層の広間がまさに鉄火場となっていた。


 鎧を来た男達が、赤と黒の毒々しい縞模様のブラッドタイガー達を相手に立ち回っている。ともに重量級のぶつかりあいだ。鉄と肉が打ち鳴らされる、獣と戦士だけが奏でられる音楽がそこにあった。


 アドラス様達は5人。ブラッドタイガーは7匹。戦況は、アドラス様達の方が劣勢だ。ボス格のひときわ大きなブラッドタイガーは6匹の手下達に任せて、憎らしいほどに怜悧な目で戦況をうかがっている。明らかに変異種だ。何年に一度の偶然かはわからないが、酷いタイミングもあったものだ。だが変異種とはそういう物だ。討伐し名を挙げたいと思うときには現れず、今ここでは出会いたくはないというときに限って現れるというのが冒険者の間の通説であり、死がいつも隣り合わせであることへの箴言だ。私も直接見るのは初めてだが。


 アドラス様は盛んに動き回り、攻撃し、ときには味方を守り、八面六臂の活躍をしているが、それはつまり部下達をフォローせねばやられてしまうということでもある。部下達の動きが悪いわけではないがブラッドタイガーと比べるとどうしても鈍重だ。防戦一方になっている。魔道具とやらを十分に慣熟していないのだろう。どこか動きに固さがある。


 ……アドラス様の動きが、見れば見るほど奇妙だ。熟練した戦士とまでは行かない。剣の振り方もどこか固い。だというのに、反応が良すぎる。ここぞというときに疾さを発揮して敵の攻撃を妨害し、味方が致命傷を負うことをすんでのところで防いでいる。なにかちぐはぐなものを感じるが決して弱くはない。見たことのない強さだ。


「……どうします」


 アイザックが声を潜めて尋ねた。


「頭を狙うしかない」

「賛成です」


 ブラッドタイガーは強い。しかし無敵ではない。


 もう少し数が少なければアドラス様やその部下の手でおそらく倒せるか、退却する余裕もできるだろうと思う。だが今アドラス様達を苦しめているのは変異種の存在だ。リーダーの指揮の下、冷静かつ冷酷に襲いかかってくる。それゆえ魔物達の方に損耗は少ない。果実の皮を向くかのようにゆっくりと、しかし確実にアドラス様達を殺し切るつもりなのだろう。まるで訓練された騎士のようだ。


 ならばリーダーを殺すのが常道だ。


「俺が戦斧で叩き切ります」

「私も行く」

「いや、しかし」


 アイザックが言いよどむ。私の力量を察してのことだ。

 ブラッドタイガーは硬い体毛に覆われその下の皮膚も厚い。だが


「一瞬に集中して自分を最大限に強化すれば、斬れるわ」

「……なるほど」

「それに隠蔽の魔術は気配を消すだけで見た目をごまかせるわけじゃない。見られればバレるし、すぐ近くだと気付かれるかも。私とアイザックの二人同時でやった方が良い」

「承知です……じゃあなおさら速攻でやるしかありませんな。多分、ぼやぼやしたら魔物どもに増援が来ますぜ」


 アイザックが頷く。


「マークとジムは、私達が出ていってからアドラス様達のサポートをお願い」

「うっす」「はい」


 作戦が決まった。

 まあ、この状況でできる手立ては多くない。迷う必要もない。

 大事なのは迅速さだ。


『燃えよ燃えよ心の臓腑よ、鳴らせ鳴らせ鼓動を鳴らせ、回せ回せ血潮を回せ』


 力を上昇させる剛力の魔術と素早さを上げる俊敏の魔術を同時に使い、奇襲による一撃を食らわせるのが私の切り札だ。体に負担がかかるのであまり使いたくはないが、今こそは全力を出すべきときだ。迷っている暇は無い。


「いきますか、お嬢様」


 アイザックが戦斧を担いだ。彼は小細工などせずに、渾身の力で斧を振り下ろすのが一番強い。

 その力強さが今は頼もしい。


「いこう」


 いち、にの、


「……ッ!!!」


 狙うは虎の首。


 アドラス様達をなぶることに集中しているブラッドタイガーは気付かない。


 体は今までで一番というくらい速いのに、意識はどろりと粘ついたように一瞬が永遠に感じる。


 切っ先よ速く奴に辿り着け。丸太のような首筋に口づけをしてそして引き裂け。


 そして――届いた。


「グアアアアアアッッゥ!!!!????」」


 首筋に切っ先が深々と突き刺さり――だが、途中で止まった。


 その神経と喉笛に辿りつくほんのすこし手前で。


 鋼鉄のような筋肉によって剣が阻まれた。


「なっ、なにっ……!?」


 だが同時にアイザックの戦斧が振り下ろされている。

 私が失敗しても……!


「ぬおおおおおっ!!!」


 しかしその戦斧の一撃もまた、防がれていた。

 ブラッドタイガーがとっさに腕を盾代わりにしている。

 腕を斬りはしたが、切り飛ばせはしなかった。

 アイザックの斧ですら致命傷を与えられない。ここまで硬いのか。


 まずい、私の剣が抜けない。奴は渾身の力で首の筋肉を固めている。


 そして右肩から二の腕の筋肉がたわみ、膨らみ、悪夢のような硬さを生み出した。


 そして渾身の憎悪で私を睨み、激怒を拳に握りしめた。


 部下のブラッドタイガーがアイザックに襲いかかり、ボスから引き剥がされた。


 ブラッドタイガーが腕を大きく振りかぶり、単独になった私を――


 私は、強化魔術の反動で体がすぐに反応できずに――




「あぶないっ!!!」




 殴り飛ばそうとした瞬間、殴られそうになった瞬間、アドラス様が割って入った。


「ぐあっ!」


 ブラッドタイガーの拳をアドラス様がまともに受け、私共々弾き飛ばされた。


「アドラス様!」

「ぐっ……無事か」

「私は大丈夫です、それよりも……! なんでそんな無茶を……!」


 見ればアドラス様の鎧の胸甲部が無残にもべっこりとへこんでいた。


 凄まじい力だ。ここまでの攻撃を食らっては息もできまい。


 あ、いや、息はしている。喋っている……なんでこれで喋れる?


「問題ない、鎧の機能で衝撃は殺せた……だがもう使い物にならんな、マズい」

「くっ……『『惑い彷徨い移ろい眩め、夢も現も出口はあらず』ッ!」


 私は幻惑の魔術を使い、ボスの目を狂わせた。

 再び襲い掛かってくるすんでのところで成功し、追撃の拳を避ける。

 奴が体を動かすだけで巻き起こる凄まじい暴風が私の髪を乱した。

 間一髪だ、私もアドラス様もぎりぎりのところで命を拾った。


「……部下が怪我をしている。彼らを伴って下がってくれ。撤退だ」

「まずあなたが一番に逃げるんですよ! 何言ってるんですか!」


 幻惑の魔術の効力はそこまで長持ちしない。

 加えて私自身、強化の魔術を使った反動で痛みや痺れが体にかけめぐっている。

 変異種には決して小さくないダメージを与えはしたものの、致命傷ではない。

 むしろ怒りに燃えて一層戦意が高まっている。

 一番威力のある攻撃が失敗した以上撤退しかない。

 だが一番に助けなければいけないのはこの人だ。


「ぐおっ!」「がっ!」


 ジムとマークが補助に入ったものの、戦況を覆すほどにはなっていない。

 ブラッドタイガーの変異種が怒りに任せて腕を振り回し暴れ回っている。動きは乱雑だが一撃でも食らえばマズい。

 アイザックも戦斧を振り回し何とか対応しているが、膂力はブラッドタイガーの変異種の方が数段上だ。幻惑の魔術が成功した状態でようやく防戦が成功しているのだ、奴が回復したらもはや勝ち目はない。人死にを出す前に退くなら今しかない。


「……私が時間を稼ぎますから、体制を整えて撤退しましょう! 剣を貸してください!」


 私の剣は敵のブラッドタイガーの首に刺さったままだ。

 そこからとめどなく血は流れているが、あの程度の量ではこの戦闘中に死には至るまい。


「ま、待て! 僕の剣はまずい……!」


 さきほどボスに跳ね飛ばされたときにアドラス様の剣も転がっていた。

 鍔元に不思議な意匠が彫り込まれた片手剣だ。

 私は無造作にそれを拾った。


 その柄を握った瞬間、不思議なことが起きた。


「あ、れ……?」


 全員の動きが、遅くなった。


 がなりたてる声や獣の咆哮の音が、ほんの少し、低くなった。


 洞窟内を流れる風が、落ち着いた。


 耳鳴りがする。


 暗くなる。


 味方の振るう剣閃も、ブラッドタイガーの爪も、どうしてそんなゆっくりとして――


『解除』


 気付けば、アドラス様が柄を握る私の手の上を握った。


「あっ、えっと……」

「やはり発動したままだったか……体験したな」

「は、はい、みんなゆっくりになって……」

「違う」


 アドラス様はかぶせるように否定してきた。


「そなたが速くなったのだ」

「速く……?」


 そう言われて気づいた。

 俊敏の魔術を使った感覚に似ている。いや、あれの数倍はあるだろう。


「これは我が家に伝わる魔剣、『雨雫あめしずく』」

「魔剣!?」

「……の、模造品だ。私が作った」

「あ、なるほど……」


 いやしかし、魔剣の模造品を作ることが凄いような。

 ただ今はそこを根掘り葉掘り聞く時間はない。


「どういった効果があるんですか」

「さっきも言ったように、速くなる。ただし『俊敏』の上位の『神速』の魔術で、身体だけではなく、意識も速くなる。だから周囲の動きや声が遅く感じられる……が、精度や威力が安定しない。慣れないとその速い世界についていけない。私でも半分程度の力が出せるかどうか。使い慣れないものなら2割も引き出せない」


 俊敏の魔術の上位魔術、聞いたことはある。学校で使える人間は居ない。使える人がいても私の魔力では覚えられるかどうかは怪しい。


「……すごい」

「すごくとも今使えねば意味はない」


 だが神速の魔術を文献で知って、使えれば良いと思っていた。


 これが使えるならば、アレが実現できるはずだ。


「使えます」

「なんだと?」

「……むしろあつらえたみたいに、私に合います」

「いや待て、魔剣の扱いは簡単には……」


 アドラス様は驚いた目で私を見つめる。

 私の目には冗談など映っていないはずだ。


「退くわけにはいかないからここまで来たのでしょう。ならば私と、アドラス様の剣で、やりましょう」

「命あっての物種だ。生きて帰れる芽もある」

「試してからでも遅くはありません。俊敏の魔術ならば何度となく使い、鍛えてきました。……アイザック! マーク! ジム!」

「なんです!」「今忙しいんすよ!」「撤退しましょう!」


 それぞれ叫ぶように返事が返ってきた。よし、まだ戦意は失われてはいない。


「時間を稼いで! アドラス様の部下は、今のうちに固まって体制を整えて!」

「なんだか知りませんが、そう長くは持ちませんよ!」

「1分でいいから!」

「応!」


 アイザック達は威勢よく返事をする。


「アドラス様、使い方を」

「……魔力を柄に込めて魔術の名を唱えればすぐに発動する。だが」

「それで十分です」


 気息を整える。


 息を吸って、肺の中の空気を吐き切る。


 剣を振る前の呼吸は何度となくお祖父様に教えられた。


 斬るときは迷ってはいけないから。


 私の呼吸、


 剣撃の鉄の音、


 爪牙の振るわれる風切り音、


 咆哮、


 蛮声、


 足を踏ん張った時の砂や石くれの軋む音、


 傷口から滴れ落ちる血の雫、


 悲鳴、


 咆哮、


 咆哮、


 目に写り耳に聞こえるすべてを無責任なまでの冷静さで受け入れ、その中にあるただ斬るべきものだけに絞って知覚する。虎の姿と虎の咆哮だけを受け入れ、捉える。苦境にあえぐ味方の姿すら視界と認識から省いた。


『燃えよ燃えよ心の臓腑よ、鳴らせ鳴らせ鼓動を鳴らせ、回せ回せ血潮を回せ』


 ニ度目の強化の魔術を使う。日に何度も使える魔術ではない、魔力の枯渇感を感じ始めた。本来ならその時点で強い倦怠感が頭を巡るが、今はこの状況がそれを許してくれないし、今までにない集中がそれを打ち消してくれる。


 そして、


『神速』


 詠唱はせずに柄に魔力を込めた。


 その瞬間、またも世界が劇的に変質した。


 まるで濁りきった重い油の中に落とされたように空気が粘ついた。


 ブラッドタイガーが腕を振り上げているのを見た。


 ブラッドタイガーが傷を負ってそれを庇いながら咆哮を上げているのを見た。


 後ろに引きながら噛み付くチャンスを狙っている者、


 ただ暴れまわっている者、


 味方の武器を奪わんとしている者、


 傷を追った人間の血に鼻をひくつかせている者を見た。


 全てを捕えた瞬間、剣がたどるべき路が見えた。




「奥義、七紋雲雀しちもんひばり




 あとは、それをなぞるだけだった。


 赤い花が七輪、咲いた。


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