58.情動(2/2)
黒影さんは眉間にきゅっとしわを寄せてから、小さく口を尖らせて、それを僕の首筋に当てた。
ちゅっ、ちゅっ
何度も何度も、彼女は首や鎖骨の辺りに口づけした。
部屋の中には、口づけの音と、黒影さんの微かな吐息だけが聞こえていた。
「白坂くん、好き」
「く、黒影、さん……」
「世界で一番、あなたが好き……。全部全部、大好き……」
無数に口づけをした後、今度は舌先で僕の肌を舐めていく。
ぞくぞくと、首筋にもどかしい高揚感が沸き上がる。ドキドキと胸が高鳴って、呼吸がさらに荒くなる。
(な、なんだ?本当にどうしたんだ?黒影さん……)
唐突な彼女の行動に狼狽えつつも、この快感を中断する勇気もなく、ただ黒影さんのされるがままになっていた。
「……白坂くん」
彼女は僕の腰の上に乗って、すっと背筋を伸ばした。
哀しそうな瞳で僕を見下ろしながら、頬を紅潮させていた。
全身に汗をほんのりとかいていて、肌が鈍く光っていた。
「………………」
彼女は僕の右手を掴み、ゆっくりと自分の右胸へと持っていった。
「く、黒影さん?何を……」
──しようとしてるの?、と言う間もなく、彼女は僕の手の平を胸に押し付けた。
柔らかい彼女の乳房の感触が、手の平全体に伝わった。
「く、黒影、さん!む、むむ、胸に手が……!」
急いで胸から手を離そうとするけれど、黒影さんは両手で僕の腕を掴んでいて、逃がさないようにされていた。
「白坂くん、気持ち……いい?」
黒影さんはふー、ふーと呼吸を乱しながら、僕へ問いかけた。
「ボクの……おっぱい、ちゃんと、柔らかい?」
「や、やや、柔らかいけど……そ、その、な、なんで、こんなこと……」
「なんでって、好きだから……だよ?」
「い、いや、理由になって……」
と、そこまで言葉にしたところで、僕はあることに気がついた。
それは、あまりにも『胸が柔らか過ぎる』こと。
童貞で性的経験値のない僕でも、服の上から胸を触れば、まずブラジャーの固い感触が先に来ることは容易に想像できる。
でも、今はまるでそのまま胸に触れているかのような、しっとりとした吸い付きまで感じる。
そして……手の平を緩く動かしてみると、胸の中央ら辺に、小さくて固い突起物があることにも気がつく。
「ま、まさか……黒影さん?」
「………………」
僕の意図を読み取ったらしい彼女は、こくりと頷くと、どこからかブラジャーを取り出した。
真っ白で無垢な、花柄が施されているブラジャーだった。
「さっき、キスしてる時にね……外したの」
「………………」
「ねえ、白坂くん。このまま、このまま、さ……」
「………………」
「このまま、ボクと……」
「………………」
黒影さんは、それ以上言葉が出てこなかった。何度口を動かしても、掠れた空気だけが漏れてくるだけだった。
それでも、彼女が何を望んでいるのかは、手に取るように分かった。
「ダ、ダメだよ黒影さん……。僕は、避妊具を持ってない」
「………………」
「さすがに、今日は止めとこうよ。ね?」
「……いいよ」
「え?」
「避妊具なんて、なくていい」
「!」
「妊娠してもいい」
「く、黒影さん!」
「……ううん、違う」
彼女は唇を尖らせて、火照った顔を近づかせてきた。
「妊娠、したい。白坂くんの、子ども」
「……!」
「だから、ねえ、白坂く……」
「ま、待って!待って!黒影さん!ダメだ!」
僕は彼女の肩へ手をやって、迫り来るのを塞き止めた。
「よ、よくない!それは本当に、よくないよ!」
「………………」
「僕だって、君とそういうことをしたいなとは……もちろん、思う!でも、妊娠だけは絶対にダメだ!」
「……どうして?」
「どうしてって……」
「ボクと、子ども作るの嫌だった?ボ、ボクに既成事実が出来るのが、嫌だったの……?」
「ち、違うよ、そんなわけないじゃないか!」
興奮と混乱で、僕は少し言葉が乱れた。
「僕たちは、まだ学生だ。きちんと子どもを育てられる環境にない」
「………………」
「僕たちだけの想いで、子どもを可哀想な目に遭わせたくない。そうでしょ?黒影さん」
「………………」
「僕のことを……好きでいてくれるのは、とても嬉しいよ?でも、今はまだ、子どもは止めよう。こういうことをするにしても、ちゃんと避妊してしよう。ね?」
「……う、うう」
黒影さんは、突然ボロボロと、溢れんばかりに涙を流し始めた。
その雫が僕の頬に落ちて、つう……と耳の方に滑っていった。
「うう、ううう!ううううう!あああ!うわああああああ!!」
胸がズタズタに切り裂かれたかのような、とてつもなく悲しそうに眉をひそめて、子どものようにわんわん泣いていた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!白坂くん!ワガママ言ってごめんなさい!」
「く、黒影さん……」
「ねえ!お願い!嫌いにならないで!お願い!お願い!」
「だ、大丈夫大丈夫……。嫌いになんて、ならないよ」
突然のことに困惑しながらも、とにかく僕は彼女の後頭部に手を置いて、ぎゅっと自分の方へ抱き寄せ、静かに頭を撫でた。
「あああああ!!あああああ!!」
「大丈夫、大丈夫だよ、黒影さん。僕がちゃんと、君が好きだから」
胸の中で号泣する彼女の体温を感じながら、僕はぼんやりと天井を見上げていた。
……やっぱり、黒影さんは少し様子がおかしい。もともと情緒が乱れやすい人ではあったけど、今回は過去一で荒れている。
(彼女の心の安定のためにも、修学旅行で何があったのか、原因を突き止めるしかないな……)
そんなことを思いながら、僕は彼女の頭に軽くキスをした。
窓の外では、真っ白な雪が降り注いでいた。




