89.幸せ
優樹くんがいたのは、個室の病室だった。
508号室の扉の前には、確かに「白坂」という名前が書かれていた。
ノックをしてみると、中から「どうぞ」という声が返ってきたので、扉を開けた。
病室内には、ベッドに横たわる優樹くんと、その周りに優樹くんのおじいちゃん、おばあちゃん、そして二階堂さんと小岩瀬さんがいた。
優樹くんの両足には包帯が巻かれており、器具で固定されていた。
「あ~!サツキちゃん!」
優樹くんのおばあちゃんは、ボクを見るなりこっちへ小走りしてきて、ボクの両手を取った。
その眼の端には、涙が浮かんでいた。
「ありがとうねえ……!優樹を、助けてくれたんだってねえ……!」
「おばあちゃん……」
「優樹までいなくなったらどうしようって、怖くて怖くてねえ……。ごめんねえ、ありがとうねえ……」
「………………」
おばあちゃんの隣に、おじいちゃんも立っていた。彼は言葉こそ何も発さなかったものの、ボクに対して深々と……頭を下げてくれた。
「さあ、ほら、優樹。サツキちゃんが来てくれたよ」
おばあちゃんはボクの手を引いて、優樹くんのそばまで連れて行ってくれた。
「……彩月さん」
優樹くんは、ぐったりと疲れきった顔色をしながらも、ボクへ優しく微笑んでくれた。
「大丈夫……じゃ、ないよね、優樹くん」
「ははは、そんなことないよ。死ぬことだって覚悟したんだから、足だけで済んで、本当によかった」
「………………」
「ありがとう、彩月さん。君は、文字通り命の恩人だよ。感謝しても、し切れない」
「優樹くん……」
ふと気がつくと、周りに人がいなくなってた。
あれ?と思って、病室の扉の方へ眼をやると、みんな部屋から出ていくところだった。
最後に出る千夏さんは、一瞬だけこちらを見て、ぱちっとウインクしながら笑っていた。
ガララ……ピシャッ
そして、ボクと優樹くんは、この病室に二人きりとなった。
「ははは、僕たち、気を遣われちゃったね」
「そ、そうだね。ちょっと恥ずかしいかも……」
「いいよ、ここはご厚意に甘えよう。付き合ってるって公言してるんだからさ」
「………………」
優樹くんは、ボクの左手をそっと握った。
そして、苦しそうに眉をひそめながら、「ごめんよ」と呟いた。
「あの時僕は、君に、酷いことを言ってしまった……」
「あの時?」
「嫌い、とか、顔も見たくないとか……」
「………………」
「あの時は、とにかく早く君に逃げて欲しかったんだ。それに……僕のことを嫌いになってくれたら、きっと僕が死んでも、後々苦しまずに済むかなって……」
「………………」
ボクは右手で、彼のほっぺたをきゅっとつねった。
「さ、彩月さん?」
「……優樹くんの、バカ」
「え?」
「あんなことで、ボクが君を、嫌いになったりするもんか」
「は、ははは、そっか……」
「えい、えい、優樹くんのわからず屋」
「わー、ほっぺたが揺れるよお」
ボクと彼は、楽しくじゃれ合っていた。
彼との間に確執を残さないよう、朗らかな解消方法として、ボクは敢えて軽く彼を咎めたんだ。そうしたら、彼の罪悪感も軽くなると思うから。
……それからボクたちは、いつものように雑談を交わしていた。
「退院って、いつ頃できるの?」
「だいたい、1ヶ月くらいだって」
「そっか、大変だね。ボク、毎日お見舞いに来るよ」
「うん、ありがとう」
「学校とかって、いつから再開するんだろうね?」
「ね、全然僕も分かんないや。避難所から通うのは大変だから、仮設住宅に住めるようになってから再開して欲しいなあ」
「そうだね、ボクもさすがに避難所生活は辛くなってきたよ。アルファ米じゃなくて、ほっかほかで炊きたての白米が食べたい」
「ああ~、いいね。恋しいよ白米」
「普通に暮らせるって、贅沢なことだったんだね」
「ほんと、僕も身に染みて思うよ」
ボクたちは二人同時に、くたびれたため息をついた。
「ああ、そうだ。さっきボクね、お母さんとお父さんにたまたま遭ったよ」
「え?彩月さんのお母さんたち、この病院にいたの?」
「うん、本当に偶然だけどね」
「まあでも、そうか。この状況で患者を受け入れられる病院って、限られてるもんね。あれ?ていうことは、彩月さんのお母さんたちも怪我しちゃってたってこと?」
「そうみたい。まあ、二人とも大丈夫そうではあったけど」
「そっか。よかったね、安否が分かって」
「うん」
ああ、やっぱり優樹くんと話す時間は、心地いいな。
なんと言うか、波長が合うんだと思う。無理に肩肘を張らなくていいし、いつでも落ち着く。
こんなに好きになれる人と出会えたことが、ボクの人生最大の幸運だったかも知れない。
「………………」
「……?どうしたの?彩月さん」
「……ふふふ」
「え?」
「いや、何でもないよ。ただ……」
ボクは、すっと腰を屈めて、彼に……キスをした。
「……ただ、好きだなって、そう思っただけ」
「………………」
優樹くんは、眼をぱちくりさせながら、リンゴのように頬を赤く染めていた。
ボクの方も、顔がじんわりと熱くなっていたから、きっと彼と同じようになっていたと思う。
「ありがとう、優樹くん」
「………………」
「君のこと、好きにさせてくれて、ありがとう……」
「彩月さん……」
「ボク、ボク、本当に……」
「幸せ、だよ」
ネオページの連載も終ったので、これから最終回まで毎日夜九時に投稿します。




