栄枯盛衰
永禄9年(1566年)、九月。
岐阜の城下は、かつてないほどの熱気に包まれていた。十万の軍勢。それはもはや、一つの国が丸ごと移動するに等しい、地を揺るがす鉄の津波だった。
俺は、その先頭で馬上にあった。掲げる旗は二つ。我が織田家の木瓜紋、そして、足利義昭様という、天下の大義名分を示す二つ引両の紋。
この上洛という巨大プロジェクトは、もはや俺一社の事業ではない。日本の未来を賭けた、国家規模の一大事業なのだ。
最初の関門は、南近江に居座る六角承禎。
京への道を塞ぐ、ただの時代遅れの料金所だ。俺は、この通行料を払うつもりなど毛頭ない。料金所ごと、更地にするだけだ。
「全軍、進発!」
俺が率いる七万の本隊は、義弟・浅井長政が切り開いた北近江・坂田郡から、整然と南下を開始した。まるで、巨大な祭りの行列のように、華々しく、そして圧倒的な威圧感を放ちながら。
これは、ショーだ。俺という新時代の到来を、近江の国衆どもに見せつけるための、壮大なパレードだ。
だが、この華やかなパレードの裏で、もう一つの、地味で、しかし遥かに重要な作戦が進行していた。
「権六(勝家)!」
出陣前、俺は柴田勝家を呼び寄せ、三万の兵を預けていた。
「お前の仕事は、戦ではない。**『掃除』**だ」
「…掃除、にございますか?」
いぶかしむ権六に、俺は近江の地図を広げ、南東部の甲賀郡を指差した。
「六角の連中は、追い詰められると、必ずこの甲賀の山中に逃げ込む。そして、ゲリラ戦で粘り、敵を疲弊させる。かつて、奴らはこの『鉤の陣』で、幕府軍すら手こずらせた。歴史が、そう教えている」
俺の前世の知識が、ここで活きる。
「俺は、そんな非効率な消耗戦に付き合う気はない。俺が本隊で奴らの本社ビル(観音寺城)の正面玄関を叩いている間に、お前は裏口から回り込み、奴らの逃げ道となる甲賀を、一匹の鼠も逃さぬよう、完全に封鎖しろ。後顧の憂いを断つ。これこそが、この戦の、本当の肝だ」
柴田勝家率いる三万の別働隊は、俺の本隊とは全く別のルート…北伊勢から山を越え、音もなく甲賀郡へと侵入を開始した。
派手な表舞台の裏で、地味だが最も重要な「リスクヘッジ」を、俺は完璧に実行させていた。
◇
さて、正面玄関だ。
俺の本隊が観音寺城下に到達すると、六角方は、俺の予想通り、そして歴史上最も愚かな戦略の一つを実行した。
戦力の分散。
彼らは、本城である観音寺城、そしてその支城である和田山城、箕作山城の三つに、兵を分けて籠城したのだ。
(経営における、最悪の愚策の一つだな)
俺は、馬上で失笑した。
一つの強力な資産(兵力)を、三つの脆弱な資産に分割する。これでは、各個撃破してくださいと言っているようなものだ。旧時代の経営者には、集中投資という概念がないらしい。
俺は、軍を三つに分けた。
箕作山城には、滝川一益と森可成。
和田山城には、丹羽長秀と明智光秀。
そして、本城である観音寺城は、俺自身が包囲する。
だが、俺はまだ、総攻撃の命令を下さなかった。なぜか。
俺が待っていたのは、一本の狼煙。
甲賀の山中から、黒い煙が、天へと真っ直ぐに立ち上った。
柴田勝家から、「掃除完了」の合図だった。
その報せを受け、俺は、檻の中に閉じ込めた獲物に向かって、静かに告げた。
「お前たちの逃げ場は、もう、ない」
俺は、刀を抜き放った。
「全軍、総攻撃! 一日で、この三つの城を全て落とすぞ!」
俺の号令一下、七万の兵が、怒涛のように三つの城へと殺到した。
もはや、戦ではなかった。それは、巨大な工場が、旧式の機械を解体していく、ただの作業だった。
箕作山城は、滝川一益の奇策もあって、わずか半日で陥落。
その報せに動揺した和田山城も、丹羽長秀の堅実な攻めの前に、夕刻には白旗を上げた。
逃げ場を失い、支城が二つとも落ちたことを知った六角承禎は、戦う前に心を折られた。
彼は、夜の闇に紛れて、本城である観観音寺城から、僅かな手勢と共に逃げ出した。甲賀に逃げ込むこともうとしたものの、待ち構えていた柴田勝家に捕まり、処刑された。
たった一日。
俺は、近江の守護大名であり、かつては管領代となり六角が動けば京が動くと言われた六角氏を、歴史の舞台から完全に退場させた。
旧時代の料金所は、完全に撤去された。
京への道…天下へと続くハイウェイは、今、俺の目の前に、どこまでも真っ直ぐに開かれていた。




