74.暗闇
ガタガタガタガタ……!!
ガタガタガタ……
ガタッ……
…………
揺れていたのは、おそらくほんの5分程度だったと思う。
それでもボクにとっては、ずいぶん長いこと起きていたように思えた。
「はあっ、はあっ、はあっ……!」
揺れが治まった後も、しばらくはそこから動けずに、身体がガクガクと震えるばかりだった。
「ふうっ、ふうっ、ふう……」
ボクはゆっくりと棚を前に押して、なんとか元通りに直した。
(暗くて足元が見えない……。な、なにか光を……)
ボクはポケットの中をまさぐって、スマホを取り出した。
窓から差し込む月明かりで、辛うじて見える電源ボタンを触るけれど、スマホはうんともすんとも言わなかった。
「あ、あれ?なんで?」
その時、ボクはスマホを全然充電していなかったことを思い出した。
(も、もう、電源が切れちゃったんだ。だから、緊急地震速報も何もなかったんだ……)
血の気がさあ……と引いた。
外部との連絡が取れる唯一のスマホが使えないとなると、助けを呼ぶことができない。
こんな暗い場所で……独り……。
(え、えっと、明かりが消えたのは、停電したから……だよね。復旧までどれくらいかかるんだろう……)
ネットに情報がないかと思って、またボクはスマホを触ってしまった。だけど当然、画面は真っ暗なままで、焦っている自分の間抜けな顔が反射するばかりだった。
(あ、も、もうバカ、使えないんだってば)
自分自身に苛立ったボクは、自分のおでこを手でぱしっ!と叩いた。
自分で思っている以上に、頭がパニックになっている。そして、考えている以上に……スマホに依存してしまってたことを痛感する。
(と、とりあえず、ここから出ないと……!)
暗くて誰もいないこの場所に滞在する勇気がなかったボクは、壁をつたって、摺り足になりながら、ゆっくりと廊下へ進む。
時々、ガラスの破片や何か分からない物が足の指先に触れて、びくっ!と震える。
「ふう、ふう、ふう、ふう……」
暗闇の中、自分の呼吸音だけが聞こえてくる。
ドッ、ドッ、ドッと、身体を揺らすほどに心臓が動く。
「………………」
ガタッ
ガタガタッ、ガタッ
また、揺れ始めた。
ようやく廊下に出て、玄関へと向かう途中だと言うのに。
「ま、待って、ちょっと、怖い、お願い待って……」
いつの間にか、自分が涙声になっていることに気がついた。
自分が泣いていることにすら、気が回っていなかった。
ガタガタガタガタガタガタッ!
ガタガタガタガタガタガタガタガタッ!!!
「ううううっ!!うううう!!」
ボクはもう、その場に座り込んで、頭を抱えて踞ってしまった。
暗くて怖くて、一歩も動けない。さっきまで死のうとしてた癖に、そんなこともあっさり忘れて……。
「わあああああああっ!!あああああああ!!」
眼をぎゅっと瞑り、喉の奥から絶叫を迸らせた。
大声を出すことで、周りの音をかき消したかった。耐え切れないほどの恐怖から、現実から、目を背けたかった。
「優樹くん!お願い!!助けて!!助けてーーーー!!」
ガタガタガタガタ……
ガタガタッ……
「………………」
ようやくまた止まってくれたけど、ボクはもう心がすっかり折れてしまって、その場から動けずにいた。
「はあっ!はあっ!はあっ!はあっ!ううう!ううっ!」
こんなところに留まってたって、何も問題は解決しない。
それでも、なかなか腰をもたげることかできなかった。暗闇の中ですら、情けなく引きこもってしまった。
「……だーーー!」
その時、遠くの方で男の人の叫び声が聞こえてきた。恐らくこれは、他の住人の声なのだろう。
その人は仕切りに、焦った様子で「逃げろー!」と言っていた。
何から逃げろと言っているのか分からなかったので、耳を澄ましてその人の言葉をやく聞いてみた。
「火事だーーー!火が出てるぞ!逃げろーーー!」
「………………」
か、火事?
そ、そんな、どうしよう。
「ふう、ふう、ふう……」
生まれたての小鹿のように震える膝をなんとか動かして、ボクはまた壁をつたって歩いた。
時間が経つと次第に目が慣れてきて、暗がりでも地面に何があるか分かるようになった。そこでボクは壁から手を離し、普段通りに歩くことができた。
ぎい……
玄関を開けて周りを見渡すと、炎は確認できないけど、確かに焦げ臭い感じがする。
(ひとまず、この建物から出なくちゃ……)
ボクは階段の方に出て、駆け足で下まで降りていった。
一瞬エレベーターが目に止まったけど、万が一途中で止まったりしたら恐ろしいことになるので、そのまま階段を使うことにした。
「はあ、はあ、はあ……」
ボクの部屋である四階から下まで駆け降りるのは、なかなか大変だった。地上に到着した時には、もうずいぶん息があがっていた。
(火事って、どれくらいなんだろう……?)
そう思って何気なく建物を見上げたボクは、その時絶句してしまった。
ゴオオオオオオオオオッ!!
炎が、豪々と音を立てて燃えていた。キャンプファイアでも見ないような、大きな大きな炎だった。
パチパチと火の粉が上から降り注いでいて、肌を少しひりつかせた。
発火していたのは、五階からだった。位置的にも、ちょうどボクの403号室の真上辺りだと思う。
「あ、あんな大きな火が、ボ、ボクの上に……あったなんて」
冷や汗が止まらなかった。全身に悪寒が走って、生きた心地がしなかった。
「………………」
ふと気がつくと、地上も地震でめちゃくちゃになっていた。
家も、電柱も、街灯も、あらゆるものが倒壊していた。
アスファルトにはヒビが入り、横転している車さえあった。
「なあ!避難所どこにあるんだよ!?」
「ママーーー!ママーーー!」
「もしもし!?茜!?今どこにいる!?」
近隣の人たちも、みんな慌てふためいていた。
そりゃそうだ、これだけ大きな地震があったら、誰だってパニックになるに決まってる。
「……優樹くん」
ボクはぼそっと、彼の名前を呟いた。
不安を感じると、すぐに彼の名前を口に出してしまう。助けてもらおうとしてしまう。改めてボクは……情けないやつだなと思う。
「彩月さーーーん!」
その時だった。どこからか、ボクの名を呼ぶ声がした。
明らかにそれは優樹くんの声だったけど、でもまさか、こんな場所にいるだろうか……?
「おーーーい!彩月さーーーん!いたら返事してーーー!」
いや、間違いなく優樹くんだ。幻聴じゃない。本当に優樹くんが、どこかにいるんだ。
「ゆ、優樹くん!優樹くーーーん!」
ボクも同じように声を張り上げて、辺りを見渡した。
すると、優樹くんがこちらに向かって、自転車に乗って走ってくるのが見えた。大きく手を振って、「おーーーい!」と叫んでいた。
キキキキッ!
自転車を止めて、優樹くんはボクの目の前にやって来た。そして、思い切りボクを抱き締めてくれた。
「よかった!彩月さん!心配したよ!」
「優樹くん……」
「何回電話しても出なかったから、ひょっとしたらと思って……!ああ!よかった!本当に君が無事でよかった!」
優樹くんの身体が、震えていた。
声も上ずっていて、少し枯れていた。
もしかしたら、ずっとああして……大声でボクを、探してくれていたのかも知れない。
「……優樹くん、ごめんね。ボク、スマホを充電し損ねちゃってて」
「あ、ああ、そっか。そういうことだっんだね」
優樹くんはボクから離れると、目尻に溜まった涙を拭いながら、明るく「うんうん、よかったよかった」と何度も呟いていた。
「君にもしものことがあったらって思って……僕、ずっと気が気じゃなかったよ。本当に無事でよかった。生きててくれて……よかった」
「………………」
「そうだ、今回の地震……速報によると、震度7だって」
「し、震度7!?」
「どこもかしこも、今大パニックだよ。あちこちで消防と救急車が動いてる」
「………………」
「彩月さん。ひとまず、避難所へ向かおう?ここにいたら危ないよ」
「あ、う、うん」
そうしてボクは、優樹くんと共に避難所へと向かった。
彼が自転車を押して歩く隣に、ボクも並んでいた。
「………………」
ふと、自分のマンションへ目を向けた。
激しく燃え盛る炎は、ついに四階にまで達していた。
「………………」
「……彩月さん?」
「……ダーク・ブルー」
「え?」
「ボク、新刊が出る度にね、なけなしのお小遣いを握り締めて、いつも街まで買いに出かけてたの」
「………………」
「絶対に初版で買うんだって決めてて、いつも綺麗に取っておいてたし、買った当時の帯もそのままにしてた」
「……彩月さん」
「それが今、全部……」
「………………」
優樹くんは、そっとボクの肩を抱いた。そして、「また一緒に買おう」と、そう言ってくれた。
胸がきゅっと締め付けられるような想いを抱いたまま、街灯の壊れた夜道を、優樹くんと共に歩むのだった。




