56.修学旅行(6/6)
……それからのことは、あまり覚えていない。
初日は一生の思い出だと思えるほどに楽しかったのに、二日目以降は、ほとんど何も記憶に残っていない。
千夏さんとは、まるっきり口をきかなくなってしまった。「さっぽん」と呼ばれることもなく、目を合わせることもない。透明な磁石がボクたちにつけられていて、それが反発するようにして、ボクたちは遠ざかってしまった。
楽しみにしていた伏見稲荷も、ボクはほとんど一人でいた。五人組の中にはいるけれど、何も話さないし、何もしない。
たまに千夏さん以外の三人が、気を遣って話しかけてくれることがあったけど、どんな風に言葉を返したか、まるで覚えていない。
千夏さんも、ボクと同じように、貝みたいに押し黙っていた。
無数にある鳥居の中を、黙々と歩く千夏さんの後ろ姿だけが、妙に目蓋に残っていた。
そうして、いつの間にか修学旅行は終わってしまった。
「……さて!いいかお前ら、家に帰るまでが修学旅行だからな。充分気をつけて帰れよ」
学校へと帰ってきたボクたちは、先生からのお約束の言葉を貰って、解散となった。
「なーなー!この後ゲーセン行く奴いるー!?」
「ねえねえ!カラオケ、五時からなら部屋空いてるって!五人で予約するよ!?」
他のみんなは、修学旅行で楽しかった熱がまだ冷めていないらしく、この後もどこかへ遊びに行くようだった。
でもボクは、そんな気持ちには到底なれなかった。いち早く家へ帰りたかった。
「それじゃあ、みんな。4日間、お世話になりました」
ボクは小さな声で、四人に向かってそう告げた。
「う、うん、こっちこそありがとうね、黒影さん」
「ま、またさ、なんかの機会があったら、集まろうよ」
「え、ええ。私も是非……参加したいです」
西川さんも、小岩瀬さんも、二階堂さんも、みんなぎこちない笑みを浮かべるばかりだった。
「………………」
千夏さんは、寂しそうに顔をうつむかせて、じっとその場に立ち尽くすばかりだった。
一瞬だけ、ちらりとボクの方を見たけれど、またすぐに視線を落として、目を閉じていた。
「………………」
ボクはくるりと、彼女たちへ背を向けて、とぼとぼと一人で校門を出ようとした。
背中に背負ってる荷物が、ずしりと重くのしかかっていた。この荷物を今すぐに放り投げて、思い切り走り出したい衝動を、なんとか必死に堪えていた。
「黒影さん!」
その時、ボクに声をかける人がいた。
白坂くんだった。
いつにも増して上機嫌な彼は、弾んだ声で「途中まで一緒に帰らない?」とボクに言った。
ボクが黙って頷くと、彼は「ありがとう!」と言って、ボクの隣に並んだ。
「修学旅行、楽しかったね~!僕、関西に行くのは初めてだったから、毎日ワクワクしたよー!」
「………………」
「でも黒影さんと会えたのは、初日の一回だけだったね!覚えてる?あのお風呂場の近くですれ違った時」
「……うん」
「あの時、僕ちょっとドキドキしちゃったよ。なんたってお風呂上がりの黒影さんだったから、なんだかいけないものを見ているみたいで!」
「………………」
「黒影さんは、どう?修学旅行楽しかった?」
……白坂くんからそう言われて、ボクはぴたりと、足を止めた。
「いや、これは無粋な質問だったね!あのすれ違った時に、黒影さんみんなと楽しそうに話してたもんね!いやー、やっぱり修学旅行っていい思い出になるね~!」
「………………」
「……あれ?黒影さん?」
白坂くんは、ボクが立ち止まった場所から五歩分ほど前に進んでいて、ようやくそこで足を止めた。
「……あの、黒影さん?どうかした?」
そして、また彼はこちらへ引き返してきて、ボクの顔を心配そうに覗き込んでいた。
「………………」
ボクの頭の中に浮かんでいたのは、千夏さんとの思い出だった。
美しき走馬灯のように、彼女とのシーンひとつひとつが、目蓋の奥に浮かんでは消えていった。
『はい!どーぞ!とりま、あーしのPayPai貸したげる!』
『ねーねーさっぽん!今日さー、 放課後にストバ行かなーい?一緒にフラペチーノ飲もーよー!』
『11月の修学旅行さー、もう班って決まっちゃった?一緒の班にならない!?』
『ありがとー!ほんと助かったー!さっぽんいなかったらヤバかったよー!』
『へーーー!さっぽんって、実はボクっ子なんだー!うーん!なんか不思議っていうか、新鮮ー!さっぽんがもっと可愛くなった気がするー!』
『へへへ、やっぱりさっぽんは、優ぴだね!ほんとありがとねー!』
『さっぽん、大好き!』
「……ならなきゃよかった」
「うん?」
白坂くんは、ボクの独り言を聞こうとして、「どうかしたの?」と問いかけてきた。
「千夏さんと、仲良くならなきゃよかった」
「え……?」
「千夏さんと、思い出を作らなきゃよかった」
「く、黒影さん?」
「そうしたら、こんなに。こんなに……」
ボクはバッと顔を上げて、白坂くんの顔を見た。
そして、喉が焼けんばかりに、叫んだ。
「こんなに!!こんなに辛い思いをしなくて済んだのにーーーーー!!」
「……!」
「ううううう!!やだあ!!やだよお!!もう嫌だよお!!なんでこんなことばっかりーーーー!!」
「………………」
「千夏さんがぁーーー!千夏さんがもう!ボクと話してくれなくなったぁーーー!もうボクのことなんて嫌いなんだーーーー!!」
「……黒影さん」
……ボクの慟哭が、辺り一杯に広がった。天高く広がる秋の空の、そのまた向こうまで届いていくようだった。
白坂くんは何を言わずに、ボクのことをぎゅっと抱き締めた。堪らずボクも、彼のことを抱き締め返した。
「あーーーー!うわあーーーー!あーーーーーーーーーー!!!」
……これが、修学旅行最終日の出来事。
一生忘れることのできない、苦く悲しき青春の日。




