尾張の衝撃
尾張を統一した。
岩倉城を落とし、織田伊勢守家を滅ぼした俺は、すぐさま本拠を那古野から、尾張の中心である清洲城へと移した。文字通り、俺は尾張という会社の新しいCEOとして、その中枢に座ったのだ。
だが、まだ最後の関門が残っていた。前会長であり、俺の父親である織田信秀への「事業報告」だ。
古渡城に呼び出された俺を待っていたのは、親父と、彼に付き従う古参の家臣たちだった。彼らの視線には、賞賛などない。得体の知れない怪物を見るような、畏怖と非難の色が混じっていた。
「上総介…」
玉座に座る親父は、以前よりずっと小さく、そして疲れているように見えた。
「…説明せい。この、儂に一言の断りもなく、尾張をひっくり返した真意を」
その声は怒りよりも、戸惑いに満ちていた。無理もない。息子の俺が、親父が人生を賭けても成し遂げられなかった尾張統一を、たった一月足らずで、しかも独断でやり遂げてしまったのだから。
俺はうつけの表情を消し、経営コンサルタント・長谷部聡の顔で、淡々と事実を述べた。
「親父。俺は、ビジネスチャンスを見つけたから、即座に投資判断を下したまでのこと。守護代二家が互いに牽制しあい、斯波様殺害というスキャンダルで足元が揺らいだ。これほどの好機を逃す手はありません」
俺は膝を進め、親父の目を見据えた。
「俺の独断は、万死に値するでしょう。ですが、結果を見てほしい。この通り、尾張は統一された。もはや、この国に親父の権威に逆らう者は一人もいない。これは、俺から親父への、少し早いが、これまでの感謝を込めた贈り物です。おめでとう、親父。あんたは、正真正銘、尾張の国主になった」
俺の言葉に、広間は静まり返った。
俺は、俺の越権行為を、親父への「贈与」という形にすり替えたのだ。
親父は、しばらくの間、虚空を見つめていた。その顔には怒り、驚き、誇らしさ、そして寂しさ、あらゆる感情が浮かんで消えていった。やがて、彼は、まるで全ての気力を使い果たしたかのように、深く息を吐いた。
「…好きに、せい」
それは、許しであり、そして諦めだった。もはや俺という息子は、自分の手に負える存在ではないという、絶対的な権力の移譲宣言だった。
俺は、静かに頭を下げ、広間を後にした。もう、俺を縛るものは、この尾張には何も無い。
◇
清洲城に戻った俺を待っていたのは、周辺各国の反応をまとめた、藤林長門守からのインテリジェンス・レポートだった。月影衆の仕事は、本当に早い。
「若様。まずは、美濃の斎藤山城守(道三)にございます」
レポートを読みながら、俺の口元は自然と緩んだ。
「面白いな、この男は」
「蝮」と恐れられる斎藤道三の反応は、怒りや警戒ではなかった。それは、「賞賛」と「興味」だった。
『尾張のうつけ、ただのうつけに非ず。その手並み、油売りの儂によう似ておるわ』
と、上機嫌で語ったらしい。同じく、下克上で成り上がった男だ。俺のやったことの本質…旧い権威を破壊し、実力で全てを奪い取るという行為に、共感すら覚えているのだろう。
(斎藤道三…この男は、合理的な判断ができる。交渉の余地があるな。敵にするには惜しい。いずれ、強力なビジネスパートナーになるかもしれん)
対照的だったのが、東の巨人、駿河の今川義元だ。
「今川は、激怒している、か」
「はっ。国境の城を奪われた上、織田家が統一され、強力な一枚岩となったことに、相当な脅威を感じている模様。『尾張の若造、礼儀を知らず。いずれ、灸を据えてくれる』と公言しております」
これも、予想通りの反応だ。
今川義元は、足利将軍家の一門という、旧時代の権威を傘に着た男。血筋と家格で物事を測る彼にとって、俺のような規格外の新興勢力は、自らの秩序を乱す癌細胞にしか見えないのだろう。
(奴は、俺を潰しに来る。それも、圧倒的な物量で。桶狭間…か。史実より早まるかもしれん。準備を始めないと、な)
その他、三河の松平(後の徳川家康)や、北伊勢の諸将は、俺の電撃的な尾張統一にただただ震え上がり、固唾を飲んで情勢を見守っている、という状況だった。
俺は、日本地図を広げた。
これまでは、尾張という小さな盤の上でのゲームだった。だが、俺がゲームに勝ったことで、盤そのものが変わったのだ。
東に、旧時代の巨像・今川義元。
北に、油断ならぬ蝮・斎藤道三。
俺の尾張統一は、彼らを刺激し、歴史の針を大きく動かしてしまった。
「勘助、左近、権六!」
俺は、集まった俺のチームに命じた。
「国境の城を、勘助の設計で全て改築しろ。鉄壁の要塞に作り変える。左近と権六は、兵の訓練をさらに強化。いつでも出陣できるようにしておけ。内藤! 鉄砲と火薬をとにかく集めろ。銭はいくら使ってもいい!」
短い平和の時間は、次の、より大きな戦争のための準備期間だ。
俺の会社は、地方の中小企業から、全国市場に打って出るステージへと駒を進めた。
そして、巨大な競合他社たちが、一斉に俺に注目し始めた。
面白い。実に、面白くなってきたじゃないか。