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第5話「静動」

ベッドの上で膝を抱えたまま、ルシアナは小さく息を吐いた。


部屋の中央では、依然としてページをめくる音だけが響いている。


「……服、どうしようかな。このまま布を巻き付けたまま、というわけにはいかないし…」


誰に聞かせるでもない独り言。返事は、もちろんない。


ルシアナは決意したように立ち上がる。


「ちょっと待ってなさい。あんたの……その、見た目くらいはどうにかしてあげるから!」


ルシアナはローブの裾をさっと直し、扉の前でふと振り返った。


T-800はやはり反応せず、まるで部屋の一部か何かのように静かに本をめくり続けている。


「……ほんと、変なやつ。もうちょっと何か喋ったりしなさいよね…まったく…」


小さく呟いて、ルシアナは塔の階段を下りていった。


向かう先は、学院の備品倉庫。


本来は教師か整備係しか使わない場所だが、古くなった予備の制服や作業服が保管されていることを、彼女は知っていた。


木の扉をギィ、と開ける。棚には畳まれた布地や、使用感のある上着が所狭しと積まれている。


(……とにかく何か着せないと)


深夜の出来事を思い返すたびに、脳裏に浮かぶのは――


裸で堂々と立っていた、異様な“召喚体”。


(服ぐらい着せてあげないと……こっちが恥ずかしいのよ!)


ルシアナは必死に布を引っ張り出し、ローブの山を崩しながら探し回った。しかし――


「ダメ!一番大きいサイズでもあの図体にはぜんぜん合わない!」


無理に袖を伸ばしたローブをぶら下げ、彼女はどさりと座り込んだ。ほこりが舞う。


「はぁ……まさか、服ひとつ手に入れるのに、こんな苦労するなんて……」


頭を抱えていると、倉庫の入り口から重たい、力強い足音が近づいてきた。


「おや……こんな朝っぱらから珍しい顔だね」


 低くて落ち着いた声。振り向けば、そこには――ドワーフ族の上級生、グレタが立っていた。


「グ、グレタ先輩……!?」


 思わず立ち上がり、埃を払うルシアナ。


 グレタは頬に手を当てて、半ばあきれた様子で辺りを見回す。


「……ローブの山、崩壊寸前じゃない。こんなところで一体なにをしているんだい?」


「え、ええと……実は……」


 ルシアナは視線を泳がせながらも、これまでの経緯――試験で裸の大男(T-800)を召喚したこと、


服が必要なこと、サイズが合わないこと――を手短に説明した。


 グレタはしばし腕を組んで考え込み、やがてふっと笑った。


「……なるほど。あんたらしい…といったら、あんたらしいね。でも、まあ――よし、わかった」


「え……!?」


「その大男に会わせてみな――きっちり寸法取って、お似合いのを仕立ててやるよ!」


 そう言ってグレタは肩にロープをかけ、布と計測用の器具を抱えた。


「え……ほんとうにいいんですか!?」


「あたいを誰だと思っているんだい。鍛冶と仕立てのグレタよ?大男ぐらいの服くらい、ぱぱっと仕立ててやるよ! 」


「で、その召喚体ってのは今どこにいるんだい?」


「えっと……わたしの部屋に……。本を……ずっと読んでます」


「よし!じゃあ、さっそく案内しな。」


 二人は朝日も登り切ってきた光の中、ルシアナの部屋へと歩き出した。


塔の外階段を登りながら、ルシアナはふと疑問を口にした。


「そういえば……先輩こそ、どうしてこんな朝早くに備品倉庫に?」


グレタは小さく鼻を鳴らすと、肩にかけたロープを軽く叩いた。


「ん? ああ、ちょっと発動体の土台となる材料が不足してさ、余っている杖か何かないかと探しに来たんだよ」


「発動体……? あっ――!」


「その様子じゃ、すっかり頭から抜けてたみたいだねぇ。召喚試験に合格した生徒には、


“アニマを宿した発動体”が正式に支給されるのさ。召喚士として認められる証ってわけだ。


……ただし、召喚体と召喚士、両方の適正を試す試験が一週間後に待ってる。


召喚できたからって、それで終わりってわけじゃない。ほんとの試練は、むしろそこからさ」


グレタの言葉に、ルシアナはハッと息を呑んだ。


(……そうだ。完全に忘れてた。服のことで頭がいっぱいで……)


 思い返せば、昨日の混乱からずっと、ルシアナはT-800の“異質さ”に気を取られてばかりだったのだ。

 

けれど――


(1週間後には適正試験……。私、あいつのこと、何も知らない……)


 力は?属性は?どんな能力があるの?なにができるの?


 ただの ”屈強そうな大男ってだけ?”だったら、自分は召喚士としてやっていけるのか?


 思考が堂々巡りを始めたところで、自室の扉が見えてきた。


 重たい気持ちを抱えながら、ルシアナは扉の取っ手に手をかける。


扉を開けた瞬間、ルシアナは思わず立ち止まった。


「……え?」


 部屋の中に、T-800の姿はなかった。


 代わりに目に飛び込んできたのは――乱雑に積まれた本の山だった。


 机の上、椅子の上、果ては床にまで、本棚にあったはずの書物が、整然と、だが大量に並べられていた。


「ちょっと、なにこれ……本、全部出したの……? それよりもあいつ、どこ行ったのよ……!」


 部屋に誰もいないという事実が、じわじわと不安を掻き立てる。


 まるで無音の中に取り残されたような奇妙な圧迫感に、ルシアナは肩をすくめた。


 そのときだった。


「ルシアナ!」

 ドン、と扉が勢いよく開かれ、カミーユとリオネルが飛び込んでくる。


「大変よ! あなたの召喚体――中庭で上級生ともめごとになりそうよ!」


◆◆◆


朝の光が中庭に差し込み、オルド・アカデミアの一日はゆっくりと動き出していた。


 T-800は塔の居室を無言のまま離れ、静かに石畳を踏みしめて中庭へと歩を進めていた。


 目的はただ一つ――言語学習の最適環境を得るためだ。


 人通りの多い場所、発声と聴覚情報が交差する空間。


そこはこの異世界における「自然言語取得」のためには最適であった。


《環境モード:観測区域を“中庭”へ切替》

《音声取得チャネル:開放》

《視覚・発音情報 同時記録開始》

《リアルタイム同調:発話速度/口唇運動》

《ジェスチャー・表情解析:準備完了》

《目的:日常会話構造および文法規則のパターン抽出》


 T-800の視界には、通り過ぎる生徒たちの一挙手一投足が細かくトレースされていく。


 口の動き、声の高さ、表情の変化、言葉と動作の一致率。すべてが解析対象となる。


《対象発話ログ #0029》

「おはよう、カミーユ! あなたの召喚体すごいアニマよね!」

→ 発話者:生徒(人類に類似/女性)/発音速度:標準/発話感情:友好的


《音素分解中……》

《唇形状:開閉+舌先前屈運動確認》

《単語構造:主語+挨拶語+固有名詞/疑問文形式》

《文法一致率:69.4% → 71.3%》

《データベース更新》


 その間も、T-800の歩みは止まらない。


 その無骨な金属のような体躯に、周囲の生徒たちは次々と目を見張った。


 その巨躯に布をまとっているだけの姿に、誰もが戸惑いを隠せなかった。


「なにあれ……?」「こわ……召喚体?」

「っていうか、あれ……昨日の“あれ”でしょ?」

「うわぁ……本当に持ち帰ったの……?」

「やっぱりルシアナ、失敗したんじゃないの?」


 数人の同級生たちは、半ば嘲るような口調でひそひそと囁き合った。


 だがT-800はそれにも目を向けず、ただ“記録”を続けていた。


 すれ違った教師たちも一様に驚きの目を向け、一部は足を止め、厳しい視線を送る。


「……あの娘、本当にあんなものを召喚したのか……?」


《警戒信号検出:発話中に敵対性の感情表出あり》

《非戦闘環境下:反応せず継続解析を優先》


 情報を収集するたびに、T-800の内部プロセッサは言語モデルを少しずつ拡張していく。


 これは単なる通訳ではない。敵味方、意図、感情――あらゆる要素を読み解くための“理解”だ。


《言語モデル統合率:48.3% → 51.7%》

《日常会話への適応可能性上昇》


◆◆◆

人通りの中、周囲よりもひときわ大きな影がT-800の視界を遮る。


毛並みの整った金髪の獣人族、の上級生が3人、小ばかにするかの様に薄ら笑いを浮かべながら、

肩をいからせて近づいてきた。


「よぉ、おまえ……朝の中庭をお散歩か?」


その隣、耳が裂けたようなスカーフェイスの男が鼻を鳴らす。


「…朝の中庭をお散歩だ…」


「着るもの全部洗濯しちまって、お洋服一枚もなしか?」


「…お洋服一枚もなしだ…」


「こいつ、頭がぶっ飛んでるのか?ただのバカか?」


黒毛の獣人が、わざとT-800の前で指を鳴らしてみせた。が、なんの反応もない。


「俺の体格に合う服を用意するんだ、今、直ぐ!」


それは命令だった。ぶっきらぼうで、感情のない口調が、逆に3人の怒りに火をつけた。


「てめぇ!ふざけてるのか!? 欲しけりゃ土下座して物乞いしやがれ!人間が!!」


そう、言い放ちったスカーフェイスの獣人族がT-800の溝内に渾身の一撃を叩き込む。


生物的な特性でいえば、人間種やエルフ種よりも格段に筋力、俊敏性ですぐれている獣人族、


その中でも一回りも二回りも大柄で好戦的なスカーフェイスが放つ一撃だった。


しかし、T-800のボディは銃弾や車の衝突くらいでは傷一つつかない、


戦車のように頑丈な”ソレ”に生物であるモノの攻撃ではビクともしなかった。


攻撃をしたスカーフェイスの獣人族は、自らの拳に強烈な痛みを覚えるとともに、戦慄した。まるで動かぬ巨石を殴りつけたかのような、


そんな感触を痛みとともに拳から感じ取ったからだ。


「!!…っが…!?」


◆◆◆


スカーフェイスの拳がT-800の腹部に叩き込まれた瞬間――。


《衝撃検知:打撃強度=1285N》

《損傷評価:対象外(表層コーティングに変化なし)》

《攻撃動作確認》

《敵対性行動判定:確定》

《脅威認定プロセス起動》

《脅威ID:003/分類=異種知的生命体(獣人)/人類プロファイル外》

《対話優先順位:解除》

《排除優先順位:更新》

《戦闘プロトコル:限定排除モードへ移行》


T-800の赤い眼が、わずかに輝きを強めた。


「な、なんだこいつ……ぜんぜん効いてねぇ……」


スカーフェイスがうめき声を漏らす。


次の瞬間、T-800の左腕が高速で伸び、スカーフェイスの首を正確に掴み取った。


そして、片手だけで大柄のスカーフェイスの体を顔色一つ変えることなく持ち上げた。


その動きに、残り2人の獣人上級生が反射的に後退した。


「……おい、やべぇぞ。あいつ……」


金毛の獣人が警戒の声を上げるが、時すでに遅い。


《骨格構造:非人類型/脆弱性推定ポイント=関節、頸部、呼吸器》

《排除レベル:非致死的制圧/意識喪失まで》

《実行》


ごくわずかな力加減で、スカーフェイスの首をもったまま、胴体ごと宙に浮かせたまま捻る。


T-800はその様子をまるで観察するかのように無機質に見ていく。


くぐもった悲鳴が、中庭の空気を震わせるように低く響いた。


残る2人の獣人族が顔を引きつらせたまま、アニマの発動体が埋め込まれた杖に手を伸ばしかける。


《二次脅威判定:複数対象/同種属/連携行動予測=高》

《対多戦闘モード継続》

《戦闘評価:即時無力化推奨》


気を失いかけているスカーフェイスを片腕だけで放り捨てると


T-800はゆっくりと視線を2人に移す。


その一歩ごとに、足元の砂利が圧し潰される音が重く響く。


「おいおい……あいつ、何者だよ……」

「魔法も使ってねぇのに……身体ひとつで……ッ!」


恐怖に顔を強張らせながら、金毛の獣人は腰を抜かして地面を這い、逃げ出す。


しかし、、黒毛の獣人は後ずさりするが杖は握られたままだった

T-800は黒毛の獣人に脅威判定の優先度を移すと、腕を振り抜いた瞬間、黒毛の獣人はたまたま後ずさりし、足元の石畳につまずいて尻もちをついた。


それが、彼の命をつなぐ僥倖となった。


外れた拳はそのまま背後の石柱を粉砕した。まるで、そこに何の抵抗もなかったかのように。


砂煙と飛び散る破片。細かな石片が頬をかすめ、耳の中にまで入り込む。


尻もちをついたままの黒毛の獣人は、瞬きも忘れたまま、その光景を見上げていた。


さっきまで背後にそびえていた石柱が――何の抵抗もないかのように、ただの粉となって崩れ落ちている。


 (当たってたら……今のが……俺の頭だったら……!)


 冷たいものが、脊髄を駆け上がった。


 背筋がぶるりと震え、両手の指が石畳をひっかくようにして後ずさる。


 呼吸が乱れる。口からは短い吐息しか出ない。


 汗とも冷気ともつかぬしずくが、額からこぼれ落ちる。



 獣人族は、生まれついての戦士だ。


 魔法や召喚の素養がなくても、剛力と反射で戦場を駆ける戦闘種族だ。

 それなのに。


 四つん這いのまま、尻を引きずるようにして、黒毛の獣人はその場を這い去ろうとする。


 もはや杖は握られていない。戦う意思は、かけらも残っていなかった。


 T-800は腕を下ろし、姿勢を正す。


 胸部装甲にかすかに砂塵が舞い、関節部の駆動音がひときわ小さくなる。


 《戦術評価更新中……》

 《対象003:無抵抗/意識喪失》

 《対象004:離脱行動/戦闘意志消失》

 《対象005:武装解除/臓器震盪反応=恐怖反応》

 《脅威優先度:全対象=無効化済》

 《排除プロトコル:完了》

 《戦闘アルゴリズム:終了処理へ移行》


 彼の視界には、もはや“敵”はいなかった。


 立ち尽くすT-800は、まるで石像のように微動だにしない。


 だが、その内部では依然として膨大なデータ処理が続いていた。


 ――戦闘ログの解析、獣人族の反応速度と耐久性の評価、攻撃パターンや有効性分析。


 それらはすべて、今後に備えた戦術学習データとして格納されていく。


 そして、足元に転がる杖。無力化された獣人たち。


 それを冷徹に見下ろす視線に、憐憫も怒りもない。


 《記録終了》

 《敵対的反応なし》

 《対象者に対する追撃条件:不成立》


 行動を終えたT-800は、一歩も動かずその場に立ち続けた。


 まるで、次の命令を待つ機械のように。


◆◆◆

「――っ、ここね!」


塔の外階段を駆け下りたルシアナたちが、中庭へと飛び込む。


朝日が石畳を照らすなか、瓦礫と化した石柱。その傍らには、獣人の上級生三人が倒れ込んでいた。


そして、その中心で直立不動のまま立ち尽くすのは、ルシアナの召喚体――T-800。


「な、なにこれ……どうなってるの……?」


カミーユが絶句し、唇を押さえる。


彼女の視線は、砕かれた石柱と、苦悶の表情で意識を失っている獣人たちを行き来する。


「うっわ……やべぇな、これ……。派手にやったな、あの大男……」


リオネルは眉をしかめ、獣人たちの顔に見覚えがあるのか、わずかに眉をひそめた。


「相手は全部、上級生の、しかも辺境の貴族組じゃねぇか……」


「……私……」

ルシアナは足を止めたまま、石畳の上に立つT-800を見つめる。


「こんなこと……させたつもりなんて……!」


「……なあ、ルシアナ」

グレタが静かに言葉を挟む。


「これは、召喚士側の責任でもあるよ。召喚した以上は、力も含めて受け止めなきゃいけない。そいつが、どんな存在でもね」


「けど、それにしたって……抑えがきいてなさすぎだろ……」

リオネルが苦々しく言い捨てた。


そんな中――


「何の騒ぎだッ!!」

重々しい声が中庭に響いた。


駆け込んできたのは、学院の教員たちだった。


長身で黒い外套を纏ったその男の足取りは、騒然とした空気の中でもまっすぐだった。


彼の後ろには、他の教師たちと警備担当の魔術士も続いてくる。


「これは一体!?……何があった?騒ぎを起こしたのはどの生徒だ!説明を求めるぞ!」


ルシアナは、小さく肩をすくめながらも、前へ出ようとした。


(私が……私が、説明しなきゃ……)


けれど言葉が詰まる。説明できるのか、この“規格外の存在”を――。

読んで下さりありがとうございます。

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