79.災害時の日常
「くしゅっ」
千夏は鼻に両手を当てて、小さなくしゃみをひとつした。
「大丈夫?千夏」
「うう、さっぱ教室で寝んのって寒いね~」
千夏は肩からかけているコートをぎゅっと掴んで、鼻をすすった。
避難所として開設された私たちの高校には、たくさんの避難者が集まって、本来避難スペースとして設けられていた体育館がすべて埋まってしまった。そのため、急遽教室も避難所として開放されたのだった。
机と椅子はすべて教室の後ろに下げられ、広々とした空間ができていた。
私たちは二年三組の教室に寝泊まりすることにし、毛布やジャンパー、コートなんかの上着を布団代わりにしていた。
今は私、西川 凛と千夏、小岩瀬さんの三人だけが残っていた。でもきっと、これからもっと避難者が増えてくるだろう。
ガララッ
「遅くなって申し訳ありません、食料を貰ってきました」
教室の扉を開けて入ってきたのは、二階堂さんだった。その右手にはビニール袋を持っていた。
「ああ!みーちゃんありがとー!」
「それと、カイロも一緒に貰ってきました。一人ひとつずつになりますよ」
二階堂さんはまず、カイロをそれぞれに渡してくれた。それから鯖の味噌煮の缶詰めとアルファ米、そして割り箸を配ってくれた。
「あ~!あったかーい!」
千夏は貰ったカイロを両手でスリスリと擦り、それを頬やおでこに当てていた。
「ああ、やっと食べれる……」
よほどお腹空いていたらしい小岩瀬さんは、げっそりした様子で缶詰めとアルファ米を開けていた。
アルファ米というのは、乾燥されたお米のことで、こういう非常時に活用される。真空の袋詰めにされており、カップラーメンのようにお湯や水を入れることで食べれるようになる。
こういうものがあると知識では知っていたけど、まさか自分たちが使うことになるとは思いもよらなかった。
「えーと、水を線まで入れて……はっ!?60分!?」
小岩瀬さんは、アルファ米の作り方を読みながら、目を白黒させていた。
隣にいた二階堂さんが横から覗いて、「あー、お湯だと15分ですけど、お水だと60分かかるみたいですね」と告げた。
「もーーー!ちょっと待ってよーーー!鯖缶開けたってばーーー!」
小岩瀬さんは子どものように拗ねて、床に大の字に寝転んでしまった。
「もうキツいって!お腹と背中がくっつきそうだってのー!」
「まあまあ、仕方ありませんよ瑠花さん。食べれるだけ恵まれてますよ」
「いやそうだけどさー!ねえ、誰かお湯持ってない!?お湯ならまだ早いからさー!」
「停電してますから、お湯を湧かすポットが動かないんですよ」
「もーーー!マジ最悪ーーー!あーー!腹空いたーーー!」
「小岩瀬さん、よかったら私の乾パン食べる?」
「え!?いいの凛!?」
私の提案を聞いた小岩瀬さんは、反射的に上半身を起こして、目を爛々と輝かせていた。
「うん、ちょっとしかないから、物足りないかもしんないけど」
「あ、ありがと!ちょっとでいいからちょうだい!」
彼女は両手を前に出して、受け皿のようにした。そこの上に、乾パンを何枚か乗せてあげた。
「んんん!う、美味すぎ……!乾パンがこんな美味く感じる時が来るとか、思わんかった……」
一枚一枚を少しずつ齧り、大事そうに食べながら、感動にうち震えていた。
「あーやば、ぐすっ、めちゃうま……」
あまりの感動ゆえか、小岩瀬さんはとうとう涙まで浮かべてしまった。当然二階堂さんは、それに目ざとく気がついていた。
「ふふふ、相変わらず瑠花さんは可愛いですね。乾パンで泣くだなんて」
「はあっ!?な、泣いてないし!」
指摘されたことが相当恥ずかしかったのか、小岩瀬さんは顔を赤らめて、目を思い切りごしごしと擦った。
小岩瀬さんと二階堂さんのやり取りは、いつもの日常と変わらなかった。そのお陰で、私は少しホッとした。
「てかさ、学校っていつから再開すんのかな?」
小岩瀬さんは教室の黒板に書かれている日付に目をやりながら、そう言った。私も唇を固く結びながら、「うーん……」と唸っていた。
「学校そのものが避難所になってるから、なかなか再開するのは難しいんじゃない?」
「ってことは、しばらく休みってこと?」
「たぶんね」
「まあ、そうだよね。なんか、休みなのはいいけど、こんな感じで休みになんのはめんどいなあ。スマホも充電できないし、家に帰ってもしょうがないし」
「うん」
私は水筒を手に取って、少しだけ口に含んだ。
そして、壁にかけられている時計へ目を向けた。
「14時か……。もう一回電話してみようかな」
私の呟きを聞いて、千夏が「それって優樹に?」と訊いてきた。
「そうそう、ちょっとかけてみるね」
プルルルル、プルルルル
プルルルル、プルルルル……
昨夜と同じように、長くコールが続く。
(……あれだけの地震だし、スマホが壊れちゃった可能性もあるけど、でも……)
なかなか不安と心配が拭えずに、私はごくりと固唾を飲んで待っていた。
プルルルル、プル……
『あっ、もしもし?』
「!」
だけど、今回は出てくれた。私は「し、白坂くん!?」と前のめりになって声を張り上げてしまった。
その瞬間、他の三人が一斉に私の方へ目を向けた。
『うん、そうだよ』
「あ、ああ、よかったよ、連絡できて。心配してたの」
『ごめんごめん、ちょっといろいろあって。あっ、昨日も連絡くれてたんだね。今気づいたよ』
「いやいや、大丈夫。とにかく無事でよかった」
『ありがとう。西川さんの方も無事?』
「うん、無事だよ。今、千夏と小岩瀬さんと、二階堂さんの三人といるよ」
この辺りから、私はスマホを耳から話し、スピーカー設定に変え、みんなに話が聞き取りやすいようにした。
『そっかそっか、みんな無事なんだね、よかったよ』
「そっちは……その、黒影さんも一緒にいるの?」
『うん、今隣にいるよ』
「そ、そっか。黒影さんも、無事に怪我なくいるんだね?」
『うん、大丈夫』
それを聞いた私たち四人は、同時に胸を撫で下ろした。白坂くんに聞こえないように声量は抑えているけど、みんな安堵のため息をついていた。
「ああ、よかった、さっぽん……」
千夏に到っては、少し涙ぐんでさえいた。
「白坂くんたちは、今どこにいるの?」
『えーとね、山ノ内小学校だよ』
「そっか、そっちの方が白坂くんの家から近かったよね?」
『うん、そうそう。西川さんたちはどこにいるの?』
「自分たちの学校にいるよ。私らは学校の近くで地震前まで喋ってたから、学校の方が近かったの」
『ああ、なるほどね』
「とにかく、二人が無事でよかった」
『うん、西川さんたちも』
「ごめんね、いきなり電話して」
『いいよいいよ、大丈夫』
「じゃあ、またね。あ、黒影さんにもよろしく言っておいて」
『うん、分かった。またねー』
ピッ
そうして、私と白坂くんの電話は終わった。
「全く、黒影のやつ、心配ばっかかけるんだから」
小岩瀬さんは腕組みをしながら、唇を尖らせていた。
「とにかく、二人の安否が確認できて何よりでしたね」
「うん、避難も済んでるみたいだし、ひとまず肩の荷が降りたね」
「あ~、よかった~!あーし、ほんと昨日寝つけなくてさあ……。心配で心配で……」
どうやら強張っていた身体の力が抜けたらしく、千夏は私の肩にだらんと寄りかかってきた。
(白坂くんと一緒なら、きっと……大丈夫だよね)
私も天井を見上げながら、ようやく安らいだ気持ちになれた。
そうなると、途端にお腹が空いてきた。身体が食べ物を欲してることを、今さら気がついたみたいだった。
「……今のは、西川さんから?」
ボクがそう訊くと、優樹くんは「うん」と答えて、スマホをポケットにしまった。
「金森さん、小岩瀬さん、二階堂さんたちも一緒だって。みんな無事みたいだよ。それに、君のことも心配してた」
「………………」
ボクはうつむきながら、掠れるような声で「そっか」とだけ答えた。
ボクたちはこの時、避難所の近くにある公園にいた。
お昼を過ぎてからさらに避難者が増えてきて、さすがに人混みがキツくなってきたボクたちは、ゆっくりできる場所を探してここに来たのだった。
広々とした芝生に、ベンチが点々としている公園だった。遠くの方で、家族連れがサッカーをして遊んでいる姿も見かけた。
「やあ、彩月さんご覧よ。楽しそうだね」
「うん」
「なんだか、和むね。こんな状況でも、人は笑っていられるんだ」
優樹くんは目尻を下げて、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「………………」
なんだか、不思議な気持ちだった。
妙に落ち着いた感覚というか、心の枷が取れている感じというか……。
西川さんや千夏さんたちが無事だったのを聴いて、安心したのもあるかも知れない。考えないようにしていたけど、結局ボクは、みんなのことが心配だったんだ。
ああ、そうか。この心地よさは、自分の気持ちが少し理解できたからかもしれない。
「………………」
冷たいそよ風が吹いていた。
その風に紛れて、ボクは自然と、他愛もない会話をするかのように、こう言った。
「ボクね、死のうと思ってたんだ」
「………………」
優樹くんの顔が、みるみる強張っていった。
ボクの方へ顔を向けて、目を大きく見開いていた。
「そ、それは……いつ?」
「え?」
「死のうとしたのって、いつの話?」
「うーんと、地震が起きる前」
「………………」
「でも、死ねなかった。怖くて、結局何もできなかった。中途半端な気持ちのまま、ボクは今ここにいる」
「………………」
しばらくの間、ボクたちに会話はなかった。
さすがの優樹くんも、これには上手く言葉を返せないでいるようだった。
(ああ、彼を困らせちゃったな……)
自分から話を切り出したのに、この時ボクはどこか他人事のように感じていた。
「……どうして、死のうと思ったの?」
「………………」
「衝動的に、そう、しようと思ったの?」
「……あー、うん。そうかも知れない」
「………………」
「ごめんね、優樹くんは全然悪くないの。ただ、ボクがボクのこと、好きになれないから」
「……彩月さん」
「いつまでもうじうじして、自信がなくて、人を妬んでばかりで性格が悪くて……。こんなボクのことを、優樹くんがいつか見捨てるんじゃないかって不安で」
「……そっか」
ボクの言葉を聞いた優樹くんは、眉をひそめて悲しそうにうつむいてしまった。
「僕が、君のことを安心させられなかったんだね」
「え?」
「ごめんよ、これは僕のせいでもあるね」
「ち、違うよ。ホントに違う。優樹くんのことは信じてるけど、ボクがボクのことを、信じられないだけで……」
ああ、もう。優樹くんのことを、傷つけたいわけじゃないのに。
本当にボクは、いつまで経っても成長しない。
「……自分を好きになれない、か。確かに、難しい話だね」
「………………」
「僕がどれだけ君のことが好きだと伝えても、君が自分のことを好きじゃないと、きっとそれも届かない。いや、むしろ不安が強くなるだけなんだね。自分がそんなに好かれる理由が分からなくて、怖くなるから」
「……うん」
「………………」
優樹くんは、突然不意に空を見上げた。
そして、一度深呼吸をした後、「うん」と呟いてから、ボクへこう言った。
「ねえ彩月さん、よかったら少し、ボクの話をしてもいいかい?」
「優樹くんの話?」
「そう。厳密には、五年前に亡くなった……僕の家族の話を」
「………………」
彼は空を見上げたまま、独り言のようにぽつりぽつりと、ボクへ話し始めた。




