91.ダーク・ブルー
……2026年3月20日、金曜日。
とてもよく晴れた昼下がりだった。まさしく雲ひとつない快晴で、空を見ているだけで清々しい気分になれた。
冬がようやく終わりを迎え、春の到来を感じさせる季節だった。風はほんのりと暖かく、地面には小さな花が芽吹こうとしていた。
この日、ボクは優樹くんとともに、彼の家族のお墓参りへとやって来ていた。
とうとう復旧したバスに20分ほど乗り、閑静な住宅街の中を歩いていた。
まだまだ震災の爪痕は残っているけど、ところどころリフォームに着手している家もあった。
「突然ごめんね、彩月さん」
隣にいる優樹くんが、ボクへそう告げた。
「ううん、全然気にしないで。ボクも、いつかご挨拶したいと思ってたから」
「そっか、それならよかったよ」
「でも、どうして今日なの?みなさんの命日じゃ……なかったよね?」
「うん、ただの気まぐれだよ。今日、行っておきたいなってだけで」
優樹くんは歩く足元に視線を落としながら、口許に微笑みを湛え、ボクへそう言った。
「そろそろ学校も始まるし、ボクらも三年生で忙しくなるだろうから、今の内がいいと思ったんだ」
「そっか、それで」
「彩月さんは、進路どうする予定?進学?就職?」
「んー、まだ全然、何も考えてないよ。優樹くんは?」
「僕は……そうだね、就職かな。個人的な興味として大学に行ってみたかったけど、震災でばあちゃんたちも大変な目に遭ってるからさ、少しでも稼ぎ手がいる方がいいだろうって思ってね」
「そっか、確かにね」
「あっ、ほら彩月さん、あそこの墓地だよ」
優樹くんに言われて前方に目をやると、住宅街から少し離れた敷地に、ひっそりと墓地があった。
その中へと入り、墓石をひとつひとつ確認していく。
「これだ」
優樹くんは立ち並ぶ墓石の中で、「白坂」と書かれたものに指をさした。
「さあ、彩月さん。隣に来て」
「うん」
ボクは彼とともに、墓石の前へ並んだ。
「みんな、久しぶり。優樹だよ」
彼は墓石に向かって、まるで本当に人と話すようにして語り始めた。
「みんなに……紹介したい人がいるんだ。今お付き合いしている、彩月さんだよ」
「ど、どうも、黒影 彩月です」
ボクは緊張しつつも、ぺこりと頭を下げた。
「天国でね、見てくれているかも知れないけど、僕は彼女に命を助けてもらったんだ」
「優樹くん……」
「そろそろ僕もそっちに行くかも、なんて思ってたけど、それはまだ、当分先のことになりそうだよ。だから……もう少しだけ」
それからしばらく、優樹くんは言葉を詰まらせた。
眼にじわ……と涙を浮かべて、今にもそれが溢れそうだった。
そんな彼の横顔を、ボクは何も言わずに見つめていた。
「……もう少しだけ、待っててね」
ようやくそれだけを言い切った優樹くんは、ふうと短く息を吐くと、眼を閉じて手を合わせた。
ボクも彼に倣って、同じようにお墓へ手を合わせた。
「……よし」
優樹くんは手をほどくと、どこかすっきりした笑みを浮かべながら、ボクに顔を向けた。
「彩月さん、一緒に来てくれてありがとう。どこか行きたいところある?」
「行きたいところ?」
「僕が無理言って連れて来ちゃったからさ、今度は彩月さんの要望を聞きたくて」
「そんな、別に気にしなくていいのに」
「いいからいいから」
「うーん、それじゃあ……」
「……いらっしゃいませ~」
ボクたちが訪れていたのは、かつてよく通っていた本屋だった。
先月、ようやく改修工事が終わり、地震の被害から華々しく復活を遂げたのだった。
「凄いね、もうすっかり元通りだ」
優樹くんの感嘆の呟きに、ボクも「うん」と言って返した。
「無事、営業再開できてよかったよ。ここは、ボクにとっても思い出の場所だったし」
「そっか、よく通ってたもんね」
「そう。それに……優樹くんと、たまたま出会えたところだったから」
「ははは、そうだ。そんなこともあったね」
ボクと優樹くんは昔を懐かしみながら、買い物カゴをゲットし、漫画コーナーへと足を運んだ。
「えーと……あっ、あった」
ボクは本棚の中から、ダーク・ブルーの1~13巻までを見つけた。
「そうだ、彩月さん、買い直すんだったね」
「そうそう、これだけは外せないから」
「でも、買い直すなら古本でもよかったんじゃない?わざわざ新品を買わなくても」
「いやいや、ちゃんと発行部数に貢献しないと、作者様にお金が入らないから」
「ははは、筋金入りだね~」
「ほんとは初版がいいんだけど、ま、仕方ないよね」
ボクは13巻全部を棚から出し、買い物カゴに入れた。
「よし、これで全部だね」
「ううん、まだあるんだ」
「え?でも、ダーク・ブルーって13巻までじゃなかったっけ?」
「こっち来て、優樹くん」
ボクは彼を連れて、新刊コーナーの方へ向かった。
「ほら、見て」
「……あっ!ダーク・ブルー14巻!へー!続きが出たんだね!って、あれ?」
優樹くんは怪訝な顔をして、目を細めた。
きっと彼は、14巻の帯にある、『堂々完結!』の文字に目がいっているのだろう。
「そうなんだよ、優樹くん。ダーク・ブルー、ついに完結なんだ」
「えーーー!?そっか、もうこれで終わりなんだ!」
「とうとうだよね」
ボクは14巻を手にして、それもカゴに入れた。
会計を終えて、ボクたちは近くの公園へ行き、ベンチへ座った。そこでボクは、自販機で買ったミルクティーを飲みながら14巻を読んだ。
優樹くんは終わるまでしばらく待ってくれて、スマホをいじりながら時間を潰していた。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「……ふう」
「ん、終わった?」
優樹くんから問いかけられて、こくんと頷いた。
「面白かった?」
「……うん、凄かった」
「………………」
「これは、これからもずっと……ボクにとって、大事な漫画だよ」
「……そっか、いいね。そう思える作品と出会えるのって、幸せだよね」
「うん、ボクもそう思う」
14巻の表紙を、ボクは優しく触れた。
「いろいろあったなあ……」
「いろいろ?」
「うん。今までにあったいろいろなことが、頭に浮かんでくるよ。この漫画は文字通り、ボクの青春時代そのものだったから」
「そっか、彩月さん、ずっと長いこと買ってたもんね」
「本当に、いろんなことを思い出すよ。なんだかまるで、人生の総括を見せる走馬灯みたいに」
「ははは、何言ってるの彩月さん。まだまだ人生、これからじゃない」
「優樹くん……」
「僕と一緒に、これからも過ごして行こうよ。ね?」
「……うん、そうだね」
ボクたちは、お互いににっこりと笑いあった。
「優樹くん」
「うん?」
「ボク、君のこと、愛してる」
「ははは、ありがとう。僕も、君を愛してるよ」
「うん、ありがとう」
「そろそろ行くかい?」
「そうだね」
そうしてボクたちはベンチから腰を上げて、家に向かって歩き始めた。
……さああああああ。
風が、木々の葉をざわめかせていた。
その風は、ボクたちの背中を押すように、後ろから前へと吹き抜けていった。
次回、最終回。




