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沈黙の港  作者: ちぇりー
3/8

2

 夜が終わりかけていた。

 漁港の灯りはまだ点いたままで、

 濡れたコンクリートが早朝の光を反射している。


 船のエンジンが低く震え、

 作業員たちが眠気の残る足取りで動き始めていた。


 その中で、一人が突然足を止めた。


「……おい、あれ見ろよ」


 防波堤の先。

 水面に黒い塊が浮いていた。


 波の上下とは別のリズムで揺れ、

 ゆっくり岸へ吸い寄せられるように近づいてくる。


「箱じゃないな……形が……」


「……やべぇ、あれ人じゃないか?」


 一瞬でざわめきが広がり、

 作業員たちが防波堤に集まった。


「おい、警察……呼んでこいよ」

「いや、こんなん朝一で警察呼ぶのか……?」


 判断に迷っているようだった。


 


 そのとき――

 港の奥から、疲れ切った足音がした。


 ロングコート。

 目は赤く、寝ていないのがわかる。


 ハーディン・クロウが坂道を降りてきた。


 明け方まで別件の調査をして帰るつもりだった。

 ただ港が近かっただけ。

 何の目的もなく、ただ歩いてきただけだ。


 だが、クロウは人だかりを見て眉をしかめた。


「朝からずいぶん集まってるな。何だ」


「く、クロウさん……ちょうど……いや、ちょうどじゃねえけど……」


「どうかしたか?」


 作業員が指を震わせて海を示した。


「多分……人が、浮いてます」


「なんだと。見せろ」


 クロウはゆっくり防波堤へ近づいた。

 黒い影はもう手を伸ばせば届く距離にあった。


「引き上げるぞ。

 そっちの腕を頼む」


「お、おうっ!」


 クロウは靴を脱ぎ、

 ズボンの裾を折って海に入った。


 潮で冷えた水が腰まで上がる。

 この時期の海は冷たく肌を突き刺す冷たさだ。


 死体は重かった。

 海水を吸って、まるで石のようだ。


「いっせーの、でだ」


 三人がかりで力を入れ、

 死体は濡れた床にずるりと押し上げられた。


 クロウは呼吸を整えて、顔を確認した。


 一拍遅れて、作業員が呟く。


「……あれ……港の店、やってたオヤジじゃ……?」


「ああ」


 クロウは表情を変えず言った。


 後頭部にだけ小さな凹み。

 血の固まりは最小限。

 他の部位に傷はない。


 財布も鍵もそのまま。

 抵抗した形跡もない。


「……事故じゃねぇな」


 静かに言った。


 作業員たちは息を呑んだ。


「事故じゃ……ねえんですか?」


「事故にしては頭の傷が自然じゃねぇ」


 濡れた床に、死体の髪から滴が落ちる。


 クロウはポケットからスマホを取り出し、

 登録名を押した。


 数コールで、

 しかつめらしい声が出た。


『……誰だよこの時間に……』


「俺だ。港で店主が死んでる。海からだ」


『……は? あの店のオヤジか?』


「そうだ。後頭部一撃。抵抗なし。

 財布もそのまま。整えられてる」


 ハンクはしばらく黙った。

 静かな沈黙だったが、

 その裏で舌打ちする気配が強く伝わった。


『クソ……マジで最悪な朝だ。

 警察はどうせ“事故”扱いだ。動きたがらねぇ』


「分かってる」


『今から行く。……十五分かかる。

 触るなよ。絶対だ。』


「そこは信用していい」


『……お前の“信用”ほど信用できねぇ言葉もねぇんだよ……』


 その愚痴で、ハンクが本気で心配してることが分かる。


 クロウは通話を切り、

 もう一度死体を見下ろした。


「…落ち着かねぇな」


 誰に向けた言葉でもなく、

 ただ港に向けて落とした。


 作業員たちは黙って海を見ていた。


 朝の光は、

 静かに街の端へ広がり始めていた。


 作業員たちが距離をとる中、

 クロウは死体の周囲をゆっくり歩き、

 濡れた床の状態や、流れ着いた角度を確認していた。


 十五分ほど経った頃、

 港の奥から荒い足音が響いた。


「おいクロウ! 本当に触ってねぇだろうな!」


 声が近づき、

 息を弾ませた大柄な男が姿を現した。


 ハンクだった。


 シャツはシワだらけ、

 ネクタイは結んでるだけマシという状態。

 寝癖を無理に抑えつけた跡が残っている。


「……今日に限って遠い駐車場しか空いてなかったんだよ。

 お前、ほんとタイミング悪いんだよな……」


「こっちも選んで呼んでるわけじゃない」


 クロウが淡々と返すと、

 ハンクは「はいはい」と手を振りながら死体へ近づいた。


 しゃがみこみ、後頭部を確認する。

 髪を押し分け、眉をひそめた。


「……一撃だな。

 殴り殺したにしては……妙に綺麗だ」


「そうだな。

 抵抗も、揉み合った跡もない」


「警棒でもねぇな。形が違う。

 丸いもんで“正面からじゃなくて後ろ”……」


 ハンクは視線を死体の足元へ移した。


「靴も新品みたいに綺麗だ……

 誰かが整えたって感じか」


「俺も同じ考えだ」


 ハンクは立ち上がり、港を見渡した。


 船のエンジン音。

 箱を運ぶ作業員。

 普通の朝。


 しかしその普通の朝に、

 異物のように死体が転がっている。


「……警察はどうせ動かねえ。

 署に連絡したら、

 “自然死か事故で片付けたい”だとよ」


「想定通りだ」


「お前……もう慣れちまってるだろ。

 そういう反応するなよ、たまには驚け」


 ハンクはぼやきながら、

 クロウに目だけ向けて言った。


「……で、どう見る?」


「後頭部だけ殺して、

 他は何も触らず、

 財布も奪わない。

 ただの喧嘩でも盗みでもない」


「だな」


「まぁ…消されたんだろうな」


 クロウが言うと、

 ハンクは苦い表情をして言った。


「……ああ。

 この店主、最近見慣れないやつと関係を持ってたらしい

 タイミングが良すぎる」


「署でも噂になってた。

 “何を運んでるのか”ってな」


 ハンクはため息をつき、コートのポケットから小さな手帳を取り出す。


「……クロウ、後で署に来い。

 外の連中の動きについて、上から来てる資料がある。

 お前にも見せた方がいい」


「ようやく動く気になったか」


「違ぇよ。

 上が“動かせないからお前が見ろ”って押し付けてきたんだよ。

 マジで使えねぇ連中だ……」


 ハンクは頭を掻いて、死体を見下ろした。


「……クロウ」


「なんだ」


「こういう死体、増えるぞ。

 嫌な波が来てる」


「知ってる。

 だからここにいる」


 ハンクは肩を落としながら、

 しかしどこか安心したように笑った。


「……ほんと、お前が探偵でよかったよ。

 警察にはもうこういうの、無理だ」


 クロウは何も返さなかった。


 港の朝日は薄く広がり、

 濡れた床に鈍い光を伸ばしていた。


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