81.白坂 優樹の過去(2/2)
「………………」
ボクは肩をすぼめながら、優樹くんの話を黙って聴いていた。
胸が、抉れるような想いだった。いつも優しくて穏やかな優樹くんに、こんなえげつない過去があったなんて……。
ボクは、彼の境遇そのものよりも、彼が深く傷ついていたことに、泣きたくなった。
(……なんて言えばいいんだろう)
どんな言葉も、今の彼の前では、すべて上滑りしそうで怖かった。
あらゆる台詞が綺麗事にしかならなくて、彼の苦しみを和らげることにはならない気がした。
だからボクは、手を膝の上に置いて、じっと何も言わず黙っている他なかった。
「それでね、僕はずっと、死にたかったんだ」
優樹くんは、遠くの景色を見つめながら、話を続けた。
「独りぼっちになるくらいなら、みんなで死にたかった。僕だけが生き残ってしまって、みんなに……申し訳なくて」
「………………」
「ばあちゃんたちに引き取られてからも、そのことばっかり考えてたよ。生きる気力なんてまるでなくて、ずっと……」
優樹くんは、悲痛なほどに顔を歪めながら、「寂しかった」と、酷く小さな声で言った。
ひゅうううう……
背中に風が当たっていた。僕たちの髪がふわりとなびいて、ゆらゆらと揺れていた。
「恥ずかしい話だけど、最初はね、全部なかったことにしたいと思ってた」
「なかったことに……したい?」
「そう。僕にはもともと、家族なんていなくて、最初から一人だったんだって。そうしたら、家族を喪った悲しみを考えずに済むから。それで、昔から着ていた服は全部処分したり、思い出のものとかは段ボールに詰めて、押し入れの中に強引に入れ込んだりして、目の届かないようにしてた」
「………………」
「でもやっぱり、家族がいたことを、なかったことには……できなかったよ」
「……優樹くん」
「傷つきたくなくて、現実から何度も逃げようとしたけど、そうすればするほど、余計に傷ついた。どうしてもね、何かの拍子に思い出すんだよ。学校で『家族構成を英文にしなさい』とか出てきたり、授業参観で親を連れて来なさいと言われたりとか……。その度に、どうしようもなく苦しくて、罪悪感で胸がいっぱいだった。家族のことを思い出す辛さと同時に、みんなのことを忘れようとする自分に、嫌気がさしていった」
「………………」
「そして、15歳の誕生日の日……。僕、ジュースを買うために、学校の帰りにコンビニへ寄ったんだよ」
「うん」
「12月だから、世間はクリスマスムード一色でさ。棚にはいろんな種類のケーキが並んでるんだ。その中に、僕の好きな果物の乗ったケーキもあった」
「………………」
「僕はね、ケーキはもうトラウマだったんだよ。見るだけでも辛くて、あの時の……ぐちゃぐちゃになったケーキの光景がフラッシュバックして、動悸が激しくなるんだ」
優樹くんは、右手を胸に当てて、ぎゅっと服を握り締めていた。
そして、異様に切なげな……儚い微笑みを薄く浮かべていた。
「僕は棚から目を逸らして、コンビニを出ようとした。いつものように、逃げようとしたんだ。でもね……」
「………………」
「歌が、流れたんだよ」
「歌?」
「うん。コンビニの店内で、歌が流れた。それがね、家族みんなで旅行する時に聴いてた……スペッツのチェイリーだったんだ」
「………………」
「僕は思わずハッとして、その場に立ち止まった。これはなんだか、みんなからのメッセージのように感じた。オカルトチックだって思われるかも知れないけど……でも、なんか、こう言われてる気がした」
──私たちを、思い出して。
「………………」
「それで、僕はしばらくずっと逡巡してたけど、意を決して……そのケーキを買ったんだ。そして、家に持って帰って……二年ぶりに、ケーキを食べた。食べて、そして……」
そうして、優樹くんはすっと目を閉じた。
「……大泣きしたよ」
「………………」
「ケーキなんか見えなくなるくらい、顔がぐちゃぐちゃになってさ。甘くて美味しいはずなのに、一口一口が痛くて、ビリビリして、鉛のように重かった」
「優樹くん……」
「でも、それでよかったんだ。食べ終わった後にね、なんだか僕もすっきりしてた。心の中にずっと抱えていた何かが、ようやく溶けた気がしたんだ」
「………………」
「その日から、僕は少しずつ、立ち直れていったよ。もちろん時間はかかったけど、それでも今は……僕は死ぬことなく、ここにいる」
「……ごめんなさい、優樹くん」
「うん?」
「ボク、恥ずかしいよ」
「恥ずかしい?」
「君は、ボクなんかよりもずっとずっと辛いことを経験していたのに、ボクが死にたいだのなんだのって……」
「そんな、恥ずかしくなんかないよ。君には君の辛さがある。比較できるものじゃないさ」
「………………」
優樹くんは、いつものように、優しい微笑みを浮かべていた。
ああ、彼のこの笑顔の向こう側には、たくさんの苦しみや悲しみがあったんだ。ボクはそのことに想いを馳せることもせず、ただただ優しくされるばかりだった。
餌を待つ雛鳥ように、受け身になってしまったんだ。
優樹くんは恥ずかしくないと言ってくれたけど、やっぱりボクは自分が情けなくて、小さく見えていた。
「僕はね、彩月さん。この話を通じて、君に伝えたいことがあったんだ」
「伝えたいこと?」
「僕もまた、君と一緒で、死にたいと思っていたことだよ」
「………………」
「理由は違うけれど、僕も君も、自分のことが許せなくて、自己嫌悪になって、それで……死にたいと思ってた」
「……うん。でも、優樹くんは自力で踏みとどまって、立ち直れた。ボクなんかとは全然違うよ」
「そんなことない、君にだってできるよ」
「でも……」
「僕はね、彩月さん。あのケーキを食べた時に、ひとつ考えたことがあったんだ」
「考えたこと?」
「なんで僕は、家族がいなくなって、悲しいと思うんだろうって」
「……?そ、そんなの、当たり前のことじゃないの?」
「そうだね。でも、突き詰めていくと、何が悲しみの原因なんだろう?って、改めて考えたんだ。何を持って、悲しいと思うのか。何が僕を悲しませるのか」
「………………」
「それはね、もう二度と、家族を愛せないと思ったからだよ」
「家族を愛せない……?」
「もう、みんなと一緒に旅行へ行くことも、食卓を囲むこともない。みんなのことを……もう愛せなくなってしまった。だから悲しいと思ってたんだって、その時気づいたよ」
「………………」
「でも、そんなことない。ケーキを見る度に、僕は家族のことを思い出す。みんなが僕のために買ってくれていたことを、しっかりと覚えている。だからね、僕は今も、みんなのことが大好きだよ。今も思い出す度に苦しくて、胸がズキズキするけど、でも、きっとそれでいいんだ」
「……優樹くん」
「愛するってことは、傷つくことを覚悟すること。そういうことなんじゃないかなって、僕は思ったよ」
「………………」
「だからね、自分のことなんて、嫌いでもいいんだよ。どんなに情けなく感じてもいい。どんなに惨めに思ってもいい。でも、彩月さんの心の中に……本当に大切にしたいと思う人がいたら、その人のことを、悔いなく愛して欲しい。愛することを、怖がらないでいて欲しい。その相手はもちろん、僕じゃなくていい。誰だっていいんだ」
「………………」
「そうしたら、少しだけ、生きる勇気を貰えるかも知れないよ」
優樹くんは目を細めて、今まで以上に優しく笑った。
それは、強い笑顔だった。
ちょっとやそっとでは折れることのない、生きる力を感じる笑みだった。
「………………」
僕は今まで、彼のことを天使みたいな人だと思ってた。
天使のようにふわふわしてて、誰にでも優しくできる人だって。
確かに、分け隔てない優しさを持ってるのは確かだと思う。でも、その源流が違ってた。
彼は、樹だ。名前のとおり、樹なんだ。
自分の中に、確固たる幹があって、それが真っ直ぐに伸びているんだ。
僕はいつも、その樹の根本に座っていて、優しい木漏れ日を感じていたんだ。
ああ、だからボクは、彼が好きなんだ。
彼に支えて貰いたくて、それでずっと……彼のことばかり、考えていたんだ。
「………………」
ボクは……。
ボクは確かに、ずっと傷つくことを恐れてた。
優樹くんが誰かに盗られてしまうかも知れないって、優樹くんから嫌われてしまうかも知れないって、そのことばかり考えていた。
それが怖くて怖くて、逃げようとしてた。目を逸らそうとしてた。
つくづく情けなくて、惨めな人間だと思う。
だけど……。
「………………」
この、彼との会話。
これがボクの人生を大きく左右することになるとは、この時のボクにはまだ予想できなかった。




