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若獅子と古狸

俺が美濃攻略に没頭していた頃、俺は一つの重要な布石を打っていた。北近江の浅井家との同盟だ。

当時の浅井家当主・浅井長政は、まだ二十歳そこそこの若造だった。だが、月影衆がもたらすレポートによれば、この若造、ただ者ではない。父・久政という旧時代の老害を隠居させ、瞬く間に家中の実権を握ったその手腕。六角家からの独立戦争で見せた見事な采配。

(こいつは、「投資」に値する)

俺は、そう判断した。

俺は、浅井に使者を送り、同盟の証として、俺の妹・市を嫁がせることを提案した。

我が妹ながら、市の美貌は、この乱世において最高の外交カードだ。だが、俺が市を信頼しているのは、その見た目だけではない。彼女は、俺の妹だ。物事の本質を見抜く、聡明さと度胸を兼ね備えている。彼女を長政の側に置いておけば、最高の情報源となり、そして時には俺の意を汲んで長政を動かすことすらできるだろう。

初めて対面した長政は、噂に違わぬ、涼やかな顔つきの好青年だった。だが、その瞳の奥には、若さに似合わぬ野心と、覚悟の色が宿っていた。

「信長殿。貴殿の狙いは、美濃。そのためには、我が浅井が背後を突かぬという保証が欲しい。違いますかな?」

単刀直入に、俺の戦略の核心を突いてきた。小細工は通用しない相手だと、すぐに分かった。

「いかにも。俺は美濃を獲る。そして、いずれ天下を獲る。長政、お主は沈みゆく六角の泥舟に乗ったままでいるか? それとも、俺と共に、天下という大海原へ漕ぎ出すか? 市は、そのための乗船券だ」

長政は、不敵に笑うと、深々と頭を下げた。

「その船、喜んで乗らせていただきましょう。義兄上」

この瞬間、俺は確信した。浅井長政は、ただの駒ではない。俺の天下布武という巨大プロジェクトを、共に遂行できる、重要なパートナーになると。

そして、東の三河。徳川家康。

俺が「古狸」と呼ぶ、あの男。

桶狭間で俺が今川義元を討った時、彼は今川の人質として、惨めな青年期を送っていた。

俺は、彼に手を差し伸べなかった。むしろ、放置した。なぜか。

経営者は、苦労してこそ磨かれる。特に、三河という国は、一向宗の力が強く、国衆どもも一筋縄ではいかない、経営の難しい土地だ。俺が手助けするよりも、彼自身の力でその泥沼を這い上がらせた方が、結果的に、より強く、より信頼できるパートナーに育つと判断したからだ。

俺の読み通り、家康は地獄を見た。

家臣にまで裏切られ、命からがら逃げ惑った三河一向一揆。それを、歯を食いしばり、時には涙を流し、裏切り者すら許すという器の大きさを見せて、ついに鎮圧した。

彼は、この試練を経て、ただのお坊ちゃんから、真の経営者…三河という会社の、絶対的なCEOへと変貌を遂げた。

三河を完全に掌握した彼は、休む間もなく、弱体化した今川家の領地…遠江へと侵攻を開始し、その版図を半国まで広げていた。武田信玄という巨大な脅威を、俺との間に挟む形で、自らの力で緩衝地帯バッファーゾーンを築き上げたのだ。

(見事だ、三河の。お前は、俺の期待以上の成長を遂げた)

俺は、その報せを聞き、心から満足していた。

そんな折、京で永禄の変が起きた。将軍・足利義輝の死。

この報に対する、二人の反応は実に対照的だった。

浅井長政は、若さゆえの正義感と、京に近いという地理的な要因もあって、激しい義憤を感じていたらしい。『逆賊・三好を討つべし!』と息巻いていたという。だが、単独で動けるほどの力はない。彼の目は、自然と、義兄である俺の動きに向けられていた。

一方、徳川家康の反応は、実に彼らしかった。

『京は遠い。それよりも、背後の武田の動きこそ警戒すべきだ』

彼は、決して感情では動かない。常に現実を見据え、自社の足元を固めることを最優先する。将軍の死すら、自らの経営戦略にどう影響するかという、冷静な分析対象でしかなかった。

俺は、この二人の性格を完璧に理解した上で、上洛への参加を呼びかけた。

長政には、**「義」**を。

『長政。天下の逆賊を討ち、公方様の弟君を将軍の座におつけする。この義挙、共に成し遂げようぞ!』

彼は、待ってましたとばかりに快諾した。

家康には、**「利」と「信頼」**を。

『三河の。俺は西へ向かう。その間、我が背中…東の一切は、お前に任せた。武田のことは、お前を信じている。この戦が終われば、お前の立場は、より盤石なものとなろう』

彼は、多くを語らず、ただ一言、『御意』と返してきた。

こうして、俺の元に、北の若獅子と、東の古狸が馳せ参じた。

義と野心に燃える若きパートナーと、利と信頼で結ばれた老獪なパートナー。

この二人を両翼に据えた俺の軍団は、もはやただの軍隊ではない。

新しい時代を創り出す、巨大な地殻変動そのものだった。

そして俺たちは、十万の軍勢を率いて、旧時代の全てを過去にするため、西へと進軍を開始したのだ。

(補遺・了)

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