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魔術師シリーズ

幼なじみ

作者: riki

「…………ええと、どちらさま?」


 五年ぶりに見る幼なじみは激変していた。

 剥げた金メッキだと笑われていた白っぽい金髪は鮮やかな黄金に。

 瞳孔ばかりが目立った薄い色の瞳は憂いのある青灰に。

 あたしより頭半分ちいさくて、ひょろひょろで、いつも「まってよジェシーちゃん」とあたしの後を追いかけてきた二歳下の幼なじみ、もやしっこのエルネストくんはどこにいきましたか。

 まさか首が痛くなるほど見上げなければいけない、このノッポの青年だったりしますか。


「ひどいよジェシー、僕のこと忘れちゃった?」


 旅の疲れを残していても人目を惹く整った目鼻立ち。苦笑した美青年と、女顔の少年の面影が重なり――ませんっ!

 ならない! 成長してもこうはならないでしょう!?

 小鳥のようなボーイソプラノは掠れた低音になってるし、しょっちゅう女の子と間違えられてたバッシバシの睫どこいった!? あ、それはあるか。

 とにかく! 心の中の弟、あたしの可愛いエルは断じてこんなじゃない!


「あの、なれなれしくジェシーって呼ばないでもらえますか」

「どうして? 家族と僕だけの特権だって、君が許可してくれたんだよ、ジェシー」


 む、どこかで聞いたようなセリフを。


「許可したのはエルにだけです」

「僕がそのエルネストだよ。……ひょっとして、疑ってるの? なら証明してみせようか。つまみぐいするパンは売り棚の下から二番目。手なづけてまたがろうとした犬にお尻を噛みつかれたのは五歳の誕生日の翌日。ガキ大将のサムと決闘するって棍棒作りを手伝わされたことも覚えてるよ。隠し武器だって上着に縫いつけた目潰しがしっかり縫い過ぎて取れなくて、二人がかりで挑んだけどこてんぱんにやられちゃったよね。仕返しに掘った落とし穴にはまったのが牧師さんで、あのときジェシーのおじさんにもらった拳骨は本当に痛かった。八歳までおねしょしてて、こっそり僕の家に布団を干しに、」

「わぁぁぁっ!! もういいっ、もうけっこう! あなたがエルだって認めるわ!!」


 詳しすぎるっ。これが他人だったら喋ったエルを逆さ吊りにするところだけど、あたしのしってるエルはそんなことをする子じゃない。淡々とあたしの黒歴史を暴露していた青年は、「よかった」と嬉しそうに笑った。

 片頬にだけできるえくぼ。

 …………なんだ、エルじゃない。

 五年前に家を出たっきり一度も顔を見せなかった薄情者。

 髪も瞳も体つきも変わっているけど、大切なあたしの幼なじみ。


 エルが帰ってきたら一番に言おうと思っていた言葉を、ようやく口に出すことができた。


「おかえりなさい、エル」


 ハッと目を見開いたエルは昔のように一瞬うつむき、はにかんで答えた。


「――ただいま、ジェシー」




+++++++++++++++




 戻ってすぐ店に寄ったようで、まだ荷物も馬車の中だというエルはあわただしく去っていった。「父さんと母さんには挨拶しないのー?」と呼びかけると「荷物を降ろしたらあらためてくるから、よろしく言っておいてー!」と叫び声がした。

 これだけ大きければよろしくもなにも、厨房の両親には聞こえているだろう。案の定聞きつけた母が焼き上がったパンを乗せたトレーを手に出てきた。


「エルネスト君帰ってきたのねぇ。ジェシー、彼を手伝ってきたら?」


 可愛がっていたエルの帰郷がよほど嬉しいのだろう、母は満面の笑みだった。

 現在午前十時。朝食には遅く昼食には早いこの時間は、お得意様にパンを配達に行っている。


「配達は母さんがいくわ。今日は注文が少ないから大丈夫よ」

「笑顔で注文が少ないなんて言わないでよ母さん。それに、店番はどうするの? まさか父さんに?」

「まさかとはなんだ。おまえが店を手伝う前はな、父さんがちゃんと店番をしてたんだぞ」


 腕まくりした父は手から小麦粉を払い、売り子の椅子にどっかりと腰をおろした。

 あたしという愛くるしい看板娘のかわりに、むさくるしいひげ面のオヤジがニッと笑う。……売れるパンも売れないわ。


「ちゃんと? おつりを間違えまくって、あげくにはお客さんが計算してたって母さんが言ってたけど」

「むっ、昔のことなど忘れた! 過去はふり返らん主義だ。ファレルさんたちも店があるだろう。エルネスト君はひとりで大変なんじゃないか? 手伝ってきなさい」


 エルの家は靴屋さんをしている。職人気質のおじさんは工房にこもりおばさんが店番をしているが、五年ぶりに息子が帰ってきても生真面目な二人が店を閉めてエルを手伝うなんて考えられない。

 荷物、どれぐらいあるんだろう……?

 迷いながら両親を見ると、わかっているという風にうなづかれた。


「それじゃあ、行ってきます」


 チリンとドアベルを鳴らし、あたしは隣の家へ向かった。




 エルは横づけした荷馬車から御者と二人で荷物をおろしていた。庭に積み上げられるのは木箱が多い。手を出しあぐねている間に荷おろしの作業は終わり、代金をもらった御者は馬車を走らせて去っていった。庭には小山をなす木箱。日用品や服の類が少ないのは男の子だからだろうか。


「けっこう多いわね」

「これでも厳選したんだけど、五年間だからね」

「今までどこでなにしてたの? おじさんはなにも教えてくれないし、心配してたのよ?」


 エルは五年前に突然街を出て行った。まだ十三歳だった。

 びっくりして、心配で、エルのおじさんに尋ねたら「男を磨きに行ったんだ」とかわけのわからない理由で押し切られ、連絡先も教えてもらえなかった。

 出て行った一年後に手紙が届いた。彼の家族にだけかと思っていたら、「これはジェシカちゃんにだよ」っておじさんが折りたたんだ紙をくれた。

 ――心配いりません。僕は元気です。

 たった一文。薄情なやつだと思いながらも返事を書いたら、おじさんが「一緒に出しておくよ」と受け取り宛先を教えてくれなかった。あたしには居場所も知られたくないのだとひそかに傷ついていた。

 それから年に一通ずつ手紙が届き、今年もそろそろ届くころかな思っていた矢先、本人が帰ってきた。


「なにも言わずに出ていってごめん。ゼイムにいたんだ」

「ゼイムって、あの《魔法都市》?」

「そうだよ」

「知らなかった。あなた魔術師になりたかったの?」

「目指してはいたけれど、結局なれなかったんだ」


 話にしか聞いたことがない《魔法都市》。そこで魔術師に弟子入りしていたのだという。

 エルは幼いころから頭の回転が早く、一度見聞きしたことは忘れない優れた記憶力をもっていた。それでも神は二物を与えなかったようで、魔力が弱かったらしい。

 魔力といわれてもピンとこない。


「魔力ってなに? 魔術師の作る薬はとんでもない効き目で、死にかけの人間も走り出すって噂だけど、それは魔力が関係しているの?」

「さすがにそれはデマだけど、魔術師が薬に魔力をこめて効果を高めているのは本当。でも僕は魔力に乏しくて強力な薬を作れない。一度は破門されそうになったんだけど兄弟子がとりなしてくれて、薬の調合を教わることができたんだ」


 魔力は良質の薬ほど強大な効果を発揮するので、魔術師は優秀な薬師でもあるそうだ。持ち前の頭脳で多種の調合をおさめたエルは、師匠から独立を認められたらしい。


「僕に魔術の才はないから薬師としてって意味あいが強いけど。ジェシー、このことは秘密にしておいて。魔術師に師事していたって聞けば、街の人は不安に思うだろうから」


 腹が立ったらすぐに呪いをかける危険な人種。自分を含め街の人間が魔術師に抱くイメージはそんなものだ。エルの性格を知る人間にとっては杞憂でしかないけれど。

 現在街に薬師はおらず、皆軽い症状なら猟師が卸す薬草を煎じて治している。調合された薬が欲しければ隣街まで買いに行くしかないので、“薬師”としてなら彼の帰郷は歓迎されるだろう。


「それじゃあ、街にお店を出すの?」

「うん。両親を通じて街には話をしてある。空き店舗を融通してもらえることになってるんだ。当面は持ち帰った薬を販売して、材料の仕入れができるようになったら調合もするよ」

「お店には家から通うの?」

「いや、色んな薬を扱っているから店に住み込むつもり。まだ手続きを済ませてないから数日は家にいるけどね」


 いつまでも庭に置いておくわけにもいかないと、エルは荷物を運び始めた。手伝おうと傍に寄れば、用途のわからない器具や変色した木箱、ツンとくる刺激臭をまきちらす麻袋といった触ることをためらうものが多い。

 思いきって木箱に手をかけると「いいよ」エルに止められた。


「これ、触っちゃだめなものだった?」

「そうじゃなくて、重いから僕が運ぶよ」

「任せて、あたしこれでも力は強い方なんだから」


 うっ、持ち上がらない……。

 木箱はみっしり石でも詰められているかのように重い。啖呵を切った手前力をこめてみるけれどビクともしない。ところが「かわるよ。危ないから離れてて」と言ったエルが触れると、嘘のようにたやすく持ち上がった。筋の浮き出た腕。子どものころはたくましいなんて印象はカケラも抱かなかったのに。

 なら別の木箱にしようと手を伸ばすと、エルは言いにくそうに告げた。


「……ジェシー、お店はいいの? もうすぐお昼だし、忙しくなる時間じゃない?」

「大丈夫、父さんと母さんが手伝いに行けって言ったの」

「でも君の手を煩わせるのは……」

「あたし、邪魔?」


 のらくらと追い払おうとしているエルに正面きって尋ねると、エルは言葉につまった。

 その間が一秒か十秒か、あたしはしらない。

 エルに邪魔にされたことが驚くほどショックで後ろも見ずに駆けだしたから。


 翌日、エルが新しくかまえる店へ引っ越したと父から聞いた。

 ――数日居ると言ったじゃないの。

 自分から逃げたくせに、あたしはエルから避けられているような気になってしまった。




+++++++++++++++




 パン屋の昼は目の回るほど忙しい。

 まだ窯の熱を残すパンを棚に並べ、焼き上がりのベルを聞いてやってきたお客さんの対応。「今日はなにがおすすめ?」とたずねてくるお客さんに「炙りチキンの入ったバジルパンです!」と力強く売りこみ、パンを袋に入れ、代金を受け取り、おつりを返す。

 客足がとぎれるのは二時を回ったころだ。十九年――あと一か月で二十年もパン屋の娘をやっているけれど、混雑が終わるとやはりホッとする。

 店の奥で形が崩れたりして売りものにならなかったパンを昼食にかじる。パンが好きで本当によかった。じゃなかったら寝ても覚めてもパンな毎日に、向かいのパスタ屋へ養女に行っているところだ。

 手に籠を下げた父が厨房から顔を出す。


「ジェシー、配達のパンは籠につめてあるから」

「わかったわ」

「今日はご新規さんがあるぞ」


 新規? めずらしい。

 父が配達を請け負うのはお得意さんのみ。細々とやっているパン屋だから、あまり配達に手をとられると店の方がまわらなくなる。


「どこ?」

「お隣のエルネスト君の店だ。まだ開店してないそうだがな。通りが一本違うだけだ、ブラマーニさんのところへ配達したついでに寄ってこい」


 あれからエルは自分の家に帰ってきていない。隣家の二階は毎日見ているけれど真っ暗だ。

 謝りたいのに機会がなくて、先延ばしにしていたらますますエルのもとを訪ね辛くなってしまった。


「自分で買いにくればいいのに」

「いいじゃないか。せっかくエルネスト君が街に帰ってきたのに、おまえは彼が挨拶にきた日に顔を合わせたきりだろう? 昔はべったりくっついて離れなかったくせに」

「くっついてたのはエルだから。あたしは面倒みてただけ」

「心にもないこと言うな。さ、仕事だぞ」


 見透かしたように苦笑する父に配達リストを渡され、あたしはのろのろと店を出た。




 籠はずいぶん軽くなった。

 あとはエルの注文、サンドイッチとバゲットが残るだけ。こんな少数の個人宅配、通常なら引き受けない。父は「エルネスト君は息子みたいなもんだ」と言ってなにかにつけ甘い顔をする。そう指摘すると「お前には負けるよジェシー」とニヤニヤ笑って返されるから腹が立つ。

 エルの店は以前時計屋があったところだって聞いたけど……。

 腰を痛めた店主が息子の家に引き取られ、空き店舗になっていた場所。看板もなにもないのでためらいながら呼び鈴を鳴らすと、扉越しにガタゴトと物音が聞こえた。

 一分待っても二分待っても、誰も出てこない。

 イライラが不安になり、家を間違えのかもしれないと踵を返しかけたところで、扉が細く開いた。

 隙間から顔を見せたエルは額にクモの巣をつけ、ぐしゃぐしゃの髪をして力なく微笑んだ。


「やあ、ジェシー」

「……なにやってんの?」

「荷物の整理をしてたんだ。店を始める前に、まず店内をきれいにしようと思って」


 ガッと扉の隙間にねじ入れてやった靴先に、エルはあわてて扉を閉めようとした。

 あたしは悪質な押し売りか!


「痛い!」

「ご、ごめん!」


 ふっ、チョロイ。焦った顔で開けられた扉に手をかけ、全開にする。

 扉の奥に広がる光景は開店を間近にひかえた店というより、強盗に家捜しされてそこら中に物をぶちまけられた家、と表現したくなる惨状だった。

 まじまじとエルの顔を見上げると、気まずそうに視線をそらした。

 一応自覚はあるみたいね。

 隣に住んでいた少年は片づけと縁遠い子だった。あらゆるところに物を置いた部屋は乱雑、なのに馬鹿みたいに良い記憶力で場所を把握しているから問題ないとのたまう、まさに馬鹿だった。

 どんな片づけ下手だって横のものを縦にするぐらいの知恵はあるのに、わざわざ転がすのがエル。積み上げればよいものを床に並べるのがエル。整理整頓という言葉を何度教えても脳内辞書に書きこめないのがエル。

 はあっと溜息をつき、パンの入った袋を相手に押しつける。


「ありがとう。待ってて、代金を」

「明日でいいわ」

「明日はパンを頼んでないけど?」

「あたし、明日が休みなの。店の片づけを手伝ってあげる」

「せっかくの休みなんだから、悪いよ」

「貴重な休日をさいて、手伝いを申し出ている幼なじみの好意がわからないの? エルのやり方じゃ一か月たっても開店なんかできないわよ。あたしが手伝うと言ってるんだから、素直にはいって言えばいいの。返事は?」

「……お願いします」

「よろしい。じゃあまた明日」


 微妙な顔のエルが気に食わなくて、プイッと背を向けて歩きだした。




 昔のエルならあたしの手を借りることを迷惑がったりしないはずだ。別に恩にきせたいと思ってるわけじゃないけど、昔と同じように差し出した手を素直に握り返されなかった不満が残る。

 ……五年って、長いんだなぁ……。

 あたしは変わってないけど、エルのあたしに対する気持ちは変わっちゃったのかも。

 二歳下の、頼りない男の子。年の離れた兄しかいないからこっそり弟だと思っていた。ジェシーと呼ぶように言ったのも、もう一人の家族だと考えていたから。

 エルも同じ気持ちだって、信じてたのに。


 エルは年齢に比べて成長が遅く、おとなしい性格だったから、ささいなことでいじめられていた。

 あたしはお姉ちゃんだから守ってあげなくちゃって、いじめっ子からかばっていた。今考えると手を出しすぎるのはよくなかったと思う。エルは同じ年の子にまじってあそぶことが少なくなり、あたしの後をついてくるようになった。一人っ子の彼は兄弟がいない。頼られるのが嬉しくていつも一緒に遊んでいた。

 でもあたしが学校に通うようになると、周囲から孤立し始めていたエルの遊び相手はいなくなった。いじめられて他人に苦手意識をもったエルの関心は書物に向き、勉強面で才能をあらわした。頭でっかちな子どもはいっそう周囲から浮いた存在になってしまった。

 エルが出て行ったあと、どうしてなのかと考えた。成人するにも早い歳、よほどこの街が嫌だったのか、ひょっとしたらあたしのことを嫌いになったからかもしれないと悩んで眠れなかった夜もある。

 胸にぽっかりと穴が開いたようで、自分は寂しがっているのだ、そう自覚したらもっとずっと寂しくなった。

 エルにとってあたしは、なにも言わずに切り捨ててしまえる程度の人間なんだ。




「ジェシー! ジェシー!」


 振り向くと、エルが大股で追いかけてきていた。

 ぐんぐん縮まる距離に違和感をおぼえる。五年前ならあたしの方が足が速かった。追いかけるエルをあたしが待っていて、ううん、振り返って戻って、そこでようやく手がつなげたのに。

 息も乱さず目の前に立ったひとは誰だろう。


「これ、扉に挟んだ足に塗って。傷薬と、こっちは痛み止め」


 そっと手をとられ、手の平に小瓶が二つ乗せられた。

 骨ばった長い指。あたしの手をすっぽり包んでもまだあまりある大きな手。

 あのときつないだ手は、あたしと同じ大きさだったでしょう?


「……あなた本当にエルなの? 本人だったら合言葉を知ってるはずよ」

「まだ疑ってるの?」

「いいからっ、“パンより?”」

「“パスタ”」

「“パスタより?”」

「“やっぱりパン!”、――これでいい?」


 打てば響くように返る秘密の合言葉。

 なにも言えずにいるとエルは真面目な顔で、あたしの手をぎゅっと握った。


「僕って信用ない? ジェシーにおかしな薬を渡したりなんかしないよ」

「そんな心配してないわ」

「だったらどうして不安そうなの?」


 エルが身をかがめてようやく並ぶ視線。囁くように問う声は低くて、近くで聞くと落ち着かなくなる。

 再会してから抱いていたモヤモヤとした感情が強くなった。

 父にお膳立てされたところからして、家族には見抜かれている。同じ街に住んでいて少し歩けば会える距離で、なぜ会わないんだ、避けているんだろう、と。


 だって、エルだというこのひとは誰?

 重い荷物は二人で運んでたのに、あたしでは動かせない荷物を軽々持ち上げ馬車からおろしていた。「危ないから離れてて」って言葉に耳を疑った。袖をまくった腕はがっしりとしていた。今まで自分がひ弱だと思ったことはなかったのに、エルと比べるとなんて貧弱な両手。

 エルはあたしを必要としていない。やんわりと断られそうになった先ほどの片付けの申し出がとどめだった。

 腹立たしいような焦燥感。たよりない幼馴染みはどこ? あたしの弟はどこにいったの?

 あたしを必要としてて、あたしが必要とした、エル。

 やめてよその顔。心配して、気遣って、世話をやくのはあたしの役目だったのに。

 エルがとっちゃったんだ、あたしの立場を。

 睨みつけようとしたのに――変だ、瞳が熱くなってくる。


「……エルは、エルよね? 離れていても変わってない、あたしのしってるエルでしょう?」

「僕は自分を変えたくて街を出たんだ。五年でジェシーが変わったように、僕も変わった。努力して変えた部分もあるけど、一番大切なことは変わってないよ」

「なにを変えたのよ!? あたしはなにも変わってないわ!」


 「え、気にするのそっち?」とこぼしたエルはなんだか落胆したようだけど、しらない。

 あたしは変わってなんかないわ。変わったのはエルじゃないの。

 潤んできた視界でじっと睨みつければ、エルはわからず屋の子をさとす大人のような、困ったものをみるような生意気な目で言った。


「……ジェシーは変わったよ。大人っぽくなって、ますます綺麗になった」

「……は?」

「冗談で言ってないから、聞き返さないで。髪を伸ばすことにしたんだね。似合うけど、悪い虫がつかないか心配」

「いいも悪いも、髪に虫はつかないでしょう」

「うん、でも持ち主にはつくかもしれない。身体だって柔らかそうで、そのスカート、短かすぎない?」

「地面に手の平をつけられるけど、柔軟性にスカートって関係ある?」

「ふくよかになったって意味だよ。街中の男が気にして見てる」

「あたし街中の人に太ったって思われてるの!? やだ!」

「……直接的に言うよ。なんでもジェシーに頼ってしまう弱い自分を変えたくて街を出た。魔術師じゃなくてもよかったんだ、稼ぎのいい仕事なら。五年もかかったけどやっと独立を認められた。もう僕はこの街を離れない。ずっとジェシーの傍にいたいから」


 たしかに魔術師にはなれなくても、薬師なら一生暮らしには困らないだろう。

 エルは自立したくて街を出たってこと? あたしのことや、この街が嫌いになったからじゃなくて?

 聞きたくて聞けなかったこと。今なら勇気を出して言葉にできそうだ。


「…………あたしのこと、まだ好き?」

「好きじゃなくなったことなんて、一瞬もない」

「そう」


 口では素っ気なく答えても、じわじわと喜びがこみ上げてくる。思いきり笑いたいけれどやきもきさせられたのが悔しくて、ムズムズする口元を引きしめて我慢した。家に帰ったらしばらくニヤけてしまうだろう。

 笑いをこらえるあたしと反対に、エルは不安そうに尋ねてきた。


「ねえ、ジェシーは僕のこと、どう思ってるの?」

「もちろん好きよ。当たり前でしょう? 変わったことなんて一瞬もないわ」

「ずっと同じ好き? ……それ、家族愛じゃないか。僕は異性としてジェシーのことが好きなんだ」

「わかってるわよ。だってエルは男の子だもの、マリアやサラと同じ好きじゃないわ」

「~~ああっ、どうして同じ言葉を喋ってるのに! 僕はっ、ジェシーにキスしたいと思う好きなんだ!」


 必死な顔で言いつのる姿に昔を思い出す。

 だだをこねられるなんて十年ぶりぐらい? 甘えられているんだ、と嬉しくなった。

 本当にしょうがない、手のかかる弟。

 あたしのエル。

 背の高いエルの手を引きかがんでもらう。

 期待と不安に揺れる瞳に笑いかけ、親愛をこめて、頬に口づけた。


「大丈夫、あたしもエルのこと好きだから」

「…………絶対違うのに、わかってくれてないのに、手もなくほだされる自分が情けない……」


 なぜかうなだれたエルの頭を撫でて、あたしは弾む足取りで店に戻った。







「うちの娘はかなり鈍いが、よろしく頼むよエルネスト君」

「はい、長期戦でいきます。絶対にジェシーを振り向かせますから」

「うむ。これが五年分の成長か。男ぶりが上がったものだな」

「ありがとうございます。ところでおじさん、売り子の制服変わってますよね? スカート丈元に戻してください」

「あいかわらず記憶力が良いな。娘の五年分の成長を見られていいじゃないか。店の売り上げも伸びたんだぞ」

「僕以外も見るのでよくないです。それに、自制できなくなりそうですから」

「……君も言うようになったな」

「これも五年分の成長です」

「師匠と私」と同じ世界で、師匠がエルネストの兄弟子です。

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