西からの鎌
美濃攻略という巨大プロジェクトを成功させるために、真正面から大軍をぶつけるなど、三流の経営者のやることだ。コストがかかりすぎる。
俺がまず仕掛けたのは、徹底的な**「PR戦略」**…すなわち、情報による内部切り崩しだった。
「光秀、長門守」
俺は、明智光秀と藤林長門守を呼び寄せた。一人は表の、もう一人は裏の、情報戦のプロフェッショナルだ。
「美濃の国衆どもに、噂を流せ。内容はこうだ。『亡き道三様に敵対した者であっても、今、この織田信長に与すれば、その罪も、所領も、一切問わぬ』とな」
光秀は、すぐに俺の意図を理解した。
「…なるほど。斎藤義龍は、父・道三に与した者どもを粛清し、恐怖で国を支配しております。その対極にある『寛容』を殿が示すことで、国衆どもの心を揺さぶる、と」
「その通りだ。恐怖による支配は、脆い。より魅力的な選択肢を与えられれば、社員(国衆)はすぐに転職を考える。俺が、その転職先になってやるのさ。長門守、月影衆を使って、この噂を美濃の隅々まで、まるで流行り病のように広めろ。費用は惜しむな。これは、最もコストパフォーマンスに優れた投資だ」
飴をばら撒くと同時に、俺は足元に潜むリスク要因の排除に取り掛かった。西の長島、願証寺に巣食う一向門徒と、それに繋がる伊勢の服部党。こいつらは、いつ我が社の経営を妨害しにくるか分からない、反社会的勢力だ。
「一益!」
俺は、滝川一益に密命を下した。
「お前の『遊撃鉄砲衆』を率いて、伊勢長島の服部党を根絶やしにしろ。奴らは農民でも、僧侶でもない。我らの富を脅かす害虫だ。一匹残らず駆除せよ」
滝川一益は、この手の「汚い仕事」をさせれば天下一品だった。
彼の部隊は、嵐のように伊勢長島を駆け抜け、抵抗する服部党の拠点を、鉄砲の火力で文字通り焼き払っていった。悲鳴も、命乞いも、全て雑音として処理する。この非情なまでの効率性こそが、俺の軍の強さの根幹だった。
さて、西の憂いを断った。
飴も撒いた。
いよいよ、鞭を振るう時だ。
俺の視線は、伊勢の北部、大小の豪族がひしめき合う、統制の取れていない無法地帯へと向いていた。
この北伊勢を制圧すれば、そこから川を遡り、西美濃へと侵攻する、新たなルートが手に入る。尾張から攻める南からのルートに加え、西からのルートを確保する。完璧な包囲網の完成だ。
「全軍に出陣を命じろ。目標、北伊勢の平定!」
俺の号令に、柴田権六が驚きの声を上げた。
「若! 今は農繁期! 兵たちも田畑が気になり、士気も上がりませぬぞ!」
「権六、だからこそだ」
俺は、地図を指差しながら、この作戦の核心を説明した。
「敵も、同じことを考えている。『まさか、この田植えで忙しい時期に、織田が攻めてくるはずがない』とな。常識とは、それを打ち破るためにある。それに、俺の兵はもはや農民兵ではない。戦を専門とする、プロフェッショナル集団だ。給料(禄)分の働きをしてもらうぞ」
俺の軍は、まさに電撃的に北伊勢へと雪崩れ込んだ。
豪族たちは、完全に虚を突かれていた。慌てて農具を槍に持ち替えて集まった兵など、島左近や柴田権六が率いる俺の精鋭の前では、紙くず同然だった。
戦術目標はただ一つ、スピードだ。
抵抗する城は、山本勘助が瞬時に弱点を見抜き、最小限の被害で陥落させる。降伏する者は、内藤昌豊が素早くその所領を査定し、俺の支配体制下に組み込んでいく。
軍事、諜報、内政。俺が作り上げた経営システムが、完璧な連携で機能し、侵攻作戦を加速させていく。
わずか半月。
尾張の兵たちが自分の田畑の心配をする間もなく、北伊勢は完全に俺の支配下に落ちた。
清洲城に戻った俺は、改めて地図を眺める。
南の尾張から、美濃の中心地・稲葉山城を狙う、巨大な槍。
そして今、西の北伊勢から、敵の脇腹を抉る、鋭利な鎌を手に入れた。
俺が美濃でばら撒いた「噂」という名の種が、そろそろ芽を出す頃だろう。
斎藤義龍は、南と西から迫る脅威に、そして自らの足元で始まった裏切りの気配に、夜も眠れない日々を送ることになる。
(義龍。お前の会社の株価が、暴落する音が聞こえるようだ)
俺は、まだ見ぬ敵の苦悩を想像し、愉悦の笑みを浮かべた。
美濃の買収計画は、最終段階へと移行する。




