断罪回避のため王太子をクレクレ妹に譲った結果、ヤンデレ悪役令息に溺愛されることになりました
「オリビア。悪いが婚約を破棄してくれないか?」
静かな王宮の庭園。薔薇の咲き誇る美しい場所。
婚約者であるルーク・エーディン王太子は、肩をすくめていかにも申し訳なさそうにそう言った。
「お姉様ごめんあそばせ。私達、真実の愛に目覚めてしまったのです……」
その隣にいるのは、私の腹違いの妹・ザラ。彼女はうっとりとした顔でルークにしなだれかかる。
「すまない、オリビア。でも物分かりのいい君なら、きっと理解してくれるだろう?」
その言葉に、ピシリと体がこわばった。
物分かりがいいオリビア。今まで何度もそう言われて、私の意思は無視されてきた。
お互いを見つめ合う、仲睦まじい二人の姿。
私はそれを見て、うつむき肩を震わせる。
だって、だってこんなの……あんまりにも――
計画通りすぎて笑わずにはいられないのよねぇ! よっしゃあああ! これで断罪回避確定だわ〜!!
あんまりにも計画通りに進みすぎて、もう笑いが止まらなかった。
はぁー、まさかこんなに上手くいくなんて思わなかったわ。
事の始まりは一年前、私が十二才の時だ。階段からすっ転んだ私は前世の記憶を思い出し、ある事に気がついた。
……ここ、乙女ゲーの世界じゃん。しかも私悪役令嬢じゃん、と。
聖女として王立学園に特別入学するヒロイン。彼女は特別な魅力で攻略キャラを魅了していく。よくある乙女ゲームのストーリー。このゲームの攻略対象の一人が、私の婚約者で王太子のルークというわけだ。
それに嫉妬し、後輩であるヒロインをいじめて断罪される悪女、オリビア・カーター公爵令嬢。それがこの世界での私の役割だった。
気がついた時の気分? もちろん最悪に決まってる。
ただでさえ意地悪な継母とクレクレ気質のわがまま妹のせいでメンタルゴリゴリ削られてたのに、さらに悪役令嬢転生判明とかどういうことよ。
当然頭を抱える私。
そして、ふと閃いた。
そうだ、クレクレ妹に王太子をあげよう。
そのまま断罪の運命をまるっと肩代わりして貰えばいいじゃない、と。
そもそも王太子はすぐヒロインに惚れるような軽い男だ。私と婚約した理由も『顔が好みだったから』なんてしょうもないものだった。それならよく似た妹でも問題ないでしょ、多分。
私はすぐに妹を王太子に引き合わせた。
私のものを奪うのが大好きな妹。当然ルークに即アプローチ。
ルークは最初戸惑っていたが、段々その気になっていった。
そして結果はご覧の通り。無事に婚約破棄ってわけ。
これで私は晴れて自由の身。せっかくファンタジー世界に来たわけだし、魔法でも極めて楽しく過ごしましょうかね。
計画を成功させた達成感に満たされつつ、私は幸せな未来を一人思い描いていた。
* *
自宅に帰ってすぐ、私はお父様の書斎に呼ばれた。
椅子に座ったお父様が放ったのは、衝撃的な一言だった。
「オリビア。お前は新しくイヴァン・フォスター辺境伯令息と婚約するんだ」
「……はい?」
その声に、私はピシリと凍りつく。
「イヴァン・フォスター辺境伯令息、ですか?」
聞き覚えのある名前。というか聞き覚えしかない名前。
イヴァン・フォスター辺境伯令息。
彼はこの乙女ゲームに出てくる悪役令息だ。
フォスター辺境伯家は王国の端、モンスターが出現する不毛の土地。イヴァンはその家の嫡男である。
領地と民を守れと言われ続け、重い責任に苛まれていたイヴァン。そんなある日、辺境伯領にて大規模な不作が発生する。
ゲーム中のイベントでヒロインはその問題を解決。聖女としての力を示す。イヴァンはそこでヒロインに心を救われ、惚れるわけだ。
そして狂信者と化した彼はストーカーまがいの猛アプローチを始める。しかし攻略キャラ達がそれを阻止。
イヴァンは最後、ヒロインに振られたショックで魔力を暴走させ、彼女と彼女が選んだ攻略キャラに倒されるという運命にある。
つまり、攻略失敗ルート以外全てのルートで破滅するというわけ。
うん、あかん。
なんで破滅回避したらより濃厚な破滅が近づいてくるのよ。
イヴァンとの婚約なんてあり得ない。これこそ即回避案件。
「何故私がイヴァン辺境伯令息と婚約なのですか? 婚約にしてももっと他にいるでしょう」
そもそもゲームでイヴァンは婚約なんてしてなかった。私が知らないだけかもしれないけど。
「フォスター家は防衛の要。だが中々嫁ぎたがる家もない。ここで手を挙げればより我が家は王家からの信頼の厚い家になることができる」
「だからって……」
「ザラは絶対に嫌だといって聞かなかったから、どうすれば良いかと悩んでいたんだ。いやぁ、ちょうどよかった」
ちょうど良くなんてありませんけど!?
お父様は私の気持ち等気にもせず、ポンと私の肩に手を置いた。
「よろしく頼むぞ、オリビア。物分かりのいいお前なら、この意味が理解できるだろう」
その言葉に、私は動けなくなった。
有無を言わせぬその態度。庇ってくれる母もいない私に、当然拒否権なんてない。
こうして私は断罪を回避したはずが、ヤンデレ悪役令息の婚約者にされてしまったのである。
* *
それから数日後。私の屋敷で初めての顔合わせが行われた。
無駄に豪華な応接間には、私とイヴァンだけがぽつりと取り残されている。
あとは若い二人でーって、一体どこのお見合いよ。
私はちらりと前に座るイヴァンを見る。
切り揃えられた綺麗な黒髪に、物憂げな金色の瞳。
見た目だけなら絶世の美少年そのものだ。
キャラデザだけなら好みだったんだよなぁ、イヴァン。
ヤンデレ属性はともかく、基本的には真面目で領民思いの男だった。魔力量はトップクラス、学業成績もそこそこ優秀。しかもゲーム中ではあれやこれやとヒロインに尽くしていたはずだ。……それがいきすぎて身を滅ぼすわけだけど。
待てよ。なら私がこの子の手綱をとって、ヤンデレにならないよううまーく育てれば理想の旦那様になるんじゃないの?
尽くしてくれる、一途で優秀で顔が好みの旦那様。
……うん、悪くない。
私は何度か頷いてから、まっすぐにイヴァンを見つめる。
「イヴァン様。私達はあくまで親が決めた婚約者同士にすぎません。しかし私は、貴方と共に歩んでいきたいと思っています」
イヴァンは目を逸らしたまま、私の言葉を鼻で笑った。
「不毛の地の領主が相手でも、か? 誰も嫁ぎたがらず、俺との婚約という罰を押し付け合う。……無理をしなくていい。理解はしている」
なるほど、そういう経緯があって誰とも婚約出来なかったわけか。手元にあるのは不毛の地。その土地を納める重圧と、頼れるパートナー等いないという孤独。
そりゃ救ってくれたヒロインに執着もするよね。
確かに不毛の土地が相手と聞けば嫌がる令嬢の方が多いだろう。豊かに越したことはない。
だが、私は違う。
このゲームはやり込み要素の多さが売りだった。
学園乙女ゲーなのに領地経営から魔物討伐、はては着せ替えまで幅広い要素を兼ね備えている。
それにハマりまくったおかげで、私の頭には国内の貿易、特産物、魔物の特徴まで全てがインプットされていた。
つまり、めっちゃワクワクしているのである。
あのやり込み要素再現できるわけだからね。しかも辺境伯領という難易度爆高縛りプレイ。いやー、腕がなりますよ。
私は自信満々で、どんと自らの胸を叩く。
「大丈夫です、イヴァン様。私にお任せください」
ガチ勢の私に死角はない。
前世の知識全て駆使して、破滅の運命を回避してみせますとも!
* *
それからは怒涛の日々だった。
魔法の腕を磨いて領地を守り、新たな産業をつくり、貿易ルートを増やして食糧を確保した。
その結果辺境伯は、不毛の地から国内有数の貿易都市へとジョブチェンジしたのである。
いやー、三年間でよくここまでやったわ。
ゲームの知識って偉大。
これで辺境伯領の改革という目標は達成した。
達成した、はずなんだが。
……なのになんで、イヴァンは変わらないんだろう?
人気のない静かな教室。
イヴァンは壁に追い込まれた私に、一気に顔を近づけた。
「オリビア……今日話していたあの男は誰だ?」
「魔法学教師のスミス先生のこと? イヴァンも知っているわよね?」
「そう言う問題じゃない。何故俺に聞かず他の男に頼るんだ?」
「相手が先生だからよ??」
領地の問題が解決しても、何故かイヴァンのヤンデレ属性は固定されたままだった。
おかしい。責任に押し潰されないよう甘やかしたし、愛情不足にならないよう毎日のように愛を囁いた。ちゃんと原因っぽいところは事前に取り除いたはずだ。
なのに他の男と話すとすごい嫉妬するし、常に私のそばにいようとする。欲しいものはすぐにくれるし、困ったそぶりを見せたら解決に向かって全力投球。
どこかで対策に失敗したかな。
……まあいっか。愛されてるのはいい事だし。
このままならヒロインが入学しても問題ないだろう。
イヴァンが彼女に惚れる理由がないからね。
だけど、万が一ということもある。
私は絶対、可愛いイヴァンを破滅させたくない。
念には念を、よね。
新たな計画を立てながら、私は新学期へと備え始めた。
* *
新学期は順調そのものだ。
ヒロインであるは予定通りに入学してきた。この世界では、彼女はマリーというらしい。
予想通り、イヴァンはマリーに特に興味を示さなかった。
今の所、私の計画は大成功だ。
……ただ一つ、想定外だったことはあるけれど。
睨み合うマリーとイヴァン。
その間に挟まれ、私は冷や汗を垂らしていた。
「イヴァン様、お姉様は私と一緒にお昼を食べる約束なんです」
「オリビアは俺の婚約者だ。俺を優先するに決まっているだろう」
二人の間にばちばちと火花が散る。
昼になると結構な割合で発生するこのバトル。
……どうしてこうなった。
いや、全部私が立てた計画のせいなんだけどね。
私はイヴァンの暴走回避を確実なものにするため、マリーと攻略キャラのフラグを片っ端からへし折っていた。
誰ともくっつかないノーマルルートだと、そもそも不作を解決するイベントは成功しない。そうすればイヴァンが惚れることもないという訳だ。
しかし、ただフラグをへし折るだけだと可哀想すぎる。
本来ならそのフラグから友情とか恋愛とか色々育まれて、マリーは楽しい学園生活を送るのだから。
私にできることはしてあげよう。
それがせめてもの罪滅ぼしだ。
そう思ってあれやこれやと世話を焼いているうちに、すっかり懐かれてしまったのだ。
マリーは良い子だし悪い気はしない。
お揃いのチャームをプレゼントしてくれたりと、健気で可愛い子である。
まあ、お姉様という呼び方はやめて欲しいけどね。
いい思い出がないから。
邪悪な実の妹を思い出して、私は軽くため息をついた。
* *
「お姉様だけずるい! 本当なら私がイヴァン様と婚約するはずでしたのに!!」
屋敷の食堂に響く、邪悪な妹の絶叫。
お父様に言われて渋々帰宅したけれど……これだから帰りたくなかったのよ。
せっかくの夏休み気分が台無しだ。
「ザラには王太子殿下がいらっしゃるでしょう」
「王太子殿下? もう興味ありませんわ。私が欲しいのはもっと優秀な殿方ですもの!」
散々な言われようである。
真実の愛とやらはどうしたのか。
噂によると、ルークはザラのわがまま放題に疲れ果てているらしい。今は子爵令嬢に惚れ込んで、ほとんどザラとは交流がないんだとか。
ま、当然よね。略奪した男ってことは、略奪可能な浮気男ってことだから。
この二人の恋愛事情にはなんの興味もない。
私に関わらなければ、好きに生きれば良いと思う。
* *
だがそんな願いは、わずか数ヶ月で崩れ去った。
「オリビア。やはり僕には君が必要なんだ。改めて婚約を結んでくれないか」
「……はい?」
卒業式間際、教室のど真ん中でルークはそう言い放った。
普段だったらイヴァンが即座に反応しているところだが、今はたまたま呼び出されていて彼はいない。
タイミングが悪すぎる。
ひざまずき、私の手を取るルーク。その顔には焦りがにじんでいた、
子爵令嬢との婚約を王にうけいれられなかったとは聞いていた。ザラは婚約破棄に激怒、よりを戻せなかったという話も知っている。そんな風にフラフラした王子が本当に国王なんかになれるのかと、重臣たちが噂しているのも事も理解している。
だからって、なんでこっちにくるのよ……!
いや、理由はわかる。
不毛の地である辺境伯領を活気付かせた立役者。その私を妻として迎えれば、自分の株が上がると考えているのだろう。
浅はかにも程がある。だがこいつならそう考えてもおかしくない。
「僕は真実の愛に気が付いたんだ。オリビアを手放すべきじゃなかったんだ。"物分かりがいいオリビア"なら、理解してくれるよな?」
子供の頃に何度も聞いたセリフに、びくりと体が跳ねた。
あの時とは違う。今の私なら抗える。
そう思っているのに、何故か体が動かなかった。
ルークの腕が伸びてくる。少しずつ、私に向かって近づいてくる。
心臓がうるさい。
息がしづらい。
怖い。
「……俺の婚約者に、触らないでください」
私を引き寄せたのは力強い腕だった。
ぽすりと胸の中に収まる私。ふわりと鼻をくすぐる、安心感のある匂い。
「イヴァン……?」
張り付いていた喉がわずかに緩む。見上げた視界の先。そこには、険しい表情のイヴァンがいた。
「遅くなってすまない。まさか呼び出された隙に、こんな事になるなんてな」
イヴァンはルークを睨みつける。剣先のように鋭い眼差しに、ルークは一歩後ずさった。
「オリビアは俺の婚約者です。人の婚約者に結婚を迫るなど、何を考えておられるのですか」
ルークは肩を震わせながら、それでもこちらを睨み返した。
「元々オリビアは僕の婚約者だったんだ! それを横から奪っていったのはお前だろう!」
「そもそも婚約を破棄されたのは殿下でしょう。俺はその後にオリビアと婚約しました。今更奪ったなどと言われる筋合いはありません」
「うるさい! オリビアがこんなに使えると知ってたら、ザラなんかに乗り換えたりしなかった! オリビアの妹なら、きっと従順だと思ってたのに……!」
つらつらと流れる最低な言葉の数々。
あまりにも自分勝手な思考に思わず吐き気がした。
「使えると知っていたら……?」
イヴァンの声が、わずかに低くなる。
……これ、ダメなやつだ。
「あぁそうだ。もし知っていたら手放さなかった。ちゃんと俺の役に立つようにしてやっ――」
案の定止まるルークの言葉。
体が震えるほどの殺気。有無を言わせぬ魔力の渦。
それは、私のすぐ後ろから放たれていた。
「オリビアは、都合のいい道具じゃない」
地を這うような声が教室の空気を揺らす。息をのむ音すら聞こえない、完全な沈黙。教室全てを支配するような威圧感。
「今までも、そうやってオリビアを利用してきたのか?」
「ひっ……」
地獄の底から響くような恐ろしい声に、ルークは短く悲鳴をあげる。
段々膨張していく魔力。カタカタと教室の窓が震え始めた。
まずい、暴走イベントと同じ現象が起きてる。
まさかこんなところでフラグが立つなんて……!
「イヴァン……! 私は大丈夫だから……!」
「大丈夫かどうかの問題ではない。お前を道具扱いをする奴を、俺は許さない」
淡々と語るイヴァン。その瞳からは光が消えているような気がした。
たらりと、頬に一筋汗が流れる。
どうすればいい?
どうすれば、イヴァンを止められる?
ゲームだとマリーと攻略対象の魔力が宿ったチャームに願いを捧げていた。そしてチャームが起動し、暴走するイヴァンの魔力が吸い込まれていくのだ。
でもここにマリーはいない。
そもそもチャームがなければ暴走を止めることはできない。
……いや、待てよ。
私は胸ポケットについた飾りを手に取る。
キラキラとかがやく、魔力を感じるその気配。
それは、マリーにもらったお揃いのチャームだった。
これあのイベントのチャームじゃん!!
さらっと貰ったから全然意識してなかったよ!
てか攻略対象確定アイテムなんで私が貰ってるの!?
いやとりあえずそれは置いておこう。
やるべきことは一つだけだ!
私はチャームを両手で強く握り、魔力を注ぎ祈りを捧げる。
私がイヴァンを止める! 絶対暴走なんてさせないんだから!
祈りに応えて、チャームが眩く光った。
それに合わせて魔力特有の威圧感が消えていく。
イヴァンの魔力が吸い込まれるたび、私の体の力が抜けていき――そのまま、視界が暗転した。
* *
それから私は、数日眠っていたらしい。
目を覚ますと、そこはフォスター家に用意された私の仮眠部屋だった。そばには不安そうに私をみつめるマリー。
彼女は泣きながら、あの後何があったのか教えてくれた。
イヴァンの暴走は無事阻止され、倒れた私をすぐに保健室へ連れて行ってくれたこと。
この一件でイヴァンは激怒。私に恩義を感じてくれているフォスター家の方々は王家へ猛抗議したこと。
今回の抗議がトドメとなり、ルークの王位継承権の見直しが決定されたこと。
そして自暴自棄になったルークがザラの男癖等様々な悪癖を公共の場で大暴露。その結果ザラも、それを庇った継母様もそろって綺麗に謹慎処分にされたこと。
……情報量多くない?
数日分とはとても思えないイベント量してるんだけど。
聞いただけで頭痛くなってくる。
教えてくれたマリーにお礼を言って、私は再びベッドに横になった。
何日も寝ていたからだろうか。マリーが出て行った後も、寝たいのに中々寝れなくて。
どれほど目をつむっていただろう。
ふいにカチャリ、と小さく扉が鳴った。
「ん……?」
「……すまない、起こしてしまったか」
優しい声が、私の鼓膜を揺らす。
「イヴァン……?」
足音が近づいてくる。
しばらくして見えたのは、不安そうにこちらを見下ろすイヴァンの顔だった。
「体調はどうだ?」
「なんとか平気……」
目を瞑っていたからかだいぶ頭痛も良くなった。
イヴァンはほっとした様子で、近くの椅子へと腰掛ける。
「すまない。俺が魔力を暴走させなければ、こんな事には……」
「本当にね。私、凄く焦ったんだから」
あそこで止められたからいい。でももしチャームがなければ、私がその存在に気が付かなければ、私に、止められるだけの魔力がなかったら。
一つでも欠けていたら、きっとイヴァンはここにいなかっただろう。それが、何よりも怖かった。
「……すまない」
「今後は気をつけてね。イヴァンは魔力量が多いんだから」
「……わかった」
しょんぼりとした様子のイヴァン。
珍しく気弱なその姿が、可愛くて仕方がなかった。
「わかればいいわ。……それに、イヴァンが怒ってくれたのは嬉しかったしね」
今まで私は、言われた事の中で悲劇を回避する努力はした。だけど理不尽自体に怒って、抗うことはしなかった。
都合の良いオリビアのままでいることを、私は受け入れてしまっていたのかもしれない。
「ずっと、怒ることが怖かったの。怒って、それを否定されることが。だけど、イヴァンのおかげで『あ、怒っても良いんだ』って思たの。……ありがとう、イヴァン」
未だ力が入らない左腕をゆっくりとイヴァンの方へ伸ばす。彼は私の手に自らの指をそっと絡ませた。
指先にじんわりと伝わる熱。その温度が、とても心地いい。
「イヴァンと一緒の時は、私が私らしくいられる気がするの。ねぇ、イヴァン。だから……ずっと、私と一緒にいてちょうだい」
イヴァンがいない人生なんて、もう考えられそうにない。イヴァンの愛は重いと思っていた。けど結局、私の方が依存しているのだろう。
イヴァンの金色の瞳が揺れ、ふっと、優しく細められた。
「オリビアが望むなら、俺はどこまでも共にいよう。これから先の人生も、来世も、その先も。俺はずっと、お前と共にあると誓おう」
イヴァンは私の左手の薬指に、そっとキスを落とす。
「愛してる、オリビア」
情熱的なそのセリフが、冷たい部屋の空気へ溶けていく。
「ふふ、重いわよ。……でも、私も愛してるわ」
最初はただ破滅を回避したいだけだった。
使えるものを使って、なんとか生き延びようとして。
それがまさか、こんな幸せを私にもたらしてくれるなんて。
今後どうなるかはわからない。けど、今は。
ただただ、この幸せを噛み締めていたかった。
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