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ギャルとオタクの平行線――ダウナー系ギャルに読んでいた漫画を見られたら、まさかの同担で昼休みが特等席になった。

掲載日:2026/03/14

「七巻の考察、全部外れてたんだけど」


「どこが」


「黒幕。わたしは絶対あいつだと思ってた」


「俺も最初はそう思ってた。でも五巻の扉絵、影の形が違う」


「気づかなかった」


「二周目で気づいた」


「わたし三周してる」


「それで気づかなかったの」


「……うるさい」


 念のため確認しておくと、これは俺の妄想じゃない。


 俺のクラスで、たぶん学年で、もしかしたら学校で一番綺麗な女子と、俺は今、昼休みのたびにこういう会話をしている。


 とりあえずひとつ言えるのは、出会いがマンガアプリのポイント切れだったということだ。人生は、わからない。


 名前は、一ノいちのせミオ。


 ウェーブのかかった黒髪、薄いリップ、両耳に三つずつのピアス跡。スカートの丈は校則の限界を一ミリ単位で攻めていて、ベージュのネイルは主張しすぎない程度に整っている。


 かわいい、という言葉は少し違う。綺麗、の方が近い。


 無表情で窓の外を見ているだけで、なぜかそこだけ切り取られた絵になる。本人はそれを、完全に、興味なさそうにしている。


 俺の知ってるギャルとは、少し違った。


「あの子、彼氏いんのかな」


 他クラスの男子が週一でそれを探りに来るのを横目に、俺はひたすら関係ない顔をしていた。騒がしくない。むしろ静かで、いつも片耳にイヤホンを差している。友達といる時間でさえ、目の焦点が少し遠い。


 ダウナー系、というらしい。


 カースト上位のギャル。綺麗で、静かで、俺には関係ない存在。そう貼り付けて、終わりにしていた。


 俺の名前は柊蒼汰ひいらぎそうた。アニメと漫画と考察ブログが生きがいの、私服はチェックシャツとジーンズでだいたい済ませてる漢だ。一ノ瀬ミオとは、宇宙規模で縁がないと思っていた。


 平行線は、交わらない。中学で習った。


 ◆◆◆


「……骸のオルケストル」


 声が聞こえた瞬間、俺は画面を伏せた。反射だった。


 一ノ瀬ミオが、俺を見ていた。いつものぼんやりした目じゃなかった。少しだけ焦点が、合っているように感じた。


「読んでんの」


「……まあ」


「最新話」


「そう」


 何かを言おうとした。でも彼女はもう自分のスマホを取り出して、同じアプリを開いていた。


 『骸のオルケストル』は死者の魂を音楽で操る少女と記憶喪失の青年が主人公のダークファンタジーだ。知名度は低い。それを彼女が知っていた。


 同じ作品。ただ画面ちらっと映るのはロックされた最新話。


「……まさかポイント切れたの?」


 彼女は答えなかった。ただ眉間にわずかに皺が寄って、それが答えだった。


「どこで」


「エルネアが泣くところの、手前」


 最悪だ、と思った。あのシーンにこの作品の全部が詰まっているのに。


 一ノ瀬はスマホを置いて、天井を見上げた。


 不機嫌というほどじゃない。でも、わずかに拗ねたみたいな顔をしていた。


「……報われない」


 ぽろっとこぼれた一言が、なぜかおかしくて、俺は笑ってしまった。


 一ノ瀬が視線を戻す。怒るかと思ったら——違った。


 彼女も、少しだけ笑っていた。


 たぶんこれが、始まりだった。


 ◆◆◆


「作者のインタビューで、手だけは感情を嘘つかせないって言ってて」


「それ、どこの」


「小さいウェブメディア。二年前、一巻出たタイミング」


 一ノ瀬は三十秒で見つけた。


「……世界観の話もしてる」


「読む価値ある」


 それから二人して、昼休みの残りを黙って読みふけった。


 俺はときどき、隣の横顔をちらりと見た。


 真剣だった。さっきまでのぼんやりした顔とは全然違う、ちゃんとした目をしていた。


 好きなものを見ている顔だ、と思った。


 それが綺麗だった。


 さっきまでと別の意味で。


 翌日から、昼休みになると一ノ瀬はイヤホンを片耳だけ外すようになった。それが「話せる」という合図だと、なんとなくわかった。


「三巻のこれ、六巻の布石だよね」


「気づいてなかった」


「二周目で鳥肌立った」


「作者の初期作、読んだ?」


「読んだ。エルネアとあっちのヒロイン、同じ魂だと思う」


「俺もそう思ってた。初期作のヒロインは手を伸ばせなかった。エルネアはその——」


「やり直し」


 俺の言葉を、一ノ瀬が引き取った。


 やり直し。俺が選ぼうとしていた言葉と、完全に一致していた。


 好きなものを話すと、ちゃんと伝わる。説明しなくていい。共通言語がある。


 これが、あの一ノ瀬ミオと成立していた。


 俺は内心かなり混乱していたが、それを表に出す気にはなれなかった。なんとなく、壊したくなかったから。


 ◆◆◆


 それから、日を追うごとに昼休みの会話は少しずつ密度を増した。


「六巻のあのシーン、アニメ化したら絶対カット」


「されない。あそこ抜いたら構造が崩れる」


「でもアニメの尺的に——」


「されない」


 一ノ瀬は断言した。根拠はなかった。でも俺も内心、そう思っていた。


 話していると、時間の感覚がおかしくなった。昼休みが短いのか長いのか、わからなくなってくる。チャイムが鳴るたびに、少しだけ惜しいような気持ちがあった。それが何なのかは、深く考えないようにしていた。


 そんなある日の帰り際、荷物をまとめている俺に、一ノ瀬が声をかけてきた。


「今日、放課後時間ある?」


 疑問形のようで、疑問形じゃなかった。


「……どこに」


「図書室」


「何しに」


「来たらわかる」


 それだけ言って、一ノ瀬は行ってしまった。片耳のイヤホンが、廊下に消えていく。


 俺は少しの間、その場に立っていた。


 図書室。放課後。一ノ瀬ミオ。


 浮かれてるとかじゃない。ただ純粋に、何があるのか気になっているだけだ。そういうことにしておいた。


 ◆◆◆


 放課後の図書室は、想像より静かだった。


 引き戸を開けると、空気が変わった。外廊下の喧騒が、嘘みたいに遠くなる。窓際に女の子が一人、分厚い本を読んでいた。それ以外には誰もいない。

 

 昼休みとはまた違う静けさだった。部活の声が、グラウンドの方からかすかに届いてくる。その音さえ、どこか遠い。


 一ノ瀬はすでにいた。


 書架の前に立って、俺を見るなり「こっち」とちょいちょい手招きする。


 いつもと少し違った。声のトーンが、ほんのわずかに浮いている。


「昼は結構人来るんだけど、放課後はほとんどいない」


「……よく来るの、ここ」


「たまに」


 そういうのか、と思った。賑やかなグループにいる彼女が、一人で図書室に来るのか。でも考えてみれば、あのダウナーな感じは、こういう場所と相性が良いかもしれない。


 一ノ瀬は書架の間を少し歩いた。俺はその後をついていった。


 案内、という感じがした。意図的に、少しペースを落として歩いている。何かを見せようとしている人間の歩き方だった。


 コミック・グラフィックノベルのコーナーに来たとき、一ノ瀬が立ち止まった。


 棚を見て。


 俺は、目を止めた。


 背表紙に見覚えがあった。正確には、見覚えがありすぎた。


『骸のオルケストル』一巻から五巻。背表紙の色と、あのロゴ。


「……図書室に置いてある」


「置いてある」


 一ノ瀬は正面を向いたまま言った。ぼんやりした顔じゃなかった。微妙に、口元が動いていた。


「わたしがリクエスト出した」


「え」


「匿名のリクエスト用紙あるじゃん。三回くらい出した」


「三回」


「一回だと弱いかと思って」


 俺は一ノ瀬を見た。彼女は棚を見ていた。でも耳が、いつもより微妙に赤い。


 三回。同じ作品のリクエストを、三回。その絵を想像したら、なぜかうまく言葉が出てこなかった。


「ちゃんと通ったじゃん」


 俺が言うと、一ノ瀬はそこで初めてこちらを向いた。


「通った」


 言葉は短かったが、顔には書いてあった。嬉しい、と。隠しているつもりかもしれないが、全然隠せていない。いつもの静かな顔の中に、ちゃんと滲み出ていた。


「……すごいじゃん」


「でしょ」


 自慢げにささやかなピースを向ける一ノ瀬。本当に、素直に自慢げだった。さっきまで耳を赤くしていたのに、切り替えが早い。


「でもなんで」


 俺が言いかけると、一ノ瀬はあっさり答えた。


「だって、好きなものは共有したいじゃん」


 真っすぐだった。迷いも、照れも、ない。


 ただそれだけの話だ、という顔をしていた。


 俺は少し、返答に詰まった。


 一ノ瀬ミオという人間は、好きなものを好きと言う。共有したいと思ったら、三回リクエストを出す。それを「なんで」と聞かれたら、「だって共有したいから」と言う。


 一周回って、どこにも嘘がない。


 ……かなわないな、と思った。


 変な意味じゃなく。ただ純粋に、この人間には何か敵わない、という感じがした。


「五巻まであるから」


 一ノ瀬は棚から一巻を引き抜いた。それを俺に向けて差し出す。


「六巻以降は自分で読むとして。最初から読み直す気になったらここで読める」


「それ、読んでほしいから置いたんじゃないの」


「……置いたのはみんなのため」


「みんなの」


「図書室の蔵書は——みんなのもの」


 一拍、変な間があった。


「……棒読みじゃん」


「うるさい」


 そこで一ノ瀬は一巻を棚に戻して、窓際の席に歩いていった。俺もその向かいに座った。


 放課後の図書室で、二人で静かに読んだ。


 外の声が遠い。グラウンドの部活の声が、風に乗ってときどき届く。本のページをめくる音が、静かに響いた。


 俺はときどき、向かいの横顔をちらりと見た。


 一ノ瀬はページに視線を落として、真剣だった。


 好きなものを見ている顔だ、と思った。


 そしてそれを共有したくて、三回もリクエストを出した人間の顔だ、とも思った。


 しばらくして、一ノ瀬がページから目を上げた。


「三巻の扉絵さ」


「うん」


「あの影、六巻の伏線だと思うんだけど」


「俺も気になってた。輪郭が細すぎる」


「ね。あれ絶対意図的」


 昼休みとは少しトーンが違った。静かな分、言葉の間が長かった。余白があった。教室でする話と、ここでする話は、同じ内容でも少し違って聞こえた。


 気づいたら、窓の外がオレンジになっていた。


 一ノ瀬が本を閉じて、伸びをした。


「そろそろ閉まる」


 立ち上がって、鞄を持つ。俺も倣って席を立った。


 引き戸を開けると、廊下の空気が流れ込んできた。


「また来る?」


 歩きながら、一ノ瀬が言った。


「来る」


「じゃあ今度は七巻の話、ちゃんと聞かせてよ」


 そう言って、彼女はこちらを振り返った。


「——蒼汰(そうた)の考察」


 廊下の端で、一瞬だけ足が止まった。


 俺の名前だった。確かに。下の名前。


 一ノ瀬はすでに前を向いて、いつものペースで歩いていた。特に何かを言ったつもりのない顔で、イヤホンを片耳に差しながら。


 しれっとしていた。本当に、しれっとしていた。


 ギャルというのはこういうものなのか。それともこれは一ノ瀬ミオ固有の何かなのか。


 俺にはわからなかった。ただ、答えを出す前に夕焼けが目に入って、なんとなく考えがそっちに流れてしまった。


 それが何なのかは、深く考えないようにした。


 ◆◆◆


 問題が起きたのは、一ノ瀬と話すようになって三週間ほど経ったときだった。


 放課後、帰り支度をしていた俺を、声が呼び止めた。


「ちょっといい?」


 振り返ると、女子が二人立っていた。


 名前は知らない。でも顔は知っている。一ノ瀬のグループの子たちだ。片方は黒髪をハーフアップにした、いわゆるキレイ系。もう片方は茶髪で、笑顔が最初から完成されているタイプだった。


 完成されすぎている笑顔というのは、たいてい交渉の顔だ。


「最近、ミオとよく話してるじゃん」


 黒髪の子が言った。責めているわけじゃない。でも圧はあった。


「……まあ」


「ちょっと、距離置いてほしいんだけど」


 直球だった。俺は何も言えなかった。


 茶髪の子が、笑顔のまま続ける。


「ミオって目立つから。変に絡まれると面倒なことになるし、ミオ自身も望んでないと思うから」


 ね、と言って二人は顔を見合わせた。


 俺は、反論しなかった。


 できなかった、というのが正確だ。


 一ノ瀬ミオには、俺の知らない日常がある。グループがあって、立ち位置があって、見られ方がある。俺みたいな人間と昼休みに漫画の話をしているのが広まれば——それが何かマイナスになる可能性は、ゼロじゃない。


 面倒なことになる。その言葉は、たぶん正確だった。


 でも同時に、少し違う声も頭の中にあった。


 本人は何も言ってない。それを決めていいのは、この二人じゃなくて——。


 そこまで考えて、俺は止まった。


 それを言ったとして、俺に何ができる。かばえるわけでも、守れるわけでもない。むしろ余計なことをして、余計な面倒を増やすだけかもしれない。


 結局、そっちの声の方が大きかった。


「……わかった」


 自分で言っておいて、どこかすっきりしない後味が残った。正しいことを言われたはずなのに。


 二人は「ありがと」と言って去っていった。


 貼り付けたような笑顔は変えずに。


 ◆◆◆


 翌日の昼休み。


 弁当を食べ終えた俺は、スマホを取り出した。


 視界の端で、一ノ瀬がイヤホンを外す気配があった。


 俺は画面から目を離さなかった。


 沈黙が、いつもと違う重さで流れていった。


 三日、それが続いた。


 一ノ瀬から話しかけてくるわけじゃない。でも俺が、毎回それより先に目を逸らした。


 ちゃんとした理由がある。彼女のことを考えてのことだ。——そう、自分に言い聞かせた。


 でも。


 なんか。


 昼休みが、こんなに長いものだったとは知らなかった。


 骸のオルケストルの最新話が更新されても、なんとなく開く気になれなかった。一人で読んでも、面白いのに、どこか足りなかった。


 それが何なのかは、考えないようにした。


 ◆◆◆


 四日目の昼休み。


 一ノ瀬が席を立った。


 友達のところへ行くんだろうと思った。違った。


 彼女は俺の席の真横に立って、無言で俺を見下ろしていた。


 俺は顔を上げた。


 一ノ瀬の顔は、ぼんやりしていなかった。かといって、怒鳴りそうでもなかった。ただ静かに、真っすぐ、俺を見ていた。


「なんか、したっけ」


「してない」


「じゃあなんで」


「……別に」


「別に、じゃない」


 一ノ瀬は隣の空き椅子を引いて、座った。周りがざわついた気がした。彼女はそれを気にしなかった。


「あの二人に何か言われた?」


 疑問形じゃなかった。確認だった。


 俺は答えなかった。それが答えだったと思う。


 一ノ瀬は小さく息を吐いた。怒っているのか、呆れているのか、それとも別の何かなのか、俺には読めなかった。


「……ちょっと待ってて」


 そう言って、一ノ瀬は立ち上がった。


 何をするつもりなのか訊く前に、教室の後ろで友達と話していたあの二人の方へ歩いていく。周りの視線が、なんとなくそっちに集まった。


 あの二人は、仲良さそうに笑いながら話していた。黒髪の子が何か言うと、茶髪の子が大げさに「えーやばい」と返す。ああいう掛け合いが自然にできる仲なんだろうと思った。一ノ瀬のことを心配して動いたのも、たぶんそういう関係があるからだ。


「どうしたのミオ?」


 茶髪の子が笑ったまま言う。いつもの調子だった。


「蒼汰に、なんか言ったでしょ」


 一ノ瀬の声は静かだった。静かすぎて、逆に空気が変わった。


「いや、あれはだってミオのために——」


 言い終わる前に、一ノ瀬の手が黒髪の子の頭にぼすっと落ちた。


 そこそこ音がした。友達にしかやらない感じではあるけど、ちゃんと痛いやつだ。


「あいた——っ、ちょ、何、急に」


 黒髪の子が頭を押さえて振り返る。笑えてない。本気でちょっと痛かったらしく、目が少し潤んでいた。ばつが悪そうでもあった。


「それ、わたしのために言ってるのはわかる」


 一ノ瀬は淡々と言った。怒鳴らない。けど、静かに怒っていた。


「でも、先に蒼汰に言うのは違う」


「だって——ミオが変なふうに見られたら嫌じゃん。わたしたちは別にいいけど、ミオが何か言われるのは」


 茶髪の子の声は、さっきより少しトーンが落ちていた。本気で心配していたんだと、声でわかった。


 今度はその子の頭にも、ぼすっと同じのが入った。


「いた——っ、ミオ、二人連続はさすがに」


 茶髪の子が頭を押さえながら、困ったような顔をした。笑っていない。どうすればいいかわからない、という顔だった。


「それも、わたしに言って」


「……うん」


「二人がわたしのこと考えてくれてるのは、知ってる」


 一ノ瀬はじっと二人を見た。


「わたしが好きで話してること、わかってる?」


 黒髪の子が目を逸らす。茶髪の子は何か言いかけて、やめた。


「合わせてるとか、断れないとか——そういうふうに見られたら、蒼汰に失礼だから」


「……ごめん」


 茶髪の子が先に言った。黒髪の子も、小さく続けた。


「ミオのためって思っただけで」


「うん。そこは知ってる」


 一ノ瀬は少しだけ間を置いた。


「だから怒ってるっていうより、ちゃんとわかってほしい」


「わたしのことは、わたしに言って。勝手に蒼汰に迷惑かけないで」


 二人はしゅんとした。さっきまでの軽い空気が、きれいに消えていた。見ていてちょっと気の毒になるくらい、わかりやすく。


 でも一ノ瀬も、それ以上は何も言わなかった。詰めない。ただ伝える。そういう怒り方だった。


 一ノ瀬はそれ以上何も言わず、席に戻ってきた。


 しばらく沈黙があった。


 窓から風が入ってきて、黒髪が少し揺れた。


「あのさ」


 一ノ瀬が口を開いた。さっきより低い声だった。


「わたしは」


 俺を見たまま、続けた。


「好きなものが、好きなの」


 教室の騒がしさが、一瞬遠くなった気がした。


「かわいくなるのが好き。校則ギリギリでおしゃれするのが好き。あんなんだけど、あの子たちといるのが好き。骸のオルケストルが好き。エルネアが好き」


 一拍、間があった。


「蒼汰と骸の話をしてる時間が——好き」


 その二文字が、じわりと刺さった。


「ギャルはこう、オタクはこう。そういう話、わかるよ。気にしないわけじゃない」


 一ノ瀬は窓の外に目を向けた。薄曇りの空が、教室のガラスにうっすら反射していた。


「でも、いつの間にかそれが人間の評価になってくじゃん。ギャルだから、オタクだから、だから話が合うわけないって。だから距離を置いた方がいいって」


 声は静かなままだった。荒げない。でも、確かだった。


「わたしがギャルっぽくするのは、好きだから。友達といるのも、好きだから。あんたと骸の話をするのも、好きだから。それだけ」


 そこで一度、止まった。


「誰かに決められた枠の中で、好きって言えなくなるのは——わたしは、嫌い」


 俺は何も言えなかった。


 言えなかったというより、言葉が追いつかなかった。


 一ノ瀬の言ってることは正しかった。俺は「彼女のため」と言いながら、本当は面倒を避けていただけかもしれない。どうせ続かないと、自分から幕を引こうとしていただけかもしれない。


 どちらにしても、かっこ悪かった。


「……ごめん」


 絞り出した言葉は、それだった。


「謝らなくていい」


「でも」


「謝罪じゃなくて」


 一ノ瀬はそこで初めて、視線を窓から戻した。


「続き、教えてほしい。七巻の考察」


 俺は——笑ってしまった。


 つい、という感じで。


 一ノ瀬も、少し笑った。


 さっきまでとは全然違う、綺麗に整った顔が、少しだけ年相応に崩れた。


 ◆◆◆


 翌日から、昼休みはまたいつも通りになった。


 一ノ瀬がイヤホンを外す。俺が口を開く。あるいは逆。


 周りが何を思うかは、わからなかった。たぶんこれからもわからないままだと思う。


 でも一ノ瀬ミオは、好きなものを好きだと言える人間だった。


 だったら俺も、そうじゃないと釣り合わない。


 そういうことだと、俺は理解した。


 遅ればせながら。


 平行線は交わらない。中学で習った。


 でも七月の昼休みに俺が知ったのは、平行線というのは案外、自分で思い込んでいるだけかもしれない、ということだ。


 線を引いたのは他の誰かじゃなく、俺自身だった。


 一ノ瀬ミオは最初から、そんなもの引いていなかった。


挿絵(By みてみん)



読んでいただきありがとうございます( ;∀;)

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短編をもう一つ投稿しているのでそちらもぜひ!

『先輩の告白を手伝ったら、自分が一番後悔した件』

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