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77.買い出し(前編)




……目が覚めたのは、朝の八時頃だった。


ブルーシートを敷いているとはいえ、体育館の床は固く、背中が強張ってしまった。


(なんか、余計に疲れた気がする……)


ボクは目をごしごしと擦りながら、むくっと身体を起こした。


「おはよう、彩月さん」


優樹くんは微笑みを浮かべながら、ボクに朝の挨拶をくれた。


こんな状況じゃなかったら、同棲しているみたいでロマンがあるなあなんて思いながら、ボクも「おはよう」と返した。


(あ、しまった。寝癖がハネてるかも)


ボクは頭を手の平で触ってみると、やっぱりぴょんと、アホ毛のように伸びている毛がいくつかあった。


やだな、優樹くんに恥ずかしいところ見られちゃったな……。


「彩月さん、お腹空いたでしょ?朝ごはん食べない?」


「朝ごはん?」


「さっき市役所の人が持ってきてくれてね。彩月さん、桃は好きかい?」


そう言って、彼は桃の缶詰めとフォークを手渡してくれた。


ボクはそれを開けて食べながら、辺りの様子を見渡していた。


みんなも今の時間は、同じように朝食を取っているらしく、ブルーシートや毛布の上に座って、缶詰めや果物、そして乾パンなどを食べていた。


体育館の天井付近にある窓から、弱い朝日がぼんやりと差し込んでいた。


「そうだ、優樹くんのおばあさんたちは?」


「ああ、家から着替えを取ってくるって」


「なるほど」


「彩月さん、もしよかったら、僕と一緒に買い出しに行かない?少しでも食料を買っておきたくって」


「買い出し?でも、スーパーって今大丈夫なの?」


「ここから歩いて30分くらいしたところに、開いてるスーパーがあるんだって」


「凄い、そこは被害なかったんだね」


「うん、ありがたいよね」


「分かった、いいよ。何時から行く?」


「彩月さんがよければ、いつでも大丈夫だよ」


「ありがとう、優樹くん」


そうして、ボクが朝食を食べ終えてから、2人でそのスーパーへと向かうことにした。


日の光の下で、改めて街を眺めてみると、その崩壊具合に息を飲む。


まさか自分の人生で、倒れた電柱を跨ぐという経験をするとは思わなかった。


どこもかしこも瓦礫に埋もれていて、救急隊員がその中に埋もれている人がいないか、捜索している姿も見かけた。


「あー、ここ……いらっしゃいます」


「一人?」


「三人ほど」


隊員同士の会話を、ボクと優樹くんはなんとなしに聞いていた。なので、最初は普通に「埋もれていた人が三人いたのだろう」と考えていた。


しかし、隊員たちは埋もれた人たちを助けることはせず、そこに赤い旗をひとつ立てて、その場を後にしてしまった。


「え?優樹くん、あ、あそこの人たち、放っておかれちゃったよ」


「………………」


「大丈夫なのかな?あんなところ大変だと思うけど……」


「………………」


「……?優樹くん?」


優樹くんは、突然その場に立ち止まり、唇を噛み締めて……本当に悲しそうに眉をひそめた。


そして、すっと目を閉じて、静かに手を合わせた。


「………………」


その時になって、ようやくボクは……隊員たちが何を見たのか、そして優樹くんが何を察したのかを理解した。


「……聞いたことがあったんだ」


優樹くんは小さな声で、ぼそぼそと言った。


「東日本大震災の時、あまりにご遺体が多いから、後から回収するために、目印の旗を立てていたって……」


「………………」


ボクは、何も言葉に出せなかった。


ただただ、赤い旗がたなびいているのを、呆然と眺める他なかった。


初めてリアルに目の当たりにした、人の死という現実。


頭では分かっていたつもりでも、いざそれを目の当たりにすると、どんな言葉も無意味で、悲しく思えてくる。


(……どんな気持ちだったんだろう)


昨日の地震は、夜にあった。停電も起きて真っ暗になって、本当に不安で不安で仕方なかった。


右も左も分からないままで、グラグラと揺れる家に閉じ込められて。


ボクもマンションで経験したから、よく分かる。あの時の恐怖は、きっと死ぬまで忘れられない。


そんな怖い思いをしたまま、あの方たちは……。


「………………」


いつの間にか、ボクも自然と、手を合わせていた。


そしてしばらくの間、ボクと優樹くんは、名前も顔も知らない三人のために、鎮魂の祈りを捧げていた。










「う、うわあ……」


「こ、これは凄いね……」


ボクと優樹くんは、ようやく目的地のスーパーについた。


そして、恐ろしいほどの長蛇の列に、二人して気圧されていたのだった。


「こ、これは……遊園地のアトラクションなんて目じゃないくらい並んでるね」


「うん。まさかここまで並んでるとは……」


「彩月さん、大丈夫?キツかったら僕だけで並ぼうと思うけど」


「ううん、いいよ。ボクも一緒に並ぶ」


そうしてボクたちは、とてつもない行列の最後尾につき、芋虫のようにチマチマと進むこととなった。


「まずは、水と食料だね」


優樹くんは、スマホのメモ帳アプリに書かれた一覧を見ながら、そう言った。


「それから、トイレットペーパーとせっけん、あとできればウェットティッシュも欲しいな。お風呂入れない日が続くだろうし」


「ああ……ほんとだね」


「彩月さんは、何か欲しいものある?」


「ううん、大丈夫」


「そう?遠慮しないでいいんだよ?」


「うん、平気」


自己肯定感が低い人って、基本的に自分への関心が薄い。


お風呂に入れないこととかも、優樹くんから言われてようやく気がついたし。自分のメンテナンスに対して物凄く疎いところがある気がするなと、その時なんとなく思った。


「それにしても、こんな状況の中営業できるなんて、凄いね」


優樹くんの言葉に、ボクは「うん」と答えた。


「ちょっと亀裂入ってるくらいで、全然壊れてないし、電気も無事に来てるみたいだね。なんでこのお店だけ、こんなに無事で済んだんだろう?」


「倒壊しなかったのは、地盤がよかったかも知れないね」


「地盤?」


「場所によっては、全然地震の影響を受けない場所もあるって聞くよ」


「へー、凄いなあ」


優樹くんからそう教わって、余計にこのスーパーが無事だったことが奇跡のように思えてきた。


普段は気にも止めない、どこにでもあるスーパーなのに、今は凄く特別に感じていた。






……それからボクたちは、長い行列の時間潰しのために、いろいろなゲームをやった。


「な……な……あっ、ナイル川」


「おー、なるほど。さすが彩月さん。えーと、わ、わ……わんこそば」


「ば?え~どうしよ、難しいね……。えーと、ば、ば……バングラデシュ」


定番のしりとりや、心理テスト、クイズなどなど……。優樹くんがあれやろうこれやろうと提案してくれたお陰で、ほのぼのした時間を過ごせていた。


でもさすがにこの真冬日、長く外に出ているのは寒くて、両手に息を吹きかけたり、その場で足踏みしたりして身体を暖めていた。


そうしていろいろとこなしながら、列に並んでから二時間が経過した時だった。


「ねえママー!もう待てないよーーー!お腹空いたーーー!」


ボクたちより二つ前に並んでいた男の子が、この長蛇の列に耐え切れなくなって、母親に文句を言い始めた。


「こら俊介、他の人に迷惑でしょ。静かにして」


「もう疲れたー!並びたくないー!」


「俊介、静かにって」


「ねえー!スゴレンジャーのあんパン食べたいー!もうお腹空いたってばーーー!」


「……うるさいから、ねえ、お願い、静かにして」


「ねーーーー!やだーーー!早く食べたいーーー!」


だんだんと、男の子は涙声になってきた。周りにいる人たちも、何事かとその親子の方へ目を向けていた。


母親の方は、もうずいぶん疲れきった様子で「静かにして」「うるさいよ」と嗜めていたけど、それでも一向に子どもは騒ぐのを止めなかった。


「ねーーー!もうやだーー!なんで買ってくれないの!?パパは買ってくれたのにーーー!」


「!」


「ねえーー!パパに会いたいーーー!パパーーー!」


「………………」


家族の間で、何があったのか。どんな事情があるのか。他人のボクにはまるで分からない。


でも、その母親の顔が酷く苦しそうに、今にも叫びそうなほど歪められていて、胸が締め付けられそうだった。


「もう、お願いだから、静かにして!」


そうして、母親は右手を振り上げた。


ボクも優樹くんも、「あっ!」と同時に叫んだ。


その時だった。


「奥さん、それは止めてあげてください」


ボクたちとその親子の間にいた……二人の老夫婦が止めに入った。


お爺さんの方が、お母さんの肩をぽんと叩いて、微笑みながらそう告げたのだった。


「はい、ボクちゃん。これお食べ」


お婆さんの方は腰を降ろし、男の子と同じ目線になって、にっこりと笑いながらメロンパンをあげた。


「………………」


男の子は、ようやく泣くのを止めて、黙ってそのパンを受け取っていた。


「そんな、いただけませんよ。貴重な食料なのに……」


母親は苦い顔で老夫婦にそう告げた。すると二人は、どこか切ない眼差しで笑った。


「孫と、同じくらいの歳なんです」


お爺さんの方が、ぽつりと言った。


「昨日の地震で、息子夫婦と孫が、みんな瓦礫の下敷きに……」


「………………」


「だから、ね、もう少しだけ、優しくしてあげてください」


「………………」


母親は、眼に涙を浮かべて、深々と頭を下げた。


一部始終を見ていたボクは、なんだか胸が熱くなって、言葉にしきれない想いが湧き出ていた。


優樹くんも、何か考え込むように顔を伏せていた。


「!」


優樹くんが、ボクの手を握ってきた。


ボクは何も言わずに、その手を握り返した。










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