61.青黒いカタルシス(1/2)
ひょおおおおおお……
……日がすっかり落ち、墨で塗りたくったかのように空が暗くなった頃。暴風とともに雪が猛烈に降り始めた。
ボクはそんな吹雪の様子を、自分の部屋の窓からぼんやりと眺めていた。ベッドの上に腰を下ろし、膝を抱えていた。
部屋の中に電気はつけておらず、外と同じように真っ暗だった。それが余計に、窓の外で吹雪いている雪の白さが鮮明に見えていた。
「………………」
ボクは、修学旅行の日以来、ずっと不安に苛まれていた。
千夏さんも、白坂くんのことが好き。それを知った途端、とてつもなく怖くなった。
千夏さんは、凄く……いい人だ。一緒にいて楽しいし、優しいし、一人の友人として……彼女のことが、好きだった。
だからこそ、辛かった。
彼女の恋を、ボクは応援できない。優しくて可愛い千夏さんの背中を、押すことができない。
そしてなにより……。
「………………」
ボクなんかでは、千夏さんに到底敵わない。
前にも何度か、彼女へ劣等感を覚えたことがある。それがまたぶり返してきたんだ。
しかも今度は、前の比じゃないくらいに辛い。千夏さんと凄く仲良くなって、彼女のいいところをたくさん知ったが故に、彼女との差をマジマジと感じる。
白坂くんは、ボクを好きだと言ってくれる。でも、それでも怖くて仕方ない。安心できない。
だってそもそも、ボクはボクのことが嫌いだ。
うじうじしてて、役立たずで、要領も悪くて、何も秀でたものがない。
顔も可愛くなければ、スタイルも悪い。ネガティブで後ろ向きで、根暗なオタクで、陰キャで。
ボクは、ボクよりも千夏さんが好きだ。ボクですらそう思っているのに、安心なんかできるわけがない。
ボクが白坂くんの立場だったら、間違いなく千夏さんを選ぶ。それはもう明白だ。
「………………」
だからこそ、ボクは、千夏さんが憎い。
憎い。
憎い。
憎い。
いなくなって欲しい。
どこかへ行ってしまって欲しい。
ボクと白坂くんの前から消えて欲しい。
ああ、もう。また堂々巡りだ。
この気持ちになったことが、今まで何度あったことか。
千夏さんへの恨みと、自分への自己嫌悪を抱えるのは、もううんざりなのに、性懲りもなく続いている。
しかも、回数を重ねるごとに、その感情がどんどん大きくなってくる。歯止めがきかなくなってくる。途方もない、最悪な悪循環。
「………………」
白坂くん。
お願いだから、ボクを見捨てないで。
ずっとそばにいて。ボクのことを愛して。
白坂くんがいないと、ボク、生きていけない。
白坂くん無しの人生なんて、考えられない。
もしも彼が交通事故や病気で亡くなってしまったら、ボクもすぐ後を追う。それくらい、彼の存在は……ボクの中で大きくなっているんだ。
恋人になれたら、こんな不安を抱えずに済むかと思ったけど、とんでもない。むしろ恋人になってからの方が、不安が強くなってる。
胸の中に、数千、数万匹の虫たちがざわざわと蠢いているような、そんな不安。
たぶんこれは、一回彼に好きになってもらってるから。
好きだと言われたのは、本当に嬉しい。告白を返してくれたあの瞬間は、人生で一番嬉しかったと言っても全く過言じゃない。
でも、だからこそ……ボクのことを嫌いになられるのが、怖い。
ずっと好かれたい。飽きられたくない。好きで居続けて欲しい。
フラれたくない。フラれたくない。別れたくない。
最初から好かれないというのも辛いけど、最初は好きだったのに最後は嫌われる方が、もっと辛い。
好きだと言われて幸せだったからこそ、その落差に激しく絶望する。
「………………」
ボクは、自分の右腕を、思い切り噛んだ。
やりきれない想いが、ズキズキと痛みになってボクへ伝わる。
他人のことも、自分のことも、何もかも嫌で仕方ない。
全部、初めから何もなかったことになればいいのに。
ああ、白坂くん、助けて。
怖い、怖い、怖い。
いなくならないで、白坂くん。
千夏さんの方に、行かないで。
そばにいて。
そばにいて。
そばにいて。
そばにいて。
何でも言うこと聞くから。
なんだってするから。
だから、ねえ。
ボクのこと、抱き締めて……。
「………………」
コンコン
その時、ボクの部屋の扉がノックされた。そして、お母さんの声で「彩月、入るわよ?」と言ってきた。
ボクは返事をしなかった。腕から口を離して、じっと貝のように押し黙っていた。
腕には、歯の跡がくっきりとついていた。
ぎぃ
お母さんは、ボクの返事を聞くこともなく、勝手に部屋に入ってきた。
お母さんはいつもそう。ボクが入ってきて欲しくないとしても、こうして強引に入ってくるんだ。
「ちょっとあなた、なに?こんな部屋を暗くして」
「………………」
「ほら、電気つけなさい。あなたただでさえ暗い性格なんだから、部屋くらい明るくしておきなさい」
パチッ
無理やり電気をつけられて、部屋がパッと明るくなった。
突然の光に眼をやられて、思わずボクは顔をしかめた。
「彩月、今日の分の勉強はどうしたの?」
お母さんの声が、背中越しに聞こえてくる。
「まだやってないの?もう夜の八時よ?何をしてるの?」
「………………」
「そうやってダラダラしてたら、他の子たちみたいに追い抜かれるわよ?ただでさえあなた、要領が悪いんだから。人1倍努力しなくてどうするの」
「………………」
「……ちょっと、彩月。あなたさっきからその態度はなに?」
「………………」
「こっち向きなさい!!私が話してるんだから、しっかり目を見て話しなさい!!」
「………………」
ボクは一旦ベッドから降りて、すっと立ち上がり、ゆっくりとお母さんと対面した。
お母さんの顔は、いつにも増して怒っていた。額には青筋が立っているのが見えていた。
だけど、その時ボクは、いつもよりお母さんが怖くなかった。
代わりにあるのは、お腹の底で、ぐつぐつとマグマのように煮えたぎる“何か”だった。
その何かの正体は、この時はまだ分からなかった。
「……お母さん、ごめんなさい。ちょっと今日は、具合悪くて。勉強は休もうと思うの」
「ええ?あなたまた具合悪いの?もう、しっかりしなさいよ」
「………………」
「前にも言ったでしょう?体調管理も仕事の内って。きちんと自分を管理できてないから、そういうことになるのよ」
「………………」
「それと彩月、あなた、今日一緒に歩いてた男の子は、誰よ?」
「!?」
ボクは、びくっと顔をひきつらせた。
ボクが一緒に歩く男子なんて、一人しかいない。間違いなく、白坂くんだ。
(な、なんで、白坂くんと一緒にいたことを……)
そんなボクの心を読んだかのように、お母さんは続けてこう言った。
「今日、お買い物行く時に、たまたまあなたたちを見かけたのよ。彩月、あなたあの男の子と腕を組んでいたわね。まさか、ボーイフレンドじゃないわよね?」
「………………」
「ちょっと、どういうこと?勉強できないくらい具合悪いって言ってる癖に、男の子と呑気にデートしてたの?」
「………………」
「彩月!あんた!なに浮わついてるの!!」
パーーーンッ!!
……ボクは、左の頬を思い切りぶたれた。
部屋の中に、風船が破裂したかのような音が反響していた。
「だらしないのもいい加減にしなさいよ!ねえ!彩月!」
「………………」
「そんなことにうつつを抜かしてる場合なの!?恋愛ごっこで遊んでる暇が、あなたにはあるの!?」
「………………」
「……彩月、明日にはその男の子と別れてきなさい」
「……え?」
「え?じゃないでしょ。勉強に支障が出てる恋愛なんて、しない方がいいに決まってるじゃない。邪魔なだけだわ、そんなもの」
「………………」
左頬が、ちりちりと焼けるように痛んだ。
お腹の奥のマグマが、次第に胸の辺りまで上がって来ていた。腸や胃、そして肺を溶かす勢いで競り上がってきた。




