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73.揺れる



「……本当に、もう大丈夫なの?」


優樹くんは玄関前に立って、もうドアノブに触れるところまで来ていたけど、やっぱりボクのことが気になるようで、心配そうに眉をひそめていた。


「うん、大丈夫。ごめんなさい、こんな時間まで」


「いや、それは全然いいんだけど……」


「優樹くんのお陰で、元気になれたから。来てくれてありがとう」


ボクは今、人生で最も大事な場面で嘘をついている。


優樹くんを安心させて、このままおうちに帰ってもらう。そしてその後で……。


「……彩月さん」


「うん?」


「………………」


「どうしたの?優樹くん」


「………………」


優樹くんは、じっとボクのことを見つめていた。心の奥底を……見透かそうとするかのように。


ボクがこれから死のうとしていることを、どことなく彼は感じ取っているのかも知れない。


「何かあったら、すぐ電話して?飛んでくるからね」


「……うん、ありがとう」


「……それじゃ、またね」


そうして、彼は手にかけていたドアノブを回し、ぎいっと、扉を開いた。


「………………」


その時、ボクは反射的に……彼の腰辺りの服を掴んだ。


頭では早く出て行って欲しいと思っているのに、身体が勝手に、彼を止めていた。


「彩月さん?」


当然優樹くんは、またボクの方へ顔を向けてきた。


……ああ。


もう、これが最後なんだ。


優樹くんと会話できるのも、優樹くんの顔をじっと見つめられるのも、全部最後なんだ。


ごめんね、優樹くん。


こんな出来損ないの彼女で、ごめんね。


本当に、本当に、大好きだったよ。


君は、ボクの全てだった。


愛してた。


だから……。


「……ん、ごめんね優樹くん、ちょっと寂しくなっちゃっただけ」


ボクはなんとか微笑みながら、彼の服から手を離した。


「なら、僕もう少しここにいるよ。彩月さんが満足するまで一緒にいる」


「ううん、いいの。もう今、満足できたから」


「本当に?無理しないで、甘えていいんだよ?」


「うん、大丈夫」


「………………」


しばらくの間、優樹くんは逡巡していた。そこでボクがもう一度、後押しするように「大丈夫だから」と告げた。


そうしたら、ようやく彼は「分かった」と答えてくれた。


「それじゃ、またね彩月さん。何かあったらいつでも言って」


「うん」



ぎぃ……



扉が、ゆっくりと閉められる。優樹くんの姿が、徐々に見えなくなっていく。


ボクはぽつりと、彼に聞こえない程度の声で、「さようなら」と言った。



パタンッ












……家を出たのは、それから一時間後だった。


ザクザクと雪を踏みしめる音が、夜の闇に響く。


臆病者なボクは、簡単で痛くない死に方を選びたかった。


それですぐに思い付いたのは、睡眠薬だった。眠るように死ねるなら、きっとそれが一番楽だと思う。


「ふう……」


白い息を吐きながら、ボクは近所にあるドラッグストアへたどり着いた。


そこで睡眠薬を一瓶買って、それをビニール袋に入れ、隠すように胸に抱きながら家へと帰った。


これから死ぬというのに、寒くて凍えるのが嫌だから、マフラーを固く結び直した。


(最期の最後まで、なんだかボクはみみっちいなあ)


どこか他人事のような気分で、ボクはぼんやりとそう思った。



ぎぃ……



家には、まだ誰も帰っていなかった。真っ暗で、音のないしんとした廊下が、真っ直ぐに伸びていた。


そんな廊下を、ボクは明かりもつけずに歩いていき、自分の部屋へと戻った。


「………………」


なんだか、妙に落ち着いていた。


これから死ぬ人間の心境とは思えないほどに、ボクの心はさざ波すら立たない水面のようだった。


たぶん、ある種のやけくそなんだと思う。


何もかも今から投げ出すから、その吹っ切れ感で頭が不自然に爽やかなんだろう。


「さて……と」


ボクはとりあえず、買ってきた睡眠薬を机の上に置いた。そして、自分の部屋の中を改めて見渡した。


「………………」


本やごみが床に散らかっていたり、ベッドのシーツが汚れてよれよれになっている様が、嫌に目についた。


普段なら気にしないはずなのに、なぜかこの時に限って、ボクは自分の部屋が汚いことに嫌悪感があった。


(死ぬ前だし、綺麗にしておこう)


そうしてボクは、珍しく部屋の掃除に取りかかった。


本を棚へ直し、ごみを捨て、シーツを洗濯機に入れて洗い、掃除機をかけて床を綺麗にした。


後から聞いた話だと、ボクのように自殺前に部屋を綺麗にする人は多いらしい。


樹海や山で死ぬ人が多いのも、綺麗な景色に囲まれて死にたいと考えるからだと言う。きっと人は、死に際くらい綺麗なところでいたいんだと思う。


この、何気ない掃除時間があったことで、ボクの人生を大きく左右することになるとは、この時はまるで予想していなかった。


「……ふう」


一仕事を終えて、すっかり綺麗になった部屋を見渡して満足したボクは、台所へ行ってコップをひとつ取り、そこに水を入れて、また部屋へと戻った。


睡眠薬の瓶に手を伸ばして、恐る恐る蓋を開ける。


中に何粒もある錠剤を見て、ごくりと……生唾を飲む。


右手の平を水平にして、そこに錠剤を何粒か出してみる。


手に、じんわりと汗が滲む。


錠剤自体は軽いはずなのに、ずしりと……異様な重さが感じられた。


(死ぬ、死ぬんだ、これで……これで、ボクは……)


今まで破れかぶれだったことによって薄まっていた死への恐怖が、ここに来て再び甦ってきた。


「………………」


目蓋の裏に、いろいろな人たちの顔が思い浮かんだ。


西川さんや、小岩瀬さん、二階堂さんに、千夏さん。


そして、優樹くん……。


(……ごめんなさい、優樹くん)


ボクはついに意を決して、ぎゅっと目を瞑り、口を大きく開けたその時。



パタンッ



……何かが、落ちる音がした。


思わず目を開けて、その音がした方へ目を向けてみた。


それは、漫画本だった。


ボクの大好きな、ダーク・ブルーの第3巻だった。


それが何故か、本棚から独りでに落ちて、床の上に置かれていた。


「……?なんだろう?」


不思議だなと思いつつも、ボクはその本を拾って、また棚へ直そうとした。



パタンッ


パタッ、パタンッ



今度は、二冊も落ちた。


しかも明らかに、ボクはその本に触っていない。それでも勝手に落ちてきた。


「え?な、なに?」


一瞬、心霊現象でも起きてるのかなと思った。ポルターガイスト的な、そういうものなのかなって。


だけど、これは心霊現象なんかより遥かに……恐ろしいものだった。



ガタガタッ


ガタガタガタガタッ



よく見ると、棚は小刻みに揺れていた。


そのせいで、中にある本が落ちていたんだ。


「な、なに?どうなって……」


と、そこまで口にしかけた瞬間、ぐわっ!と、棚がこちらへ倒れかかってきた。


「うわっ!?」


咄嗟に棚を支えてなんとか止められたものの、中に入れていた本はごっそり床へ落ちてしまった。


そして、グラ、グラ、と……部屋全体が揺れ始めた。


それはまるで、船酔いのような感覚だった。平衡感覚がおかしくなって、少し気持ち悪かった。


それから次第に、揺れはどんどんと激しくなった。


巨人が大きな手で、部屋を持って振っているんじゃないかと思うほどに、辺りが揺さぶられた。



ガタガタガタガタガタガタッ!!


ガタガタガタガタガタガタッ!!



「わあっ!?あっ!ああっ!」


ここに来て、ようやくボクは、今凄まじい地震が来たんだってことを自覚した。


「ど、どうしよう!こ、こんな大きなの初めてだよ!」



ぱんっ!



突然、何か破裂するかのような音が聞こえた。それと同時に、部屋の電気が一気に消えた。


「きゃあ!?や、やだ!怖い!」


真っ暗な闇の中に独り残されて、ボクは途端にパニックになった。


「待って待って待って!やだよ!怖い!怖いって!!」



ガシャーーンッ!!


ドドドドッ!!


ガタンッ!!パーンッ!!



部屋の外で、いろいろな物が落ちて壊れる音がする。


心臓は限界寸前までバクバクと動いていて、棚を支える手はぶるぶると震えていた。


「い、いやだ!止まって!お願い!止まって!止まって!止まって!」




止まってーーーーー!!!









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― 新着の感想 ―
物理揺れね… 死期が遠くなってよかった…のか?
読んだあとサブタイ見て、そっちかあ〜〜ってなった いずれにせよオーバードーズする前で良かった この季節なら外で寝ながら凍死のほうが確実だと思うけど 死んじゃったら話が終わるからね…
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