言の葉と春
「またね。ことのは」
予鈴が鳴り立ち上がった少年はそう言って手を振ったあと鳥居の向こうに消えていく。
神社の境内に風が吹き抜け木々が揺れる。
私は全身に疲れを感じてその場に腰を下ろした。信仰がなくなった時からというもの、失っていく力はもうすぐ底をつこうとしている。
燃料を補充されなくなったエンジンが次第に動かなくなるように、私という存在の維持さえも危うくなっていた。
社の中で一人、錆びて光も反射しなくなった鏡に現実をみて深いため息を一つ。
「もうあれから一年もたつか……。」
この神社の神である私はもう消えていてもおかしくない、いや消えていないとおかしいような時間が経過している。
だけれど、彼と会ってからは力の減少の仕方が小さくなっているのを感じていた。
彼、さとると会える昼休みのこのひとときが私にとって最も幸せな時間になっていた。それは永遠に続いてほしいと思えるほどに。
――明日も来てくれるかな。
私はその場に横になると、冷たい床に頬をつけてゆっくりと瞼を閉じた。
この神社は村の豊作を願って建てられ、この“願い”によって私は存在した。
当時は荒れていたこの地を私は人々の信仰の力を使って田んぼや畑を豊かにしていき、その甲斐あってか毎年米や稲、野菜などいっぱい採れるようになった。
それによってますます、村人が増え、田畑が増え、そしてこの神社の参拝者が増えた。
「おかげさまで畑が豊かになって、家族もお腹いっぱいたべられます。ありがたや、ありがたや」
私はこの言葉が嬉しくて、嬉しくて頑張って力を使い続けた。
しかし人というのは寿命が短い。
子の第、孫の第になっていくにつれ豊作が当たり前になってくると、日に日にこの神社は忘れられていった。
失っていく信仰――生きる力。
――今日は五人しか来てくれなかった。明日はもっと来てくれるかな。
――今日は一人……か。
――今日は……誰も来なかった。
けれど、私はもう一度あの言葉を聞きたくて、少しずつ、少しずつ田畑へと力を送り続ける。
私を忘れていく村人。
――彼らはもう私なしで生きていける。
そう思った私は力を使うのを止めた……消えるのは時間の問題だった……。
月日が過ぎ去ったある日、私が社の外で日向ぼっこしていると地元の高校の制服を着た少年が現れ縁側で昼寝を始めた。
その時私はなんとなく、久し振りに神社へ訪れた人のそばに正座した。
来る日も来る日もここへ来て昼寝をしているその無防備な姿を、いつも隣に座って眺めるのが日課になった。
そんな日が続いたある晴れた春の日、いつも通り気持ちよさそうに眠る少年を見てふと独り言がでてしまう。
「天気が良いからさぞ心地良いだろな。」
「あぁ。すごく良いよ。」
私は驚いた。
人に私の声は届かないはずだ……なのに彼は返事をしてきたのだ。
あまりの出来事に勢いよく立ち上がろうとすると袴の裾を踏んでしまって派手に転倒。
体に衝撃が走るが、気にしてはいられないほどに動揺していた。
「お主、私の声が聞こえるのか!?最初から見えていたのか?」
顔の熱が急上昇するのを感じる。
「見えてはいないよ。けど、誰かがいる気はしていた。」
「そうか……。」
“見えていない”その言葉に私は安心してふぅっと息を吐く。
少年はゆっくり体を起こて座り直して私の方向を指す。
「ここにいるのかい?」
「あぁ……。」
目が合わないところを見ると本当に私の姿は見えていないらしい。
そうか、と彼は微笑みながら口を開く。
「早速だけど自己紹介でもしよっか。僕の名前はさとる。君は?」
一度考え込んでしまう。なぜなら私は“神”として存在はしているもののそれ以外の呼び方はされておらず、その神というのも名前にはふさわしくないと思ったからだ。
「私に名はない。」
「名はない……か。じゃあ僕が付けて良いかな?」
彼はにっこりしながらは私の声がする方向を見て提案してきた。
「あぁ、別に良い。」
もうすぐ消える身ならば最後名をもらうというのも悪くはないだろう、そう考えている私を尻目に彼はすぐに答える。
「じゃあ“ことのは”はどうかな?君の声しか聞こえない。だからことのは」
「ことのは……か。うん、それはいい。」
それから、しばらくの間さとるとはいろいろな話をした。
初対面なのにも関わらずお互いの今までのこと、彼の家族のことや学校の話などほんといろいろ。
彼は両親の転勤などで数々の学校を転々としてきたらしい。行く先々で一時的に友人はできるものの、繰り返すたびに変わりすぐに別れが来る。そのせいか今は人に苦手意識が芽生え友人が出来ないと言う。
だから昼休みになると学校の裏山にあるこの神社に毎日来て昼寝をしていたのだ。
私も自分がここの神であることや昔の話、そして力のことなどたくさん話した。
瞬く間に時が過ぎ、予鈴のチャイムが鳴ると慌てて彼は立ち上がる。
「そろそろ授業だ。じゃあまたね、ことのは。」
「うん。また」
そう言って彼を見送った。
それからさとるとは、晴れの日も曇りの日も、夏、秋、冬と毎日のように話をした。学校の話、好きな食べ物の話、時には言葉遊びなど声だけで出来ることはほとんどした。
「ことのはと話しているとすごく落ち着く」
そんな彼の言葉はいつも私の心を包みこんでくれた。忘れ去られていた時の寂しさもすべて。
長年、存在をしてきたがこれほど時間が早く幸せに感じたことは、初めてのことだった。
いつも嬉々として話す彼に私は次第に惹かれていった。
私の世界は色づき、輝きに満ちあふれる。
――こんな日々が永遠に続いてほしい。
日を追うごとに体力が減っていくのを感じながらそんなことを想っていた。
晴れて暖かい春の朝――その日は唐突に訪れた。
「ことのは!大事な話があるんだ!」
春休みにも関わらず、さとるはいつもより早い時間に突然やってきた。
――あんなに慌ててどうしたんだろ。
私は重たい瞼を開いて社の外へ出ると、肩で息をする彼の姿があった。
「どうしたんだ?こんな早くにそんな急いで」
いつも笑顔で穏やかだった彼の表情は憂いに満ちる。
私の頭にはあることがよぎるが、首を振って奥の方においやった。
「僕……明日、引っ越すことになった。急に父親の転勤が……。」
瞳に涙を浮かばせながら力なく言った言葉が私の心に突き刺さる。
自然とこぼれ落ちた滴は、頬を伝って虚空に消える。
止まらなかった――
制限をなくした涙は拭っても拭っても溢れ出てくる。
声にならない声が二人きりの空間に響く。
「泣いてくれているのか?僕のために」
さとるは見えない私の涙に気付き、見えないはずの私に近づいてくる。
「あぁ……」
「ありがとう」
彼は私の目の前に来て言った。
合わない視線にさらに涙がこみ上げる。
流れ込んでくる強く、暖かい力。
私は、ようやくここで気がついた。
――私がこの一年間消滅しなかった理由って……。
――さとるがいなくなれば私はきっと消えてなくなる。ならばここで……。
今まで少しずつ削っていた力をすべて一度に解放した。
「ことのは?ことのはなのかい?」
すると彼ははっきりと私をの目を見て訪ねてくる。
もともと私が“そこにいる”ことは感じ取っていた彼は力が高まった私を目視できるようになていた。
「あぁ。私がことのはだ。」
何故見えているという疑問はもはや抱けないほどに、彼に私が見えていることが何より嬉しい。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で必死に笑顔をつくった。
「見えている……僕にことのはが……」
私は深呼吸をしてゆっくりさとるに語りかける。
「私は信仰を失ってから少しずつ力を削って存在してきた。」
「うん……それは前に聞いた……もう時間がないことも」
「そう。本当はとっくに消えていてもおかしくなかった……けれどあなたと出会ってから私の減っていく力が少なくなって……」
一度言葉をくぎって、再び口を開く。
「さとるの想いが私の力になってここまで存在をつなぎ止めてくれていた。さっきの“ありがとう”でようやく気付けた……。」
「じゃあ僕はなんどでも言い続ける」
「いや、私はもうあなたの想いだけでは回復できないほどに力を失った。だからいずれ消滅する……ならばただ消えるのを待つだけじゃなく……あなたの……」
ここまで話すと収まりかけていた涙がどっと噴き出してきて……と、突然私の体を、強く、軟らかく、そして何よりも暖かいものが包んだ。
「ありがとう……ありがとう、ことのは。僕は君がいてくれたおかげで毎日が楽しくて……。」
私もさとるを抱き返した。強く、強く。
「さとる……私もだ。私も幸せで幸せで……。」
いつまでこうしていただろうか。何秒、何分、何時間だったかもわからない。
この時間一瞬だけがいつまでも、永遠に続いてほしかった。
しかし終わりが来る。
「そろそろ私の力はなくなる……。あなたは優しくて素敵な人……だから次の地でもきっと良い友人ができるはず……。」
「うん……絶対いっぱい友達作って……。」
みるみる失われていく力に体が透けていく。
――辛いときも、悲しいときもあった。
――けれど……私は今すごく幸せだ。
――ありがとう、さとる。本当に。そして……
「幸せをありがとう。そして――愛していました……」
そのまま体が弾け無数の光となった。
「ことのは……僕も……。」
さとるは腕の中にまだぬくもりを感じていた。
涙を拭いて立ち上がり、社へ手を合わす。
暖かい春の風が神社の木々を揺らし、彼の心を包みこむ。
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