貴女へ
今生まれてきたたった一人の愛娘へ―
あなたが生まれてきた事があなたにとって本当によかったかはわからない。でもママはあなたが生まれてきてくれた事、自信を持ってよかったと言える。
生まれてくれてありがとう
ママの子供として生まれてくれてありがとう
ママは幸福だよ
平成13年
冬12月―高校2年 16歳
妊娠に気づいたときには、もう3ヵ月になってた。
同じ年の6月以来、2回目の妊娠…
親には言えない。誰に相談していいかも分からなかった。
つわりでご飯も食べれない。どうにかしてバレないようにと考えることしか出来なかった。
平成14年2月 17歳
つわりもおさまり、胎動も分かるような時期になってしまった。
12日(火曜)
念のためにと、山田産婦人科に行き、超音波でお腹を見せてもらった。
妊娠5ヵ月―。素人でも分かるくらい人間の形をした赤ちゃんが確かにいた。 心臓が動いている
手足を動かし
口をあけパクパクして…
生きていた
おろせない!
「あと一週間…」
と先生に言われる。
どうやっておろそうか…ではなく、どうしたら生めるか。と考えてた。
親は間違いなく反対する
このまま遠くへ逃げてしまおうか…
一度にたくさんの事を考えてた。
もうおろすことは絶対できない。
自分の今の状況をどのように伝えればいいのか…
伝えたあとの反応は想像はつく
でも自分が言わなければ…こわかった
もちろんまだ自分達だけで子供を育ててはいけない事は、よく分かっていた。でもただ、あの超音波に映ったあんなに元気な自分の子供を見て『中絶』とゆう言葉が出てくるわけがなかった。病院の先生から貰った赤ちゃんの写真を眺めながら、一日一日がすぎていった…それなのに、3月―妊娠6ヵ月
まだ親には伝えることができていない。
早いうちにお母さんに相談できていれば…。たぶんすごく怒られて、殴られていたと思う。 だけど、それでも最後には助けてくれていたと思う。
でも中絶しなかった事を全然後悔してなかった。
生みたい。ただそれだけを考えてた。
自分はこのままどうなってしまうのか?4月―妊娠7ヵ月
11日(木曜)
高校の体育の先生に呼ばれた。
「もしかして妊娠してるんぢゃない?」
「…!!」
いきなりのことでびっくりした。今が1番誰かに話を聞いて欲しかった。そんなときに―
思いきって全部話した
・妊娠7ヵ月のこと
・もう中絶できないこと
・親にも言ってないこと
話しただけで気持ちがだいぶ楽になれた気がした。
その日の掃除の時間、保健室にいった。そこでも保健の先生が話し掛けてきた
「最近は何か相談したいことはないの?」
「…あります」
とだけ答えた。保健の先生に全てを話すと、静かにうなずきながら聞いてくれていた。
最後に
「どうしたいの?」
と聞かれ、
「生む」
と答えた。
「……わかった」
と話し終わってから、担任の先生を呼んでくれた。
「どうしたの?」
と保健室に入ってきた担任に保健の先生が代わりに説明した。
これまで2回の停学を受け、担任にも迷惑をかけすぎていると自分でも理解してるせいもあって目を合わせる事ができない。
『退学』とゆう言葉が出るのではないかと、ドキドキして心臓がとまる想いだった
担任が何か言ってくるまで黙っていた。
「生みたいなら生みなさい!でも学校をやめる必要はない!」
担任が何を言っているのか意味が分からなかった。
「生まれる頃は夏休みでしょう、その休みを利用すれば出席日数もどうにかなる!私が卒業させてあげる」
そんな言葉が返ってくるとは思わなかった。
「両親には自分から言える?」
と聞かれ、
「言えない。」
と即答した。
――夜
自宅の電話が鳴り、ヤバイ!!と直感した。
お母さんがでた。やはり担任からだった。
こわくてこわくて、コタツの中に潜り込み、電話の会話をこっそり聞いていた。
「えー!!」というお母さんのびっくりしている声を聞き、もっとこわくなる。
胎動を感じるお腹を触りながら、赤ちゃんに〈ごめんね。ごめんね。〉と何回も謝り続けた。
受話器を置いた音がして、お母さんの足音が近づいてくる。
コタツの布団をはがされ、怒鳴られた。何も言い返す事はできなかった。
顔を見られないように必死に隠し、大泣きした
その夜は、久しぶりにお母さんと一緒に寝た。4月12日(金曜)
夜勤明けで帰ってくるお父さんとも待ち合わせをして、病院に向かった。
着くと、相手とその親が待ってた。
―25週(7ヵ月) 817グラム
2ヵ月でかなり大きくなった。
「おろしてください!この歳で子供なんて生ませることはできない!どうにかしておろしてください!」
と必死にお母さんが先生に頼んでいる。
先生は
「どこの病院でもおろすことはできない」
と言う。
赤ちゃんをおろされてしまうのか…とゆう恐怖
でもおろすことはできない。とゆうちょっとした余裕がいりまじって、かなり嫌な気分だった。
他の病院を紹介され、次は中央病院へ。
先生が
「人生またまだ長くて、いろんなことがあるはずだ。こんなことでビビッてたらダメだ。今おろしたら殺人で捕まる。生むしかないんだから、生む方向に考えなさい」
とみんなに言った。
その時その言葉でやっと本当におろせないんだと、親達は理解できたのかもしれない。
予定日7月26日
話しも進み、生むことにはなったけれど、今生まれてきてこの子はみんなにかわいがってもらえるのだろうか。
望まれずに生まれてくる自分の子供…
それでも自分だけは一生懸命愛したいと、改めて思えた。
生んでもいいと決まって、少したったとき。今までは自分のことを考えるのが精一杯で周りがよく見えていなかったせいか、少し余裕ができてやっと周りをみると友達が離れていってるのを感じはじめた。
毎朝、一緒に電車に乗って登校してた友達が…
一日中ずっと一緒に過ごしてバカやってた友達が…
授業中でも大きな声を出して笑いあってた友達が…
1番最初に相談にのってくれたあの体育の先生までもが…
冗談を言ったりして仲のよかった英語の先生が…
担任ではないけど、担任以上に一緒にいたあの先生が…
普段他の人を無視しないような人までも、自分を無視する。
授業中、仲のいい順に並んでいた席がすごく苦痛だった。
友達が
「生理遅れてるんだけど〜」
と言えば、
「気をつけなよぉ!あんな風になるよ!?」
と、でかい声でこっちを見て笑いながら話している。
あそこまで仲良しで一緒にいた友達がこんなになってしまうなんて、全く考えてなかった。
下駄箱のなかの靴には、今時古いが画鋲が入ってる。
しかも先生まで自分を無視する。挨拶も返してくれない
イジメだった
友達がいなくなっていくのがわかり、休み時間も嫌いだった。
強がりな性格のため、ツライことを表に出さないようにと下を向かず、何もないかのように歩いた。
でも実際はみんなの目線がすごく恐くて、ちょっと震えてた…
睨む奴には睨み返した。でも実際は涙が出そうになってるのが分かってた…
人間がこんなに恐いとは思わなかった
そんな時いとこのお母さんがある夢をみたらしい
眠っているみほがいて そのみほに小さい女の子が〔がんばって!!生まれたいんだよ!〕と言っていた
次の妊婦検診で確かに女の子だと言われた。
―5月
もうそろそろ9ヵ月。
27日から休みにはいる。
やっと友達に会わず、平和な生活をおくれる、と安心した。
そうゆうわけにもいかず、近所の人や親戚の人に妊娠してることをまだはっきりと話しておらず、隠れるような感じの生活だった。
学校と同じように、周りの目が恐かった。
でも赤ちゃんがいるんだって考えてただけで、すごく気持ちも落ち着ける。
家に帰ると、〔初めての妊娠・出産〕の本をお母さんが買ってきてくれて
そうゆう小さいことでもかなりのうれしさがあった。
6月23日
安産祈願へ行きお守りを買ってもらった。
7月29日(月曜)
陣痛誘発目的で、入院する
30日(火曜)
朝8時から点滴を始める。
だんだん陣痛も強くなり、2〜3分間歇になっても家族が誰も応援に来てくれない。痛みも限界になるので電話すると、なんと親は畑仕事中…こんな日くらい一緒にいてくれてもいいだろと思いつつ
約1時間半後に親到着
腰が砕けそうになり、息もできない程の痛み。
パパも夜8時頃仕事が終わり病院に到着。
イキミがきてもイキんではいけないし、座ってることもできず、早く分娩台へ移動したかった。
陣痛開始から13時間10分―
22時54分 3344グラム
女の子が無事生まれた
生まれた時からぱっちり二重の、パパ似
愛夏です
顔見たら今までの辛かったことも悔しかったことも、全部忘れた。
辛くても、お腹だけは守ってきたことを間違いではなかったと思えた。
『あなたが生まれた時
まわりは笑って
あなたは泣いていたでし ょう。
あなたが死ぬ時は
あなたが笑って
まわりが泣くような
人生をおくりなさい』
まなかを生んで本当によかった。まなかがいるだけで他には何もいらない