三．中帝国・丹精国大展覧会
帝都の東側を構成する行政区画、東部直轄市は大店や大企業が建ち並ぶ商業街、企業街だ。目抜きの大手通沿いには背の高いビルヂングが集中して建ち並び、日がな賑やいでいる。
その活気の中心ともいえるのが件の東條百貨店の本店である。警察署の斜め向かいに建つ瓦屋根の建物がそれで、屋上に幾つか浮かべられた広告風船には『中帝国・丹精国大展覧会 開催中』と大書された幕がぶら下がっている。
中帝国および丹精国とは、かつて和州と西欧の広大な領域を支配した大国だ。最大版図は当時知られていた陸地の六割を占めていた。丹精というのは中と改号する以前の国号であり、発祥の地方とこの国を興した有力部族の名でもある。地方や部族名としては現代でも通用する。
東西の大陸を領した皇帝のもとには、世界中から様々な財宝が献上されたという。だが、衰亡の中で大半が略奪されてしまい、貴重な文物は各地に散逸してしまった。
〈金泥五彩螺鈿鋼櫃器〉を含む数十点は、百年近く前に大陸北方の丹精時代の遺跡で発見された。のちに帝都の邦倉院に収蔵され、現在は帝国碩学会の所蔵物となっている。
展覧会はこうした経緯を持つ古代の秘宝を呼び物として開催された。主催の百貨店はひと儲けを企てていたのだが、噂に名高い怪盗からの予告状が届いて上を下への大騒ぎ。百貨店の要請により即日、はす向かいの警察署から多くの制服警官たちが警備に乗りこみ、最上階の展覧会会場には特高の腕利き捜査官たちが常時詰めることとなった。百貨店側の陳情により展覧会は決行されたが、百貨店内部には特高主導の対策本部が設置された。
展覧会は百貨店の一番大きな催し場を丹精風に仕立てて会場としている。会場内には赤目の白龍が彫られた丹色の列柱が並ぶ。赤目の白龍は皇帝の象徴だという。
「どう思われます？」
「どう思う、と聞かれたらどう思うと思う？」
もっと具体的に言わんとわからんよ、と手毬月が横目で見上げながら言う。隣に立つ河原崎は目を丸くして口ごもった。禰宜山直属の大柄な上級警部で、対策本部の捜査主任を務めている。手毬月の視線は展覧会場の奥に置かれた大きな塊に向けられた。
例の宝物は天心院（丹精の宮殿）を模した空間の最奥部、まさしく玉座の位置に鎮座している。丹精国が西欧で地盤を固め、中へと国号を改めた際、当時の国王がヴリル教会の総本山より献上を受けた逸品だという。〈金泥五彩螺鈿鋼櫃器〉というのは、邦倉院に収蔵されるにあたって、その外観に基づいて与えられた名称だ。当時はなんと呼ばれていたのか、それを示す文献は発見されていない。
四角い台座状の物体は金泥と五彩の螺鈿で華やかに施されている。各種の貝殻や宝玉を嵌めこんだ、複雑に絡み合う円形の可動部は歯車に似ている。また、深山を描いた金泥と螺鈿には、複数の小さな穴が巧妙に隠されている。金泥によって季節の花々が描かれているのは円筒状の部位で、そこから突きだす鳥が描かれているのは棒の部位だ。それぞれが煙突やシリンダーに酷似している、ように見えないこともない。台座から突きだした棒は操作桿、のようでもある。
絢爛な装飾を抜きにすれば、この宝物は旧型の蒸気機関のような外見を備えている。碩学会はこれがどのような機能を持つのか、本当に蒸気機関であるのかどうかを断定できていない。すべては煙突やシリンダーの通じる先、つまり内部の機構を確認できないためだ。丹精時代の文献から鋼製の櫃であるというのは辛うじて判明している。櫃ならば開けることも出来るし、何かを収めることもできるのだろう。開け方さえもが不分明でなければ。こじ開けてしまえば貴重な文化財を破壊してしまう。碩学会は現状で『蒸気機関様の古代の工芸品』との判定を下さざるをえなかった。
現代的観点に立てば蒸気機関に見えなくもない。しかし、原理は別にして蒸気機関という装置はまだ一世紀近い歴史しか持っていないのだ。中帝国の滅亡は西欧で蒸気機関が発明されるはるか以前の出来事だ。煙突やシリンダーに見えてしまうというのは、現代に生きる碩学やその信奉者たちの誇大な想像にすぎないのだろう。
碩学会とて妄想だけを取り扱うお遊戯会ではない。きちんとした文献や研究に基づいて、古代の祭祀用具だとか、皇帝の化粧箱だとか、ヴリル教会の聖典に記されている遺物だとか、様々な説を発表している。だが、当時の教会がどういった用途を想定して献上した櫃なのかは、やはり誰にも解明できていなかった。
「つまり、白貌仮面の手口ですよ」
河原崎は何度か時計を確認してからようやく口を開く。
「手毬月探偵はまさかこれを持ち去ることが可能だなんて思っては――」
「いるがね」
手毬月の鋭い視線が再び斜め上を向く。
「まさか獣が盗みに来るなんて思っているわけじゃないよな？ 邦倉院からここまで普通の人間が頭を使って搬入できたんだ。知恵がありゃ誰だってできるさ」
頭二つ分ほど低い位置から、切れ長の瞳で睨まれて河原崎は頬をかく。
「そりゃあ、搬入はできますよ。運搬には車を使えますし、ここの入り口も昇降機関もでかいのがありますからね。ですが警備の目をかいくぐって盗むとなると、話は別じゃありませんか？」
宝物の高さと奥行きは二尺ほど、横幅は四尺ちょっと。重さは不明だが鋼製とされている。搬送に従事した五人の屈強な作業員は、口をそろえてかなりの重さだと言っていた。一人で盗みだすなんて常識的には考えられない。河原崎は言外にそう告げている。
「怪人が奇想な手段を用いるのはいつものことだろう。私にだってこれを持ち去る方法の二、三は思いつくってのに、職業柄、怪人に精通しているはずの特高主任がこれでは……、部下たちの先が思いやられるな」
「……どういう方法ですか？」
ギョッとした顔の河原崎が問う。
「口になどできるか。あの変装野郎がそこらにうじゃうじゃいる捜査官の誰かに化けていないとも限らないだろうが。ええ？」
「そんなことはありませんよ！ すでに対策は取っています」
現場に入る捜査官たちは、あらかじめ念入りに顔や背格好、その他本人と同定できる情報を特高が手を尽くして確認している。少しでも不備がある捜査官はこの捜査には選ばれていない。また、捜査官は常に三人ないし四人一組で動くように厳命されている。
全ては変装を得意とする白貌仮面への対策である。もしも怪人が最初から捜査官に成りすまして現場に入っていたとしたら、警備そのものが意味をなさなくなってしまう。この怪人を相手にするときは、身内を疑ってもやりすぎということはないのだ。特高は、白貌仮面の変装は特殊な化粧や被り物で行っているものであると考えている。前述の身元調査の他にも、顔を引っ張る、運動能力を測るといった身体検査も行われていた。
「私だってこの通り、厳重な確認に合格してここの主任を任されているんですから」
河原崎は頬を引っ張ったり飛び跳ねたりして特高の対策を自賛してみせた。
「へぇ、私は顔を引っ張られたり、身体をまさぐられたり、捜査官の尾行を受けたりはしなかったぞ？」
「手毬月探偵は碩学級探偵ですから、怪人が相手でも一人で立ち回れますし……」
「ふん、たいした信頼だが例外を作るべきではないな」
「う……」
「突破口などいくらでもある。百貨店の従業員、搬入に従事した作業員、百貨店に出入りする業者、全てくまなく調べたかね？ 買い物客たちはどうだ？ 客になりすまして店内にこっそり隠れているかもしれんぞ？ なんならいまから私も本物かどうか確認したほうがよいのではないかね？」
「確認。……したほうがよいでしょうか？」
戸惑う河原崎を尻目に、手毬月は顎に手を当てて黙考する。すでに常識外の手段への対策はある。向こうだってわざわざ対象を指名してきたのだ。対策の予測ぐらいはしているだろう。だが、こういう時はかえって正攻法が不意を突くことになるものだ。
手毬月は横たわるような宝物を見た。贅を尽くした装飾の操作桿や基盤らしきものが並んでいる。
「そもそも、だ。変装野郎は本当にこれを運び出すつもりなのかね？」
「予告状には『輝きを手にしたい』なんて書いてあったじゃないですか。運び出さないでいったいどうやって手にするというんですか」
「ふふん、少しは自分たちで考えたらどうだ？」
鼻で笑って口角をつり上げ、手毬月はそのまま会場を出ていこうとする。
「ちょ、ちょっと、どこへ行くってんです！ 白貌仮面は朝方に今夜盗み出すと予告してきているんですよ！」
河原崎は慌てて手毬月の肩をつかむ。その顔はくしゃくしゃで、鼻をかんだちり紙か、親とはぐれそうになった子供のようだ。少なくとも当局の者が浮かべてよい表情ではない。
手毬月は嘆息し、肩に置かれた河原崎の手に乾いた目線を向ける。口元だけの笑みが浮かぶ。会場が禁煙でなければ、いますぐにでも心穏やかに紫煙をくゆらせていただろう
「碩学会の奴らが急な依頼をねじ込んで来やがってね。なに、夜には戻る」
肩の手を払いのける手毬月は、待ってくださいよという悲壮な呼びを背に、肩に掛けた軍用外套を揺らし、彼女は足早に階段の方へ消えていく。
河原崎は肩を落として、古代王国の遺物を悲しげに見つめていた。しかしやがて決心に満ちた顔つきとなって、周囲の捜査官たちに声をかける。
「こいつの最終的な確認を行うぞ。傷つけないように誰か手伝ってくれ」
