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山道を一本外れたところに、古い倉庫があった。
錆びたトタンの外壁は何度も修理された跡があり、
扉は片側だけが歪んでいる。
外は風の音だけが響き、人の気配は完全に途絶えていた。
倉庫の中には、一本の裸電球だけが吊り下がっていた。
その光が、床に置かれた椅子と、
椅子に縛りつけられた男の顔を照らしていた。
男は目隠しをされ、口に布を詰められている。
もがいた跡がロープに残り、
靴の裏には泥が固まっていた。
足音が近づいた。
ゆっくり、規則正しく。
恐怖を煽るような間を取ることもなく、
ただ、普通に歩いてくる音。
「……お待たせいたしました」
その声が聞こえた瞬間、男の呼吸が乱れた。
この場に似合わない身綺麗な男が姿を見せた。
黒のロングコート。
整えられた髪。
感情のない落ち着いた目。
「失礼」
サイラスは男の背後に立ち、
目隠しの布を丁寧に外した。
男の目が光に慣れた瞬間、
エイドリアンの顔が正面に現れる。
「はじめまして。
私はサイラス・ヴァーンと申します」
その声は穏やかで、怒りの濁りが一つもない。
男は口に布を詰められたまま、声にならない叫びを漏らした。
「この場にあなたをお連れした理由は、ひとつだけです。
あなたのお仕事が、私どもの領域に深く踏み込んでいたからです」
サイラスは壁に立てかけられた小さな工具箱を開け、
その中から、磨かれた短い刃物を選んだ。
手袋をした手で、それを軽く持ち上げる。
「ご安心ください。
必要以上の苦痛を与えるつもりはございません」
サイラスは男の右手を軽く持ち上げ、
一本の指をまっすぐ伸ばした。
「これは警告の意味もございますので、
どうかお許しください」
刃が下ろされた。
一撃。
迷いが一切ない。
男の指が床に落ち、椅子が軋んだ。
男は布越しに叫び、身体を震わせた。
「……お痛みは理解いたします。
ここから先は、私ではなく」
サイラスは後ろへ一歩下がり、部下を見る。
「どうぞ。
外の情報を、すべて引き出してください」
「かしこまりました」
部下は工具を肩に担ぎ、
男の前へ立った。
倉庫にはしばらく、
椅子の軋み、金属の小さな音、男の押し殺した叫び声が続いた。
サイラスはその間、
倉庫の窓の外を静かに眺めていた。
山の稜線が淡く白んでいくのを、何の感情もなく見つめている。
時間が経ち、
部下がサイラスのほうへ歩いてきた。
「……話しました。
外の組織の拠点、仲介人、潜り込ませていた者。
全部吐きました」
「ありがとうございます」
サイラスは男の背後に立ち、
手袋をしたまま、男の頭に軽く触れた。
「最後に、もう一つだけ。
どうか静かにお眠りください」
サイラスは金属の棒を持ち上げ、
男の後頭部に向けて振り下ろした。
鈍い衝撃が倉庫に響く。
二度目はなかった。
男の身体は脱力し、完全に崩れた。
男の頭部が崩れ落ち、倉庫の中に静寂が広がった。
サイラスは工具を置き、コートの袖を整える。
表情は変わらない。
まるで、面倒な書類仕事を一つ終えただけのような淡々とした姿。
部下が血のついた床を見下ろして言った。
「サイラス様……処理は、どういたしましょう」
サイラスは軽く顎に指をあて、わずかに考える素振りを見せたのち、静かに答えた。
「この状態では……海に“偶然流れついた死体”という設定は無理ですね」
床には大量の血、
切断した指、
頭部の陥没。
どれも、この街の外から来た男の末路だった。
「焼いてください。
骨と灰だけになれば、もう誰にも判別はできません。」
「はい。すぐに」
部下が合図し、別の部下たちが遺体を引きずっていく。
外には、簡易の焼却施設として使われる鉄製ドラム缶が置かれていた。
その場を見送りながら、サイラスは付け加えるように言った。
「それと――」
部下が振り返る。
「彼をこの街に引き入れた協力者がいましたね?」
「はい。港に店を構える男です。
昨日、あちらの組織の者と密会をしていたとのこと」
「なるほど」
エイドリアンは胸ポケットから手帳を取り出し、ゆっくりページを繰った。
確認する必要はないのだろう。
しかしサイラスは必ず記録を取る。
「その男は……外傷を残してはいけません。」
「承知しました」
「海へ投げ込みます。
外から来た者に手を貸した報いとして、
静かに消えるのがふさわしいかと」
「痕跡は?」
「一切残さないでください。
失踪として扱われるよう、
生活に必要な身の回りの物はすべて家に残すように」
「かしこまりました」
サイラスは手帳を閉じる。
「外から来た者は焼却。
この街の裏切り者は水葬。
それぞれ適した終わり方というものです」
声は落ち着いており、
教会で祈りを捧げる神父のような静けさすらあった。
「私は街へ戻ります。
朝のうちに読んでおきたい本がありますので」
サイラスは倉庫の扉に手をかける。
「処理が終わりましたら、必ず報告を」
「はい、サイラス様」
扉を開けると、山の冷えた空気が流れ込んだ。
サイラスは一切振り返らず、倉庫を後にした。
背後で、
焼却の準備をする金属音が静かに響く。




