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57.情動(1/2)





……とある日の、日曜日のこと。


その日は、音もなくしんしんと、仄暗い空から雪が降っていた。


僕は黒影さんを自宅に招いて、いつぞやのように、ダーク・ブルーのアニメを一緒に見ていた。


『くそっ!おいリゲル!このままじゃまずい!逃げるぞ!』


リビングに、アニメの音が響き渡った。


部屋の中央にあるテーブルの上には、お皿にポテトチップスが盛られていて、僕はそれを一枚手に取り、ぱりっと割って食べた。


「………………」


黒影さんは膝を抱えて、どこかぼんやりとしていた。


テレビの方を向いているけど、焦点はそこに定まっていないように見えた。


魂が抜けてしまったような、覇気のない雰囲気だった。


目の下には、微かにクマができている。あまり寝れていないのかも知れない。


僕はそんな彼女のことが気になって、なかなかアニメに集中することができず、横目でチラチラと黒影さんのことを見るのだった。


『神の使いに囚われてしまったリゲル。激しい拷問を受けて仲間の居場所を吐くよう強制されるが、リゲルは頑なに口を閉ざしていた。次回「母の痛みを超えて」』


……気がつくと、もうアニメは終わってしまった。


僕はリモコンでテレビの電源を切り、黒影さんに「今回も面白かったね」と、なるべく明るい声色で話しかけた。


しかし黒影さんは、掠れた声で「うん」と言うばかりで、それ以上は何も口にしなかった。


いつもなら、眼を爛々に輝かせて、「あれがよかったね!ここがよかったね!」と、本当に楽しそうに感想を聞かせてくれていたんだけど……。


「……とりあえず、僕の部屋へ行く?」


黒影さんは、黙ったまま頷いた。


僕はポテトチップスの入ったお皿を手に取って、彼女とともに自分の部屋へと向かった。


今日も、じいちゃんとばあちゃんはおらず、家には二人だけだった。床を踏み締めて、ぎぃ、ぎぃ、と鳴る音が、廊下に小さく木霊した。



ガチャリ



扉を開けて、二人で部屋に入った。テーブルの上にお皿を置いて、僕たちはベッドに腰かけた。


「……黒影さん、ポテトチップス、いる?」


「………………」


彼女は薄く笑って、首を横に振った。


僕はまた、お皿から一枚だけ手に取って、口の中に放った。


「………………」


修学旅行が終わってから、彼女はずっとこんな調子だった。


暗いとか、沈んでいるとか、そういうものともまた違う。どこか、心に大きな穴が空いたような雰囲気だった。


言い様のない虚無感が、彼女の全身にまとわりついていた。きちんと気をつけて見ていないと、いつの間にかいなくなってしまうような……そんな儚い危うさがあった。


何かあったのか散々聞いてみたけど、もごもごとはぐらかされるだけで、何一つ答えてはくれなかった。




『千夏さんがぁーーー!千夏さんがもう!ボクと話してくれなくなったぁーーー!もうボクのことなんて嫌いなんだーーーー!!』




(……あの言葉から考えて、金森さんと何かあったんだろうってことは想像できるけど、でも一体どんなことがあったんだ……?)


正直に言うと、どんな状況だったのか訊くのも怖い。だがそれでも、自分の彼女が落ち込んでいるのを、ほったらかしにすることもできなかった。


「……あの、黒影さん」


僕が声をかけると、彼女は眼をこちらへ向けた。


「何回も訊いて申し訳ないけど……本当に大丈夫?」


「………………」


「具合が悪い……とかじゃ、ないんだよね?」


「……うん」


「何か、悩み事かな?僕でよければ、話聴くけど」


「……ううん、大丈夫。ボクは平気だよ」


彼女はそう答えながら、僕から視線を背けた。


結局、また僕はそれ以上追及することはできず、そのまま黙り込んでしまった。


(……仕方ない。修学旅行の時、同じ班だった人にこっそり訊いてみようかな)


確か、西川さんと黒影さんは班が一緒だったはず。どこかで折りをみて、話しかけられたらいいんだけど……。


(本来なら当事者の金森さんに直接訊くのが早いと思うけど、デリケートな内容っぽいし、第三者に訊くのがベターかな)


僕は自分の考えを整理しながら、またポテトチップスを一枚食べるのだった。


「………………」


その時だった。


黒影さんは、僕のすぐ隣に近づいて、頭をこちらにもたれてきた。


僕の右肩に、彼女の重さが乗っている。軽いようで、重いような、言葉にし難い不思議な重量だった。


彼女の髪から、仄かにシャンプーの香りがした。なんだか奇妙な背徳感があって、足の裏にほんのり汗をかいた。


「く、黒影さん?どうしたの?」


「………………」


彼女は、子猫のように僕へ頭を擦り付けて、小さく「好き……」と呟いた。


「白坂くん、好き。大好き……」


「………………」


「お願いだから、白坂くんは、いなくならないで。ずっとずっと、そばにいて」


「……もちろんだよ、黒影さん。僕はちゃんと、そばにいるよ」


「……本当?」


彼女はゆっくりと頭を上げて、上目遣いで僕を見た。


その潤んだ瞳が、真っ直ぐに僕の心を射貫いていた。


「うん、本当だよ、黒影さん」


「………………」


「僕はずっと、君の味方だ」


「………………」


黒影さんは、苦しそうに笑っていた。


彼女が瞬きをすると、眼から涙がすっと垂れてきた。


それはあまりにも透明で、肌の色が透けて見えていた。


「………………」



ガバッ



「うわっ!?」


呆気に取られていた僕を襲うかのように、彼女は僕の胸へ思い切り飛び込んだ。それに押されて、僕は仰向けにベッドへ倒れ込んでしまった。


「く、黒影さん、どうし……んんっ!?」


僕はこの時、心底驚いていた。


突然のことに、頭がまるで追い付いてこなかった。




僕は彼女から、思い切りキスをされていた。




それも、彼女の体重をぐっと乗せた重いキスで、息が完全に塞がってしまった。


これが、初めてのキスだった。いつか彼女とキスをしたいなと思ってはいたけど、まさか彼女の方からしてくるとは……。


「んん!んっ!く、黒……か……んんっ!」


「ん……ちゅっ、っはあ、白坂、くん……」


彼女は、まるで今生の別れかとも思えるほどに、僕の唇を貪った。


「好き、んんっ、好き、一生好き……」


溢れ出る想いがそのまま言葉になっているかのように、彼女は何度も何度も、そう呟いていた。


「……はあっ!はあっ!はあっ!はあ……」


息がいよいよ止まりそうだと思っていたところで、ようやく黒影さんが唇を離してくれた。


唾液が糸のように伸びて、二人の下唇に繋がっていた。


「はあ、はあ、く、黒影、さん……」


「ふー、ふー、ふー……」


彼女はじっと、僕のことを見下ろしていた。肩で激しく呼吸しながら、獲物を狙う虎のような眼差しを送っていた。








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