83.別れ
……土埃が、ようやく晴れてきた。
手で目の前の煙を払いながら、ボクは何度も瞬きをして、潰れた家を凝視した。
「………………」
優樹くんを、見つけた。
彼は、うつ伏せの状態で、瓦礫の下敷きになっていた。
上半身だけが外に出ていて、下半身は完全に埋まっていた。
「優樹くん!」
悲鳴のような声で、ボクは彼の元に駆け寄った。
「う、ううっ……」
彼は顔を歪ませて、弱々しく唸っていた。
「優樹くん!!優樹くん!!」
「さ、彩月さん……」
「待ってて!今、助けるから!」
ボクは彼の上に乗っている瓦や木材を、必死になって退かした。
でも当然、女の子のボク一人じゃ重たくて持てないものもあった。太くて大きな柱なんかは、ボクの素手の力ではびくともしなかった。
「ど、どうしよう……」
周りとキョロキョロと見渡して、なんとか動かせるものがないか観察した。
すると、3メートルくらいの折れた木材を発見したので、それを持ち、先端を優樹くんの上に乗ってる柱の下へ入れた。
「んっ!ぐうっ……!ううっ!!やあっ!」
そして、テコの原理の要領で、柱を彼の上からどかした。
「はあっ!はあっ!はあっ!よ、よかった……!」
とりあえず、彼の上に乗っていたものは全て取り除くことができた。
ただやはり、瓦礫の下敷きになったのは大きなダメージを及ぼした。
彼の脚が、両方とも折れていた。
左脚はふくらはぎが、右脚は足首が青く晴れ上がっていて、血も滲んでいた。素人のボクでも、これは歩けないだろうことが容易に見てとれた。
「うううっ、優樹くん……優樹くん……」
「さ、彩月さん、ごめんね……。僕がもっと早く、家から出ようって、判断してれば……。二度も大きな地震を食らって、古い木造建築が無事でいるわけなかったのに……」
「ううん、ボクがいけなかったんだ……。優樹くんが早く出ようって言ってくれてたのに……」
「い、いいんだ彩月さん。君の方は……怪我はないかい?」
「うん、ボクは大丈夫」
「そ、そっか、よかった。ううっ、い、ぐうう……」
優樹くんは冷や汗を滲ませて、激しい痛みに耐えているようだった。
「ご、ごめんね、すぐ救急車を呼ぶから。優樹くん、あの、スマホを貸してくれる……?」
「う、うん。右の……ポケットに……」
そうして、ボクは彼のズボンのポケットからスマホを抜き取り、119番へ電話をかけようとした、その時だった。
「早く!早く逃げろーーー!」
……遠くの方で、男性の叫ぶ声が聞こえてきた。
振り返ってみると、大勢の人たちが必死に走っていくのが見えた。
「土砂が来てる!走れ!もうすぐそこだぞ!」
「おかん!早く!なにしてんの早く!!」
「………………」
土砂、崩れ。
そうか、この家の近くは、確かに山がある。それが今、雪崩れてきてるんだ。
(きゅ、救急車じゃ間に合わない……)
ボクはスマホを自分のポケットに入れて、彼を担ぐことにした。
優樹くんの右肩を持ち上げて、なんとか自分の背中へ乗せようと奮闘する。
「うっ……ううっ!はあっ!ううっ……!」
しかし、やっぱり優樹くんは男の子で、体重がボクよりもずっと重い。非力で弱々しいボクには、彼を持ち上げることすらままならなかった。
「ど、どうしよう……!な、何か、何か方法は……」
「……彩月、さん」
「な、なに?」
「………………」
優樹くんは、地面に倒れた状態で、ボクのことをじっと見つめながら……掠れた声でこう言った。
「僕を……置いていって」
「………………」
「ど、土砂がそこまで迫ってるなら、もう……時間がない。このままじゃ、二人もろとも……」
「……や、や、やだよ、そんなの。止めてよ優樹くん」
「いいんだ、彩月さん。君だけでも生きて欲しい。僕に構わず、早く逃げて……」
「……本気で言ってるの?」
「……本気、だよ」
「………………」
この瞬間、世の中にあるすべての音が、遠く感じられた。
現実味がなくて、ふわふわしてて、悪い夢でも見ているような感覚。
ああ、なんだっけ。
千夏さんが泣いてた時にも、似たようなこと、あった気がする……。
「……で、電話、してみるよ」
「………………」
「救急車、もしかしたら間に合うかも知れないから。た、確か救急車って、10分以内に来れるらしいから」
「………………」
「ね?だ、だからさ、優樹くん……」
「……彩月さん、救急車は無理だよ」
「………………」
「この地震だもの。道も瓦礫で塞がってるだろうし、それに……他にも僕のような人が大勢いて、手が回らないと思う。何より、これから土砂が向かってくるところに、人を呼ぶのは危なすぎる。救急車に限らず、助けを呼ぶのは……難しいよ」
「……優樹くん」
「彩月さん、僕は……君と」
「………………」
「君と、一緒にいれて、楽しかっ……」
「やだやだやだやだやだ!!ダメ!!ダメダメダメ!!そんなの聴きたくない!!」
まるでスイッチでも入ったかのように、ボクの眼から涙が溢れた。
嫌だ、嫌だ、優樹くんを見殺しにするなんて、そんなの嫌だ。できっこない。
ああ、もう、吐きそう。胸がムカムカする。
なんでこんな、こんなことに。
下敷きになるのが、ボクだったらよかったのに。
ボクが死ねばいいのに。
なんでよりによって、優樹くんが……優樹くんが……!
「ゆ、優樹くんが動かないなら!ボクもここにいる!」
「彩月さん……」
「ボクも、君と一緒に死ぬ!」
「な、何言ってるの……!早く、早く逃げてよ……!」
「嫌だ!動かない!絶対一緒に死ぬから!」
「彩月さん!お願いだから言うことを聴いて!君と僕が逆の立場だったら、同じように言うだろう!?」
「………………」
「ね?だからさ、君は……早くここから……!」
「ううううう!!いや!いや!優樹くんが死んじゃったら!もう、もうボク生きていけない!!寂しくて!!辛くて!!ううっ!!なんにもできないよおっ!!」
ボクは、子どものように泣きじゃくった。
眼も、頬も、鼻も、顎も、何もかもがぐちゃぐちゃに濡れて、どうしようもなかった。鼻水も垂れていたけれど、そんなのを気にする余裕がなかった。
彼を説得しようと、冷静に試みたわけじゃない。ただ、現実を受け入れたくなくて、駄々を捏ねていた。
何もかも全部、嘘だったらいいのにと、そんなことばかり考えてた。
「彩月さん!彩月さん!」
「いやあああああ!!!ボクも死ぬーーーーー!!優樹くんと死ぬーーーーーーー!!」
パニックになったボクの頭は、完全にヒートアップしていた。
喚いて嘆いて、錯乱して、慟哭して、訳が分からなくなって。
ただただ、「優樹くんと死ぬ」と、そう叫ぶだけの生き物になって。
嫌に空が青いのが、憎たらしかった。
「あああああああ!!うああああああああああ!!」
泣き喚くボクの耳には、ほとんど何も聞こえていなかった。自分の声が、すべてをかき消してしまっていた。
「………………」
だけど、優樹くんの……ほんの小さな呟き声だけは、ボクの耳に、真っ直ぐに届いていた。
「……はあ、だから陰キャはうざったいんだよ」
「………………」
その台詞を聞いた瞬間、ボクはぴたりと……今までの慟哭が嘘のように泣き止んだ。
冷たい、声だった。本当に優樹くんの声かと疑うほどに、その声は苛立っていた。
「……ゆ、優樹、くん?」
「………………」
「い、今、なんて……」
「………………」
彼は、ボクから目を背けた。そして、「うざったいって言ったんだよ」と答えた。
「いつもいつも、僕に付きまとってきて……。僕がどれだけ迷惑してるか、分かってないんだ」
「………………」
「本当はね、僕は金森さんの方が好きだったんだよ。でも君があんまりにも僕に付きまとうから、仕方なく付き合ったんだ」
「…………う」
「………………」
「う、嘘、だよ、ね……?」
「……ここまで言われても、まだ分かんないの?」
「………………」
「君が自分で言ってたじゃないか。ボクよりも金森さんと付き合った方が楽しいはずだって。ほんと、その通りだと思うよ。彼女の方が明るくて元気だし、君みたいにメソメソしてないし」
「………………」
「最期の最後になってまで、ぐずぐす泣くの止めてくれない?イライラするから。そういうところが、ずっと嫌いだったんだよ」
「……優樹くん」
「ほら、さっさと行ってよ、“黒影”さん」
「………………」
「もう、顔も見たくないから」
「………………」
……ボクは。
ボクは、何も言えなかった。
ただ、抉れたように胸が痛かった。
ズタズタだった。
そして、何も言わずに、ボクはゆっくりと……優樹くんを背にして、その場を離れた。
……彩月さんの足音が、次第に遠退いていく。
そう、そうだ彩月さん。そのまま、逃げておくれ。
酷いことを言って、ごめんよ。
君が言われて嫌だろうなと思うことを、たくさん言ってしまった。
でも、こうするしかなかったんだ。
僕はもうじき死ぬ。だから、僕に構わないでいて欲しかった。
僕のことを、嫌いになって欲しかった。
そうしたら、僕が死ぬことも、あまり辛くなくなるはずだ。
辛くなく……。
「………………」
僕の眼から溢れる涙が、地面に染みていった。
彼女とのいろいろな思い出が、頭を過った。
楽しかったんだ、本当に。
彼女と一緒にいたら、心が安らげた。彼女の仕草ひとつひとつが、いじらしくて、可愛くて、仕方なかった。
アニメを観て思わず泣いちゃうところも、僕が手を繋ぐと恥ずかしそうにするところも、僕が金森さんを好きかも知れないって不安になるところも、みんな好きだった。
そうだよ、彩月さん。君はもっと、自信を持って欲しい。
自分の良さを、知って欲しい。
自分のことを……応援してあげて欲しい。
君は、立派だよって。
頑張ってるよって。
そのことを、もっと君に……伝えてあげたかった。
(じいちゃん、ばあちゃん、ごめん。僕は、一足先に行きます……)
彩月さん、僕はずっと、君を見守るよ。
僕のお母さんたちと一緒に、見守ってる。
小幸だって、きっと君のこと気に入るよ。素敵なお姉ちゃんができたって、喜んでくれるさ。
大丈夫、大丈夫だよ。
君がどんなになっても、僕は、君を愛してるよ。




