第18話「安堵」
戦いの喧噪が消え、村には静けさが戻っていた。
正門前には無残に横たわるワイルドウルフの死骸。
血と泥の匂いが漂う中、村人たちは震える息を整え、互いに無事を確かめ合っていた。
「け、怪我人は……!」
「大丈夫だ、ひどい出血はしてるが……死んだやつはいねぇ!」
その声に、人々の顔が一斉に安堵にほころぶ。
村を覆っていた絶望の影は、わずかに晴れたのだった。
カミーユはよろめきながら村人たちに歩み寄る。
「私が……回復魔法を……施します……」
だがその体は限界に近い。詠唱を続け、魔力を振り絞った代償は大きかった。
「無理するな、カミーユは少しやすんでな。」
リオネルが支え、ルシアナも首を振る。
「そうよ、今のあなたじゃ命を削ることになるわ。……応急処置でも出来ればいいのだけど。」
その言葉に反応するように、無言で歩き出す影があった。
戦場を一掃した戦闘機械――T-800。
彼が怪我人の集まる一角へ向かうと、村人たちは思わず後ずさる。
「ひっ……!」
「だ、大丈夫なのか、あれは……」
恐怖はある。だが同時に、あの鋼鉄の巨人が村を救ったのもまた事実だった。
人々の視線は複雑に揺れ動いていた。
T-800は血に濡れた青年の傍らに膝をついた。
視覚センサーが傷口を拡大、内部組織を解析する。
――視覚フィード――
《赤外線表示:出血源を捕捉》
《解析結果:大腿部右側、裂傷》
《損傷レベル:中度。動脈への損傷 なし》
《筋繊維断裂を確認:機能低下確実》
《対処法――圧迫止血で対応可能》
T-800は寸分の迷いもなく、傷口の周囲を正確に押さえ込んだ。
機械的な力加減。青年の悲鳴を意に介さず、血流が制御されていく。
「この部位の動脈は損傷していない。強く圧迫すれば止血できる。」
T-800の低い声が響く。
硬い指が正確に傷口の周囲を押さえ、血の流れを制御する。
青年が呻くが、確かに血は止まり始めていた。
「次に布で固定しろ。緩むと再出血の危険がある。」
的確な指示に、村人たちは戸惑いながらも従う。
その光景に、ルシアナは思わず息を呑んだ。
「……すごい。まるで医者みたい。」
彼女の言葉に、T-800は淡々と応える。
「人体の構造、応急処置法。すべてデータに記録されている。」
その声音に感情はなかった。だが人々の胸には、確かな安心感が芽生え始めていた。
応急処置を終えた負傷者たちもそれぞれの家へ戻り、一時の休息に入る。
一方で、村の中央広場にはまだ人々が集まっていた。
正門での戦いは終わったものの、処理しなければならないことが残っている。
「ワイルドウルフの毛皮や骨は、町へ持っていけばいい金になる。
肉は臭みが強くて食えねえが……それ以外は、痛む前に処理しねえと駄目だ。」
狩人のエドランが皆を見回し、声を張り上げた。
「倒したワイルドウルフをおれの家の裏へ運んでくれ。
血抜きをそこでやって、解体は明日以降だ!」とエドランは指示を飛ばした。
巨躯のワイルドウルフを台車に乗せる作業は、通常なら男手十人でやっとだった。
しかし――。
「一人で持ち上げやがった……!」
「おいおい……う、嘘だろ……」
T-800は無言で狼の巨体を両腕に抱え上げ、軽々と台車へと放り込む。
その動作に疲労の色はなく、正確で無駄がなかった。
驚愕と感嘆の入り混じった視線を受けながら、彼は黙々と台車へワイルドウルフの亡骸を放り込む作業を続ける。
台車を数人で押し、エドランの家裏の小川へ運び込む。
運ばれたワイルドウルフは、エドラン親子たちが血抜きをし、T-800の活躍により手の余った男たちがそれを手伝う。
やがて作業が終わる頃には、空はすっかり夜の帳に包まれていた。
村の宿屋の前では、村人たちが食べ物を持ち寄り、大きな輪になって宴が開かれていた。
村の危機を乗り越えた祝いの席。
粗末ながらも、酒や焼いた野菜、保存していた干し肉などがふるまわれ、笑顔と声が広場に満ちていく。
ルシアナたちもその輪に加わった。
「カミーユさんと、この方のおかげです!」
「T-800殿はまるで伝説の戦士のようでした!」
村人たちは杯を掲げ、二人の名を称えた。
食事を勧められたT-800は、短く答える。
「必要ない。」
怪訝な空気が広がる。
すぐにリオネルが取りなした。
「召喚体だからな。飯なんて必要ないんだよ。」
だが、子供の一人が無邪気に問いかける。
「じゃあ、ごはん食べなくて、どれくらい生きていられるの?」
T-800は一切の感情を交えずに応じた。
「パワーセルの寿命は120年だ。」
――しん、と場が静まり返る。
「ひゃ、百二十年……?」
「え!?飲まず食わずで120年もいきられるのか??」
ルシアナとリオネルも目を見開き、言葉を失った。
村人たちは、目の前に立つ異質な存在がどれほど人間からかけ離れているのかを、改めて思い知らされるのだった。
やがて、誰かが呟いた。
「……すげぇ召喚体だ……」
その言葉を皮切りに、村人たちの間でざわめきが広がる。
「ルシアナ様が呼び出したんだぞ!」
「こんな化け物じみた力を操れるなんて……」
「いや、操れるってだけじゃねえ……命を救ってくれたんだ!」
村長は一歩前に進み出ると、酒の影響もあり感極まったように両手を掲げた。
「村を救ったのはルシアナ様だ! あのお方こそ偉大なる召喚士……我らの誇りだ!」
喝采が広場に広がる。
老若男女が口々にルシアナを称え、勇者を見るような眼差しを彼女に向けた。
その熱気の中、酒に酔った男の一人が冗談めかして言った。
「こんだけ強え召喚体がいりゃ……天下だって取れるんじゃねえか?」
周囲の者たちは一瞬きょとんとしたが、次の瞬間、笑い混じりのどよめきが起こった。
「そりゃそうだ!ドラゴンだって逃げ出すぞ!」
「ルシアナ様の時代が来るぞ!」
称賛と冗談が入り混じったその場の空気に、ルシアナは思わず顔を赤らめ、言葉を失うしかなかった。
夜はすっかり更け、広場には焚き火の明かりと笑い声が満ちていた。
村人たちは豪勢な料理を持ち寄り、酒瓶を回し合っている。
救われた安堵と勝利の余韻に、皆の顔は上気していた。
「さあ、ルシアナ様もどうぞ!」
「若い衆も飲め飲め!」
村人たちはルシアナやリオネルに次々と杯を差し出す。
リオネルは嬉しそうに受け取り、ぐいと飲み干した。
「ふうっ!戦の後の酒は格別だな!」
だがその光景を見ていたT-800が、低い声で告げる。
「明日、洞窟の調査がある。飲酒は控えた方がいい。」
ぴたりと、場の空気が一瞬止まる。
リオネルは顔を赤らめながら笑い飛ばした。
「ははっ、固いこと言うな!今くらい良いじゃないか!」
しかしT-800は微動だにせず、無表情のまま村人たちを見回している。
冗談を受け流すこともなく、ただ淡々と事実を告げるその姿に、再び静けさが広がった。
その沈黙を和らげるように、カミーユが口を開いた。
「……私も魔力を消耗していますし、依頼はまだ終わっていません。今夜は、私たちだけでも休んだ方がいいと思います。」
「そうね、カミーユの言う通りだわ。」ルシアナも頷いた。
「調査が残っている以上、明日に備えないとね。」
「む……まあ、そうだな。」
リオネルは杯を置き、少しばつが悪そうに肩をすくめた。
T-800は小さく頷くと、皆から離れて広場の外へと向かう。
「俺は見張りをする。」
その背を見送る村人たちは、酒に浮かれながらも、心のどこかで奇妙な安堵を覚えていた。
最強の召喚体が守護者として夜を見張っている――そう思うだけで、不思議と安心できるのだった。
◆◆◆
夜が明け、村には爽やかな朝の空気が流れていた。
ルシアナとカミーユは身支度を整え、宿の一階へと降りていく。
食卓の並ぶ広間には、既にT-800が立って待機していた。
その姿は夜と変わらず、その表情と体には一切の疲労を見せていない。
「……もう準備してくれていたのね。」
ルシアナは驚いたように目を瞬かせる。
広間の隅には調査用の道具がまとめられており、松明、縄など必要な物資がきちんと揃っていた。
「ああ、いつでも出発できる。」
T-800は淡々と報告する。
その時、階段を踏み外しそうな足音と共に、リオネルがようやく降りてきた。
「うぅ……頭が割れそうだ……」
顔は青ざめ、まだ酒気が抜けていない。
その様子を見て、ルシアナは小さく肩をすくめた。
「やっぱり、昨日は早めに失礼して正解だったわね。」
カミーユも苦笑しつつ頷く。
「ええ……。これで洞窟調査なんて、無茶はしないでほしいですけど。」
リオネルは情けない表情を浮かべつつも、手をひらひら振った。
「だ、大丈夫だ……。行けばすぐ治る……はずだ。」
T-800は特に表情を変えず、ただリオネルを一瞥しただけだった。
やがて宿の女将が簡単な朝食を並べる。
村人たちの協力で揃えられた干し肉とスープ、黒パン。
それを各自取って口にしながら、最終的な確認を済ませる。
「それじゃぁ、各自装備を整えてから出発しましょう。」
ルシアナが言うと、皆が頷いた。
こうして一行は、洞窟調査へと向かう準備を整えつつあった。
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次回は8月28日18:00を投稿予定としています。
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