63.微睡み
……ピリリリ、ピリリリ、ピリリリ
夜中の11時半頃。寝室で寝ていた僕へ、一通の着信があった。
枕元に置いていたスマホがけたましく鳴り、それによって眠りかけていた身体が無理やり起こされた。
(誰だろう?こんな時間に……)
目を擦りながらスマホを手に取り、電話をかけてきた相手の名前を確認する。スマホの画面が眩しくて、目を何度か瞬きさせて慣らした。
電話の相手は、黒影さんだった。
(んん?どうしたのかな……?)
朧気な頭のまま、僕はひとまず着信を取り、彼女からの電話に応答した。
「は、はい、もしもし……?」
『あ、白坂くん、ごめん。今……寝てた?』
「ああ……うん、ちょっとうとうとしてたよ」
『そっか。ごめんね、こんな時間に』
「ううん、いいよ。どうしたの?」
『い、いや、えっと……その……』
「………………」
『白坂くんの声が、聞きたくなったから』
「ふふふ、そっか」
『ご、ごめんね、わがまま言って』
「いいよいいよ、僕だって嬉しい。君の声が聴けて」
『え、えへへ……』
くすぐるような黒影さんの照れる声が、電話越しに聞こえてきた。僕はそれが可愛くて、思わず微笑んだ。
「くぁ………ふぁふ……」
口を大きく開けて、盛大なあくびをした。もちろん、彼女に失礼のないよう、あくびをする時はスマホを口から少し離した。
『ねえ、白坂くん』
「なんだい?」
『今度のお休みの日なんだけど、ボク……どこか出かけたいな』
「おお、いいね。うんうん、デートしようよ」
『白坂くんは、どこか行きたいところある?』
「うーん、僕はそうだね……。動物園とか、水族館とか、そういうの二人で行ってみたいけど……」
『分かった。それじゃ、ネットで予約しておくね』
「黒影さんは、行きたいところの希望はないのかい?」
『いいの、ボクは。白坂くんの行きたいところへ行きたいから』
「ええ?そう?」
『うん』
遠慮しているからなのか、彼女はここで自分の要望を言わなかった。
そんなに僕に気を遣うことないのにと、そう思いながらも、ここではそこまで深く触れることはなかった。
「………………」
それよりも僕が気になったのは、黒影さんの声色だった。
これは、非常に感覚的なことで、はっきりとした根拠があるわけじゃない。
ただなんとなく……黒影さんは、怒っているように感じた。
話し方自体は普通なんだけど、言葉の端々に、少しピリッとした緊張感があった。
そしてその怒りは、僕へ向けられたものではなく、他の誰かへのものなんだろうなというのも、不思議なことに察することができた。
「……あの、黒影さん」
『なに?』
「勘違いだったら申し訳ないんだけどさ」
『?うん』
「何か、嫌なことあった?」
『!』
「いや、なんとなくなんだけど、黒影さん、ちょっと今日は……いつもと雰囲気違うなと思って」
『………………』
「もし、違ってたらごめんね。ただの僕の勘違いだと……」
『……凄いね、白坂くん』
「え?」
『なんで分かったの?』
「うーんと、こう、雰囲気……かな」
『………………』
「何かあったの?僕でよければ、話聴くよ?」
『別に、大したことじゃないよ。ただ、お母さんを……』
「うん」
『………………』
「……?黒影さん?」
『……うん、大丈夫。ちょっとお母さんから、叱られちゃっただけ』
「あらら、そうだったんだね。なんで叱られたの?」
『ボクが勉強せずにダラダラしてたから、それで』
「うーん、そっか。厳しいお母さんだね」
『うん。まあでも、慣れっこだから』
「そっか、凄いや黒影さん」
『えへへ……』
そうして、黒影さんは少しだけ笑ってくれた。
最近の黒影さんが見せる、どこか寂しげなものじゃなく、前のように柔らかな笑い声だった。
(心のつっかえが、ちょっとは取れてくれただろうか。もしそうならよかった)
『ごめんね、白坂くん。こんな夜遅くに』
「ううん、いいよ。誰かと話したい時ってあるよね」
『うん、ありがとう』
「それじゃあ、お休み。黒影さん」
『………………』
「……?あれ?黒影さん?」
『……あの、白坂くん。ちょっとわがまま……なんだけど』
「わがまま?」
『うん。もしよかったら……その……』
黒影さんは、掠れるように小さな声で、僕にこう言った。
『電話、切らないで欲しいな』
「……電話を、切らない?」
『うん』
「えーと、それってどういう……」
『白坂くんが眠るまで、お話……して欲しい』
「………………」
『難しかったら、お話しなくてもいい。ただ、電話を繋いだままにして欲しい。白坂くんが寝たら、ボクが電話を切るから。それまでは……そばにいて欲しいの』
「なる……ほど」
『ダメ、かな?』
「いや、僕は全然いいけど、黒影さん大丈夫?眠くならない?」
『うん、大丈夫』
「そっか。うん、わかった。それじゃあ、このまま話そう」
『いつもわがまま言ってごめんね、白坂くん』
「いいよいいよ。今日はそういう気分なんだよね?僕も黒影さんと一緒にいるの好きだから、嬉しいよ」
『うん、ありがとう』
そうして、僕たちはまた、他愛ない話を続けた。
スマホをスピーカー設定にして、枕元へと戻した。こうすれば、ずっとスマホを持っていなくても、彼女と話ができるからだ。
「黒影さんってさ、好きな動物とかいる?」
『動物は……んー、ペンギンかな』
「おー、なるほど」
『ペンギンってね、警戒心が全然なくて、人間が南極を歩いてると、後ろからトコトコって連いて来るんだよ』
「へー!そうなんだ!めちゃ可愛いね!」
『でしょ?ボクも昔動物園で見て、それから好きになったなあ』
「そっかー!なら、今度の動物園が楽しみだなあ~」
『白坂くんの、好きな動物はなに?』
「僕はね~、なんだかんだ犬かなあ?こう、相棒!って感じがいいなあっと思って」
『あー、確かに犬ってそんな感じするね』
「僕さ、小学生の頃からポケムンがめちゃ好きだったから、それでそういうのに憧れてたんだよね」
『うんうん、分かる分かる。人間同士とはまた違う、人間と獣の絆的なのって、エモいよね』
「うんうん!それと同じ理由で、鷲とかも好きなんだよね」
『あ!肩とか腕に鷲を乗せて歩くみたいな、そういうのだよね?』
「そうそうそう!あれカッコいいよねー!」
『いいよね~』
そうして、僕と彼女は朗らかに談笑した。
久しぶりにこうして、黒影さんとリラックスしながら話すことができて、僕はなんだか嬉しかった。
うん、やっぱり、彼女と話すのは楽しいな。
気を張らずに済むし、ずっと落ち着いていられる。
黒影さんの方も、そう思っててくれたら……嬉しいな。
「………………」
しばらく話している内に、僕の睡魔はいよいよ限界を迎えた。
『それでね、白坂くん。ボクこのアニメの続きは、漫画で読んでみようと思うんだ』
「……うん」
『ネットの評判だとね、アニメはオリジナル展開が多くて、原作と全然違うんだって』
「……うん」
返事も次第に、曖昧なものになっていった。
彼女の言葉が耳に届くけど、内容が全く頭に入って来ず、霞みがかったような感覚だった。
『……白坂くん、大丈夫?もうそろそろ限界かな?』
「……ん、そう…………かも……」
『ごめんね、白坂くん。無理言っちゃって。ここまで付き合ってくれて、ありがとうね』
「ううん、いいよ……。僕も……君と話せて、嬉し……か……」
そうして、僕はどんどんと、眠りの谷へと落ちていった。
目蓋が重くなり、もう目を開けていられなくなった。
「………………」
そして、とうとう目を完全に閉じて、視界を真っ暗にした。
それと同じタイミングで、黒影さんの声がひっそりと聞こえた。
『白坂くん、愛してる』
それになんとか答えたかったけど、僕はついに口も動かなくなって、何も答えられないまま、眠りについた。
ひゅううううう……
窓の外からは、真冬の凍てつく風の音が、口笛のように聞こえていた。




