那古野の小魔王
吉法師の「うつけ」の演技は、日を追うごとに激しさと巧妙さを増していった。
彼が生まれた勝幡城の家中では、かつての神童の姿を惜しむ声と、常軌を逸した奇行に眉をひそめる声が渦巻いていた。父・信秀も、家臣たちの前でこそ「若い頃はあれくらいで良いわ」と豪語していたが、その内心は複雑だった。
転機が訪れたのは、天文七年(1538年)。信秀が、謀略をもって今川家から那古野城を奪取した時だった。
尾張の中心に位置するその要害を手に入れた信秀は、本拠を勝幡から新設の古渡城へと移すことを決断。その軍議の席で、爆弾発言を投下した。
「那古野城は、吉法師にくれてやる。今日より、あやつが城主じゃ」
家臣たちがどよめいた。まだ4歳の、しかも「うつけ」と評判の息子に、最前線ともいえる城を任せるというのだ。反対の声が上がろうとした時、信秀はそれを手で制した。
「傅役の政秀も付けてやる。…手に負えぬうつけならば、城ごと潰れてしまえ。それもまた、織田家の器量よ」
それは、跡継ぎへの期待というよりは、厄介払いに近い響きを持っていた。
だが、その決定を聞いた吉法師は心中で、長谷部聡の意識は歓喜に打ち震えていた。
(最高の辞令だ…! 本社(親父の城)の監視下から離れ、子会社(那古野城)の全権委任。これほどの好機はない!)
表向きは呆けた顔で鼻をほじりながら、彼は傅役の平手政秀と目配せをした。老獪な傅役の目にも、確かな覚悟の色が宿っていた。こうして、うつけの城主・吉法師は、わずかな手勢と共に、新たな己の領地へと移っていったのである。
◇
那古野城主となった吉法師は、表向きのうつけぶりを一切変えなかった。
町へ出ては子供たちと泥だらけになって走り回り、腰に瓢箪をぶら下げて生米を食らう。しかし、その裏で、彼は政秀を通じて大胆な改革を次々と断行していた。
「爺、まずは銭の流れじゃ。この那古野に、尾張中の銭を集めるぞ」
聡の経営コンサルタントとしての知識が、ここで初めて本格的に牙を剥いた。
第一の矢:規制緩和とインフラ整備
信長は、那古野城下に出入りする商人たちから徴収していた関銭(通行税)を、大幅に引き下げ、やがては撤廃した。さらに、商売敵の組合(座)に属さない新しい商人が自由に商売をできる「楽市」の原型を設置。人が集まれば、自然と銭も集まる。前世では当たり前の市場原理だった。
彼は「遊び」と称して子供たちを動員し、城下の道の石を拾わせ、ぬかるみを埋めさせた。衛生管理と称してゴミ捨て場を定め、井戸の管理を徹底した。安全で清潔な町は、人を惹きつける。
第二の矢:金融と新産業
城の金蔵に眠っていた銭を「元手」として、政秀を通じて意欲のある商人に低利で貸し付けた。担保は、その商売の将来性。まさにベンチャーキャピタルだった。
貸し付けの条件として、彼はいくつかの「儲かる商売」を提案した。尾張の気候を分析し、腐りにくい干物や漬物の大量生産。木材のサイズを統一し、いつでも同じ品質の桶や建材を作れる仕組み(規格化)また、塩作りも始めた。今までの揚浜式塩田ではなく入浜式塩田による塩作りで安く簡単に大量の塩を生産した。これらの新産業は次々と当たり、那古野の町は急速に富を蓄え始めた。
数年で、那古野城下の税収は、信秀の本拠である古渡城に匹敵するほどに膨れ上がった。その富は、静かに、しかし確実に吉法師の私的な力へと転化されていった。
◇
「政、報告せい」
那古野城の一室。うつけの姿を脱ぎ捨てた吉法師の瞳は、年不相応な冷徹な光を宿していた。彼の前に跪くのは、商人の娘のような身なりをした、まだ十代半ばの怜悧な少年・政。彼女こそ、吉法師が育てた諜報部隊の長だった。
市場に集まる商人、身寄りのない孤児、職人たち。吉法師は彼らの中から情報収集に長けた者を選び出し、銭を与えて組織化した。彼らは農民や職人に化けて尾張各地に潜入し、生きた情報を吉法師にもたらす。
「はっ。清洲の織田大和守家では、坂井大膳様が信秀様への不満を募らせております。美濃の斎藤山城守(道三)は、国盗りの機を虎視眈々と…」
政がもたらす情報は、他のどの家臣が掴むものよりも早く、正確だった。この情報こそが、彼の生命線となる。
そして、もう一つの力。
那古野城の練兵場では、奇妙な光景が繰り広げられていた。
「よいか! うつけの殿の遊びに付き合うのじゃ! 遅れた者は飯抜きぞ!」
若き日の前田利家や佐々成政といった荒武者たちが、吉法師の考案した「遊び」に悲鳴を上げていた。
それは、延々と城の周りを走らされる「駆け比べ(持久走)」、丸太を担いで屈伸を繰り返す「力比べ(スクワット)」、集団で声を合わせ、寸分違わぬ動きを要求される「舞(集団行動訓練)」など、この時代の者には理解不能な訓練の連続だった。
彼らは、吉法師が那古野の豊かな財政を背景に、身分を問わず集めた私兵だった。当初は「うつけの遊び」と馬鹿にしていた彼らも、数ヶ月も経つと、自分たちの身体能力と集団としての連携力が、他のどの兵よりも格段に向上していることに気づき始めていた。
天文一五年(1546年)、吉法師は十三歳で元服し、名を織田三郎信長と改めた。
その頃には、父・信秀も、平手政秀から送られてくる那古野の異常な税収報告と、噂に聞く信長の私兵の精強さに、もはや見て見ぬふりはできなくなっていた。
ある日、古渡城に呼び出された政秀に、信秀は低い声で問うた。
「政秀…。我が子は、まこと、うつけか。それとも…化け物か」
政秀は、ただ深く頭を下げるのみだった。
その問いの答えを知るのは、当の本人ただ一人。
元服した若き城主は、活気に満ちた自らの城下町を見下ろし、精強に育った私兵たちの鬨の声を聞きながら、静かに笑みを浮かべていた。
うつけの仮面の下で、那古野の小魔王は、尾張統一という名の最初の事業計画を開始する準備を、完全に終えていた。